「それが、月に行く手段?」
私が射命丸さんからもらったその紙をこいしとお燐に見せつつ、私は肯定した。
「ええ、月のどこに繋がっているかまでは分からないけれど」
ただ少なくとも八雲紫の『隙間を操る程度の能力』を使用するためのものであるからその大元となっている八雲紫の側に行くことは出来るだろう。だとすれば彼女だけでも救い出すことはできるかもしれない。
もっともこれは本人が助けを求めているのならという但し書きが必要ではあるが……
「もうすでに半日経過しています。さとりさんの話が正しければすぐにでも行かないといけませんが」
「行ったところで私達に出来ることなんてあるの?」
こいしの言いたいこともわかる。わざわざ危険なところに飛び込もうとしているのだ。それも親しいとはいえ他人にすぎない。それにもしかしたら八雲紫の運命は決まっていて、生き延びるのかもしれない。
だけれど、彼女がもし助からなかったら?それこそ世界崩壊の危機と言っても過言ではない。
「確かに情報が無さすぎです。ですが……」
それ以前に私は、見捨てたくない。どうしてもそう思ってしまうのだ。
「わかった。お姉ちゃん、他人に対して甘いからね。でも私も行くから」
呆れたようなため息の後にこいしはそう言った。こいしは妙なところでっ頑固なところがある。来ないでと言っても聞かないだろう。まあそれに、こいしが居てくれるのはありがたい。
「こいし……ありがとう」
「あたいも行きます」
「お燐は残っていて、梨紗とそこの鴉の事をお願い」
「でもさとり……」
「お願いお燐」
本当はお燐も連れていきたい。だけれど山奥に人間と妖獣の鴉だけを残していくのは不安でしかない。私達が仮に帰って来なかったらお燐、貴女が二人を守って。
「わかった……だけど絶対帰ってくるんだよ。あたいだけで二人の面倒は見切れないよ」
「では私はこれで……」
部屋の隅でずっと押し黙ったままだった射命丸さんが翼を広げた。おそらく呼ばれないだろうと思っているらしい。お燐を連れていこうとしない私の態度からもそう思ってしまったけれど射命丸さんは別だ。
「待って、貴女も月のこと知りたくない?」
「……月についてですか?でも話を聞く限りほとんど生きて帰って来れないような魔境じゃないのですか?」
「当たらずとも遠からずよ。でもだからこそ知りたいんじゃないかしら?それに、天狗の仲間も助けられれば貴女は英雄よ」
実際に月が人外魔境かどうかは知らない。みたことがないもの。
「まあどうするかは貴女次第よ」
「あたいの時とえらく対応が違いません?」
「彼女は別よ。私達より強いから」
実際射命丸さんは天狗の中でも相当な実力者だし普通に鬼と互角以上に戦える。
本人は否定するだろうけれど並の大天狗じゃ射命丸さんには勝てないだろう。
「……では私もご一緒させてもらいましょうか」
そう言って彼女は自分の首からぶら下げていたカメラをいじり始めた。側面のカバーを開いて、ポケットから取り出したフィルムを露光しないように素早くセットする。
彼女の、記者としての彼女の準備だった。
本来の月の裏側であれば常に地球に対して背を向けるように自転しているはずだから見れるはずもないその地球は、ここが異空間なのだという証明にもなった。
ただ、異空間から見た景色であっても、地球は、宇宙はどこまでも意識を飲み込むほどに美しいものだった。
どうしてふとそんな事を考えてしまうのか。やはり現実用意したい気持ちのせいで頭が自然とそうなってしまったのだろう。
現状ほど目を逸らしたいものはなかった。
月への侵攻前は百を超える有力な妖怪や怨霊は、半日も経たずに月の勢力によって壊滅させられた。
向こうの情報収集能力も桁違いで、どこから仕入れたのか私は真っ先に能力を封じられてしまった。迂闊だったわ。
今残っているのは僅かに三人。妖精と、天狗と鬼。それだけだ。
それでもこの場には敵は一人しかない。
白い服と赤いサロペットスカート、私より薄い紫色の髪の毛を黄色いリボンでポニーテールにしている女性が刀を構えて立っていた。
月の兎や月の民は別働していた方の妖怪達の処理に向かってしまった。結果的に100を超える妖怪は彼女によって殲滅されたのだった。
別働の妖怪達を囮にして本命の私たちが隙間で月の都に強襲をかける。そのつもりだったのだけれど。
「いい加減降伏したらどうだ?」
「あのねえ、降伏と処刑がセットになっている人の言葉に従うと思っているのかしら?」
「仕方がないだろう。穢れを月に持ち込んだのは貴様ら地上の者だ」
参ったわね。鬼は腕を斬られて意識も飛ばされている。妖精は動けるけれど天狗の方も重症だった。
現状では打つ手がない。
このまま殺されるか、降伏した上で殺されるかの二択なんて問題外よ。なんとしてでも生き延びないといけない。
