さとりと魔法学校   作:hip

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秘密の部屋
#40:守護の想起


 地霊殿の最奥、吹き抜けになった回廊には、地下深くの「灼熱地獄跡」から昇ってくる燐光が、どす黒い朱色の影を投げかけていた。

 磨き上げられた黒耀石の床は、地底の熱を孕みながらも、表面は鏡のように冷たく滑らかに光っていた。

 

 古明地さとりは、愛用の安楽椅子に深く身を沈め、窓の外に広がる死の火の揺らめきを眺めていた。

 数ヶ月ぶりに戻ったわが家。だが、彼女の耳の奥には、未だにホグワーツの喧騒——石畳を駆ける少年の靴音や、羽ペンが羊皮紙を掻く音——が、幻聴のようにこびりついている。

 

 背後で、パタパタと軽快な足音が石の床を叩いた。

 

 さとりの「第三の眼」が、背後から近づく二つの強烈な意識を捉えた瞬間、脳内は純粋すぎる好奇心と底抜けの忠誠心の濁流に飲み込まれた。

 

「さとり様、さとり様! よくぞご無事で! あたい、さとり様がいない間、寂しくて寂しくて、運び出す死体もいつもより丁寧に磨いちゃったよ!」

 

 お燐が、猫耳をぴこぴこと弾ませながら、銀の盆に乗せた豪快な料理を次々と並べていく。

 そしてその隣では、お空が、核融合の熱を帯びた翼を広げ、制御しきれない喜びで足をガチガチと鳴らしていた。

 

「うにゅ! さとり様、おかえりなさい! 地底の太陽も、さとり様の帰還を祝っていつもより三〇%増しで燃えてるよ! あつめてきたご馳走、たくさん食べてね!」

 

「……ありがとう、二人とも。でも、そんなに火力を上げなくていいわよ。ここが焦熱地獄そのものになってしまうわ」

 

 さとりは微笑みながらも、こめかみを軽く押さえた。

 彼女の「第三の眼」は、再会を喜ぶ二人の、そして背後で無邪気にスキップするこいしの思考を、制御不能な「情報の濁流」として強制的に受信し続けていた。

 

 お燐の思考からは、燃えるような献身の想い。

『おかえりなさい、さとり様! あたい、寂しかったんだから! さとり様がいない間、地霊殿の空気はなんだか冷え切って、死体だって心なしか元気がなかったんだよ。……それにしても、魔法界? 杖を振って火を出す人間? なんだいそりゃ、大道芸の類かい? ……さとり様が、あんなに人間たちに囲まれて笑ってる「想起」……あたい、少しだけヤキモチ焼いちゃうね。あいつら、さとり様の「眼」を怖がらなかったのかい? さとり様を一人にさせなかったのかい? ……だったら、あたい、その人間たちにお礼を言わなきゃね。いい死体になったら、あたいの車に乗せてあげるんだから!』

 

 お空の思考からは、核火力の不協和音と純粋な想い。

『さとり様! さとり様! さとり様! うにゅ、うにゅ、うにゅ! ……六番、七番制御棒、解放! 温度上昇中! あつい、たのしい、うれしい! 魔法ってなに? おいしいの? ……あっちの世界の太陽は、ここより弱かったって本当? ……さとり様がいない間、お掃除がんばったよ! 一回だけ、廊下をドロドロに溶かしちゃったけど、お燐に怒られたからすぐ固めたよ! ……さとり様の眼がキラキラしてる。……おなかいっぱい食べさせなきゃ! 太陽の力でお肉をジュージューにするんだ!』

 

「……二人とも、少しは落ち着きなさい。……頭の中が、地獄の釜の中よりも騒がしいわよ」

 

「で、どうだったんだい、さとり様。あたい、不思議で仕方ないよ」

 お燐がさとりの足元に丸まり、琥珀色の瞳を見上げた。

「さとり様は、誰よりも人間の『裏側』を嫌っていたはずじゃないか。地底の妖怪たちだって、さとり様の眼を見るなり逃げ出すっていうのに……。どうして、あんなに危なっかしい人間の子供たちと一緒にいたんだい?」

