さとりと魔法学校   作:hip

15 / 42
#14:冷たい悪意

 真夜中のホグワーツは、昼間の活気が嘘のように、冷酷で研ぎ澄まされた別の顔を剥き出しにしていた。

 高い窓から差し込む月光は、冷たい銀の刃となって廊下の石畳を斜めに切り裂き、深く長い影を刻んでいる。

 壁の肖像画たちは深い眠りにつき、時折、額縁の中で寝返りを打つ衣擦れの音が、静寂をいっそう際立たせていた。

 

 古明地さとりは、ハリー、ロン、そして不運にも「説得」の最中に閉め出されたハーマイオニーと共に、静寂の中を音もなく進んでいた。

 石造りの壁からは昼間の温かみが完全に失われ、代わりに底冷えするような湿った冷気が、ローブの隙間から肌を刺してくる。

 

 ……この静寂は、精巧に作られた偽物ね。

 

 さとりの「第三の眼」は、闇の奥から物理的な音を凌駕する勢いで押し寄せる「意識の嵐」を捉えていた。

 それは、地底の地霊殿で聞き慣れた怨霊たちの虚無的な叫びよりも、ずっと生々しく、鋭利に神経を逆撫でする情報の濁流だった。

 

 ハリーの、責任感と恐怖が激しく明滅する、熱を帯びた紅い思考。

『心臓の音がうるさすぎる。耳の奥で太鼓を叩いてるみたいだ。マルフォイはどこだ? 杖を握る手が汗で滑る……。

もしフィルチに見つかったら、退学? いや、マクゴナガル教授のあの氷のような落胆の顔……。ダメだ、ハリー、落ち着け。息を止めろ。お前は透明な風になるんだ』

 

 ロンの、臆病さと食欲が絶え間なく明滅する、落ち着きのない橙色の思考。

『なんてこった、こんな暗闇に蜘蛛がいたらどうしよう。足音が石に響きすぎだ、これじゃ巨人でも歩いてるみたいに聞こえるぜ。

……腹が減ったな、ミートパイの欠片でもポケットに入れておけばよかった。さとりはどうしてあんなに平気なんだ?

あの眼、暗闇でも全部見えてるみたいで……逆に見られてる僕の方が怖いよ』

 

 ハーマイオニーの、パニックを論理で塗りつぶそうとする、緻密で鋭い銀色の思考。

『規則違反、規則違反、規則違反! 私としたことが、深夜に寮を抜け出して徘徊するなんて! 今すぐ戻って「私はここにいません」って自分に変身術をかけたい……。

でもこの二人(と不気味な一人)を放っておいたら、グリフィンドールの点数が全部なくなるわ。あ、さっきの角の彫像、教科書の記述より三インチ左に寄っていた気がするけれど、それは魔力の偏流のせいかしら……』

 

 それらに加え、城そのものが微睡みの中で漏らす「眠らぬ断片」が重奏となって響く。

 

『……小僧どもが、また境界を乱している……』

『……若すぎる魂。噛み砕けば、どれほど芳醇な後悔を吐き出すだろうか……』

『……捕まえろ、地下へ引き摺り込め、暗闇の抱擁へ……』

 

 肖像画の中の騎士や、壁に刻まれたガーゴイルたちが無意識に垂れ流す、何世紀分もの古い情念。

 それらが幾重にも折り重なり、さとりの視界を真っ白な情報のノイズで塗りつぶそうとする。

 

 一行は、目的地である「トロフィー室」へと辿り着いた。

 重い扉を僅かに開けると、そこには無数の金杯、銀盾、勲章が展示され、月明かりを反射して青白く不気味に、まるで生きた眼のように光り輝いていた。

 

「……いないわね。ここには、人間らしい醜い意志の欠片も残っていないわ」

 

 さとりが感情を排した声で、静かに告げた。

 彼女の眼は、クリスタルケースの裏側から天井の梁に至るまで走査していたが、そこにはマルフォイの「卑屈な自尊心」も、取り巻きたちの「空虚な従属心」も、塵ほども存在しなかった。

 

「臆病風に吹かれたんだな、あいつ! 逃げ出したんだよ!」

 ロンが安堵と、一瞬の勝ち誇ったような喜びを思考に混ぜて囁く。

 

「……違うわ。ハリー、すぐに戻りましょう。これは決闘(それ)が目的じゃない。私たちをおびき出すための……」

 

