さとりと魔法学校   作:hip

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#06:獅子寮

 宴が終わると、新入生たちは監督生パーシー・ウィーズリーの先導により、迷宮のような廊下を通り抜けてグリフィンドール塔へと向かった。

 

 ホグワーツの内部は、静止という概念を拒絶しているかのようだった。

 石造りの壁には無数の肖像画が飾られ、中の住人たちは動くだけでなく、ひそひそと新入生たちの批評を交わしている。

 

 ……うるさい。キャンバスの中の住人まで、これほど饒舌だなんて。

 

 さとりの「第三の眼」が捉える情報の質は、ここへ来てさらに変質していた。

 生きている生徒たちの思考が「熱い泥流」だとするなら、肖像画たちの意識は「乾燥した古文書の断片」が風に舞うような、奇妙に断片的なノイズだった。

 

『ほう、あのアジア人のような娘。あの胸元の意匠は中世の暗黒魔術か?』

『いや、東洋の呪術だ。私がかつて騎士団にいた頃、シルクロードの先から来た旅人が……』

『それより見て、あの子の後ろ。何かが揺れているわ。誰もいないはずなのに、床に足跡がついている……』

 

 肖像画たちの微かな思考の断片。

 そして、大理石の階段が突然ガタリと音を立てて向きを変えるたび、城そのものが放つ古色蒼然とした魔力の重圧が、さとりの脳を圧迫する。

 

「うわっ!」

 先頭を歩いていたネビルが悲鳴を上げた。

 壁から半透明の、真珠色に輝く騎士がすり抜けて現れたからだ。

 

「やあ、新入生諸君! グリフィンドールへようこそ」

 

「ほとんど首無しニック」と呼ばれるゴーストの思考は、生者よりも遥かに希薄だった。

 それは「未練」という一点の感情だけで繋ぎ止められた、空虚な霧のようだった。

 さとりはそのスカスカな意識の裏側に、五百年分の孤独の冷気を感じ取り、思わず身震いした。

 

 肖像画の太った婦人(ファット・レディ)に合言葉を告げ、穴を通り抜けた先。

 そこは、真紅のソファと暖炉の火が温かく迎えてくれる、グリフィンドールの談話室だった。

 

 男子と別れ、螺旋階段を上がった先にある女子寮の寝室。

 そこには四つの天蓋付きベッドが並び、すでに自分たちのトランクが運び込まれていた。

 

「……あら。あなたと同じ部屋なのね」

 

 ベッドの端に座り、早くも厚い参考書を広げていたハーマイオニー・グレンジャーが顔を上げた。

 彼女の思考は、相変わらず「情報の暴風雨」そのものだった。

 

『寮の規則第十二条。明日の変身術の予習。マクゴナガル教授は厳格だという噂。あ、でもこのピンクの髪の子……さとり、だったかしら。彼女のさっきの組み分け、帽子に逆らった様子だったけど? 意志の力で組み分けを操るなんて、既存の魔法理論では不可能に近いはずよ。彼女の話しでは故郷は地底にある魔法社会? マグルの地学ではマントルの下にはマグマしかないはずだけど、魔法的な空間歪曲が……』

 

「……グレンジャーさん。まだ夜は長いのだから、少しは脳を休ませたらどうかしら。あなたの思考は、まるで何百羽ものフクロウが一斉に羽ばたいているみたいだわ」

 

 さとりが疲れたように椅子に腰を下ろすと、ハーマイオニーは顔を赤くして本を閉じた。

 

「……ごめんなさい。私、つい考えすぎてしまうの。でも、気になることが多すぎるわ。……あなたの故郷のこと。そして、あなたの胸の『それ』のこと」

 

 ハーマイオニーの視線が、さとりの第三の眼に注がれる。好奇心。

 それは知識を求める者の純粋な輝きだが、さとりにとっては眩しすぎる光でもあった。

 