 

 さとりは、窓の外の赤い霧を指先でなぞるように動かした。

 

「……そうね。私も、最初はただの『調査』のつもりだったわ。……けれど、あの子たちは違ったのよ」

 

 さとりの第三の眼から、ホグワーツでの「想起」が、霧状の映像となって広間に漏れ出す。

 

「……ハリー、ロン、ハーマイオニー。……あの子たちの心には、もちろん恐怖や嫉妬、見栄や嘘もあった。……けれど、その奥底にある『誰かを守りたい』という光が、あまりにも純粋で……私の読心術(ちから)でさえ、その輝きを曇らせることはできなかったわ。……特にハリー。……彼が母親から受け取った『愛』という記憶は、この地底の闇をすべて焼き尽くしてしまえるほど、温かかった」

 

 さとりは自らの胸元に手を当てた。

 

「……誰からも拒絶され、心を閉ざすのが当たり前だった私に、彼らは『拒絶しない』という選択肢を教えてくれたの。……私が彼らの心を読むことを、彼らはいつしか『信頼』として受け入れ始めた。……それが、私にとってはどんな魔法よりも奇跡的なことに思えたのよ」

 

「愛? そんなのより、さとり様! トカゲだよ、トカゲ!」

 お空が身を乗り出し、翼をバサバサと羽ばたかせた。床の黒耀石に、お空の放つ熱がじりじりと伝わる。

「ノルウェー・リッジバックとかいうドラゴン! 口から火を吹いて、空を飛ぶんだって? 私の『八咫烏』の力と、どっちが凄いのかなぁ!」

 

「……そうね、ノーバート……あのドラゴンは、あなたほど賢くはないけれど、本能のままに生きる強さを持っていたわ。……けれど、お空。……あの世界には、もっと恐ろしい者も潜んでいるのよ」

 

 さとりの表情が、ふと曇った。

 

「……ヘカーティア・ラピスラズリ。……あの女神の力が、ヴォルデモートという執念深い魂と結びついてしまった。……あちらの世界の理が壊れれば、この地底の平和も無事では済まないわ。……だから、お空。……あなたには、いつかその火力を貸してもらうことになるかもしれないわね」

 

「――わかった! さとり様を困らせるやつは、わたしが全部うにゅっと焼き尽くしてあげる!」

 

 お空の脳内に、真っ赤な爆発のイメージが広がり、さとりは苦笑した。

 

「……ふふ、期待しているわ。……お燐、あなたの車も、もしかしたら魔法界の奇妙な『死』を運ぶことになるかもしれない。……準備だけはしておきなさい」

 

「あいよ! あたい、新しい死体袋を縫っておくよ、さとり様!」

 

 お燐は嬉しそうに尻尾を振った。

 

「そうだ! さとり様は魔法の勉強もしてたんだよね? 魔法、見せてほしいな!」

 

「うにゅ? 魔法? どっかーんってなるの?」

 

 お燐は尻尾を激しく左右に振り、お空は三本目の足(制御棒)をカチカチと鳴らしながら、さとりの手元にある黒胡桃の杖を食い入るように見つめている。

 彼女たちの意識は、かつてないほどの期待と、ほんの少しの「疑い」で沸き立っていた。

 

「さとり様が持ってるあの木の棒、本当にそんな力があるのかい? 地底の妖怪はみんな自分の力で火を吹いたり土を動かしたりするのに……。

わざわざ道具を使うなんて、人間はやっぱり弱っちいのかね。……あ、でも、さとり様があの棒を振った瞬間、石畳が震えた気がする。

……なんだか、死体の魂を呼び寄せるのとは違う、もっと「理屈っぽい」匂いがするよ。……さあ、あたいを驚かせておくれよ!」

 

 お空はバサバサと羽ばたいて大はしゃぎしている。

「魔法! 魔法! 火? 光? 太陽より眩しいかな? 私の「サブタレイニアンサン」より熱かったらどうしよう。……うにゅ? あの棒の先っぽから、小さな星が出るのかな? ……さとり様、かっこいい! でも、私の核融合の方が強いもん! ……あ、お腹空いた。魔法で卵焼きとか出せるのかな?」

