さとりと魔法学校 作:hip
変身術の教室は、高い窓から差し込む朝の光が埃の粒子を白く照らし、厳格な静寂に包まれていた。
古明地さとりは、マクゴナガル教授から借りた古びた杖を手に、目の前に置かれた一本のマッチ棒を凝視していた。
変身術の課題は、マッチ棒を針に変えることだ。
周囲の生徒たちの脳内からは、期待と焦燥が混じり合った思考の飛沫が絶え間なく飛び散っている。
『マッチを針に。尖らせる、銀色にする。よし、まずは色を変えるイメージから……』
『また失敗したらどうしよう』
『あのアジア人の女の子、あんな古い杖で大丈夫かな。僕の折れかかった杖と同じくらい頼りなさそうだぜ』
さとりの「第三の眼」は、それらの声を拾い上げながら、教壇のマクゴナガル教授の意識にフォーカスを絞った。
教授の心は、精密機械のように正確で、一分の隙もない。
だが、その強固な理性の奥底には、変身術という魔法を定義するための「音節の揺らぎ」と「魔力の旋律」が、独特の癖を持って刻まれていた。
「……うまく馴染まないわね」
隣で、ロン・ウィーズリーが自分の杖を恨めしそうに見つめながら、小声でさとりを励ましてきた。
「気にするなよ、さとり。その杖、僕のお古の杖と同じくらいボロいじゃないか。……僕のなんて、ユニコーンの毛が飛び出しそうなんだぜ。お互い、道具に恵まれない者同士、頑張ろうな」
ロンの心からは、自分への卑下と、同病相憐れむ温かな同情が伝わってきた。
さとりは微かに微笑み、借り物の杖を構えた。
この杖に眠る以前の持ち主の記憶……そして、目の前の『正解』の記憶。
さとりは、マクゴナガル教授の深層意識から読み取った、彼女自身の口調、イントネーション、そして魔力を定義する際の微細な精神的振動を、自分の中で完璧に再現――「想起」した。
「……マッチを針へ。形を尖らせ、材質を鉄に。変身とは、対象の再定義だわ」
さとりの口から漏れ出た声は、彼女自身のものとは明らかに違っていた。
それはマクゴナガル教授そのものの、厳格で、少しだけ巻き舌が混じる独特のイントネーションを完璧にトレースしていた。
「『フェラベルト』」
さとりの想起が杖を通じて物質へと叩きつけられた瞬間、借り物の杖が「持ち主ではない強大な意志」に耐えかね、激しく震動した。
バキッ、という嫌な音が教室に響き渡った。
さとりの魔力は、マッチを単なる針に変えるだけでは止まらなかった。
想起されたマクゴナガル教授の「完璧な変身」のイメージが、借り物の杖の不安定な回路を暴走させたのだ。
一本のマッチ棒は瞬く間に銀色に染まり、尖り、そして巨大な銀色の槍へと変貌した。
それだけではない。
教室内にあるハリーの机や、ネビルの教科書までもが連鎖的に共鳴し、次々と鋭い銀の棘へと姿を変えていく。
「きゃあああッ!」
「伏せなさい、全員!」
マクゴナガル教授の叫びと同時に、さとりは杖を放り出した。
杖の先端からは、制御を失った桃色の火花が噴き出している。
大混乱の中、誰も気づかないところで、さらなる異変が起きていた。
さとりの背後で、ずっと静かにしていた「無意識」の妹が、床に転がった数本の銀の針に目を留めたのだ。
こいしは、マクゴナガル教授が授業用に用意していた籠の中の「ハツカネズミ」たちを見つめ、にっこりと笑った。
(……これ、もっと可愛くしてあげようか)
こいしの指先が、無意識のうちに魔法の法則を歪める。
彼女にとって、変身術の理論など不要だった。
ただ「こうなれば面白い」という無垢な願望が、さとりの暴走した魔力の残滓を吸収し、形を成す。
「ちゅ、ちゅちゅっ!」
次の瞬間、巨大な銀の槍へと変わったマッチの影から、「銀色の小さな鎧を纏ったネズミの騎士たち」が十数匹、一斉に飛び出してきた。
ネズミたちは、ネビルの机の上を縦横無尽に駆け回り、小さな銀の剣を振るってハーマイオニーのインク瓶をなぎ倒した。
「な、何なのこれ!? 教科書にこんな変身例載っていないわ!」
ハーマイオニーが叫ぶ。
マクゴナガル教授は、目を見開いてその光景を凝視していた。
さとりが放った「自分そっくりのイントネーション」の残響。
「……ミズ・コメイジ。……今の呪文、どこで習いましたか?」
マクゴナガルの心は、驚愕と、そして拭いきれない疑惑で満たされていた。
『あの声、あの魔力の定義の仕方は……私のものだ。なぜ一年生の、それも東洋の少女が、私の秘術の癖を知っている? それに、あのネズミたちは一体……』
「……すみません、教授。杖が、少しばかり私を拒絶したみたいで」
さとりは、顔を赤らめながら俯いた。
足元では、こいしが銀のネズミたちを捕まえようとして、ドタバタと楽しそうに(音もなく)駆け回っている。
「……あんな古い杖で、マクゴナガル教授の真似をするなんて、さとりはやっぱりとんでもない奴だよ」
ロンが呆れたように、しかしどこか誇らしげに囁いた。
ハリーも、銀の槍と化した自分のマッチを見つめながら、苦笑いしていた。
混乱を極めた初授業は、グリフィンドールへの「10点の減点」と、さとりの「杖の不適合報告」という形で幕を閉じた。
城の石畳を踏み締め、廊下へ出たさとりの耳には、いまだにマクゴナガル教授の「あの子の背後に、何か別の『意志』を感じる」という疑念の思考が、冷たい風のように響き続けていた。