利根ちゃん可愛すぎて足の間をくぐり抜け隊   作:ウサギとくま

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ダイジョウブデース。愛ノ前ニ、深海棲艦ノ犠牲ハツキモノデース。

 一人の艦娘が部屋の壁に向かって立っていた。

 目を閉ざし、深く息を吸い、自らの肉体に気を巡らせていく。

 

「スゥー……」

 

 

 彼女が着ている巫女服を改造した様な衣装がパタパタとひらめいた。窓は閉まっているので、外からの風ではない。彼女自身が放つ静かな気合によるものだ。

 

 彼女の名前は金剛。金剛型1番艦戦艦。金剛型戦艦の長女であり、金剛型の中で最も早くこの鎮守府に所属した艦娘だ。

 初期の作戦から参加している彼女の練度は極めて高い。

 

「ハァー……」

 

 先ほど取り込んだ空気をゆっくりと吐き出していく。

 ゆっくりと、空気と共に吐き出した気を体に纏うように。

 

 そして閉ざしていた目をカッと開いた。

 無駄のない動きで、左手を腰に、右手を斜め上方に突き出す。

 

 最後にもう一度深く息を吸い――吐き出した息と共に発声した。

 

 

 

「――バーニングゥ! ラァァブ!!」

 

 

 

 その言葉は正面にある壁に貼られている、等身大提督ポスターに直撃し反響――金剛の身体を通り抜けて行った。

 謎の科学者に頼んで作らせた、部屋の壁に取り付けた特殊な吸収素材は、金剛が発した音を全て吸収した。

 

 金剛は満足げな笑みを浮かべて頷いた。

 

「イエーイ! 今のはいいバーニングラブだったデース! もっともっと練習して……提督の心を鷲掴みデース!」

 

 

■■■

 

 

 今更言うまでもない話だが、彼女――金剛は提督を愛している。

 心奪われる異性として、命を預けるに値する上司として、または尊敬すべき人間として。

 

 同じようにこの鎮守府には程度の差はあれども、提督に好意を向けている艦娘は多く存在する。

 そしてその愛情表現の方法も実に様々だ。

 特に言葉を用いた方法。

 

 直球の言葉で愛を伝える、回りくどい言葉で愛を伝える、敢えて刺々しい言葉で伝える、消え入りそうな言葉で、酒が回り呂律の回らない言葉で、関西弁で、ドイツ語で……数えきれないほどの種類の言葉。

 

 金剛は直球型だ。とにかくどんな時だろうと真正面から己の愛を言葉にして伝える。

 自分が提督を愛していることを、声高々に本人に向かって叩き付ける。

 

 そんな金剛は提督と会うたびに己の愛を伝えている。

 以前は毎日提督に会って愛を伝えていた金剛だが、ここ半年ほどあるルールができたため、その事情は変わった。

 

 艦娘の数が増えてきたことによってこの鎮守府にできたルール。

 具体的には提督と一緒に過ごすシフトを遵守しなければならないというルールだ。

 

 たくさんの艦娘が我先にと提督に会いに行っては、提督に迷惑がかかる。そういう事情から作られたシフト。

 シフトは基本的に、全ての艦娘が平等な時間、提督と過ごせるように作られている。

 秘書艦業務、起床時、食事時、鎮守府の巡回時、休憩時間、就寝前……時間を区切って、全ての艦娘が提督と同じくらいの時間過ごせるように。

 

 だが例外もある。

 新しく所属した艦娘は早く提督と鎮守府に慣れてもらう為に、優先的に秘書官や時間を割いている。

 また、この鎮守府内だけで流通しているTeitoku-Point通称T-Pointを使えば、自分の順番を割り込ませたり、増加させたりすることができる。

 

 更に専用グッズの購入や月の1度ある宴会の際に自分の席を指定できる、などT-pointの使い方は多岐に渡る。このポイントについては後日説明しよう。

 

 他にあまり綺麗な手段を用いない方法や、えげつない方法、闇取引染みた方法を以って提督と過ごそうとする輩がいるとの噂があるが……噂は噂だ。

 秘書艦をする予定だった艦娘が、前日の晩にニンジャらしき人影に闇討ちされるなんてことはない、いいね。

 

