なり損ねた雷   作:白鳴

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約束、包まれたまま

夜中の緊急招集で隠に運ばれてきたお館様の屋敷は厳かな雰囲気が漂っていた。

善逸は耳が良いので、耳栓も強要された。しかし、その時の善逸は楽だなと思っていた。

何も聞こえてこないから、思考に余白が生まれたのだ。それが最後の平穏な時間だった。

 

一室に通され、案内される。

 

その途中の廊下の板が、足裏の下で小さく鳴った。

鳴ったのは板だけだ。善逸の喉は動かない。

 

産屋敷邸は、藤の家と匂いが違う。

甘さがない。薬草の苦みが先に来る。古い木の乾き。畳に染みた薬液の匂い。吸うたび、息が一段重くなる。

 

案内の隠が襖の前で止まり、頭を下げた。

 

「こちらです」

 

善逸は頷いた。声は出さない。

胸元の布包みが歩調に合わせて硬く当たり、指が勝手に結び目を確かめる。指先が汗ばんでいるのが分かる。

 

襖が引かれ、灯りが落ちた部屋が開いた。

 

更に空気が変わった。漏れ出てこなかった濃密な雰囲気が善逸の感覚器官を襲う。

視線が揃う。言葉より先に、揃う。

 

悲鳴嶼行冥の数珠が、膝の上で光を吸っている。

胡蝶しのぶは口元だけで笑い、目は善逸の胸元から外れない。

不死川実弥は座っているのに、膝が前へ出ている。

 

ほかの気配もいた。端で、沈黙が形を取っている。

 

奥、簾の向こうに人影が二つ。

ひとつは小さく、息が聞こえない。

もうひとつが前に出て、声を落とした。

 

産屋敷あまねだった。

 

「我妻さん。来てくださって、ありがとうございます」

 

“さん”。

舌が乾く。喉がきゅっと縮む。

 

善逸は間口に近いところへ膝をついた。部屋の真ん中へ寄らない。

寄ったら、胸元のものが先に差し出す事になりそうだった。

 

あまねの視線が、布包みに触れて、戻る。

 

「刀鍛冶の里の報せは受けています。禰豆子さんのことも」

 

善逸は頷く。目は伏せない。伏せると、入ってくる。

 

短い間が置かれた。

その間に、誰も息を大きくしない。

 

「そして……上弦に関するものを、持っていると」

 

しのぶが、笑みの形のまま言った。

 

「急ぐ理由は簡単です。時間が経つほど、痕が薄くなる

当然、研究に使える時間も少なくなっていきますから」

 

余計な説明をしない。言い切りだけが落ちる。

実弥が鼻で笑った。

 

「だよなァ、なら出せ。隊のもんだろ」

 

蜜璃が、実弥の名を小さく呼んだ。止めるというより、衝突を避ける息づかい。

伊黒が視線だけで善逸を測って言った。

 

「情はあとだ。順番を間違えるな」

 

義勇が一言。

 

「必要だ」

 

それきり。

善逸の指が結び目に触れ、止まる。爪の先が布の繊維を引っかけて、すぐ離れる。

 

悲鳴嶼は黙ったまま、ただそこにいる。

数珠も鳴らない。鳴らないほうが重い。

 

あまねが問いを置いた。

 

「我妻さん。布包みの中身を、見せていただけますか」

 

善逸は息を吸う。

喉がひりつく。唾が引っかかって落ちない。

 

「……開けたくない」

 

声が擦れた。自分の声に、自分が遅れて驚く。

 

「遺品なんだ。俺の……」

 

最後が詰まる。

“俺の”と言った瞬間、胃の奥が熱くなる。獪岳のものなのに。

 

実弥が舌打ちした。

 

「遺品? それが上弦の証拠なら、抱えてる場合かよ」

 

蜜璃が身を乗りかけ、動きを途中で止めた。手が宙で迷い、膝へ戻る。

しのぶは否定しない。その代わり、温度のない提案を差し込んだ。

 

「開けなくていいです。包みのままでも構いません。一先ず所有権を移して貰えますか」

 

“一先ず”が、刃みたいに細い。

 

伊黒が淡々と言う。

 

「なら封じたまま渡せ」

 

善逸の腹が一瞬だけ緩み、すぐ冷える。

渡す。遺品を。所有権を手放す。

言葉が違うだけで、同じ穴に落ちる気がした。

 

あまねが簾へ視線を流す。

簾の奥は動かない。動かないのに、見られている。弱々しい呼吸音にはそんな気配があった。

 

あまねの声が静かに続く。

 

「上弦に触れるものは、それだけ鬼舞辻に近い。扱いを誤れば、被害が広がります」

 

善逸の指が結び目を押さえる。押さえた布が、わずかに食い込む。

 

「あなたが遺品として抱えていることは、理解します」

 

“理解”が優しい形で、逃げ道を塞ぐ。

 

「同時に、私たちは鬼殺隊です。必要なものは集めなければならない」

 

善逸は言葉を探し、見つからないまま吐いた。

 

「……待ってほしい」

 

伊黒の目が細くなる。

 

「待つ理由は」

 

