秋の紅葉と言うのは悠久の時を経ても変わることはない。
私の場合は未来へ向かっているのではなく過去に向かっているのですけれども。
それでもやはり自然が作り出す絶景というのはいつの時代もどこか心を揺さぶってくる。
山の木々の合間にちょうどよく木々が開けた場所で私こと古明地さとりは横になっていた。
横には小さな家族である黒猫が一匹。その二つに分かれた尻尾を揺らして寝ていた。
黒猫との出会いはもう100年近くも前になる。
「ああ、そうかもうそんな年月が経っていたのね」
そう100年。とっくに人間だった頃の年数は通り越していた。今ではさとりとして生きている時間のほうが長い。とうとう100年も異世界の住民として暮らした計算になる。
始めは混乱したし、望郷の念に囚われて夜に枕を涙で濡らしたこともあったし、時間が経つにつれて前世の〈記憶〉が薄れて、〈記録〉としてそれを認識するようになっていったことに恐怖もした。
いや、やめておこう。この事を考えるだけで鬱になりそうだ。
そう思い改めて黒猫を見つめた。
元々は小さな黒猫だったのに私の妖力に中てられてしまったか気づいたら猫又に変化していた。
動物は妖気による影響が強いというけれどここまでとは思わなかった。でもまあ、人生に付き添い人の1人くらい居た方が良いのは確かだ。
結局猫又の方も私といるのが気に入っているのか、文句も言わずについてきてくれている。
そんな猫又はどのような夢を見ているのか、時々寝返りを打つ姿に一瞬夢を読んでみようかと考えていた。
無意識のうちに服の下から私のアイデンティティであるサードアイを取り出そうとして、我に返る。
妖怪としての本能がそうさせていた。
理性が押さえつける。無造作に相手の心を読むのは慎むべきだ。人の心なんて読んだところで良いものではない。
思考がナーバスになってますね。
……別のことを考えよう。
猫はこの場所が気に入ったと言っていた。私もこの場所が気に入った。少し人里から近いというのは私にとって悩ましい事ではあったけれど関わらなければ良い事と割り切ることにしましょう。
少なくとも、人の多い平城京よりかは幾分か気楽に過ごせる。
あそこは妖怪にとっては住みづらい場所だった。生まれ落ち、自我に目覚めるまでよくあそこで生きていられたと私のことながら自慢したいですね。
でもそれも遠い記憶。
「……?」
一瞬何かの気配を感じた。
でもすぐにそれが消えてしまったせいでよく分からない。
「ん、何か近づいているね」
しかし気のせいではなかったようだ。
何かの気配を察知したのか猫が目覚めた。
「やはり来ていますか」
猫の、というより動物が妖怪になったような存在は私達人型の妖怪に比べて第六感が鋭い。通常では感知出来ないものも彼女たちなら見分けることができる。
その彼女が何かを察知していた。ならば何かが近づいているのだろう。
上体を起こして襲撃に備える。
「正面」
鋭いのは向こうも同じだった。
こちらが警戒態勢に入ったのを感じ取ったのか、奇襲をせずに堂々と姿を現してきた。
秋の冷たい風が紅葉をつけた木を揺らす。けれどそれは自然の風ではない。
羽が羽ばたく音と共に目の前に白狼天狗が舞い降りた。
白い髪に本来はありえないはずの獣耳。中性的で整った顔立ちにうっすらと赤いアイライン。
この時代では中々珍しいというか、だいぶ未来的な一本下駄と白い腋を露出させた袴。下半身は黒と赤で、腰には紋章が描かれた剣を帯刀していた。それと首から下げているのは、カメラだった。
「見ない顔だな。余所者か」
それが白狼天狗の柳との出会いだった。
「なるほど、流浪の妖怪と言ったところか」
柳と名乗った白狼天狗はどうやら哨戒中だったらしい。
ここが天狗の治める山である事と、無断で私が侵入してしまっていることを手短に教えてもらった。
いきなりその腰の刀で斬りかかってこないだけかなり穏健なのだろう。
「そうそう、あたしとさとりはただの新参だよ」
「え、まさか住み着くつもりですか?」
「はい、そうですけど……」
