八雲紫が帰ってからすぐに私は飯綱丸さんのところに向かった。
そういえば柳さんを介して会う以外では初めて対面で話すことになる。
私一人で大丈夫だったかなと思いながら飯綱丸さんの屋敷に向かうと、野暮用から帰ってきたところだったらしい。
いつもの服とは違う、腰あたりまでスリットがある少し色気が強い天狗装束を着ていた。
「なんだ、さとりか」
「要件は分かりますよね?」
彼女だって阿呆ではない。これだけ伝えれば向こうも察するはずだ。
実際彼女は渋い顔をしつつも察してくれた。
「随分な物言いだな。だが緊急なんだな?」
「ええ、事は急を要します」
私の言葉に飯綱丸さんは頭を抱えた。
「わかった。中で話を聞こう」
通された部屋で飯綱丸さんに事の経緯と、近いうちに大規模な戦いになるかもしれないという私と紫さんの予想を伝えると、飯綱丸さんは表情が硬くなっていた。
「状況はわかった」
「ではすぐにでも臨戦体制に……」
「すぐには無理だ」
飯綱丸さんは首を横に振った。
「どうしてですか」
「襲撃されているなら兎も角襲撃が近いというだけではすぐに動けないのが天狗の社会なのよ。長老方が直接判断を下せば早いんだがそこまで報告をあげるのに時間がかかるんでね」
なるほど、これは組織上仕方がない事か。しかし考えてみたらそうだろう。天狗は強力な縦社会。上が判断しなければ下は動けない。いや、動いてはいけない。そういう組織だ。
「急いでどのくらいか?そうだね……一週間かな」
「そんなに?」
「私の権限の範疇を超えているからね。鬼ならもっと迅速……というか気ままに動きそうだけど」
「相手はそれを込みで仕掛けてくるはずですよ」
それに鬼は強いですけどその分知名度があって人間側も対処をよく心得ている。
だから鬼は人間に追われる立場なのだ。
「分かってはいる。だがなあ……」
まあ彼女に文句を言っても仕方がない。こればかりは仕方がないのだ。
「すいません。無理を言いすぎました」
「こちらこそすまない。君が調べてくれたのに活かせそうになくて」
鐘がなっていた。
「敵襲だ。クソ、さとり!!一緒に来るんだ!」
飯綱丸さんが血相を変えて私の腕を引っ張った。そのまま全身に風を浴びて、気づいたら私は空に飛び上がっていた。
遠くに空には爆発が続いていた。誰かが戦っているようだった。
飯綱丸さんに引っ張られてついたのは山の麓。敵の姿は見えないけれどすでに何人か白狼天狗が倒れていた。でも息はあるようで体は僅かい動いていた。
「相手の方が一枚上手だったよ」
倒れた白狼天狗に駆け寄ると、外傷は無さそうだった。ただ、意識が朦朧としていて異常に消耗している様子だった。
「悪霊にやられてますね」
「大丈夫そうか?」
「精神的消耗なので安静にしていれば大丈夫かと」
ですが白狼天狗四人がこうも全員やられるとは……悪霊おそろるべし。
彼女達の容態を見ていると、森の奥から見慣れた顔が飛び出してきた。
「お姉ちゃん!」
こいしと猫又だった。こいしは肩のあたりの服が大きく切り裂かれて白っぽい肌が大きく露出していた。
「こいし!大丈夫?」
「私も猫も大丈夫だよ」
多少息は上がっている……でも確かに露出している肌に傷は見当たらない。無事でよかった。
「悪霊だった。追い払ったけど……」
「大丈夫よ。こいし、天狗は全員生きているわ」
こいしの頭を撫でつつ、彼女が居なかったらと思うと寒気がする。ここに倒れている天狗達は物言わぬ死体になっていた可能性が頭を過ぎる。
逆に飯綱丸さんは怒りを露わにしていた。心を読めなくてもわかる。ものすごい怒りの形相だった。
「昼間から堂々と仕掛けてくるとは。宣戦布告ということか?」
「そうでしょうね」
そう思っているとまた鐘がなった。それもさっきより多くの音が反響している。それらが不協和音のように不気味に重なって響いていた。
「他の場所でも襲撃が起こっているみたいだな」
