さとりと魔法学校 作:hip
宴が終わると、新入生たちは監督生パーシー・ウィーズリーの先導により、迷宮のような廊下を通り抜けてグリフィンドール塔へと向かった。
ホグワーツの内部は、静止という概念を拒絶しているかのようだった。
石造りの壁には無数の肖像画が飾られ、中の住人たちは動くだけでなく、ひそひそと新入生たちの批評を交わしている。
……うるさい。キャンバスの中の住人まで、これほど饒舌だなんて。
さとりの「第三の眼」が捉える情報の質は、ここへ来てさらに変質していた。
生きている生徒たちの思考が「熱い泥流」だとするなら、肖像画たちの意識は「乾燥した古文書の断片」が風に舞うような、奇妙に断片的なノイズだった。
『ほう、あのアジア人のような娘。あの胸元の意匠は中世の暗黒魔術か?』
『いや、東洋の呪術だ。私がかつて騎士団にいた頃、シルクロードの先から来た旅人が……』
『それより見て、あの子の後ろ。何かが揺れているわ。誰もいないはずなのに、床に足跡がついている……』
肖像画たちの微かな思考の断片。
そして、大理石の階段が突然ガタリと音を立てて向きを変えるたび、城そのものが放つ古色蒼然とした魔力の重圧が、さとりの脳を圧迫する。
「うわっ!」
先頭を歩いていたネビルが悲鳴を上げた。
壁から半透明の、真珠色に輝く騎士がすり抜けて現れたからだ。
「やあ、新入生諸君! グリフィンドールへようこそ」
「ほとんど首無しニック」と呼ばれるゴーストの思考は、生者よりも遥かに希薄だった。
それは「未練」という一点の感情だけで繋ぎ止められた、空虚な霧のようだった。
さとりはそのスカスカな意識の裏側に、五百年分の孤独の冷気を感じ取り、思わず身震いした。
肖像画の
そこは、真紅のソファと暖炉の火が温かく迎えてくれる、グリフィンドールの談話室だった。
男子と別れ、螺旋階段を上がった先にある女子寮の寝室。
そこには四つの天蓋付きベッドが並び、すでに自分たちのトランクが運び込まれていた。
「……あら。あなたと同じ部屋なのね」
ベッドの端に座り、早くも厚い参考書を広げていたハーマイオニー・グレンジャーが顔を上げた。
彼女の思考は、相変わらず「情報の暴風雨」そのものだった。
『寮の規則第十二条。明日の変身術の予習。マクゴナガル教授は厳格だという噂。あ、でもこのピンクの髪の子……さとり、だったかしら。彼女のさっきの組み分け、帽子に逆らった様子だったけど? 意志の力で組み分けを操るなんて、既存の魔法理論では不可能に近いはずよ。彼女の話しでは故郷は地底にある魔法社会? マグルの地学ではマントルの下にはマグマしかないはずだけど、魔法的な空間歪曲が……』
「……グレンジャーさん。まだ夜は長いのだから、少しは脳を休ませたらどうかしら。あなたの思考は、まるで何百羽ものフクロウが一斉に羽ばたいているみたいだわ」
さとりが疲れたように椅子に腰を下ろすと、ハーマイオニーは顔を赤くして本を閉じた。
「……ごめんなさい。私、つい考えすぎてしまうの。でも、気になることが多すぎるわ。……あなたの故郷のこと。そして、あなたの胸の『それ』のこと」
ハーマイオニーの視線が、さとりの第三の眼に注がれる。好奇心。
それは知識を求める者の純粋な輝きだが、さとりにとっては眩しすぎる光でもあった。
「これは、私の心の一部。……私の住んでいる世界、幻想郷の地底にある『地霊殿』では、誰もが私を避けて通るわ。心の中をすべて暴かれてしまうことを、誰もが恐れるから」
「……心を、すべて?」 ハーマイオニーが息を呑んだ。
彼女の思考が、一瞬だけ「防御」の姿勢をとる。
自分だけの秘密、他人には見せたくない失敗、論理的ではない感情。
それらを覗かれることへの根源的な恐怖。
「ええ。でも安心して。私はわざわざ他人の泥沼を掘り返したりはしないわ。……それに、ここの生徒たちの心は、地底の怨霊たちの叫びよりはずっと……人間臭くて、面白いもの」
さとりは窓の外、広大な湖の向こう側を見つめた。
そこで、彼女の第三の眼が「異質な周波数」を捉えた。
……何かしら。この違和感は。
先ほど、大広間でダンブルドアの話を聞いていた時に感じたものと同じだ。
この世界の「魔法」という整然とした理の底に、もっと悍ましく、混沌とした何かが混じり込んでいる。
三つの異なる波長が重なり合い、共鳴しているような……。
一つはこの世界の生命、一つは死者の怨念。
そしてもう一つは……三つの身体を持つ、異質の神の影。
それは、魔法界の歴史にも、幻想郷の歴史にも存在しない、異次元の重力波のようだった。
「……さとり? どうしたの、急に黙り込んで」
ハーマイオニーの声で、さとりは我に返った。
「いいえ、何でもないわ。……明日の授業の話をしましょうか。あなたはマグル……魔法を持たない人々の世界から来たのよね?」
「ええ。私の両親は歯医者なの。魔法のことなんて、手紙が来るまでこれっぽっちも知らなかったわ。……ねえ、あなたの世界では、魔法はどう扱われているの? この学校みたいに、教科書と杖で学ぶものなの?」
「いいえ。私の世界では、魔法……というより『弾幕』や『能力』は、もっと本能的で、日常に溶け込んだものだわ。……理屈よりも、その人の魂の形がそのまま力になる。……例えば、あの子のようにね」
さとりが何もない空間を指差すと、ハーマイオニーのベッドの上にあった羽ペンが、ふわりと宙に浮いた。
そして、目に見えない誰かが悪戯をするように、枕元で円を描き始めた。
「きゃっ!? 誰がやっているの? 無言の浮遊呪文?」
「……こいしよ。私の妹。……あの子は『無意識』の中に生きている。だから、誰にも見えないし、誰の記憶にも残らない」
さとりが優しく微笑むと、浮いていた羽ペンがハーマイオニーの鼻先をちょんと突き、再びベッドの上に落ちた。
「……見えない妹。……無意識の力。……ああ、もう! 魔法学の教科書にそんな概念載っていなかったわ! 書き留めておかなくちゃ!」
ハーマイオニーは再び猛烈な勢いで羊皮紙を広げ、羽ペンを走らせ始めた。
その騒がしい、けれど生命力に満ちた思考の嵐を聴きながら、さとりは天蓋付きベッドの中に潜り込んだ。
……この世界の境界が溶け始めている。神秘を拒絶したはずの世界、そして、そこに混じる「地獄」の香り……。
さとりは、胸元の第三の眼をそっと閉じた。
深い闇の底、地底の主としての勘が告げている。
このホグワーツでの生活は、単なる異世界交流では終わらない。
遠くない未来この世界はかつてない激変に見舞われるだろう。
だが、今はまだ、その時ではない。
「……おやすみなさい。……うるさい秀才さん」
隣のベッドから聞こえる「おやすみなさい!」という、元気すぎる心の声を子守唄代わりに、さとりは深い眠りへと落ちていった。
誰もいないはずのさとりの足元で、こいしが丸まって眠る気配だけが、微かな温もりとして残っていた。