「今回調査する建物で殺害された人は計八名。男女関係なく、また、被害者は肝試しに来ていた大学生グループです。呪霊か呪詛師と断定した理由は残穢が残っていたからです。以上、質問はありますか?」
東京校の補助監督、伊地知が運転する車で今回の任務の説明を虎杖へする。
「うん、今は大丈夫かな。現場を見て帳の種類を相談したい」
虎杖の言葉に伊地知の眉がピクリと動く。
伊地知は虎杖の事を『野良で活動していた業界の事を全く知らない特級呪術師』と説明を受けている。
だから帳を降ろすのが伊地知などの補助監督の役目である事を知るわけがない。
もちろん五条や夜蛾から聞いた可能性もあるが、業界の事を全く知らないのに帳の種類まで明言できるのは少し違和感があるのだ。
しかし伊地知はそのまま流す。
空気は読めるからだ。
踏み込んではいけない。本能的にそう悟った。
「ここか……」
現場に到着し、車を出て建物を見る虎杖。
建物は雑居ビルのようだが、周囲に建物は一切ない。
建物は丘のような場所に立っていて、木々や花々に囲まれている。
しかし、風景は美しくても建物自体に美しさの欠片もない。
ボロボロでヒビだらけ。
「伊地知さん、帳をお願い。通常の帳で大丈夫。けど伊地知さんは帳の外に居てね。少し危ないかも」
虎杖の言葉の意味を反芻する伊地知だったが、すぐに首を振る。
「申し訳ありませんが、上から君の事を見ておくように言われているので帳の外だと様子を見ることが出来ないから、中にいます。それに大丈夫です、こう見えても三級程度なら祓えます」
伊地知は頼りない力こぶをパンと叩き、自信満々に言う。
しかし虎杖はため息を吐き、考える。
「そういう事じゃないんだけどなぁ……。まぁ出来るだけ伊地知さんに攻撃が行かないようにはするから、しっかり隠れててね」
伊地知は「分かりました」と頷き、帳を降ろす作業に入った。
「闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」
伊地知の呪詞によって帳が降りた。
任務開始。
虎杖は一歩ずつ建物に近づく。
虎杖は既に分かっていた。
この建物が領域である事を。
但し、不完全な領域。
「伊地知さん、絶対に建物に入らないように」
それだけ言うと虎杖は建物に入った。
虎杖が建物に半歩踏み込んだ瞬間に伊地知の目には虎杖が”消えた”。
「キキキー!」
未完成領域である建物に入った虎杖の前に真っ黒な呪霊が現れた。
その呪霊は十本の指全ての爪が異様に伸びていて、全身には白い紋様が幾つもある。
紋様は一文字であったり十字であったり様々。共通点は見られない。
「心霊に対する恐れと好奇心から生まれた呪霊か。半特級ってところかな」
虎杖はブツブツとそう分析すると、「さっさと終わらせて釘崎に会わなきゃな」と呟き、掌印を結ぶ。
「領域展開――血戦廻廊」
刹那、周囲の景色が変わる。
コンクリートの床、天井、壁だったのが虎杖の領域に塗りつぶされ、地面には真っ赤な液体で埋め尽くされ、真っ赤な液体で出来た柱が無数に立つ。
そして空には真っ赤な雲が浮かび、地平線には何も見えない。
呪霊は周囲を慌ただしく見て困惑する。
「半特級だからか知能が低いのか」
虎杖の領域に引きずり込まれた事を理解していないのだ。
ただ周囲の景色が変わって謎の空間に居るという認識しかないのだ。
虎杖はポケットから手を出し、人差し指と中指で剣指を作り、無造作に呪霊へ向け、様々な方向へ向ける。
すると血の海から穿血、血刃、苅祓が無数に現れ、呪霊に突き刺さる。
「ギャエェェェ!」
呪霊は悶絶し、叫ぶ。
膝をつき、吐血する。
その吐血は止まらず、未だに吐き続けている。
「お前、呪霊だよな? 受肉体ではないのに何で毒されてるんだ? まさか呪霊にも毒が効くのか? いや、もしかして領域の副次効果?」
虎杖は目の前で苦しむ呪霊を見て再びブツブツと分析を始める。
「ギエェェェェ!」
叫ぶ呪霊を虎杖は哀れそうに見下ろす。
「悪い、もう終わらせるよ」
再び虎杖の剣指が呪霊に向き、宙を斬る。