善逸は答えられない。

答えたら弱さの言い訳になる。言い訳にしたくない。弱さは弱さだ。

 

その沈黙を、あまねが拾った。

 

「封を解く場所と手順を整えます。安全の確認が取れるまで、開けません」

 

しのぶが頷く。表情は崩れない。

 

「私が預かります。……外に協力してくださる方もいらっしゃいます。手順はこちらで組みます」

 

しのぶは敢えて協力者の名は出さない。出さないことで、余計に怖い。

 

実弥が眉を寄せる。

 

「結局、先延ばしだろ」

 

義勇が実弥を見る。

見るだけで止まる。実弥の口が唾を飛ばす。

 

「嗚呼!?何見てんだ、富岡ァ!」

 

部屋の空気が一段騒がしくなる。

しかし、それも次の水柱の一言で静まった。

 

「……俺も、似たことをした」

 

いつもは端的に毒を吐く富岡らしくない発言に、不死川の気勢も削がれる。

そんな間を見逃さずに、蜜璃が小さく言った。

 

「我妻くん。今は……開けなくていい」

 

“今は”が、期限みたいに耳に残る。

善逸の奥歯が噛み合い、ほどけない。

 

そのとき、悲鳴嶼の数珠が一度だけ鳴った。

意図して鳴らした音ではない。手が動いただけで鳴った音だ。

それでも、善逸の背が勝手に伸びた。

 

あまねが決める。

 

「では、こうしましょう。我妻さんは布包みを開けないまま、胡蝶さんへ預けてください」

 

預ける。

渡すより柔らかい言葉が、逆に喉に引っかかる。

 

「封を切るのは手順が整ってから。安全の確認が取れてからです」

 

しのぶが短く返す。

 

「承知しました」

 

伊黒が一言だけ落とす。

 

「遅れるな」

 

実弥は舌打ちを飲み込み、息で吐き切った。

 

善逸は動けない。

結び目はほどかない。ほどかないままでも、手を伸ばさなければならない。

 

しのぶが手を差し出す。掌を上にして。奪う形ではない。

待つ形だ。待たれるほうが、逃げ道がない。

 

善逸の指が結び目に触れて止まる。

指先の汗が布に残る。

ほどかない。ほどかないまま、布包みを抱え直し、しのぶの掌へそっと乗せた。

 

音はしなかった。

 

しのぶは受け取っても、すぐ懐へ入れない。

両手で包むように持つ。目は中身へ落とさない。今は。

 

「預かります」

 

それから一拍置いて、善逸を見る。

 

「封を開ける時は……必ず、善逸くんに伝えます」

 

蜜璃の息が止まり、次の呼吸が遅れる。

実弥は目を逸らし、伊黒の視線が一瞬だけ鋭くなる。

義勇は何も言わない。ただ善逸の肩の落ち方だけを見ていた。

悲鳴嶼の数珠が、鳴らないまま揺れる。

 

善逸は頷く。言葉は出ない。

頷いた瞬間、胸の奥が少し冷える。約束なのに。

 

簾の奥で、簾だけがわずかに擦れた。

咳はない。声もない。

それでも、そこに“目”がある。

 

あまねが静かに言う。

 

「我妻隊士。あなたの意図も痛みも、隊は受け取ります」

 

善逸はまた頷く。

受け取る、という言葉が、布包みと同じ形で耳に残る。

 

伊黒が声を上げる。畳がそれに従ってギシリと沈む音がした。

 

「各員、準備を。無惨は動く」

 

伊黒にしては珍しいハッキリとした発言で、空気が硬くなる。

個人の夜が、ここでいったん切られる。

 

悲鳴嶼が眉を顰め、動きが伝わった数珠がまた鳴る。鳴らしたのではない。

それだけ焦っているという事だ。

 

「では、善逸隊士は退出を、以後は柱同士の会合となります」

 

あまねの発言を受けても、善逸は立ち上がるのが遅れたが誰も責めない。

それが隊の厳しさでもあり、優しさでもあった。

 

「はっ、はい…」

 

廊下に出たとき、肩に小さな重みが降りた。

チュン太郎だった。羽が一度だけ震える。鳴かない。

 

善逸は胸元に手が行きかけて、宙で止まる。

結び目も包みの重みもない。

 

指が、宙を掴んだ。

 

 

___________________________

 

 

 

善逸が廊下の角を曲がって消えるまで、部屋の空気はまだ“人間の夜”の形をしていた。

 

襖が閉まる音がして、その形がほどける。

ほどけたものの隙間へ、柱たちの呼吸が入ってくる。畳が沈む。羽織が擦れる。刀の鍔が、かすかに鳴る。

 

蜜璃は膝の上で指を組み直した。指先が白い。

笑顔を作ろうとして、作れなかった。

 

「……行っちゃったね」

 

言葉が軽くならない。軽くしたくない。

 

時透は、目を伏せたまま言った。

 

「行くしかないから」

 

責めても慰めてもいない。事実だけ。

 

実弥が舌の上で何かを転がし、飲み込む。

 

「で。次は何だ。遊びの時間じゃねぇ」

 

伊黒が、畳の目を見ながら言う。

 

