さとりと魔法学校 作:hip
暗闇の中を落下する感覚は、永遠にも、あるいは一瞬の悪夢のようにも感じられた。
湿った冷気が鼓膜を叩き、胃袋が浮き上がるような不快な重力加速度が、四人の身体を支配する。
やがて、絶叫さえ凍りつくほどの時間の果てに、彼らを受け止めたのは、石畳の硬い洗礼ではなく、ひやりと湿り気を帯びた弾力のある「何か」だった。
「……ふう、助かった。クッションか何かかな。ハグリッドの奴、案外気が利くじゃないか」
真っ先に着地したロンが、安堵の混じった掠れ声でそう呟いた。
だが、その直後。ずぶずぶと底なし沼のように身体が沈み込み、足首から這い上がってくる不気味な蠢きが、彼らの安堵を絶望へと塗り替えた。
それは無機質なクッションなどではなかった。暗闇の奥で、無数の太い蔦が、まるで獲物の体温を嗅ぎつけた捕食者のように、四人の手足を、胴体を、喉元を、貪欲に絡め取ろうとしていた。
古明地さとりの「第三の眼」は、この光さえ届かぬ地下の密室で、かつてないほど濃密な「植物の原始的な殺意」と、仲間の「剥き出しの悲鳴」が混ざり合った情報の濁流に蹂躙されていた。
悪魔の罠の原初的な意識
『熱。……振動。……命の拍動を感じる。……包囲せよ。……締め上げろ。……抵抗するほどに我らは太く、強く、深く。……光は毒、熱は死。……湿った闇こそが我らの王国。……獲物の骨が軋む音を聴け。……肺から空気が逃げる音を楽しめ。……もっと、もっと強く抱きしめてやろう。……逃がさない。……静寂の中へ、冷たい土の底へ引きずり込め……』
ロンの橙色の
『……痛い、苦しい! 離せよ、このバカ植物! 身体が蛇に巻かれてるみたいだ。……さっきフラッフィーから逃げ切って、これで石まで一直線だと思ったのに、こんなところで植物の肥料になるのか? 嫌だ、まだクィディッチも、チェスの続きもしてないんだ。……ハリー、ハーマイオニー、さとり! 誰か、誰か助けてくれ、息が……!』
ハリーの青白い闘志と焦燥
『……動けない。もがけばもがくほど、蔦が食い込んでくる。……スプラウト先生の罠だ。……僕たちは、まだ扉の入り口に立ったばかりなのに。……石は? ヴォルデモートは? ……鏡の中の父さんたちの笑顔が遠ざかっていく。……あきらめるな。何か、何か方法があるはずだ。……さとり、君には何が見える? 僕たちの「死」以外の何かが!』
ハーマイオニーの銀色の回転する思考
『……落ち着かなきゃ。……これは「悪魔の罠」。……薬草学の授業で習ったはず。……暗闇と湿気を好む。……ええと、日光に弱い。……でも今は夜だわ、光が必要なのよ!
……でも、呪文が、呪文が思い出せない……!』
スプラウト先生。……この植物をここに植えた時の、あなたの残留思念。読み取れるわ。
『……侵入者は等しく、この柔らかな死の腕の中に沈むがいい。……優しき緑よ、我が校の大切な秘密を守りなさい。……躊躇いは不要。……この罠を抜けられぬ者は、この先の「真実」に触れる資格はないのだから……。……ふふ、おやすみなさい、勇敢な小鳥たち……』
慈愛に満ちたあなたの笑顔の裏側にある、この容赦のない「選別」の意志。
あなたは石を守るために、躊躇いなくこの死の罠を仕掛けたのね……。
「……ハーマイオニー、落ち着きなさい。……あなたの知識の迷宮の中に、出口はもう用意されているわ」
さとりは、自分の腰を万力のように締め上げる蔦のぬめりとした感触を無視し、パニックに陥るハーマイオニーの思考に直接、静かな「冷静」を送り込んだ。
さとりの視界には、スプラウト教授がこの罠を愛おしげに設置した際の、冷徹な防衛本能が極彩色の記憶となって映し出されていた。
「――っ、はっ……火よ! 炎が必要なのね!」
ハーマイオニーが、喉を締め上げられながらも杖を振った。
「ラカーナム・インフラマーレ(炎よ、燃え上がれ)!」
漆黒の闇の中に、鮮烈な青白い火花が飛び散った。
その瞬間、
蔦から逃れ、冷たい石の床に転がり落ちた四人は、荒い息をつきながら立ち上がった。
上空の落とし戸からは、遠くフラッフィーの遠吠えが、風の鳴るような微かな残響として響いている。
「……はぁ、はぁ、……死ぬかと思った。……さとり、君はどうしてあんなに平気な顔をしてるんだ? あの植物、本気で僕たちの肋骨をへし折ろうとしていたのに」
ハリーが汗でずり落ちた眼鏡を直しながら、畏怖の混じった眼差しをさとりに向けた。
