正体不明の怪異
そう言った存在は私が知る遥か未来ではあまり存在しない。大抵の怪異には名前がつけられ、現象が付けられ、そして型にはめられて対処法を編み出されている。
しかしこの時代ではそう言うわけにはいかない。まだ怪異の定義付けも曖昧で正体不明なんて存在はかなりの数がいる。
そう言うわけで敵対している相手も私達が覚妖怪だと分かれば、すぐに男の姿を止め、不定形の存在になってしまった。
「心を読ませなくしてきましたか……なるほど覚妖怪への対処は的確ですね」
私の言葉に対する返答はうめき声のような、鳴き声だった。
鳥のような、どこか甲高いもの。
「正体不明、ですがその鳴き声は……」
「鵺だね」
私の言葉の続きをこいしが言った。
鵺、私が知っている鵺はもうちょっと臆病な方で、案外可愛らしい妖怪だったのですが、この時代ではこんな感じなんでしょうか。
それとも、あのぬえとは別個体なのだろうか。
鵺の単語に反応したのか不定形の塊の背中が大きく割れ、カラスの翼が現れた。そのまま大きく鳴いたソレは眩い光を放って周囲を真っ白に染め上げた。
閃光による目潰し、それが治った頃には不定形の塊は空へ飛び上がった。
家の中が俄かに騒がしくなった。他の住人が起きてしまったようだ。
「だから逃さないって!」
真っ先に反応したのはこいし。
空に飛び上がった。
半月の月明かりの下を怪物との空中戦が始まった。しかし速い。
相手は私たちと戦うのを徹底的に避けて逃げの一手に全てを賭けている。
そのおかげかサードアイも時々思考が読めるようになっていた。断片的ながらも情報が入ってくる。
「お姉ちゃん!全然追いつけない!」
「天狗並みに速いわね」
きっと不定形を利用して天狗の特性でも再現しているのだろう。私が想起で他者の力を利用するのと似たようなものだ。
いつのまにか里を越え、鬱蒼と広がる沼地に近づいていた。
「向こうも長時間飛び続けることはできないはずよ、そろそろ……」
親指サイズまで遠ざかってしまった鵺だったけど、不意に地上に向けて急降下していった。
やっぱり力を使いすぎているようね。でも地上に落ちていったそれは、地面に当たる直前にモヤのようになって消えていってしまった。
「逃げ足だけは素早いんだから」
「多分別の何かに変幻したのでしょうね」
地上に降りてみたものの、小動物に変幻していたらもう逃げられてしまっているだろう。
猫又がいてくれたら見つけやすかったのですがね。
「でも断片的に情報は得られましたし、それだけあればなんとかなりそうね」
「お姉ちゃんあの短時間で心が読めたの?」
「断片的にですけどね。でも敵の正体……と言うか仕掛け人は分かりました」
「やっぱり道満?」
「……ええ、道満です。ですけど……」
あれは道満というより、悪霊……自我を持った呪いのような存在。
「ちょっと応援が必要ですね」
湿った沼地に吹く風はどこか冷たかった。
八雲紫という妖怪がいます。隙間を自在に操り境界を曖昧にすることを得意とする妖怪ですが、彼女が正確になんの妖怪なのかと言われると私にはわからない。
彼女もまた正体不明の妖怪の類に入る存在です。
そんな彼女は普通であればこちらが会いたいと思ってもそう簡単に会える存在ではありません。
どこにいるかも分からない存在だから致し方ないのですが、どういうわけか彼女はこちらを覗いているようで、私に限っていえば意外とすぐ会える存在だったりします。
鵺を取り逃した次の日に家の居間に勝手に入ってお茶を飲んでいた八雲紫さんを見た時には薄寒い恐怖を感じました。
こいしは猫又を連れて外にお出かけにいってしまったので家には私しかない。
「私を探していたのでしょう?」
なんでわかるんですか。怖……」
貼り付けたような笑顔。心を読めないように境界を弄っているのかサードアイは何も読みとらない。
「失礼ね、偶然貴女が追っていたものが私も追っていたものと一緒だっただけよ」
つまり鵺と、鵺を式神のように使役する道満と名乗る陰陽師を探っていたと。妖怪の山だけじゃなく別の事にも首を突っ込んでいるようですね。というか妖怪を殲滅させようとでも考えているのでしょうか。
