さとりと魔法学校 作:hip
ホグズミードの喧騒から隔絶された路地裏。傾いた家々が折り重なるようにして空を狭めている一角に、その店はひっそりと佇んでいた。
看板には文字の一つもなく、ただ「折れた木の枝」が浮き彫りにされている。
店内は、冷えた空気と、乾燥した未知の薬草、黄ばんだ古紙、そして数世紀にわたって熟成された魔力が混ざり合った、肺を焼くような濃密な匂いに満たされていた。
「……ダイアゴン横丁の杖店のような、子供に夢を売るような店ではない。ここに置かれているのは、あまりに意志が強く、あるいはあまりに呪われすぎていて、持ち主を選ぶことさえ放棄した規格外の品ばかりだ」
スネイプの思考は、鋭利な外科医のメスのように店内の暗がりに積み上げられた棚を走査していた。
スネイプの、冷徹な選別眼の裏に潜む、確信に近い期待。
『……凡百の魔法使いなら、一振りで指を焼き落とされるだろう。だが、他人の精神を無防備な臓物のように『想起』し続ける娘には、これほどの毒でなければ均衡が保てまい。……ふん、ダンブルドアめ。私にこれを選ばせるとは、皮肉が過ぎる』
さとりの「第三の眼」は、彼のその複雑な思考を読み取っていた。
彼はさとりの力を危惧しながらも、同時に、彼女がこの停滞した魔法界の理をどこまで残酷に暴くのか、無意識のうちに渇望している。
壁一面を埋め尽くす、無数の細長い箱。そこから漏れ出す「杖の意志」が、さとりの脳内で数千の囁きとなって悲鳴を上げていた。
『私に触れるな。私はかつて王を屠った。卑俗な魂が私を握れば、その心臓を直ちに停止させてやろう』
『……空腹だ。魔力を寄こせ。血を、記憶を、芯まで吸い尽くして、乾いた木片に変えてやる』
『暗い……。冷たい……。ここはどこ? ……ああ、懐かしい匂いがする。地底の、灰と硫黄の匂い。……ねえ、あなた。あなたなら、私をあそこへ連れ戻してくれるの?』
「……耳鳴りがするわ。これほどまでに『過去』が、この空間を埋め尽くしているなんて」
さとりは深く眉間に皺を寄せ、こめかみを押さえた。
情報の飽和。しかし、そのノイズの合間を縫って、棚の最奥、ひときわ深い闇に置かれた埃まみれの銀色の箱が、さとりの「眼」に冷たく、そして鮮烈な波長を投げかけてきた。
「……それが気になるか。……店主。その銀色の箱をこちらへ」
スネイプの氷のような指示に従い、奥の帳から現れた白髪の店主が、枯れ枝のような手で箱を捧げ持った。
現れたのは、夜の闇をそのまま結晶化させたような、滑らかで不吉な黒い光沢を放つ
「……黒胡桃の木。芯材は
店主が、杖を見つめながら低い嗄れ声で解説する。
「黒胡桃は持ち主の心に一分の偽りも許さず、心に迷いがあればその力を失う。そしてセストラル――『死を見た者』にしか視認できぬ獣の毛。この杖は、生と死の境界を歩む者のみが御せる代物だ」
さとりが指先でその黒い木肌に触れた瞬間、爆発的な情報の「想起」が彼女の全身を駆け抜けた。
……あ。……これは、私の知っている『音』だわ。
杖を通じて流れ込んできたのは、数えきれないほどの前所有者たちの絶望、最後の一線を超えた瞬間の後悔、そして「死」の間際に見る、剥き出しで残酷な世界の色彩。
だが、それはさとりに苦痛を与えるのではなく、彼女が地底で背負い続けてきた「怨霊たちの記憶」と、運命的なパズルのピースが嵌まるように完璧に合致した。
さとりが杖を軽く振ると、教室での暴走とは異なる、静かで冷徹な「沈黙の波動」が部屋を包み込んだ。
棚の上の分厚い埃が、まるで意思を持ったかのように空中で幾何学的な曼荼羅を描き、音もなく床に落ちる。
「……悪くないわ。この杖なら、私が想起する『地獄』を、形を崩さずに引き出せそう」
スネイプは一瞬、満足げに口角を上げたが、すぐに元の冷酷な石像のような顔に戻った。
「……道具は揃ったな。……帰るぞ。夜の帳が降り、城の秘密が活動を始める前にな」
◇
ホグズミードを後にし、深い霧が立ち込めるホグワーツへの帰り道。
石畳の路面は秋の湿り気を帯び、月光を鈍い銀色に跳ね返している。
さとりの靴音が霧に吸い込まれていく中、前方に一人の男の、奇妙に歪んだ背中が見えた。
……クィレル教授。
彼はいつも以上に肩を震わせ、周囲を警戒するように、あるいは内側の誰かに必死に弁解するように、ぶつぶつと支離滅裂な独り言を呟きながら歩いていた。
……!?