 とにかく、以前のように好きな時に提督に会うことはできなくなったのだ。

 いつもラブラブ言って非常識に見える金剛だが、この鎮守府の中では比較的常識人の部類に入る。

 妹たちの模範である為にも、会いたいのを我慢してシフト通りに提督と会うことにした。

 

 そして金剛は考えた。

 会える回数が少なくなるなら、その分会った時の密度を高めればいいと。

 

 それから提督と過ごせるシフトに当たるまで、金剛はひたすら勉強した。

 少ない時間でもっと提督に愛を伝える為、様々な愛の伝え方を学んだ。

 ツンデレ、ヤンデレ、デレデレ。絡み酒、セクハラ、誘い受け、結婚願望を吐露する。この鎮守府には様々な艦娘がいて、伝える方法も多岐に渡る。勉強のし甲斐があった。

 

 そして様々な方法を学び、シュミレートして最後に残ったのは――やはり己のバーニングラブだった。

 どうにも回りくどい方法や敢えて距離を置く方法はしっくりこない。正面から愛を伝えないと伝えた気がしない。そう思った。

 

 何はともあれバーニングラブだ。

 提督のハートを貫く炎の愛(ほうだん)。金剛にとっての愛の一式徹甲弾。

 

 その結論に至り、金剛はバーニングラブを更に昇華させることにした。

 ひたする練習する日々。

 

 

 そして――金剛錬度70……夏

 

 己の愛の伝え方(バーニングラブ)に限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果、彼女がたどり着いた結果――感謝であった。

 

 自分自身を形作る愛への感謝。

 

「もっともっと……バーニングラブを極めマース!」

 

 1日1万回感謝のバーニングラブ。

 気を整え、愛を込めて、笑い、ポージングをとり――バーニングラブ。

 一連の動作を1回こなすのに当初は8~10秒。

 一万回バーニングラブするまでに初日は大破した加賀が入渠を終えていた。

 バーニングラブを終えれば倒れるように眠る。

 起きてはまたバーニングラブを繰り返す日々(毎日ではなく、週に5回程度。休みの日は普通に休んだ)

 

 半年が過ぎた頃異変に気づく。金剛錬度80。

 1万回バーニングラブを終えても、まだ加賀が入渠している。

 

 錬度90を超えて完全に羽化する。

 感謝のバーニングラブ午前中に終わる!

 かわりに姉妹と遊ぶ時間が増えた。

 

「バーニングゥラァァブ!」

 

 そして今日も金剛はバーニングラブをしている。

 バーニングラブをしている最中に想うのは勿論、最愛の相手――提督のことだ。

 

 自分にここまで愛を抱かせてくれた提督への感謝、提督へ向ける自身の愛への感謝、提督が働いているこの鎮守府への感謝、提督が生まれたこの国への感謝、提督という人間の種を生み出したこのホシへの感謝、提督という命を生み出したホシが所属するこの宇宙への感謝、自分達が生きるこの艦これというブラウザゲ――

 

「おっと! これで1万回終わりデース!」

 

 一瞬何らかの真理を悟りかけた金剛だが、1万回を終えて感じる心地よい疲労と胸に溢れる提督への愛で忘れてしまった。

 

「現在の時間は……んー、もうお昼デース。そろそろお腹が空きましたネー」

 

 金剛含め他の姉妹艦は、今日丸一日休みだ。

 比叡と霧島は朝から街に出かけている。

 

「そういえば榛名が何やら食材を買い込んでいたネー」

 

 顎に手を当てながら思い出す。昨夜、人参やらじゃがいも、牛肉などを買っていた榛名を。

 恐らくは今日の昼食にカレーでも作るのだろうと金剛は思った。

 

「今日のお昼は榛名が作ったカレーをご馳走になりマース! グッドアイデアデース!」

 

 榛名は料理が上手い。この鎮守府でも5指に入るだろう。

 将来提督に嫁いだ時に備えて、榛名の料理スキルを学んでいる金剛だが、一向に追いつける気がしない。

 学べば学ぶほど榛名の料理スキルの高さを感じるのだ。

 

