さとりと魔法学校 作:hip
ハグリッドの小屋の内部は、もはや人間が生活を営むための場所ではなく、熱帯の湿地帯と火口の底を無理やり混ぜ合わせたような、不浄な熱気に支配されていた。
窓という窓はすべて厚いカーテンで塞がれ、その隙間から漏れ出すわずかな月光さえも、室内に充満する蒸気と煤、そして獣の体臭が混じり合った濃密な空気によって白く濁っている。
石造りの床は、ノルウェー・リッジバックの「ノーバート」が撒き散らした生肉の血と、ハグリッドが「寝かしつけ」のために用意したブランデーの飛沫でぬるりと光り、一歩踏み出すたびに粘り気のある、耳障りな音が静寂をかき乱した。
古明地さとりは、額にじっとりと張り付くピンク色の髪を払う気力さえ失い、激しく脈動する「第三の眼」から流れ込む情報の濁流を、決壊寸前の堤防のように必死にせき止めていた。
……うるさい。熱い。……思考が、この部屋の湿気と一緒に沸騰しているわ。
さとりの脳内には、狭い密室に閉じ込められた四人と一匹の思念が、逃げ場を失った熱風となって吹き荒れている。
それは整理されない言葉の断片ではなく、生々しい感情の塊となって彼女の神経を直接焼きに来る。
ロン・ウィーズリーの腐敗と後悔の赤い思考。
『痛い。指が、指の先から脳みそまで火がついたみたいだ。ノーバートの奴、僕の指をソーセージだと思ってる。血が止まらない。これ、絶対毒がある。このままじゃ僕の腕は緑色に腐り落ちて、試験どころか二度とチェスの駒も握れなくなる。……母さんに何て言えばいいんだ? ドラゴンに噛まれましたなんて、口が裂けても言えない。学校にドラゴンがいるなんて、パパが聞いたらひっくり返るぞ。……暗い。この小屋はもう地獄の底だ。……さとり、君はどうしてそんなに冷めた顔でいられるんだ? 君の眼には、僕のこの「無様な痛み」が、どれだけ醜い色に見えているんだ……!』
ハーマイオニー・グレンジャーの高速回転する銀の焦燥。
『論理的に考えれば、ドラゴンの成長速度は指数関数的に上昇しているわ。あと二日、いや二十四時間で、この小屋の天井を突き破る。そうなればダンブルドア校長だって隠し通せない。……記録、記録しなきゃ。ブランデー二リットルに対して生鶏一羽。このデータが後で役に立つかもしれない。……でも、手が震えてインクが滲む。マルフォイに見られた。あの窓の外の、氷みたいな冷笑。彼は今頃、マクゴナガル教授の部屋の前に並んでいるかもしれない。……退学。私の人生が、一二歳の春で終わる。……嫌。嫌よ。……さとり、何か言って。あなたのその「想起」で、マルフォイの記憶を今すぐ塵にして……!』
ハリー・ポッターの重く沈む蒼い責任感。
『……スネイプ。石。フラッフィー。……全部繋がっているはずなのに、僕たちはこの小さなトカゲの子守に命を懸けている。……ハグリッドの泣き声が鼓膜に痛い。ノーバートを愛しているのは分かるけれど、これはもう愛じゃない、共倒れの破滅だ。……暗闇の向こうで、マルフォイが僕の失脚を待っている。……戦わなきゃ。でも、相手はドラゴンで、味方は泣き言を言う大男だ。……マント。透明マントがあれば、この「間違い」を外へ運び出せるだろうか……』
ノーバートの原初的な黒と極彩色の狂気
『……腹が減った。噛み切りたい。熱い。もっと火を。もっともっと火を! ……お前、そこにいる桃色の生き物。柔らかくて、お前の奥には見たこともない「美味そうな記憶」が詰まっている。……境界が、割れている。……三色の月が、殻の裏側で踊っている。……お前の故郷の「地獄」の匂いがするぞ。……食わせろ。お前の「想起」を、俺の血肉に変えさせろ……!』