しかしそうする動機がわからない。いや人間なら誰しもそのように考えることは自然なのでしょうけれど。
「……鵺を使役している存在に心当たりが?」
「話が早くて助かるわ。無駄な説明が省略できるもの」
そう言って八雲紫は鵺を使役する道満という人物について話し始めてくれました。
「京の陰陽師は政権を司る存在になっているのは分かるでしょう。今最も政を意のままに出来るのは安倍晴明なんだけど……」
「安倍晴明ですか……関わりたくない相手ですね」
というか知らない方がおかしいくらいの陰陽師です。
「あの男は天性の才能を持つ歴代最強の陰陽師と呼ばれてるのだけど、それだけに敵が多いのよね」
そうでしょうね。しかも安倍晴明は新進気鋭の若造だったはず。重鎮からしたら面白くない。
「その敵の一人が道満ですか?」
黙って首を縦に振った紫でしたが、同時に道満の正体も教えてくれました。
「正確には道満は人ではないわ。複数の人の念、そして晴明を恨むもの達が行った呪術儀式の結果生まれた存在」
なるほど、確かにそれは人間の皮を被った化け物だ。
「でも元が農民だから器の方が清明に並ぶ地位を必要としているの」
なるほど、成り上がりというやつか。
「そのために妖怪を殲滅してその功績で成り上がろうとしていると」
道理は理解できますがそれにしてもこの山まで来ますかね。それとも京周辺はもう刈り尽くしたと?
「そういうことよ。それにここら辺一帯は妖怪と人間が共存しているっていう噂があるから余計に目立つのよ」
確かにそうかもしれない。普通の人間であれば分からないことでも陰陽師の情報網なら見つけ出してくるか……困ったものですね。
しかしそこまで知っていて紫はどうして天狗への警告も何もしないのだろうか。いやまあ、彼女にとっては関係のない事かもしれないですけど。でも貴女が後に理想とする世界にはこの山が必要ではないでしょうか?
読めない心で貴女は何を考えているのかしら。
「そこまで知っているのならどうして貴女がそれを止めにいかないのですか?」
「行ったわよ。返り討ちにあったの」
表情は明らかに曇った。私より先に先手を打っていたらしい。
「ああ……力をほとんど封じられているのですか」
「鋭いわね」
少し覇気が少ないというか、放っている妖気が少なかったのはそういう事だったのか。それでも強者の風格を保っているのだから恐ろしい。
「しかも私を追い払ってから用心するようになったのか式神を使役し始めたのよ」
え、式神使役しないで紫を返り討ちにしたんですか?怖……余計私だけじゃ手に余りますよ。
「鵺とかですか」
「他にも多数ね。まあ…覚妖怪なら怨霊系は得意でしょ」
紫の言うことはごもっともだった。
妖怪は霊に弱い。意外かもしれないけれどこれは紛れもない事実です。精神面の脆さと言うか、人の精神面とは根本から異なるそれが霊にとっては無防備なものに映るらしい。そして怨霊、というか怨念の塊みたいな道満もまた妖怪にとっては天敵に等しい。その数少ない例外が私達覚妖怪。
どうやら悪霊や怨霊など霊の類にめっぽう強い。なんなら人間より強いらしい。
「それで私に話をつけに?」
「そう思っていたのだけどそちらもそちらで面白いことをしていたからつい見守っていたのよ」
「なるほど、では協力してくれますか?」
長考。まさか格下から協力しろなんて言われてプライドが傷ついたとか無いですよね?流石にそこまでアホなプライドを持っているとは思っていませんが。
「構わないわ。でもあまり無茶は出来ないわよ」
「ありがとうございます。おそらく向こうはすぐに仕掛けてくるでしょうから迎え撃つ戦力を集めたいんです」
鵺からきっとこちらが気付いたと言うことは伝わっているはず。そうなると向こうは予定を早めるだろう。
「あら、随分と山が気に入っているのね」
「ええまあ、里も山も案外居心地良いので」
紫さんの協力が得られるのは大きい。あとは飯綱丸さんにも事態を知らせて山全体で迎え撃つ事にしましょう。
私だけで対処できる事態を悠に超えていますからね。
でも既に事態は収集不可能な時点まで進んでしまっていた。