「うー……我が妹ながらあっぱれデース。そ、それでも提督への愛は負けてませんからネ!」

 

 次に提督に会うのは3日目。

 今日は榛名のカレーを食べて、3日後の昼食を御馳走するときに参考にするのもいいかもしれない。金剛はそう思った。

 

「じゃあ提督! 3日後のお昼ご飯楽しみにしててネー! ちゅっ!」

 

 壁に貼られた等身大提督ポスターに向かって投げキッスを飛ばし、金剛は部屋を出た。

 向かうはすぐ隣にある榛名の部屋。

 

 

■■■

 

 そのほぼ同時刻。

 

 金剛がバーニングラブをしていたその隣の部屋。

 金剛と同じ改造巫女服の上にエプロンを装着した艦娘――金剛型3番艦戦艦『榛名』が、おたまで鍋をかき回していた。

 その顔は真剣そのものだ。額には汗が浮かんでいる。

 

 鍋の中にあるのは茶色い粘性の物体――カレーである。

 

 室内はそのカレーが発する香ばしい匂いで満ちていた。

 

「これで……完成です」

 

 火を止める。

 榛名はおたまで鍋の中のカレーを少量掬い、自身の艶やかな唇に近づけた。

 おたま内のカレーを啜る。

 舌の上でしっかりと味わい、コクンと小さな音と共に嚥下した。

 

「――やりました! おいしいカレーのできあがりです!」

 

 満面の笑みを浮かべ、袖を巻くり上げガッツポーズをとる榛名。

 完成したカレーは文句なしの出来栄えであり、どこに出しても恥ずかしくない完成度だった。

 

 若干高潮した頬に片手を当てる。

 

「これなら……提督にも喜んでいただけ――って違います!」

 

 慕っている相手が自分のカレーを食べているところを想像してにやけていた榛名だが、突然頭を抱えた。

 

「違います! 普通に美味しいカレーを作ってどうするんですか!? バカ! 榛名のバカバカ! 榛名は大丈夫じゃないです!」

 

 ポカポカと自身の頭を軽く叩く榛名。

 

 何故美味しいカレーができたのに、まるで失敗してしまったようなリアクションなのか。

 榛名は自分の目的を思い出す。

 

「うぅー……どうやっても美味しいカレーしかできません! どうして、どうして――」

 

 目の端に涙を浮かべる榛名。

 

「どうして――比叡姉さんの様なカレーができないんですかぁ!?」

 

 美味しいカレーができたのに自分を責めている理由がこれだった。

 榛名は比叡が作ったカレーを作ろうとしているのだ。

 

 まず比叡カレーとは一体どういうものか。

 

 敢えて味や見た目について説明はしない。

 だがあの夕ば――もとい謎の科学者UBRが『これ兵器に使えますよ!』と本気で言い、提督にそのカレーを用いた兵器の詳細な案を提出したことから、そのカレーがどういう存在なのかはある程度理解できるだろう。

 

 榛名はそのカレーを作ろうとしていた。

 

「何回やっても……何回やっても普通に美味しいカレーしかできません……比叡姉さんから貰ったレシピ通りに作ったのに……」

 

 ガクリと項垂れる榛名。

 榛名はレシピ通り作れば比叡カレーが出来ると思っているが、それは間違いだ。

 そもそも比叡カレーのレシピは、それ自体は普通のレシピだ。

 では何が違うのか。

 無論、料理を作る艦娘だ。

 比叡はカレーを作る途中、自らの直感でレシピに書いていない物を投入する。それらが恐ろしい比率で混ざり合い、比叡カレーは完成するのだ。

 榛名はそれを理解していなかった。

 

 だが、そもそもなぜ榛名が比叡カレーを作ろうとしているのか。

 

「こ、このままじゃ作戦が失敗してしまいます……!」

 

 まず最初に……榛名は提督を慕っている。無論異性に対して向ける意味で、だ。

 

