なり損ねた雷   作:白鳴

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前話を修正している。了承の方のみ、先を読まれたし。


白裂きて、檻破る

白いままだった。

 

五体いるはずだった結晶の御子は、一体を玄弥が喰い潰し、もう一体は片腕のないまま不格好に立ち尽くしている。

それでもなお、三体。

そして寒烈の白姫は、広間の奥で変わらず場の中心に立っていた。

 

足りている。

童磨の側からすれば、それで十分だった。

 

花弁はもう舞っていない。

舞う段階を終えて、空気の中に溜まっている。白い粒が広間の高さそのものを削り、息の通り道だけを細くする。畳に咲いた氷の華は、踏むたび粉を散らし、その粉がまた肺へ沈む。

 

白姫が冷気を吐く。

御子が別々の角度から噛みつく。

本体はその奥で笑ったまま、全部が噛み合う瞬間だけを待っている。

 

しのぶは壁際へ退かされていた。

右腕はない。左手で刀を支えているが、もう前へ出るための呼吸ではない。浅く、細く、まだ途切れていないだけの呼吸だった。

 

カナヲはその前に立つ。

立ってはいるが、守り切れているわけではない。御子の一体を捌けば、別の一体が視界の端へ入る。白姫の吐く息が、彼女の踏み込みの距離を半歩ずつ削っていく。

 

伊之助は天井と壁と床を繋ぐように走っていた。

いつもの滅茶苦茶な動きではない。滅茶苦茶に動かなければ死ぬから、そうしているだけだ。獣の勘で濃い白を避け、薄い白を踏み、御子の爪を紙一重で外し続けている。

 

実弥だけが、真正面にいた。

白姫を裂き、御子を砕き、本体へ届くはずの一拍を何度も潰されながら、それでも前へ出ようとしている。

だが、届かない。

痣が出る前の身体では、まだ一歩ぶん足りなかった。

 

玄弥は、その全部を畳の上から見ていた。

 

上半身と下半身は、カナヲが位置だけを合わせている。

くっついたわけではない。繋がっているわけでもない。

ただ、まだ切れ切っていないものが、切れ切ってしまわないように戻されているだけだ。

 

それでも、終わっていなかった。

 

喰った核が、腹の底でまだ冷えている。

綺麗な氷ではない。童磨の氷のように透き通りもしない。血に濁り、肉に削られ、骨に引っかかりながら、雑なまま残っている。

 

その冷えが、今度は外へ出たがっていた。

 

童磨の扇が返る。

返ったはずの白が、ほんの一拍だけ揃わない。

御子の一体が腕を振り下ろす、その拍がわずかに遅れる。白姫の足元を巡る冷気の筋に、細い濁りが混じっていた。

 

毒だと、童磨はもう分かっていた。

崩されてはいない。

だが、崩れ始める順番だけは、確かに自分の内側へ置かれている。

 

「あれ」

 

笑ったまま、童磨が小さく首を傾げる。

 

「やっぱり嫌だなあ」

 

その一言のあとで、玄弥の喉が鳴った。

 

玄弥の血が畳の霜を黒く濁らせる。

ただ流れているのではない。血を種にしたみたいに、黒い筋が氷の下を這い、白姫の足元と残った御子の核へ食い込んでいく。

 

しのぶが、それを見る。

 

「……そうですか」

 

声は掠れていた。

けれど、その目だけはまだ戦場を見失っていない。

 

「そこまで残せましたか」

 

玄弥の口元から血が溢れる。

その血に混じって、黒く濁った氷礫が一発、御子の胸へ撃ち出された。

 

乾いた破裂音。

 

白い核が、そこで黒く割れる。

 

血鬼術・喰晶礫《けっきじゅつ・じゅしょうれき》。

 

美しく咲かせることはできない。

綺麗に揃えることもできない。

だが、咲くはずだった場所を壊すことだけはできる。

 

御子の一体が内側から崩れる。

そこで初めて、白い檻の均衡がわずかに傾いた。

 

童磨の笑みが、ほんの少し薄くなる。

 

「へえ」

 

扇の向こうで、目だけが細くなる。

 

「君みたいに食い意地の悪い子、僕は初めて見たよ」

 

軽い。

軽いままの声なのに、そこへ混じった不快だけが妙にはっきりしていた。

 

しのぶはその濁りを逃がさない。

 

「カナヲ」

 

「はい」

 

「白が揃っていません。そこを通しなさい」

 

カナヲは頷かない。

頷く代わりに半歩だけ沈み、白い吐息の切れ目へ身体を滑らせる。

 