「“次”は最初から決まってる。遅れるな」

 

しのぶは口元だけを上げた。上げても目は笑わない。

 

「遅れないように、底を上げる。……柱稽古、ですね」

 

その言葉が出た瞬間、部屋が“隊”になる。

個人の喪失が、議題に押し込まれる。

 

簾の向こうで、あまねの声が落ち着いて響いた。

 

「はい。柱稽古を始めます」

 

誰の名前も呼ばない。だから全員が自分のこととして聞く。

 

「無惨は動きます。鬼舞辻に近い情報も、毒も、剣も……すべて“間に合う形”に揃えなくてはなりません。柱だけでは足りません。隊全体を、底から引き上げます」

 

言葉がやさしいのに、内容は切り落とす。

 

蜜璃が小さく息を吸って、言った。

 

「その……私と時透くん、刀鍛冶の里で……“痣”が出たんだよね」

 

部屋の視線が、蜜璃へ向く。

視線の重さに、蜜璃は笑顔を作りかけてやめた。笑う話じゃない。

 

時透が続ける。

 

「出た。二人とも」

 

短い。けれど、その短さが怖さを連れてくる。

 

しのぶが目を細める。

 

「条件を共有してもらえる? 再現性が要るわ」

 

蜜璃は頷いた。頷きが、ほんの少し震える。

 

「うん。私たちも、最初は分からなかったの。気づいたら出てた。……でも、後から分かったことがあるって」

 

時透が言葉を継ぐ。

言い方は平坦で、内容だけが熱い。

 

「身体が限界に近い時に出る。心拍が二百くらいまで上がって、体温が三十九度前後。——そこまで追い込んだ時」

 

一瞬、誰かが息を止めた。

その数字は、訓練の話ではない。死の話に近い。

 

蜜璃が慌てて補う。

 

「だからって、むやみに真似しちゃダメだよ。ほんとに危ないの。私も、時透くんも……あの時は生きるか死ぬかで、たまたま——」

 

「たまたまじゃない」

 

時透が、蜜璃を否定したのではなく、言葉の逃げ道を塞いだ。

 

「必要な条件。やるなら、手順が要る。死なない範囲で、限界に近づける」

 

伊黒が小さく鼻で笑う。笑いではない。

 

「手順。……結局そこへ戻る」

 

実弥が腕を組み直す。

 

「で、痣が出ると何が変わる」

 

蜜璃は答える。声に、ほんの少しだけ誇りが混じる。誇りがあることが救いでもある。

 

「速さも、力も、反応も……別ものになる。身体が軽くなるの。怖いくらい」

 

しのぶが扇子の先で畳を一度だけ叩く。音は小さい。

 

「“怖いくらい”を、怖いまま使わないこと。柱稽古はそこまで含めて設計する必要があるわね」

 

あまねの声が落ちた。

 

「もう一つ。痣は“連鎖”する可能性があります」

 

蜜璃が目を上げる。

 

「……炭治郎くん、だよね」

 

時透が頷く。

 

「最初に出したのは竈門。あの戦いが、引き金になってる。近くで戦った人間にも影響がある」

 

“影響”という言葉が、善逸の消えた廊下を思わせる。

音が逃げないように、人も逃げない。逃げないものが、伝播する。

 

あまねは続けた。

 

「柱稽古は“痣の再現”が目的ではありません。生き残る確率を上げるための底上げです。痣はその先にあるもの。狙って取るものではなく、取ってしまった時に壊れない準備をする」

 

蜜璃が、唇を噛む。

 

「……壊れない準備」

 

時透は淡々と答える。

 

「壊れる人間は出る」

 

言葉が冷たい。冷たいまま、嘘がない。

 

しのぶが笑った。唇だけで。

 

「だから、私たちが手順を作る。壊れそうな人から、先に」

 

その“先に”が、さっき廊下へ消えた背中を、誰も言わずに刺した。

 

義勇が、初めて口を開いた。

 

「……炭治郎は」

 

あまねが答える。

 

「稽古に参加します。彼には柱稽古全体の中心に立ってもらいます」

 

蜜璃が小さく頷く。

時透はもう視線を落としている。決めたことは、もう決まった。

 

伊黒が言う。

 

「各柱、受け持ちを決めろ。迷うな」

 

実弥が立ち上がる。畳が沈む音が一つ。

 

「よし。やるだけだ」

 

しのぶが立つ。羽織が、軽く鳴る。

 

「ええ。私も準備があります。研究と、毒と、それから——情報の共有も」

 

その言い方が、さっき善逸にした約束と繋がっている。

封を切る時は伝える。伝えるために、柱稽古の外側で動く。

 

蜜璃が立つ。笑顔はまだ戻らない。戻らなくていい、と自分に言い聞かせるように頷いた。

 

「私もできること全部やる。……みんなが、生きて朝を迎えられるように」

 

時透が最後に言った。

 

「朝は来る。来る前に、強くなろう」

 

部屋の灯りが揺れた。蝋の油の匂いが一瞬だけ濃くなる。

柱稽古の導入は、祈りじゃない。命令でもない。

ただ、間に合わせるための手順だった。

 

 

 

 

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