人間と妖怪の合間に設けられた協定は奇妙な平穏を両者に与えていた。
でもそれは表向きのもので、実際には天狗が勝手に取り決めた事だと言って取り決めを無視する妖怪の方が多い。
そう言うのは妖怪だでなく人間の方にもそう言う考えがあるのか、大胆にも妖怪を手に掛ける人間もいる。
そう言った存在を排除して山の治安を維持するのが白狼天狗に代表される下っ端天狗というものなのだが、どうにも手が足りないらしいのか割と取りこぼしがある。
それに人間側の悪巧みは妖怪側から干渉するのは難しい。結果として妖怪と人間の双方を調停する存在が必要になっていた。
なぜそう言う面倒な事を私が考えなければならないのかと言えば、目の前で天狗が人間に襲われているからだ。
まだ子供であるその鴉天狗の少女は、何度か天狗の里で見かけたことがあった。
襲っているのは陰陽師の格好をしている。妖怪退治を専門とする集団だ。
式神を使い鴉天狗を追い詰めていた。
陰陽師がトドメを刺そうとして刀を振り下ろした。
おそらく陰陽師も鴉天狗も一つの結果を想像していただろう。一方は肉体を切り裂く感覚と血飛沫をいかに回避するか。
もう一方は、自らの肉体が引き裂かれ、激痛に襲われるであろう自分の姿を。
だけど二人の思考は金属が硬いものに当たった時特有の甲高い音で遮られた。
刀は、私が投げた石に弾かれて宙を舞っていた。
「ここは無法地帯ではありません。妖怪にとっても、人間にとっても守るべき掟があるのです」
「くそ、新手か」
「新手……貴方から見ればそうでしょう。ですが無益な戦いを望んでいるわけでもありません。この子を見逃してこの場を去るのであれば何もしません」
「誰が世迷言など真に受けるか!」
そうですか。残念です。
陰陽師が式神に命令を送ったのだろう。控えていた式神の鴉が飛びかかってきた。
鋭い鉤爪が私の体を引き裂こうとする瞬間に、陰陽師は何か違和感を感じたらしい。
慌てて鴉を引き戻そうとした。
でも遅い。大体、その動きは元から想定していた。
鴉が見えない壁にぶつかって空中で動きを止めた。勢いよくぶつかったせいか脳震盪を起こしたようで地面に落ちる。
「く……読まれていたか」
結界は陰陽師の専売特許じゃ無いんですよ。妖怪だって使えるんですからね。まあ、効率が悪いですし好んで使う妖怪は少ないですけど。
「何もしないで立っているわけでは無いですから」
「だが、そのようなもの!」
式神が使えないと分かれば、陰陽師は自ら術を唱え始めた。
陰陽師の周りに火の玉がいくつも浮かび上がる。
なるほど、強力な攻撃で結界を破壊しようと言うのですか。
「でも貴方自身は人間に他ならない」
そして私がなんの妖怪なのか貴方は知らない。知っていれば対策も立てられたでしょう。
しかしそれも後の祭り。火の玉は全て明後日の方向に飛んでいった。
「想起、とりあえず二回死んでみましょうか」
すでに陰陽師の意識は深くに沈んでいた。
こいしが生まれてから10年。
私は気付けば番人のような立場になっていた。
きっかけは案の定と言うべきか、飯綱丸さんだった。いや彼女は私を選んだだけでこの取り決め自体は天狗達の総意だった。
飯綱丸さんに呼び出されて久しぶりに訪れた天狗の里は少し雰囲気が違っていた。
彼女の従者に案内された場所も以前から会っていた場所ではなく更に大きい屋敷だった。四方を襖で囲まれた部屋に通された私に、部屋で待っていた飯綱丸さんが開口一番に言ったのは、妖怪と人間双方の合間に立つ調停者としての役割だった。
なるほど、厄介極まりないと言うか、何処か博麗の巫女のような役割にも似ている。しかし腑に落ちないのはどうしてそれを外部の妖怪に当たる私に持ってくるのかだ。