花の呼吸、肆ノ型 紅花衣。

 

翻る刃が、白姫の視線を外から裂いた。

完全には届かない。だが右足元の冷気の筋が、わずかに外へ逃げる。

 

「乱れています、師範!」

 

声は小さい。

けれど、その一声で実弥の踏み込みがさらに深くなる。

 

白姫が冷気を吐く。

その正面の圧だけで、肺の奥が縮む。

さらに残った御子たちが左右から角度をずらして噛みついてくる。

本体へ届くはずの一拍が、そのたびに削られる。

 

実弥は止まらない。

止まれない。

 

退けば、白い檻が閉じる。

退けば、玄弥はそこで終わる。

退けば、しのぶの毒も、カナヲの線も、全部押し潰される。

 

だから実弥は退かなかった。

 

冷気が肺へ入る。

足場が凍る。

白姫の吐く息が視界を奪い、御子たちが刃の角度を一つずつ狂わせる。

 

それでも、退かない。

 

ここで折れるくらいなら、最初から来ていない。

 

「伊之助さん、上です」

 

カナヲが低く言う。

意味を聞き返さず、伊之助は天井を蹴った。

 

「獣の呼吸、思いつきの技! 刀投げッ!! 虹色目ん玉、思い知ったかァ!!」

 

片方の刀が、回転しながら白姫の顔面へ飛ぶ。

狙いは正確ではない。

だが、正確である必要もなかった。白姫の視線を一瞬で歪ませ、冷気の流れを乱せばそれでいい。

 

氷の額へ刀が突き刺さる。

白い破片が散る。

そこへ伊之助本人が逆さまに降り、残った刀で肩口を深く抉った。

 

綺麗に砕くのではない。

砕け方を汚すための一撃だった。

 

その断面の奥へ、玄弥の礫が入る。

 

二発。

三発。

 

黒く濁った氷弾が、白姫の内部を雑に穿つ。

冷気の巡りが一拍ずれる。

花弁の密度が揃わない。

御子の一体が、それにつられてほんのわずかに首を振る。

 

「兄貴ッ! 開くぞ!」

 

玄弥の声は血に濁っていた。

だが、その叫びだけは真っ直ぐ届く。

 

実弥の眼が細まる。

 

「開いたな」

 

吐く息は荒い。

肺も焼けている。

それでも一歩だけ、前が見えた。

 

「なら斬るだけだ」

 

風の呼吸、玖ノ型 韋駄天台風。

 

白い花弁を前提ごと裂く踏み込みだった。

だが、まだ本体までは届かない。届く寸前で、残った御子が刃の角度を噛み潰す。

 

カナヲがそこへさらに線を重ねる。

 

花の呼吸、弐ノ型 御影梅。

 

細い突きが御子の腕の付け根へ通り、実弥の前に出ようとした爪を半拍だけ止める。

 

しのぶの声が落ちる。

 

「喉の右です」

 

短い。

けれど十分だった。

 

カナヲが外へ回る。

伊之助が内へ噛みつく。

玄弥の礫がその継ぎ目を撃ち抜く。

 

四人の崩しが、ようやく一つの隙へ重なった。

 

白姫の冷気を真正面から裂いても、まだ足りない。

御子を砕いても、また本体の一拍が先へ逃げる。

 

押しているはずなのに、押し切れない。

 

その苛立ちごと、実弥は前へ捩じ込んだ。

 

負けない。

ここで負けるくらいなら、斬られる方がましだった。

 

その時だった。

 

実弥の頬からこめかみへかけて、焼けるような線が走る。

痣。

 

熱ではない。

負けないと決めた身体が、理屈を追い越しただけだった。

 

視界が冴える。

白い檻の濃淡が分かる。

白姫の吐く息の流れ。

御子の拍。

童磨本体の、たった一拍遅れた重さ。

 

童磨の眉が、そこで初めて明確に寄った。

 

「……へえ」

 

今度は面白そうですらない。

 

「それは、ちょっと困るなあ」

 

さらに、笑う。

 

「君たち、そんなに同じ方を向けるんだねぇ、弱いから」

 

軽口だった。

だが、その軽口の奥にあるのは余裕ではない。自分の側に最後までなかったものを、見ないふりして踏みにじろうとする声音だった。

 

実弥が牙を見せる。

 

「知るかよ」

 

風の呼吸、陸ノ型 黒風烟嵐。

 

広間を埋めた白へ、黒い風みたいな乱撃が叩き込まれる。

残った御子が砕ける。

床の霜が吹き飛ぶ。

白姫の肩口の断面へ、玄弥の礫が最後の一発として撃ち込まれる。

 