 さとりの警告が完成するよりも早く、部屋の外の廊下から、もう一つの「意識」が滑り込んできた。

 それは、ハリーたちの若々しい思考とは正反対の、嗜虐的な悦びに満ちた、どす黒い粘り気のある思考だった。

 

『……どこだ、どこに隠れている……。可愛いミセス・ノリス、クンクン言っておくれ。……ネズミどもを追い詰める、あの骨のきしむ瞬間……。鎖と、油の切れた地下牢の音。……さあ、お仕置きの時間だ、ポッター……』

 

「フィルチだ……!」

 ハリーが息を呑み、心臓の鼓動が物理的な振動となってさとりに伝わる。

 

「……嵌められた! あいつ、僕たちがここに来るのを先生に通報したんだ!」

 ロンの思考がパニックで爆発的なホワイトノイズと化し、さとりの脳内を掻き乱す。

 

「しっ! 静かにして! 息を吸う音さえ聞こえちゃうわ!」

 ハーマイオニーの心拍数が限界を超え、彼女の「論理の城」が音を立てて崩壊していくのが聞こえる。

 

 さとりは、第三の眼を廊下へと向けた。

 そこには、猫のミセス・ノリスの、針のように研ぎ澄まされた「本能的な殺意」と、管理人フィルチの「規律という名の復讐心」が、重いブーツの音と共に着実に距離を詰めながら迫ってきていた。

 

「……ハリー、あっちよ。フィルチの心には、まだ私たちの正確な輪郭は映っていない。……ただ、この部屋の入り口に全神経を集中させているわ。今のうちに、彼が『見ていない』反対側の廊下へ滑り込むのよ」

 

 さとりの「想起」が、フィルチの歩幅、呼吸の乱れ、そして彼が角を曲がる際に生じる「意識の死角」を完璧にトレースする。

 彼女は、まるでフィルチ本人が自分たちを避けて歩いているかのように、最も生存確率の高い回避ルートを脳内でシミュレートした。

 

「……私の影をなぞるように歩いて。足音を殺し、思考を透明にするのよ。……特にあなたは、ロン。その『お腹が空いた』という桃色の雑念を、今すぐ捨てなさい」

 

「わ、わかってるよ! でも無理だよ、勝手に出てくるんだから!」

 

 四人は影のようにトロフィー室を抜け出し、冷たい壁に背を預けながら移動した。

 背後で、重いブーツが石畳を叩く「ドス、ドス」という嫌な振動と、フィルチの「いたぞ、どこかに潜んでいるはずだ」という、歓喜に震える不快な思考が反響した。

 

 暗い廊下を全力で、しかし羽毛のように音もなく駆ける。

 ハリーの「仲間を守り切らなければ」という強い意志が、先導するさとりの背中を押し、ロンの「マルフォイ(あいつ)だけは絶対に許さない」という激しい怒りが、冷え切った廊下の空気を僅かに加熱させた。

 

 だが、逃げ込んだ先で彼らを待っていたのは、フィルチの折檻よりも、退学という社会的死よりも、遥かに根源的な「物理的な絶望」だった。

 

 さとりが、その厚い樫の木の扉の向こう側にある「三つの、別個でありながら、一つの核で繋がった怪物的な意識」に気づいたとき、彼女の顔からは完全に血の気が引いていた。

 

「……いけない。入ってはだめ……! 戻って! そこには……!」

 

 しかし、背後から迫るフィルチの足音に追い詰められ、パニックの極致に達していたロンが、既にその錆びついた扉の取っ手に手をかけ、力任せに回していた。

 

 そこは、石造りの廊下の行き止まり。

 ダンブルドアが「無惨な死を遂げたくない者は近づくな」と、あの始業式で厳重に警告した、禁じられた四階の廊下だった。

 

 扉が開いた瞬間。

 地獄の主であるさとりでさえ絶句するような、圧倒的な質量の「狂暴な生命」の咆哮が、さとりの精神世界を、物理的な衝撃を伴って粉々に粉砕した。

 

「……ああ、なんてこと。この『音』は……」

 

 三つの巨大な頭部。三つの異なる殺意。

 そして、それらを束ねる「空腹」という名の絶対的な地獄。

 暗闇の中で六つの巨大な眼が、不快な訪問者たちを捉えてギラリと輝いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。