身内でやると確かに贔屓とかが起こるから制度として続けられないと言うのはあるでしょうけれど。
「どうして私だったのですか?」
「陰でこっそり妖怪や人間を助けていただろう?天魔様もしっかりみているぞ」
見られていたのですか。でもそれは放っておくと目覚めが悪いからと言う理由で助けていたに過ぎない。ただの自己満足だ。
積極的に助けていたわけでもない。昨日助けた妖怪が次の日に死んでいるなんてこともあった。
私はただの偽善だ。
「困りましたね。そこまでみられていたとは」
「別に断っても良い。代わりは……そうだな。こいしでどうだ?柳が筋がいいって言っているし、弟子だしな」
目を細める飯綱丸さん。なるほど、こいしを持ち出してきますか。
「……なるほど、意地が悪いですね。断れないじゃないですか」
「断られるとは思っていないが、代案くらいは持っておくべきだからな」
「それもそうですね」
むしろあえて伝えてきたのは彼女なりの優しさかもしれない。
「もちろんできる限りの協力はこちらもしていく。必要なら柳のやつを使ってもいい」
「柳さんですか……」
「一番仲が良いだろう?」
仲が良いと言うか、他の天狗が殆ど関わってこないと言うか。排他的なんですけどね。こちらも積極的に関わろうとは思いませんし。
「必要になったら頼るかもしれませんが、私の裁量で好きにさせてもらいますよ」
「構わないよ。利害が一致しているうちはね」
そう言うわけで私は妖怪の山で少し不思議な立場に立つ事になった。
気絶した陰陽師を縛り上げてから襲われていた鴉天狗を見ると、彼女は腰を抜かしたままだった。
近づいて視線を合わせると、鴉天狗の方も私をみて困惑していた。
「大丈夫だった?」
「あ、はい。大丈夫です」
我に帰った鴉天狗が私に頭をぶつけそうになるくらいのお辞儀をしてきた。それにしても近くで見ると彼女は誰かに似ているような気がする。
誰だろうと思い返すもなかなか出てこない。
「なら良かったわ。もうすぐ夜も開けるし、里に戻りなさい。あの男は私がどうにかしておくから」
どうにかすると言っても山から追い出すだけ。不要な殺生をすると後が面倒ですから。まあ…式神の解放くらいはしますけど。それは罰として受け入れてもらいましょう。
立ち上がった私を鴉天狗が呼び止めた。
「あの、名前は……」
「あまり名乗りたくは無いのだけど……さとりよ」
「私は文です。あの、助けてくれてありがとうございます」
ああそうか、だから似ていたのか。彼女は、幼少期の射命丸文だったんだ。
腑に落ちた。同時に、関わりを持つのは控えた方がいいような気がしていた。
「気にしないで、これも仕事だから」
しかし子供とは言え鴉天狗を狙ってくるとは、それにこの陰陽師……里の人間ではないですね。里の人間は割と相互不干渉の立場ですし。
だとすると、何か人間達の方で起こっていると見た方が良いですかね。
この男は……記憶を読んでも意味なさそうですね。と言うか心壊れちゃってます。これでは記憶を読み取ることはできない。廃人というか……なんというか。少し強烈にし過ぎましたね。心くらいは直しておきましょう。
記憶喪失の人間程度には修復できるでしょう。
この男を山から下ろしたら少し探りを入れてみますか。
「あの、さとりさん」
文が恐る恐ると言った表情で声をかけてきた。サードアイはしまっているから心は読み取れないが何か悩んでいるようだった。
「何かしら?」
「里まで送ってくれませんか。その、迷子で……」
ああ、迷子でしたか。このまま放っておくのはよくないですし、彼女も疲弊しているようですから連れてきますか。
「分かりました。では一緒にいきましょう」
まずは彼女を里に送ってからですね。