 

「……お空、魔法で食べ物を無から生み出すことはできないのよ。それは『ガンプの変容変身に関する五つの例外』の一つだから。……お燐、道具を使うのは、力が弱いからではなく、力を『制御』するためよ。……見ていなさい」

 

 さとりが杖をしなやかに一振りし、石畳の上に転がっていた古い石炭の塊を指した。

 

「『フェラベルト』」

 

 カチリ、という硬質な音と共に、石炭が瞬時に変形し、ふっくらとした毛並みを持つ銀色のハツカネズミへと姿を変えた。

 ネズミは鼻をひくつかせ、お燐の足元をちょこまかと走り回る。

 

「ひゃあっ!?」

 お燐が飛び上がり、猫の習性で思わずネズミに飛びかかろうとする。

 しかし、ネズミがお燐の爪に触れる直前、それは再び冷たい石炭へと戻った。

 

「……あ、あはは。……すごいね、さとり様。魂もないのに、あんなに生き生きと動くなんて。……死体ごっこよりずっと面白いよ」

 

お燐の思考には、魔法という「生命の模倣」に対する深い驚愕が刻まれていた。

 

「次は、お空。……あなたが一番好きなものを」

 

 さとりが杖を高く掲げ、静かに呪文を唱える。

 

「『ルモス・ソレム(陽光の光よ)』」

 

 杖の先から、暗い地底を真っ白に塗り潰すほどの、純粋で強烈な光が放たれた。

 それはお空の核融合のような禍々しい熱を持たず、ただひたすらに「明るい」、地上の太陽そのものの輝き。

 

「うにゅぅぅ! 眩しい! 太陽だ、さとり様の手元に太陽がある!」

 

 お空は翼を広げ、歓喜の声を上げながら光の周りを旋回する。

 彼女の脳内は、自分とは違う「清らかな光」への憧憬で真っ白に染まり、さとりの視界を一時的にホワイトアウトさせるほどの純粋な多幸感に満たされた。

 

「最後は……一番大切な魔法よ、上手く出来るか分からないけど」

 

 さとりが目を閉じ、ホグワーツでハリーたちと過ごした、あの温かな思い出を「想起」した。

 嫌われ者だった自分が、初めて「友人」として受け入れられた、あの石畳の廊下での笑い声。

 

「『エクスペクト・パトローナム(守護霊よ、来たれ)』」

 

 杖の先から溢れ出したのは、銀色の霧。

 それは次第に形を成し彼女を慕うペットたちの幻影、一匹の美しい翼の生えた猫となって広間を優雅に駆け抜けた。

 

 地霊殿の冷たい石壁が、銀色の光に照らされて温かく輝く。

 

「……きれい……」

 お燐もお空も、言葉を失ってその光の奔流を見つめていた。

 彼女たちの思考からは、悪戯心も競争心も消え去り、ただただ、さとりが魔法界で手に入れてきた「孤独ではない自分」という確信が、静かな感動となって伝わってきた。

 

「……これが、私が学んできたことよ。……自分の力だけでは届かない場所に、誰かとの『絆』を通じて手を伸ばす。……それが魔法なのよ」

 

 さとりは杖を下ろし、銀色の霧が消えゆくのを見届けた。

 お燐がさとりのスカートの裾を掴み、お空が大きな頭を彼女の肩に預ける。

 

「さとり様、いつかあたいも教えてもらえるかな? 魔法の呪文!」

「わたしも! わたしも杖が欲しい!」

 

「……ふふ。……あなたたちの魔力は少し強すぎるから、特製の『杖』が必要になるわね。……今度、古道具屋に相談してみましょうか」

 

 地底の静寂の中に、魔法という名の新しい灯火が灯った夜。

 さとりは、二年生という名の更なる混沌が待ち受けるホグワーツへ、この賑やかな家族の想いを連れて帰る決意を、改めて固めていた。

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