さとりと魔法学校 作:hip
視界は、三つの色に染め分けられていた。
燃えるような赤、深淵を湛えた青、そして全てを無に帰す黄。
その極彩色の天の下、巨大な
中心に立つのは、奇抜な三つの身体を使い分ける女神。
彼女は、怯え膝をつく一人の男を冷笑で見下ろしていた。
女神の手が男の額に触れた瞬間、境界が歪み、世界が音を立てて混ざり合っていく。
その光景を、ハリーが絶望の瞳で見つめ、こいしが何も映さない瞳で楽しげに踊りながら眺めていた。
「……いけない、それは……」 さとりの声は、泥濘のような闇に吸い込まれ、形を失う。
女神の三つの瞳がこちらを向いた瞬間、爆発的な光が全てを白く塗り潰した。
――目が覚めたとき、夢の内容は指の間から零れ落ちる砂のように消えていた。
残ったのは、心臓の不快な動悸と、理由の分からぬ重苦しさだけだった。
「さとり! 起きて、もう七時半よ。朝食に行かないと一時間目の変身術に遅れちゃうわ!」
天蓋付きベッドの厚いカーテンが勢いよく開け放たれ、朝の光が目に突き刺さる。
そこには既に完璧な身支度を整え、山のような教科書を抱えたハーマイオニー・グレンジャーが立っていた。
……うるさい。朝から、脳内が図書館の火災現場みたいだわ。
さとりの「第三の眼」が、ハーマイオニーの爆発的な思考を無慈悲に受信する。
『今日はマクゴナガル教授の初授業。予習は完璧。動物を変身させる際の分子構造の再定義について質問すべきかしら。それとも基本原理の確認が先? あ、さとりの寝癖。東洋の髪質は直毛だと聞いたけれど意外と柔らかそう。朝食はオートミールにすべきかトーストにすべきか。昨日の歴史の復読本の第4章を読み直さなきゃ。あの子、まだ寝ぼけているわね。
情報の濁流。
さとりは溜息をつきながら、ひんやりとした石畳の床に足を下ろした。
足裏から伝わる石の冷徹な感触が、夢の残滓を僅かに浄化していく。
「……おはよう、グレンジャーさん。……少し、思考のスピードを落として。朝食は……あなたの考える通り、トーストで十分よ」
「まあ! また読んだわね。いいわ、急いで着替えて。今日は大事な初授業の日なんだから!」
二人は談話室を抜け、動く階段を渡り、大広間へと向かった。
朝の大広間は、数千の浮遊する蝋燭が消え、天井に映し出された澄んだ秋の空から柔らかな光が降り注いでいた。
焼きたてのベーコン、香ばしいトースト、そして温かい紅茶の匂いが混ざり合い、石壁に反響する生徒たちの喧騒と共にさとりの意識を包み込む。
グリフィンドールのテーブルでは、ハリーとロンが既に山盛りのソーセージを前に格闘していた。
『眠い。でも変身術は楽しみだ。昨日の夢、何か大きな犬が出てきた気がするけど……思い出せないな』
『ソーセージ、もう一本いいかな。フレッドが授業で使うネズミを黄色くしたって言ってたけど、僕にもできるかな。杖が折れないといいけど』
「おはよう、ハリー、ロン」 さとりが席に着くと、ハリーが顔を上げた。
「おはよう、さとり。……なんだか、顔色が悪いよ。よく眠れなかったの?」
「……ええ。少し変な夢を見た気がするけれど、忘れてしまったわ。それより、そのソーセージは三本目ね、ロン。あなたの胃袋は地底の貪欲な亡者といい勝負だわ」
「なっ、なんで本数を数えてるんだよ!」
笑い声が上がる中、ハーマイオニーがふと思い出したように、羊皮紙のリストに目を落としながら言った。
「そういえばさとり、あなた『杖』はどうしたの? 授業には絶対に必要よ。他の荷物も見当たらないけど?」
その言葉に、さとりは手を止めた。
「杖? ……ああ、あのもどかしい木の棒のことね。……地底では必要なかったから、持っていないわ」
「持っていない!? 杖なしでどうやって魔法を使うつもり? 基本中の基本よ!」
ハーマイオニーの思考が、驚愕と、そして「規則違反」への過剰な反応で激しく波打つ。
「……私は、杖という媒体を通さなくても、意志そのもので干渉できるの。でも……この学校のルールでは、そうもいかないのでしょうね」
「当たり前よ! 杖のない魔法使いなんて、羽根のないフクロウと同じよ」
結局、朝食を終えた後、彼らは一階の教室へと急いだ。
教壇に座っていたマクゴナガル教授に事情を説明すると、彼女は眼鏡の奥の鋭い瞳でさとりをじっと見つめた。
その思考は鋼のように冷たく、しかし教育者としての公平さに満ちている。
『杖を持たぬ魔法使い。東洋の異端か。しかし、組み分け帽子は彼女をグリフィンドールに選んだ。……規則は規則だ。杖は借り物で済ませるしかないでしょう』
「よろしい。ミズ・コメイジ。あなたが自分の杖を手に入れるまで、学校の備品を貸し出しましょう。……ただし、自分に合わぬ杖は、時に持ち主を裏切ることを忘れないように」
マクゴナガルが差し出したのは、古びた、しかし丁寧に手入れをされた一本の杖だった。
さとりがその杖を手に取った瞬間、微かな「他者の記憶」が流れ込んできた。
以前の持ち主たちの戸惑い、失敗、そして僅かな成功の残響。
……馴染まないわね。けれど、形だけ整えるのにはこれで十分かしら。
さとりの隣で、誰もいないはずの椅子が、ふわりと浮き上がった。
「……こいし。授業中は静かにしていなさい。こんなに魔力の溢れる空間で、あなたの悪戯を増幅されたら堪ったものじゃないわ」
さとりは自分にしか聞こえない声で釘を刺すと、借り物の杖を手に、初めての「魔法の授業」へと臨んだ。
背後で、ハーマイオニーの「そんな古い杖で大丈夫かしら」という、心配と好奇心が綯い交ぜになった思考が、チクチクとさとりの背中を刺し続けていた。