「これは、私の心の一部。……私の住んでいる世界、幻想郷の地底にある『地霊殿』では、誰もが私を避けて通るわ。心の中をすべて暴かれてしまうことを、誰もが恐れるから」

 

「……心を、すべて?」 ハーマイオニーが息を呑んだ。

 彼女の思考が、一瞬だけ「防御」の姿勢をとる。

 自分だけの秘密、他人には見せたくない失敗、論理的ではない感情。

 それらを覗かれることへの根源的な恐怖。

 

「ええ。でも安心して。私はわざわざ他人の泥沼を掘り返したりはしないわ。……それに、ここの生徒たちの心は、地底の怨霊たちの叫びよりはずっと……人間臭くて、面白いもの」

 

 さとりは窓の外、広大な湖の向こう側を見つめた。

 そこで、彼女の第三の眼が「異質な周波数」を捉えた。

 

 ……何かしら。この違和感は。

 

 先ほど、大広間でダンブルドアの話を聞いていた時に感じたものと同じだ。

 この世界の「魔法」という整然とした理の底に、もっと悍ましく、混沌とした何かが混じり込んでいる。

 

 三つの異なる波長が重なり合い、共鳴しているような……。

 一つはこの世界の生命、一つは死者の怨念。

 そしてもう一つは……三つの身体を持つ、異質の神の影。

 

 それは、魔法界の歴史にも、幻想郷の歴史にも存在しない、異次元の重力波のようだった。

 

「……さとり? どうしたの、急に黙り込んで」

 

 ハーマイオニーの声で、さとりは我に返った。

 

「いいえ、何でもないわ。……明日の授業の話をしましょうか。あなたはマグル……魔法を持たない人々の世界から来たのよね?」

 

「ええ。私の両親は歯医者なの。魔法のことなんて、手紙が来るまでこれっぽっちも知らなかったわ。……ねえ、あなたの世界では、魔法はどう扱われているの? この学校みたいに、教科書と杖で学ぶものなの?」

 

「いいえ。私の世界では、魔法……というより『弾幕』や『能力』は、もっと本能的で、日常に溶け込んだものだわ。……理屈よりも、その人の魂の形がそのまま力になる。……例えば、あの子のようにね」

 

 さとりが何もない空間を指差すと、ハーマイオニーのベッドの上にあった羽ペンが、ふわりと宙に浮いた。

 そして、目に見えない誰かが悪戯をするように、枕元で円を描き始めた。

 

「きゃっ!? 誰がやっているの? 無言の浮遊呪文?」

 

「……こいしよ。私の妹。……あの子は『無意識』の中に生きている。だから、誰にも見えないし、誰の記憶にも残らない」

 

 さとりが優しく微笑むと、浮いていた羽ペンがハーマイオニーの鼻先をちょんと突き、再びベッドの上に落ちた。

 

「……見えない妹。……無意識の力。……ああ、もう! 魔法学の教科書にそんな概念載っていなかったわ! 書き留めておかなくちゃ!」

 

 ハーマイオニーは再び猛烈な勢いで羊皮紙を広げ、羽ペンを走らせ始めた。

 その騒がしい、けれど生命力に満ちた思考の嵐を聴きながら、さとりは天蓋付きベッドの中に潜り込んだ。

 

 ……この世界の境界が溶け始めている。神秘を拒絶したはずの世界、そして、そこに混じる「地獄」の香り……。

 

 さとりは、胸元の第三の眼をそっと閉じた。

 深い闇の底、地底の主としての勘が告げている。

 このホグワーツでの生活は、単なる異世界交流では終わらない。

 遠くない未来この世界はかつてない激変に見舞われるだろう。

 

 だが、今はまだ、その時ではない。

 

「……おやすみなさい。……うるさい秀才さん」

 

 隣のベッドから聞こえる「おやすみなさい!」という、元気すぎる心の声を子守唄代わりに、さとりは深い眠りへと落ちていった。

 

 誰もいないはずのさとりの足元で、こいしが丸まって眠る気配だけが、微かな温もりとして残っていた。

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