妖怪の山にも今年も雪がやってきた。豪雪地帯のように降り積もるわけではないけれど、それでも山であるからにはかなりの積雪が見込まれる。
新居の真新しい木の香りと共に、雪の日特有の少し湿っぽくて冷たい風が開けている窓から入ってきていた。
「降ってきましたね……」
「全くだよ。これからお散歩に行こうと思っていたのにねえ……」
「せっかく出来た新居ですし…部屋でのんびりしていましょう」
「それもそうだねえ……」
私が萃香さんと戦った少し後だった。彼女は彼女なりのお詫びをしたかったらしく、茨木華扇さんを連れて私のところを訪ねてきた。
まだ鬼である事を公言というか普通に隠していない茨木さんと萃香さんは、私が作っていた家を代わりに建ててくれると申し出た。少なくとも茨木さんの方は巻き込まれただけのようだったけれど、お菓子を沢山用意したらあっさりと懐柔できた。
そのおかげもあって雪が降る前に私の新たな家は完成したのだった。
小さな日本家屋。というより山にあるから山小屋とでもいうべき建物。でも小さいながらも私は初めて安住の地を手に入れたのだ。
休憩してる私の横で猫又が丸まっている。冬にもなるとみんな活動が沈静化しているのか、静かな日々が続いていた。
時間の流れも少しゆっくり感じる。
こんな静寂はいつぶりだろうか。冬はどうにも感傷に浸らせてくる。私も、隙間妖怪のように冬眠でもしてしまおうかしら。んなんて思っていると、あたりが不意に暗くなっていった。
唐突な出来事だった、まるで影がまとわりついてくるかのように、家全体を覆い被さるようにして暗がりに閉じ込めたかのようだった。
急な出来事に猫又も尻尾の先端に鬼火を灯して周囲を明るくしようとする。その光さえも不自然に吸い込まれてしまって家の外には漏れない。
「敵襲かい⁈」
「落ち着いて、まずは相手の……」
情報を得るのが先決。そう言おうとして、言葉が止まった。小さい音だが玄関の扉をノックする音が聞こえてきた。
コン、コン。
どうやら気のせいではないらしい。
猫又と無言で頷く。
出入り口の扉は閂がかかっている。でもそれ以外の対策は全くしていない。結界も張っていないから開けようと思えば開けられるはずだ。
玄関に前に立ってみると、薄い扉一枚を挟んで向こう側に人のような気配を感じた。
「ねえ、お嬢ちゃんは食べてもいい存在?」
おっとりとした女性の声であったがそこには確実に妖力が混ざっている気配があった。
妖怪としての意識が警告をする。
「どちら様ですか?」
次の瞬間、爆発したかのようになにもない闇から妖力が放たれる。
隠しているようで隠せてない殺気が妖力に混ざりピリピリと肌を刺激していく。
こんな状態で能力を隠すなんていってる場合ではない。
直ぐにでも心を読む準備をしたいが、それさえさせてくれる隙は無さそうだ。猫又も完全に妖気に怖気付いてしまっているのか少し後退りをしていた。
並みの妖怪では敵わない、そう思わせるほどの実力を相手は持っている。
「誰でもいいでしょ、私はお腹が空いたの」
そう言う声が聞こえて、閂が破壊されて、扉が開かれた。
玄関の外は一面の闇だった。光の全てを吸収してしまうような闇で、凹凸すら分からない。
そんな闇の中にシルエットのようなものが浮き上がっていた。長身の女性のようなシルエットだ。
ん…人喰い妖怪、それで闇?
え…まさか…
薄れることのない前世記憶がふと一人の少女の情報を呼び出す。
「じゃあ勝手に食べるからいいわ…」
その声が響いた瞬間、直感的に私は背後に飛び退いた。
空気が引き裂かれる音が耳元に響く。
「避けないでちょうだい。上手く殺れないから!」
さっきまでいたところを見ると闇からはっきりと細く綺麗な腕が伸びていた。
それは再び闇の中へ消えて行く。
猫又が先に動いて鬼火の塊を闇の中に向かって投げつけた。
当たっているのかどうかは分からないけれど、闇の中で何かが動いていた。
爆発するような殺気が放たれ危うく意識を刈り取られそうになる。
なんとか意識を失わずに済んだ。いや、失わない程度に調整して放っているのか…
振袖のところからサードアイを覗かせて思考を読み取ろうとするけれど、視界に捉えていないのか心を読むことはできない。
いや…闇に隠れて存在自体が映らない…これはまた厄介です。
それに殺気だけで意識を刈り取れるとなると相当厄介だ。
と言うかこんな殺気放ったら周りの妖怪とか天狗にも察知される。
再び背筋に悪寒が走った。それと同時に焦るような気配。それが玄関から入って来ようとしていた。
「ねえ!ちょっとは殺気を抑えないんですか⁉︎ルーミアさん!」
本気で死を感じた私は思わず彼女の名を叫んでしまった。
いや、彼女の名なのかどうかは分からない。
食べると闇から前世記憶が導き出した情報でしかない。だがその想像は当たっていたらしい。
「ふーん…私は名乗ったつもりはないけれど?」
「意外と有名ですよ?それと……」
ようやくどこにいるのかが視えた。サードアイの思考を読み取る力は裏を返せば思考する物体がそこにあると言うことを教えてくれる。闇で存在を隠しているせいで時間はかかったが居場所を見つけることができた。