鐘の音は鳴り響き続けていた。
「手分けして当たるしかない。私は戦況を立て直してくる。さとりは彼女達を安全なところに連れて行ってくれ」
「分かりました。こいしと猫さんも手伝って」
ぐったりしている白狼天狗を連れて天狗の里に戻ってみるとさっきより随分と騒がしかった。ようやく臨戦体制に入ったのか蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていた。中には天狗以外の妖怪もかなり入り込んでいた。
適当に鴉天狗に白狼天狗達を預けて、私達は戦場に向かうことにした。
運良くこれから戦いに行く集団を見つけた。柳さんはいなかったけど、その代わり勇儀さんがいた。
彼女も私たちに気づいたのか手を振っていた。
「なんださとりもいたのか」
「私もご一緒します」
「お姉ちゃん、私も……」
「こいし、貴女はここで妖怪の手当をしていて」
「でも……」
「悪霊に心身を蝕まれた妖怪の精神を修復するのは覚の得意分野。貴女は、貴女にしかできない事をして」
「お姉ちゃんは?」
「私はそう言うの下手だから、私なりのやり方で行くわ。猫さんも一緒に来て」
「はいよ」
こいしに抱き抱えられた猫又が私の肩に飛び乗った。こいしはまだ納得しかねる様子だった。でもこれ以上彼女を危険に晒すことはできない。こいしはまだ生まれたばかりの妖怪なのだ。
それに、私より彼女の方が覚妖怪としての力は上だった。
こいしもそれはわかっているはずよ。さっきも追い払ったとはいえ、猫又がいなかったら相当危なかったみたいだし。
「わかった……死なないでねお姉ちゃん」
「ええ、任せて」
それに私は結構怒っているんです。落とし前はつけさせないと。
「話は済んだか?」
「ええ、お待たせしました勇儀さん」
話が終わるまで待っていてくれた勇儀さんに頭を下げて、血の匂いが漂い始めた方向に向かった。
その日、射命丸文は河童のところに荷物を持っていくお使いを任されていた。
天狗の中では見た目も年齢も幼い彼女はまだ本格的な天狗としては見なされず、こうして小間使いのような事をしている。
その日もいつも通りに河童のところに行ったものの、山の麓の方が騒がしかった。
非常事態を知らせる鐘が聞こえてきてようやく争い事が起こっているのだと気づいた射命丸は河童達が安全な場所まで逃げるのを手伝おうとしていた。
子供の体とはいえ鴉天狗であるのには変わりない。河童1人運んで高速で飛ぶことくらいは出来るのだった。
だが直ぐ近くで殺気が放たれ、直後に飛んできたお札を見て彼女は事態が想像以上に悪い状態だという事を悟った。
お札自体は簡単に躱す事が出来たけれど、彼女は直ぐに空に飛び上がり、牽制をする事にした。
河童が逃げる時間を稼ぐために、自らを囮にする判断だった。しかし射命丸自身には勝算があった。
同世代の鴉天狗の中でも飛行の能力がトップクラスだと言われていた彼女は、自分の得意分野で撹乱して逃げ切るつもりでいた。
戦闘などした事がないものの逃げ回り撹乱する事は結構やっていた。だから今回もできるだろうと彼女は思っていた。
だから飛び上がった射命丸は、その俊敏さでなんとか気を引くことが出来た。
彼女の思い通りの展開になった事で浮かれていた。
相手の姿がよく見えないながらもお札などが投げられてくる位置から大まかな相手の場所を特定していた。
そこに向かって妖力で生み出した火の玉を放り投げた直後に、背後からの一撃で射命丸の体は地面に叩きつけられた。
頑丈な妖怪の体故に重傷まではいかなくとも地面に叩きつけられた衝撃で脳が揺さぶられ平衡感覚が麻痺してしまう。
焦点の合わない彼女の目の前に黒い影が現れた。明確な殺意を持ってそれは鈍く輝く何かを振り下ろそうとしているところまで認識して、射命丸は死の恐怖から逃げ出すことができないでいた。
振り下ろされたのが刀だと気がついたのは、彼女の勘だった。