「……もう限界ね。この子をこれ以上ここに置いておけば、物理的な火災が起きる前に、この子の魂が『向こう側』へ反転してしまうわ」
さとりが黒胡桃の杖を強く握り、冷徹な響きを含んだ声を発すると、それまでノーバートに「よしよし、いい子だ、ママですよ」と鼻水を垂らして囁いていたハグリッドが、巨大な身体を震わせて振り返った。
「……さ、さとり、あんた何を……! ノーバートはまだ、生まれたばっかりの赤ん坊なんだ。外は寒い。死んじまう!」
「ハグリッド、見てよ、僕のこの手! このままじゃ僕が死んじまうよ!」
ロンが包帯代わりのハンカチで巻いた手を突き出した。傷口からはドラゴンの魔力を含んだ不気味な緑色の粘液が滲んでいる。
「……ハグリッド、さとりが正しいわ」
ハーマイオニーが、テーブルの上の煤を指でなぞりながら、絞り出すような声で言った。
「これはもう飼育じゃない。犯罪よ。……この子が大きくなる速度は、魔法界のどの図鑑にも載っていない。……何かが、この子の成長を『異常』なものに変えているの。……もしマルフォイがチクれば、ハグリッド、あなた、アズカバン行きよ」
「……アズカバン……」
ハグリッドの顔が土色になり、もじゃもじゃの髭が激しく震えた。彼の思考は今、愛着と恐怖の狭間で、泥をこねるように濁っている。
「……チャーリーだ」
ハリーが不意に、しかし確信に満ちた声を上げた。
「ロンの兄さんのチャーリー。……ルーマニアでドラゴンの研究をしてるんだろ? チャーリーなら、ノーバートを仲間に引き合わせてくれるはずだ。……そこなら広いし、ハグリッド、君も時々会いに行けるかもしれない」
「……チャーリーか!」
ロンが弾かれたように顔を上げた。
「そうだ、チャーリーならドラゴンの扱いはお手の物だ! あいつ、自分自身が半分ドラゴンみたいな奴だからな! 手紙を書けば、きっと助けてくれる!」
ハグリッドの思考に、一筋の光が差し込んだ。
『チャーリー。……ウィーズリーの家のあの子か。……ドラゴンを大切にしている奴だ。……ルーマニアの野生の空なら、ノーバートも自由に……。……いや、でも、俺の手元から離れるなんて。……誰がこの子にブランデーを飲ませるんだ? 誰が死んだネズミの毛をむしってやるんだ?』
「……ハグリッドさん。……あなたがこの子を抱え続けることは、あなたがこの子を殺すことと同じよ」
さとりは、ハグリッドの巨大な、煤で汚れた手を、自身の小さな手でそっと押さえた。
さとりの「眼」は、ハグリッドの心の奥底にある、純粋ゆえに危うい「母性」の疼きを、誰よりも理解していた。
「……この子は、もう魔法界のドラゴンという枠組みを溢れ出そうとしている。……私の世界の、あの極彩色の女神の力……それがこの子を媒介にして、このホグワーツに根を張ろうとしている。……逃がしてあげるのが、この子にとっても、あなたにとっても、唯一の救いなの」
ハグリッドは、大きく息を吸い込み、それから崩れ落ちるように椅子に腰掛けた。石造りの床が、彼の重みで微かに鳴った。
「……ああ……分かった。分かったよ。……ハリー、手紙を書いてくれ。……チャーリーに。……『わんぱくだけど、心根は優しい子なんだ。どうか、どうか頼む』って……」
ハグリッドの思考が、ダムが決壊したように「諦め」と「慈愛」の洪水へと変わったのを、さとりは静かに、しかし深い疲労と共に感じ取った。
石畳を伝う熱は依然として高かったが、さとりの隣で誰もいない虚空から伸びたこいしの手が、ノーバートの鱗を名残惜しそうに撫でていた。
「……ねえ、お姉ちゃん。このトカゲさん、お空を飛んだら、もっと大きな『地獄の門』を作れるのかなぁ?」