だけれど相手は待ってくれないらしい。
刀を構え直した。これだから交渉が通じないタイプは苦手なのよ。
彼女の斬撃が飛んでくる。辛うじて捉えることが出来たそれを私は結界で弾いた。隙間の能力が使えなくとも、結界を張る程度はまだできる。それでも何回も出来るわけじゃない。
続けて二回目。今度は彼女自身が距離を詰めてきた。一振りで結界が破られる。
割れた結界の力の残滓を片手で弾き飛ばし、彼女の体に向けて矢のように放った。本来ならゼロ距離だから回避はできない。けれど彼女は驚異的な身体能力と動体視力を持ってそれを避けた。
お返しに刀が振り下ろされた。
地球に反射した太陽光が、その刀の刀身をやや青く光らせた。
咄嗟に手に妖力を纏わせて即席の盾としつつ刀を受け止めようとして手を伸ばした。
金属と金属が擦れる不協和音が響いた。
防ごうとした手に衝撃は来なかった。
私と女の合間に滑り込むようにして緑の反射をする銀髪がゆらめいた。
少女の手に握られていた小刀が敵の刀を防いでいた。
「新手か!!」
「びっくり、月も私たちと同じ言語を使うんだ」
少しズレた感想を言いながらも、乱入してきた少女。こいしは私と敵の女を交互に見た。
「こいし、敵から目を離しちゃダメよ」
私の後ろで不意に声がした。振り返ると、そこには私が拒絶した、友人がいた。
間一髪だった。射命丸さんに引っ張ってもらって神速の領域で月面に突入できたから間に合ったものの、そうじゃなかったら紫さんは死んでいた。
いまだに空を舞っているであろう射命丸さんの方に一瞬だけサードアイを向ければ、視界からすぐに消えてしまうけれどなんとか彼女の場所を把握できた。
私の少し後ろあたりの空にいるらしい。
「何処から……結界は閉じているし外部からの侵入は不可能のはず……」
何やら推理しようとしている少女、おそらく玉依姫なのでしょう。攻撃を止めてくれている今がチャンスです。
射命丸さんが私の意図を察したのか重症の大天狗と鬼を掻っ攫って開けたままの隙間に放り込んだ。
「……帰りましょう?もう十分でしょ」
見たところ紫さんは封印のお札で自分の能力が封じられているようですし。そのせいで隙間が開けないらしい。
「……」
凄い渋い顔されたんですけど…まさかあれだけやられてまだ懲りないつもりですか?それは幾ら何でも……え、違う?
「帰らせるなど……」
「んー、これ以上余計に疲れるのも嫌じゃない?それとも……穢れを持ち込んだものを許さない?」
「……貴様心が読めるのだな」
こいし、余計に煽ってはいけませんよ。
ああほら、対策されて読めなくなっちゃったじゃないの。
「へえ、心を閉ざしたんだ」
「この程度のこと造作もない」
「そこまでよ」
全員の真後ろから知らない誰かの声。
こいしと射命丸さんが咄嗟に振り返って戦闘態勢に入った。
そんなに殺気立っても……
「やめなさい。戦うだけ無駄よ」
紫の一声。それだけで全員が殺気をしまう。妖怪の賢者のすごさを目の当たりにする。
たった一言で全妖怪と妖精を意のままに操れるとは…少しだけ術というか…妖怪の中の序列のようなものの影響もありますけど恐ろしいものです。
そんなことよりもまずは相手を確認しないといけませんね。
私ものんびりと後ろを振り向く。
そこには白い長袖シャツと青色のサロペットスカートに身を包んだ金髪女性が扇で口元を隠しながら微笑んでいた。
「あの…どちら様で」
サードアイを向けてみるがなにも情報は入ってこない。
私のような種族に対する備えも万全ですか……
でもなんとなく悪戯したくなってくる。だって不公平だ。
「あのー……帰っていいですか?豊姫さん」
私がそう一言彼女の名前を言うと、金髪の女性……豊姫さんは口元を手で隠しながらコロコロ笑った。目は全然笑っていないけれども。
「あら、私を知っているの?」
「そこにいる依姫さんの姉だということくらいは…」
一瞬、豊姫の目が驚きに満ちる。
依姫さんの方は…戦闘態勢になってる。そこまで融通効かないんですかねこの妹は……
「……知り合いですか?」
横に降りてきた射命丸さんが耳打ちするように訪ねてきた。
「文さん…古事記とか読みました?」
「いえ、古事記そのような書物は大天狗以上しか見れませんので」
「豊玉姫、玉依姫ですよ」
二人からめちゃくちゃ睨まれた。
紫さんだけは何か納得したような顔をしていた。心当たりがあったのだろう。
「貴女が私達のことをなぜ知っているのかは聞かないことにします」
「お心使い感謝致します。では私たちはこれにて地上に帰りますので……今回の件については後に正式に謝罪の場を設けますので」
「その必要はないわ」
豊姫さんの言葉と同時に月の地面から砂つぶが舞い上がった。
「貴女にはここで死んでもらいます」