私の言葉に柳さんは悩んでいた。サードアイを使えばこの白狼天狗の考えていることは分かるのだろう。だけれどそれをする気にはならない。ある意味私は「覚」を否定するタイプの覚り妖怪になっているのだろう。
「困りましたね。この場所は天狗の管轄地域。管轄外の土地なら文句は言いませんけれど」
確かに勝手に縄張りに住み着いてしまったとなれば向こうもそれなりの対応をせざるおえないでしょう。組織の面子というやつだ。
「そう言うけどねえ、あたしらはそんなの知らないし。大体、猫だし」
猫又がそういうと、柳さんはますます困った顔をしてしまう。
「まあまあ、天狗側の事情もありますしここは身を引きましょう。管轄外の場所まで案内してくれますか?」
「それくらいなら問題ない。えっと……さとりは飛べるのか?」
「飛べますよ」
非力な覚り妖怪といえど空を飛ぶことくらいは出来る。猫又は飛べないので私が抱き抱える。
そうして柳さんに連れられて、私は山の一角に案内された。さっきの場所からは北に進んだところだった。
なるほど、ここも確かに悪くはない。さっきの場所と同じくらいに景色も見晴らしもいい、何より斜面の中に少しだけ出来た平坦な窪地だから家を建てたりする時も建てやすい。
「ここから先は我々天狗の管轄外だ。そこなら好きにしても良い」
「ありがとうございます」
「気にしなくて良い。こちらとしても無益な殺生は避けたいからな」
ふと柳さんの手に握られたカメラに目がいった。この時代にカメラがあるのもおかしいが、十中八九河童の作ったものだろう。恐ろしい科学技術だ。
でもそのデザインはどこか親近感があるというか。どこかで見たことあるようなデザインだった。
「それにしても良いカメラですね。河童に作ってもらったのですか?」
「カメラを知っているのか?」
柳さんは驚いていた。それはそうだろう。余所者がいきなりカメラについて言及したのだから。
「ええ、知っていますよ」
カメラの実物を見たのは何年ぶりでしょうね。いや古明地さとりとしては初めてか。
そこら辺の感覚というのはやはり数百年を過ごしてもいまだに慣れない。
「そうか、これは最近頼んで作ってもらったものなのだがな」
自分が好きな事に興味を示したのが嬉しかったのか、柳さんは色々と話してくれた。
写真をカラーで写せるようになっている事とか、これで山のいろんなところを撮るのが好きな事とか。他の妖怪はそう言うのに興味がないのが悲しいと言う事とか。
結局少し話し込んで時間が経っている事に気がついた柳さんは哨戒に戻らないといけないと言ってまた飛び立って行った。
後に残されたのは風と木の葉が舞う音だけだった。
「なんだか親切な天狗だねえ」
「ええ、優しい人なんでしょうね」
それから数日おきに柳さんは顔を見せるようになった。
私が猫又と食事をしている時や、家を建てる準備をしている時には遠くから遠巻きに。その割にいざ家を建て始めると柳さんは声をかけるようになった。
最初は住むにあたっての忠告。それと妖怪の山に関する禁則事項。
曰く、今の天狗の頭領である天魔と天狗の取りまとめ役をしている大天狗により定められた約束事らしい。
なんでも妖怪の山にいる妖怪は数が多くそれらが近くの人里を襲えば忽ち人間が滅んでしまいやがては妖怪側が生活できなくなってしまうという問題を解決するものらしい。
なんでも人里に降りての人攫いや捕食の禁止、さらに山道や一定の地区での殺生の制限などだ。もちろん人間側からの攻撃があった場合ではこの限りではないらしい。なるほど、よくできている。
もちろん元々飼い猫だった猫又も私も二つ返事でそれを受け入れた。
人間を襲うのは内心忌避感があるのだ。
私達が掟をあっさりと受け入れた事に柳さんは驚いていたけれど、それでも素直に従ってくれるのは有り難かったらしい。
そうして一週間くらい、柳さんはかなりの頻度で私のところに顔を出してきた。
「今日も来たのですか」
その日も柳さんは私のところにやってきた。猫又は散歩に出かけていて不在。
私はといえば、服の修繕をしていた。
和服の上に被るフード付きの外套はこの時代の服の素材をそのまま使っているから頻繁な補修が必要なのだ。