 最初、自分より先に着任した金剛が提督に好意を向けているのを見て、いつか自分もそういう対象が現れるといいなぁ……それくらいしか思っていなかった。。

 そして鎮守府での日々を経て、様々な海域を突破する提督の手腕、艦娘たちを心から労わる優しさ、大破した艦娘を手厚く看病し時には大破させた自分のふがいなさに涙する弱さ……その他諸々を経て、気が付いたら榛名は提督に好意を抱いていた。

 いつも考えるのは提督のことだったし、提督のことを考えると心がふわふわと落ち着かず、枕に顔をうずめて愛の言葉を叫びたくなる。他の艦娘が提督と話しているのを見ると心がざわざわ落ち着かない。

 料理が上手くなったのもそんな提督に美味しい物を食べてもらいたいという一心からだ。時には愛が溢れていけない妄想に耽る時もあった。

 気がつけばいつの間にかそうなっていたのだ。

 

 だがその提督に会える幸せな時間は、徐々に少なくなってきた。艦娘が増えたことにより作られたシフトのためだ。

 シフト通りなら5日に1回、それもごく短い時間会えるだけだ。

 榛名は思った。もっと会いたいと。もっともっと側にいたいと。

 

 だがあの提督LOVEを公言して止まない金剛でさえ自重しているのだ。

 妹である自分がわがままを言っては、金剛型戦艦の名に泥を塗ることとなる。

 

 そう自分を律するものの、やはり自分の恋心は抑えきれない。恋はいつだって理屈通りに動かないのだ。

 そして悩みに悩んだ末、会えない寂しさという悪魔に身を委ねてしまった榛名は恐るべき計画を立てた。

 

『比叡カレーを作って大丈夫じゃない榛名を提督の手で大丈夫にしてもらう作戦』

 

 である。

 

 以前姉である比叡のあまりにアレな料理の出来栄えに提督が『このままじゃ将来比叡の旦那になる男が可愛そうだ』と比叡の料理スキルの向上にひと肌脱いだことがあったのだ。何日も提督が時間を費やし、比叡と付っきりで料理の練習をして……比叡の料理はそれなりになった。そういうことがあったのだ。その出来事から、以前は姉である金剛にベッタリで提督に殆ど興味を持っていなかった比叡がこっそり着飾ったり提督の好きな料理を練習するようになったが……それはまた別の話だ。

 

 重要なのは比叡につきっきりで提督が練習をした、この部分だ。

 提督は自分の意思で特定の艦娘と過ごすことを決めた時、シフトは無視されることになる。あくまで提督の行動目的優先だからだ。シフトは特に目的がない提督が平等に艦娘と会う為に、委員会が決めただけ。

 

 榛名は考えた。もし自分の料理が突然、比叡が作ったようなカレーになってしまったら。

 提督はどう思うだろうか。

 榛名はこうなると考えた。

 

 

■■■

 

 

 

『おい何だ榛名! このカレーは!? まるで……まるで比叡カレーの如き様相じゃないか! 味も……ひぇぇぇ! 地獄を舌で舐めたような致死的な味! 一体どうしたんだ榛名!?』

 

『ご、ごめんなさい提督。榛名も分からないんです。一体どうすればいいか……』

 

『ええい! 榛名の美味しいカレーが食べられないなんて、俺の人生これから何を生きがいにしていけばいいんだ!? よしこうなったら!』

 

『きゃっ、ど、どうしたんですか提督っ? 急に榛名の手を掴んで……!』

 

『相変わらず綺麗な手だな! 口直しに後で舐めてもいいか? ……これから特訓を行う!』

 

『特訓、ですか?』

 

『ああ、特訓だ! 美味しいカレーを作れるようになるまで、ビシバシしごいてやる!』

 

『ふ、二人きりの特訓ですか!?』

 

『当然の如き采配だろうが! いいか? 厳しい特訓になるぞ?』

 

『は、はい! 提督と一緒なら……榛名は大丈夫です!』

 

『あの比叡が特訓の厳しさに『ひぇぇぇ』ではなく『むーりぃー……』と言ったくらい厳しい特訓だが……それでもついてこれるか?』

 

『はい! 提督になら……榛名どこまでもお供します! 世界の果て――いえ、暁の水平線まで』

 

『その言葉が聞きたかったぁ! よし行くぞ榛名! レリゴーレリゴー!』

 