彼の思考には、死の淵を歩くことへの奇妙な慣れと、それ以上にさとりの「異質さ」への戸惑いが渦巻いている。
「……平気なわけではないわ、ハリー。……ただ、植物の心は人間よりもずっと単純なの。……彼らが何を嫌い、何を恐れているかさえ読み取れれば、地底の怨霊の執念を鎮めるよりも容易いことだわ」
「……あ、あ、……僕、もう帰りたい。今すぐ寝室のベッドに飛び込みたいよ……。……でも、行かなきゃダメなんだよな。スネイプがあの先にいるんだもんな」
ロンが膝の震えを隠すように、暗い廊下の先を睨みつけた。
さとりの隣で、誰もいないはずの虚空から伸びたこいしの足が、逃げ去った悪魔の罠の蔦を面白そうに踏みつけていた。
「おもしろい縄跳びだねぇ。……ねえお姉ちゃん、次は、お空を飛ぶ音が聞こえるよ? 軽い、キラキラした音」
こいしの無邪気な声が、誰もいない闇に響き、次の地獄の幕開けを告げていた。
石造りの回廊の先から聞こえてくるのは、何千もの小鳥が金属の羽を震わせて一斉に羽ばたいているような、耳を劈く不快な羽音だった。
◇
次なる部屋へと足を踏み入れた瞬間、四人の視界は眩い銀色の閃光に埋め尽くされた。
そこは、高く壮麗なアーチ型の天井を持つ石造りの広間だった。
乾いた空気が肌を撫で、天井からは無数の「翼を持った鍵」たちが、狂った時計の部品のように飛び回っている。
古明地さとりの「第三の眼」は、その輝かしい乱舞の影に潜む、フリットウィック教授の「人工的な秩序」を捉えていた。
鍵たちの集合意識。
『旋回。……守護。……侵入者の視線を眩ませよ。……我らは数にして一、一にして万。……フリットウィック教授の「完璧な譜面」を乱す者は、銀の翼で切り裂け。……触れさせない。……我らを捕らえられぬものに、この扉を開く資格はない……』
ハリーの、シーカーとしての本能。
『……この中から一本だけを探すのか? 箒が一本、僕を待っている。クィディッチでスニッチを探すより何倍も難しいぞ。……ああ、目が回る。……でも、あの扉を開けなきゃ、僕たちは先に進めない……』
ロンの、もどかしい無力感。
『箒が一本……。ハリー、君に任せるしかない。僕たちが下で攪乱する! 網があればいいのに!』
ハーマイオニーの、鋭い観察眼。
『浮遊術の極致ね。……でも、不自然だわ。あの鍵たちの動き、一箇所だけ「綻び」がある……。さとり、あなたもそう思うでしょう!?』
……視えるわ。この空間に残された、数時間前の惨烈な記憶。……あの男、クィレルがこの箒に跨り、なりふり構わず鍵を鷲掴みにした時の、恐怖に染まった思考の雫。
「……ハリー、あの箒を取って。……迷っている暇はないわ。……フリットウィック先生がこの部屋に込めた『調和』は、もう既にあの男によって壊されている」
さとりは広間の中央に置かれた、少し古びた箒を指差した。
「左側の翼が、不自然に折れ曲がっている大きな銀の鍵を狙いなさい。……あの子だけが、他とは違う『屈辱の記憶』を帯びた、鈍い色を発しているわ」
「折れ曲がった翼? ……わかった、さとりの眼を信じるよ!」
ハリーが地を蹴り、銀色の残光となって舞い上がった。さとりの「第三の眼」には、ハリーの背中に張り付く「飛行への純粋な歓喜」と、鍵たちが放つ「迎撃の殺意」が、火花を散らす光景として映し出されていた。
「――いたぞ! 左の羽が折れてるやつ!」
ハリーが急旋回し、猛り狂う銀の群れをすり抜け、ついに標的をその手に掴み取った。
石畳の床に着地したハリーの手の中で、鍵はなおも逃れようと激しく羽ばたき、彼の掌に金属質の冷たい感触を刻みつけていた。
「――急げ! 扉だ!」
ロンが叫び、重厚な扉へと走り寄る。鍵を差し込み、力任せに回すと、カチリという乾いた、しかし重みのある音が広間に響き渡った。
さとりの隣で、こいしがハリーの肩からこぼれた銀色の羽を拾い、「きらきらしてるね。……次は、大きな石のお人形さんが並んでるよ。血の匂いと、我慢比べの匂いがするねぇ」と、無邪気な声で次の深淵を予見していた。
扉が開く。そこから漏れ出してきたのは、先ほどまでの喧騒とは対照的な、息の詰まるような重厚な「沈黙」だった。
「……行きましょう。次は、マクゴナガル先生の『盤上の虐殺』が待っているわ。……ロン、あなたの出番よ。……あなたの思考の『深さ』が、私たちの命を繋ぐ駒になる」
さとりは、黒胡桃の杖を握り直し、チェス盤を模した巨大な石畳が広がる、次なる深淵を見据えた。