猫又が私の指さす方向に妖力で生み出した炎を放った。
闇であっても強い光源があると流石に見えるようになる。それに炎だから下手に近づくと引火しやすい。
「……っ⁉︎ちょ!」
ちょうど今のルーミアがそれだ。炎が服に引火したのか布が激しく燃え上がっていた。
その火による明かりが闇を引き裂きルーミア自身を浮かび上がらせていく。
もちろん不意にこんな行動に出られたルーミアは消火をしようとしてそっちに意識がいってしまっていた。
手早くルーミアの腕を掴んで引っ張った。
その瞬間、ルーミアの体が闇から外に引き出される。
流された金髪が私の頬を撫でる。身長は私より頭一つ分ほど大きく、黒いドレスに身を包んだ体が思いっきり私の方に吹っ飛んできた。
それを床に倒して拘束。
その力はさっきまでの威圧とは比べ物にならないほど弱かった。
猫又の尻尾に灯る炎の明かりで玄関の中は闇が入ってこれない。だからずっと彼女は玄関の外にいたわけだ。
やはり闇の中では強くても、それ以外の場所では致命的に弱い。
サードアイが素早く彼女の情報を読み取っていく。
彼女の表層思考が頭に流れてきた。
相手の思考から素早くそこから有効な策を導き出さなければいけない。
「…食べないと約束してくれれば私が何か食事を出しますけど」
彼女が考えていたことはただ一つ。お腹が空いたって事だけだった。
食べようとか殺そうとかも考えていない…お腹すいたから奢ってくれって思考だ。
そう、ルーミアはただ欲望に生きていた。忠実かどうかはわからないけど少なくとも私が読み取った感情ではそうなっているのだった。
そう思えば、殺しにくるにしては攻撃の手を抜いているとしか思えない行動しかしていない。
お腹すいたって事しか考えてないとは……偶然見つけた家の主人を脅して食べ物を根こそぎもらっていくとでも考えていたのでしょうか。
妖怪だと知っていて訪ねてきたようですし。
ちょうど大人の女性のような背格好に子供っぽい笑みを貼り付けていた。大人なんだか子供なんだか分からない。
「あら?心を読んだのかしら?流石、覚妖怪。でもその力は嫉みの元になるわよ」
「そう言う貴女は嫌っているようには見えませんけれど」
そんな私とルーミアのやり取りを、猫又はじっと見つめていた。
「さとり、知り合いなのかい?」
「いえ、初対面です」
「初対面だよー」
確かに初対面同士の会話かと言われると少し疑問符が付きそうなものでしたね。でもどこかルーミアとはそう言う話が出来そうな、仲良くなれそうな気がした。
「ええ……つまり押しかけ強盗ってやつかい」
「別に?私は本能のまま生きるのだー」
「ああそうですかい。しかし腹が減ったからと見境なく襲うのはなんと野蛮な」
動物の猫又にそう言われてしまうとルーミアも少し機嫌を悪くしていた。
「まあ…感じ方は人それぞれなのだー。で、なにを作ってくれるのかだー?人間の丸焼き?」
人間の丸焼きって物騒すぎませんかね…普通なのでしょうか?
まあ妖怪みたいに生でその場で食い散らかすより文明的ではあるか。
「まあ…美味しいものです」
普通の料理を出せばなんとかなるでしょうか。今は人間を襲わなくても良いみたいですし。
「って言うか最初から食べ物をくださいって言ってくださいよ」
「だって言っても断られそうだから…って普通聞いても断られるのだー」
聞けばルーミアと言う妖怪はそこまで悪い性格でも無い。ただ話していてたまによく分からなくなる。彼女の本質まではわからないが私は別にそれでいい。
全てを分かるなんて出来ないしそれが出来てしまったら私は私を信じることが出来なくなる。
「だからっていきなり食べていいかを聞かれても誰も良いよって言いませんよ」
「だってそっちの方が面白いし恐怖が駆り立てられて美味しくなるんだもの」
「人間は食べたことないのでわかりません」
「あら、意外とウブなのね。美味しいのに」
それには猫又も同意していた。
そういうものなんですかね…人間を食べるのって。
私は一生食べたくないです。偶に読む思考と記憶だけで十分です。
さっきルーミアに美味しいものって言ったのはいいのだが…ちょっと自信がなくなって来た。
私が料理をするのはかなり久しぶり……と言うより覚妖怪であるが故に食事という行為を必要としない。人である感覚を忘れないために食事や料理はしているけれどこの時期は食料の確保が難しいからお休み中だった。
料理を考えながら、妖怪になりたての獣の肉を用意してみた。
1日ほど酒に漬けていたからそろそろ柔らかくなっているだろう。
どこまでいけるかわからないが、出来るだけ美味しいく料理しましょうか。
結局、私が懸念していた美味しくないって言われる事は杞憂に終わった。
どうやらこの時代の味覚は私が思っていたよりも疎いようです。
まあ…私の味覚は前世記憶のものがそのまま使われているようなものだから仕方ないのかもしれない。
一通り満足したルーミアは、子供のようにそのまま寝入ってしまった。
食事どころか人の家で寝るなんて随分と大胆、と言うか警戒心がないというか。