『ひゃっ、お姫様だっこなんて……は、榛名……大丈夫じゃなくなっちゃいます……!』

 

 

 

■■■

 

「提督……ああ、ダメですよ……お姉様が見てます――はっ」

 

 都合のいい妄想に区切りがついた榛名は、現実に戻ってきた。

 先程まで自分の体をかき抱いていた手を離し、よだれを拭う。

 目の前にあるのは、先ほど完成した美味しいカレーの鍋。

 ここからいくら調味料を投入しようが、美味しいカレーがまあ美味しいカレー、または普通のカレーに変わるだけだろう。

 

「こ、こうなったら……」

 

 覚悟を決めた表情で、懐から何かを取り出す榛名。

 

「……ゴクリ」

 

 取り出したのは――錠剤の入った瓶。瓶には夕張メロンのシールが貼られている。このマークが貼られている物はメイドインUBR。謎の科学者UBRが発明したものだ。

 先日比叡カレーが作れなくて悩んでいた榛名の下に、UBRが現れこの瓶を手渡していったのだ。

 曰く

 

『その錠剤を入れるとどんな料理でも比叡さんが作った物と同等な料理になるよ。1錠だと凄く疲労している比叡さんが作った物、2錠だとそこそこ疲労している状態、3錠で普通の時、5錠以上で凄く高揚している時に作った料理と同等の物質に。それ以上入れちゃうと鎮守府に設置してるパンデミック感知するセンサーが反応しちゃうからダメだよ。この錠剤? えっと、前に比叡さんのカレーを兵器に転用できないかを考えてた時にたまたまできたんだ。……あ。悪用しちゃだめだよ?』

 

 とのこと。

 

「こ、これを入れれば……比叡姉さんが作ったカレーが……」

 

 自身が作った美味しいカレーを見下ろしながら、ゴクリと唾を飲み込む。

 錠剤を入れれば瞬く間にこのカレーは比叡が作ったあの冒涜的なカレーに変化するのだろう。

 そしてそのカレーを提督に食べさせる。食べた提督は榛名の妄想通りなら、自分に付っきりで料理の特訓につきあってくれるだろう。

 二人っきりで秘密の特訓。時には手が触れ合うだろう。もしかしたら密着して背後からあすなろ抱きのような形で指導されるかもしれない。上手く作れなかったら叱咤もされるだろう。優しい提督のことだ。叱咤のあとは優しく慰めて、頑張ろうとギュッと手を握ってくれるはず。練習が深夜まで続いたら、練習をしている提督の部屋で眠ってしまうかもしれない(比叡の時もあった)。眠っている自分に優しく布団をかけてくれる提督。寝返りを打った際、自分の服がはだけ胸が際どいところまで見えてしまうかもしれない。提督も男だ。もしそんなことになったら、絶対に過ちを犯してしまうだろう。ゆっくりと胸に手を伸ばす提督。提督の手が胸に触れ、実は起きていた自分の口から声が出ないように必死で堪えて――

 

「はっ!」

 

 再び妄想の世界に突入していた榛名。この間わずか1秒である。

 だが、とにかく。

 作戦がうまく行けば、この錠剤を入れれば……恐らく提督は自分につきっきりになってくれるだろう。そしてもしかしたら妄想通りにことが運ぶかもしれない。

 

「……」

 

 榛名はジッとカレーを見た。

 目的はどうあれ、提督のことを想って作ったカレーだ。込めた想いに比例して、とても美味しく出来た。提督のことを考えながら作った料理は、いつだって美味く出来上がる。

 

「榛名は……」

 

 提督の顔が浮かんだ。

 自分の料理を食べて笑顔を浮かべる提督。

 

『榛名の料理は本当に美味しいな』

 

 その言葉を思い出すだけで榛名の心は幸せでいっぱいになる。

 連日の出撃に疲れても、それを思い出すだけで榛名の精神は高揚する。

 榛名にとって提督の笑顔は、どんな甘味よりも甘くて美味しい、最高のご馳走なのだ。

 

 榛名はゆっくり息を吐いた。

 

「……やっぱりダメです。いくら提督に構ってもらう為とはいえ……そんな物を提督に食べさせたくありません」

 