「まあな、余所者を監視するという意味合いもあるのだ。わかってくれ」
「別に構いません。いい退屈凌ぎになります。お茶でもどうですか?」
「遠慮しておくよ。そろそろ日が暮れるからな」
少し柳さんの顔に警戒心が出ていた。普段通りに接しているように見えて、無意識のうちに壁を作っているような感じがした。
あまり口出ししてはいけないと思いつつ、なんだか柳さんを放って置けないような気がした。
「……何かあったのですか?」
「どうしてわかったのだ?」
目つきが変わった。やっぱり何か探していたのですね。
「一つは柳さんの態度。最初は警戒する素振りはあまり無かったのですが、何かを探るようなそんな目をしていましたよ」
まあそれだけなら警戒しているだけだと思ったのですけれど。今日になって急にそんな態度を取られた誰だって不審に思うだろう。
「もう一つは、そのカメラです」
カメラ?と柳さんは首からぶら下げていたカメラを見つめた。
「私のところに来る時はいつもレンズキャップをしていましたよね。でも今日に限ってレンズが露出しています。レンズキャップのつけ忘れかと思いましたけど柳さんに限ってそんな事はあり得ませんし」
人間と違う、妖怪特有の動き。特に天狗のような素早い動きというのは意外と小さな飛翔物が無視できない被害をもたらす。だから柳さんはレンズキャップを必ずしている。そう本人は言っていた。
「なら直前までカメラで何かを探していた。しかも仕事である哨戒中」
でも結局はただの推論だ。証拠はなにもない。サードアイで答え合わせをするわけでもない。
「まあ、根拠は薄いですけどカメラで何か証拠を撮る必要がある…まあそんなところでしょうか。そしてその容疑がかかっているのが私」
「正解だよ。しかしまあよく見抜くものだな」
険しくなっていた表情が和らいだ。
「まあ、趣味というか種族柄というか」
実際私が心を読まないようにしてからというもの、代わりに推理で考えを読むという行為をしてしまうことが多くなっている。
「いや、さとりの悪癖だよ」
猫又にそう言われてしまうと少し傷つきます。
少し困った顔をしていると、柳さんが私を見つめているのに気がついた。
「なにかありましたか?」
「そう言えばさとり、あんたはどういう妖怪なんだ?」
「えっと……あまり言いたくないというか、なんと言いますか」
私にとってはかなり返答に困る質問だ。その上に質問も鋭い。
はぐらかしてどうにかできないだろうかと思っていると、柳さんはクツクツと喉の奥で笑い出した。
「言いたくないなら、私も推理してみよう」
そう言って柳さんは体を近づけてきた。匂いを嗅いでいるのか鼻先が少し動いている。そういえば白狼天狗は名前の通り狗、つまり動物が天狗に昇華した存在。第六感の鋭さは動物妖怪と同等でしたか。
「ふむ、覚妖怪か」
言われたくないことをズバリと言われてしまう。同時に心が重くなる。覚とバレてしまっては私は向けられる悪意に耐えられない。元々人間の心はそんな悪意に晒されるようには出来ていないのだ。
猫又も気まずそうに私と柳さんを交互に見つめていた。
「あはは、やっぱりバレちゃいましたか」
「なに、昔は覚妖怪もいたんだがな、性格が悪いとか権力行使の上で心を見透かされるのは不都合だったりして嫌われていたのさ」
それで追い出されたと。
確かに、組織という面でも覚というのは存在を疎まれる。やはり群れに私は永遠に馴染むことはできないのだろう。
「じゃあ私も……」
「別にそんなつもりはない。確かに心を読まれるのは少し嫌だが、だからと言って迫害するほどでもないだろう」
あっけらかんとそう言う柳さん。嘘はついていないらしい。
「変わってますね」
「さとり程じゃないさ。力を隠す妖怪なんて初めてだし、覚妖怪となれば尚更だ」
確かにそうかもしれないが
「そうだな、いや……私はさとりを疑っているわけじゃない。そうだな……聞いてくれるか?」
そう言って柳さんは事情を話し始めた。
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