黒い罅が、白姫の胸まで走った。

 

伊之助がその罅へ飛び込む。

 

「まだ残ってんじゃねェ!!」

 

獣の呼吸、伍ノ牙 狂い裂き。

 

二刀が罅を無理やり広げる。

白姫の巨体が傾ぐ。

そこへカナヲが、今度は外さない。

 

花の呼吸、弐ノ型 御影梅。

 

細い。

深い。

童磨の喉の右へ、毒と傷の通り道が一本増える。

 

しのぶの毒が、その一拍の遅れを逃がさない。

 

童磨の扇が返る。

返る、その動きがもう揃わない。

白姫の冷気も、御子の拍も、全部が半歩ずつずれていく。

 

盤面が、初めて人間側へ傾いた。

 

実弥が踏み込む。

 

風の呼吸、捌ノ型 初烈風斬り。

 

首筋へ、深く。

 

童磨が扇で受ける。

受けた、その角度をカナヲが外から裂く。

伊之助の刃が扇の外縁へ噛みつき、力任せに受けの向きをずらす。

玄弥の礫がその継ぎ目へ撃ち込まれ、白い氷の芯を黒く濁らせる。

 

しのぶの毒が、その一拍の遅れを逃がさない。

 

童磨の首が、ほんのわずか遅れる。

 

その遅れへ、実弥の二撃目が入った。

 

風の呼吸、壱ノ型 塵旋風・削ぎ。

 

頸が、飛ぶ。

 

白い広間に、赤が噴いた。

飛んだ首が畳を転がり、白姫の冷気も、残った御子の笑みも、そこでようやく揃わなくなる。

身体が数歩進み、それきり止まった。

 

静かだった。

静かすぎて、血の落ちる音まで聞こえそうだった。

 

童磨の首が、横倒しのまま笑う。

 

「へえ」

 

声がかすれる。

それでもまだ、笑おうとはしていた。

 

しのぶは座り込んだまま、その首を見る。

カナヲがその前に膝をつく。

伊之助は肩で息をしながら、なお牙を剥いたままだ。

実弥は風を纏ったまま立ち、視線だけを落としている。

玄弥の血は、畳の白をまだ黒く濁らせていた。

 

童磨の眼が、一人ずつをなぞる。

 

誰か一人ではなかった。

誰か一人の強さでここまで来たのでもない。

削れた者が残し、別の者が継ぎ、また別の者がこじ開け、最後に噛み合った。

 

それが、ひどく気に障った。

 

胸の奥がざらつく。

不快に近い。

けれど、それだけでもない。

自分には最後まで揃えられなかったものが、目の前では傷だらけのまま噛み合っている。

そのことが、うまく名前のつかないまま醜く引っかいた。

 

「ほんとに……」

 

童磨が、ようやく笑みを薄くする。

 

「みんなして、同じ方を向けるんだね」

 

軽い言い方だった。

けれど、その軽さの奥に、今までなかったざらつきが混じる。

 

「そういうの、ずるいなあ」

 

誰に向けたのでもない。

ただ、自分の外側にしかなかったものを見た者の、いちばん醜い吐き捨て方だった。

 

実弥が吐き捨てる。

 

「てめぇには一生わかんねぇよ」

 

童磨の眼が、ほんの少しだけ細くなる。

怒りではない。

それに近い何かへ触れかけて、結局そこまで届かなかった顔だった。

 

「あはは」

 

乾いた笑いが、ひとつだけ漏れる。

 

「やだなあ」

 

その声はもう、最初みたいに軽くない。

 

「最後まで、綺麗に揃わなかった」

 

そこまで言って、童磨の顔が崩れ始める。

白い花弁が、逆に本人の方からほどけていく。広間に満ちていた冷気が少しずつ痩せる。

白い檻が、ようやく消えていく。

 

しのぶが目を閉じる前に、カナヲへ短く言う。

 

「次を」

 

カナヲは頷く。

 

伊之助がまだ荒い息のまま、消えゆく童磨を睨み続ける。

実弥は何も言わない。

ただ、玄弥の方を見た。

 

玄弥の身体はまだ完全には終わっていない。

血に濁り、氷に侵され、けれどまだそこにある。

兄の視線だけが、その残り火を確かめるみたいに落ちた。

 

 

 

その時、遠く、もっと深い場所で、別の気配が立ち上がった。

 

雷ではない。

もっと静かで、もっと重いもの。

 

善逸だった。

 

そして、その前に立つのは――

 

黒死牟。

 

白い広間の残り香だけが、遅れて消えた。

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