こいしの無邪気な、しかし核心を突いた呟きは、ハリーたちの耳には届かなかったが、さとりの心には、次の嵐の予兆としてひどく不吉に響き渡っていた。
「……決まりね。すぐに手紙を書きましょう。……ロン。その指、見せてちょうだい。放っておけば本当に腐りかねないわ」
「……あ、ああ。……ひどいもんだろ、さとり。……こいつ、僕が仲良くしようとテディベアをプレゼントしてやろうとした瞬間に、ガブリだぜ……。クマの首が飛んでいくのを見たとき、自分の首もあんな風になるのかと思ったよ……」
ロンが差し出した左手は、パンパンに腫れ上がり、緑色の毒々しい液体が傷口から滲んでいた。さとりの眼には、ロンの血管を駆け巡る「ドラゴンの魔力」が、微かな不協和音を奏でながら彼の生命力を削っているのが見えた。
「……ハリー。手紙は書けたかしら。ヘドウィグが待ちくたびれているわ」
ハリーは、油染みと煤がついたテーブルの上で、震える手で羊皮紙を広げていた。
「……書けた。……『親愛なるチャーリー。元気かい? 僕たちは今、ひどく困っている。……ノルウェー・リッジバックの赤ちゃんを、不法に預かっていて……』」
「『赤ちゃん』なんて生温い書き方をしちゃだめよ、ハリー!」ハーマイオニーが、羽ペンを奪い取るような勢いで口を挟んだ。「『制御不能な時限爆弾』とでも書くべきだわ。……チャーリーたちが来てくれるよう、最短で、最も安全なルートを指定して。これに私たちの人生がかかっているんだから!」
ハリーの思考には、ルーマニアでドラゴンと格闘するチャーリーの逞しいヴィジョンが、一筋の希望として浮かんでいた。
それは、この湿った石造りの地獄から抜け出すための、唯一の脱出路だった。
「……窓の外に、また『視線』を感じるわ。……マルフォイね。彼はまだ、
さとりが冷たく告げると、室内の温度がさらに一段階上がったかのような錯覚が走った。ハグリッドは、ノーバートに巨大な死んだネズミを食わせながら、そのもじゃもじゃの髭を涙で濡らしていた。
「……おお、俺の可愛いノーバート……。さとり、あんたなら分かってくれるよな? この子のこの、純粋な……生まれたばかりの魂をよ……」
「……ええ、わかります。……けれどハグリッドさん。純粋な魂こそ、この世界では最も早く汚され、利用されるものだわ。……この子がこのままここにいれば、クィレル教授……いいえ、その背後の『三色の影』が、この子を完全に壊して、本当の怪物に変えてしまう。それこそが地獄だとは思わない?」
さとりの第三の眼は、ノーバートの黒い鱗の隙間から立ち上る、赤・青・黄の微かな燐光を捉えていた。それはこの世界の生物にはあり得ない、地獄の権能が滲み出した色彩。
その時、ハリーが書き上げた手紙を、窓辺に待機していたヘドウィグの足に結びつけた。
「……頼むよ、ヘドウィグ。君だけが頼りだ。……これが、僕たちの最後のチャンスなんだ」
フクロウが夜の帳へと飛び去っていく。その羽ばたきさえも、この重苦しい熱気に飲み込まれそうだった。石畳の床の上では、こいしが無邪気にノーバートの尻尾を捕まえようとして、ドラゴンの吐いた小さな火炎をひらりと避けていた。
「……ねえ、お姉ちゃん。このトカゲさん、中身が『三つ』に割れようとしてるよ? 壊れる前に、もっと熱いところに連れていってあげなきゃ」
こいしの無意識の言葉に、さとりは戦慄した。
ヘカーティアの力が、ノーバートという器を通じて、この世界の生命の理を内側から食い破ろうとしている。
さとりは、新しく手に入れた杖の冷たい感触を唯一の支えにして、荒れ狂うノーバートの咆哮と、仲間の悲鳴のような思考が渦巻く闇の中に、再び意識を沈めていった。