その瞬間、さとりの「第三の眼」が、クィレルから全方位に向けて放射されていた「狂った情報の濁流」と真正面から激突した。
「……う、あ……っ! 嫌……、何、これ……!」
さとりは激しい立ち眩みと耳鳴りに耐えかねて、反射的に隣を歩くスネイプの重厚なローブの袖を強く掴んだ。
スネイプは即座にさとりの異変を察知し、杖を抜いてクィレルの方角を睨みつけたが、さとりに見えている「光景」は、この世界の魔術師が感知できる限界を遥かに超えていた。
『赤。青。黄。……三つの地獄。……門が開く。……石を喰らえ、魂を混ぜろ。……不死を求めるものよ、お前の矮小な魂を私の三つの身体で分け合おうではないか。これこそが真の『統合』だ……』
『や、止めろ、ヘカーティア! まだ……まだ準備が……! ダンブルドアに気づかれる……石、賢者の石を……!』
『黙れ、クィレル。お前はただの、血の混じった土塊に過ぎない。……さあ、見ろ。幻想の底から、掃除婦が紛れ込んできたぞ。……あの、忌々しい『読心術師』の娘だ』
クィレルの思考は、三つの階層――三つの地獄に分かれていた。
一つは、恐怖で自我が崩壊しかけたクィレル自身の意識。
二つ目は、冷酷な執念を燃やし、寄生を続けるヴォルデモートの腐敗した魂。
そして、それらをすべて「器」として包み込み、弄ぶように哄笑している、
「……クィレル教授の中に……私たちの世界の、もっと根源的な『地獄』が根を張ろうとしている……!」
さとりの声は、霧を震わせるほどに震えていた。
その時、クィレルがゆっくりと振り返った。ターバンの奥、隠された「顔」が、さとりの第三の眼を覗き返し、目に見えぬ冷笑を浮かべた。
「……あ、あ……ミ、ミズ・コメイジ……。ス、スネイプ先生……。き、奇遇ですね……。わ、私は、少し……夜の、静寂を……楽しみたくて……」
クィレルの表層意識は、依然として怯える臆病者を装っている。
だが、その背後に渦巻く「赤・青・黄」の魔力の
「……クィレル。夜の静寂にしては、随分と不浄な、死骸の匂いを纏っているな」
スネイプの声は氷の
彼の思考の障壁もまた、クィレルから漏れ出す「異質の異物感」に対し、生物としての本能的な拒絶反応を示している。
スネイプの、驚愕を伴う焦燥。
『……何だ、今の忌まわしい波動は。……魔術ではない。魔力の波長が、物理的に空間を歪めている。……もっと古く、不浄で……『地獄』という概念そのものの圧力か。……コメイジ、貴様、これほどまでの化け物と対峙していたというのか』
クィレルは逃げるように、ガタガタと音を立てそうな足取りで霧の向こうへと去っていった。
彼が踏みしめた石畳が、一瞬だけ「地獄の熱気」を帯びて赤く変色し、次の瞬間には「異界の冷気」で青く凍りつき、そのまま砕け散るのを、さとりの眼は捉え続けた。
「……先生」
さとりが震える声でその名を呼ぶと、スネイプは無言で彼女の背中を、一瞬だけ、しかし確かな重みを持って叩いた。
「……城へ戻るぞ。……今はまだ、その『深淵』を正視すべき時ではない」
二人は再び、無言で歩き出した。新しく手に入れた黒胡桃の杖が、さとりの指先で、警告するように冷たく不吉な脈動を繰り返していた。
そのすぐ隣。実体を持たず、意識さえ持たないはずのこいしが、珍しく「何かに気づいたような顔」をして、クィレルの消えた霧の奥を凝視していた。
「……ねえ、お姉ちゃん。あのおじさんの中にいる『お姉さん』……。私の、お友達の匂いがするね? でも、あんなに怖かったっけ……?」
こいしの無意識の呟きは、誰の耳にも届かなかったが、さとりの心には、この世界が崩壊へと向かう最後の一押しのように、ひどく鮮明に響き渡っていた。