 榛名は提督の笑った顔が好きだった。自分の料理を食べて笑顔を浮かべる提督、その顔が何よりも好きなのだ。その顔が曇ることを想像しただけで、榛名の胸の内にどんよりとした黒い雲のような感情が生まれた。

 ふるふると頭を振る。黒い雲を振り切るように。

 

「この薬は捨ててしまいましょう。夕張――謎の科学者さんには悪いですけど、榛名には必要ありませんから」

 

 榛名は作戦を諦めることにした。

 だが不思議と榛名の心は晴れやかだった。爽やかな笑みを浮かべる。

 

「やっぱり、提督には美味しい料理だけを食べて貰いたいですからね」

 

 榛名は姉である金剛とは違う。何度もあの直球的な愛の伝え方を羨ましいと思ったが、自分にはできない。アレは姉だけのものだ。自分には自分の伝え方がある。美味しい料理を作って、提督に喜んでもらう。そういう愛の伝え方もあるのだ。

 

「……えへへ。榛名もう少しで大丈夫じゃなくなるところでした。このカレーは……隣にいる金剛姉さんと一緒に食べましょう」

 

 榛名は微笑んだ。

 愛しい相手と食べる食事は、何よりも幸せだ。

 提督に向ける愛とは違うが、姉である金剛を愛している。

 そんな金剛が自分の料理を食べて笑みを浮かべる光景を思い浮かべ、くすくす笑った。

 

 金剛のことを考えていたからだろうか。

 

「ヘーイ榛名ぁー! お姉ちゃんはお腹が空いてマース! 一緒にランチターイムデース!」

 

「ひゃっ!?」

 

 唐突にあけられたドア、自分を呼ぶ金剛の声。

 思いとどまったとはいえ、決して自慢できない行為に及ぼうとしていた榛名は、その後ろめたさからビクリと体を震わせた。 

 

 自分の手から滑り落ちる錠剤の詰まった瓶。

 慌てて落下する瓶を掴もうとする手が――空を切った。

 

「ああああ!?」

 

 ポトンとカレーに沈む瓶。

 

 食欲を誘う香りを発していたカレーから、通報されるだろうレベルの悪臭が生まれじわじわと広がっていく。

 色も茶色から紫に。ドス黒い煙がもくもく立ち上る。

 落下して半分ほどカレーから姿を見せていた瓶が……ジュウジュウ音を立てて溶けた。

 

「はわわわ……」

 

 自分が想像していたよりも遥かにヤバイ物に変化していくカレーを前に、榛名は顔を真っ青にして口を覆うことしかできなかった。自分はこんな物を作ろうとしていたのか……と。

 

 悪臭に気づいた金剛が戦場で見せるような険しい表情を浮かべた。

 

「シット!? なんデスかこの匂いは!? 敵の新兵器デスカー!?」

 

「ね、姉さん、そのこれは……」

 

「榛名ぁ! 大丈夫!? さあ、取りあえず外に出まショウ!」

 

「あわ、あわわわわ……」

 

 金剛に手を引かれ、カレーだったものから離れていく榛名。

 鍋の底に穴が空き、その下のコンロを溶かし始めた物体を見て、榛名は自分のやってしまったことがどれだけ恐ろしいものかを今更になって理解した。

 

 

 

 だがもう遅い。地獄の窯は開いた。

 この世にあってはならない存在、それがこの瞬間、顕現したのだ――。

 

 異常を察知した鎮守府の防犯システムが、榛名の部屋をパージし海に射出。

 ある深海棲艦の巣に着水した元カレーは、その巣にいた数多の深海棲艦を飲み込んだ。

 全てを溶かし混ざり合い、急激に圧縮する。拳大の大きさまで凝縮されたそれは――卵の形をしていた。

 それは海の底で小さく脈動する。

 ドクンドクンと。

 生まれる落ちる前の胎児のように、ただひたすら海の底でその時を待つ。

 

 これよりずっと先、最強の敵としてこの鎮守府を恐怖のどん底に陥れた『それ』はこうして誕生したのだった。

 だがそのことを知るものはまだ誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 


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