そして呪霊は真っ二つとなり、霧散する。
呪霊の消失反応を確認し、領域を解除する虎杖。
領域を解除した虎杖は先ほどまでいた建物ではなく、丘の上にそのまま立っていた。
「やっぱり領域だったか」
呟く虎杖に伊地知が駆け寄る。
「何が!?」
伊地知は焦った表情で虎杖と先ほどまで確かにあった建物があった空間を見る。
虎杖は建物そのものが領域であったこと、半特級呪霊の事を伝え、高専に戻る事になった。
「そうか……。伊地知の説明ではやや分かりづらかったが、虎杖の説明でよく分かった。総監部め……」
高専に戻った虎杖は伊地知と別れ、予め伊地知から報告を受けていた夜蛾のもとへ向かった。
そして夜蛾へ任務の報告をすると、夜蛾の表情は憤怒と呆れが見えていた。
「明らかにあの建物が領域だって総監部は気づいていたと思う。伊地知さんは気づいていなかったみたいだけど、術師なら誰でも分かると思うから」
虎杖の言葉に同意するように頷く夜蛾。
「だろうな。まぁこれで虎杖の実力は証明された。未完成の領域だったとはいえ一分と経たず祓っちまったんだからな。取り敢えず休め。悟たちは午後に帰ってくる」
虎杖は夜蛾に別れを告げ、自分の部屋に向かう。
過去の自分はグラビアアイドルのポスターなどを壁に貼っていた。
しかし、今部屋に飾り気のある物は一切ない。
当然と言えば当然だ。
虎杖の実年齢は84歳であり、二十歳前後の見た目でも精神はとっくにおじいちゃんなのだ。
しかし、肉体が元気である分、精神も元気だ。
一時期は先立つ友などを見送り過ぎて心が疲れ、現在から目を逸らし、『自分は過去の人』という思いで一線を引いていた。
だが、後代の若い術師たちやシムリア人の思い、理念、意思を直で感じ、自分の考えが浅はかで間違っていたことを実感した。
自分の考えを改めた時何かが吹っ切れた。
ただ逃げてただけだったと気づき、目を背けず、生きている限り自分は世界の一人である。
それに気づけたことで虎杖の人生は再び歩みを始めたのだ。
だからと言って精神がおじいちゃんである事に変わりはない。
未だにパチンコは好きだし、女の子からキャーキャー言われるのは嬉しいが、やはり達観してしまう。
だから新たな趣味を見つけようと最近思っていたのだ。
その一つとしてネットサーフィン。
世界中の超常現象を調べて、都市伝説や言い伝えなどを探すのが楽しくなっているのだ。
自分の80年以上の知見を活かして考察したり逆に掲示板の若い人の意見を聞いて感心したり。
ネットでの会話も楽しいと思い始めていた。
「悠仁~、いる~?」
部屋のドアのノックと同時に五条の声が響く。
「今行く」
時計を見ると任務からの帰還から既に三時間が経っていた。
つい熱中しすぎたと自分を反省し、ドアを開ける。
「お疲れ、先生。釘崎は? 伏黒もいない」
ドアの前には五条だけだった。
「二人とも治療中だよー。野薔薇の実力と意志力を見ようと思ってそのまま任務に行ったんだけど、呪霊に子供を人質に取られて、負傷しちゃって、その呪霊を祓った恵も負傷しちゃったんだ。でも軽傷だから問題ないよ~」
治療中と聞いて焦った虎杖だったが、そのあとの五条の言葉を聞いて安心する。
「そっか。良かった。そうだ、先生と話さなきゃいけない事があるんだ」
ホッと胸をなでおろす虎杖だったが、すぐに五条へ視線を戻し、伝える。
「うん、僕も悠仁と話しておかないといけない事がある」
そして五条は虎杖の部屋に入る。
「伏黒の姉ちゃんを助けるには受肉と同時に俺が魂に干渉する術式で剥がすしかないと思うんだけど、先生の意見を聞きたいんだ」
事前に今後の事を話していた為、ある程度の事は知っている五条も同じことを話そうとしていたのだ。
五条は他にも方法があるかもしれないとして一旦この話は保留にしていた。
「あのあと色々調べたんだけど、今の時点で二つの呪いがかかってるんだよね?」
五条の問いに虎杖は頷いて肯定する。
「羂索の呪いと八十八橋の呪いの二つ」
虎杖の答えに数回頷く五条。
「羂索の呪いを先に解いてしまうと100%羂索が感知する。そうなると羂索側が警戒するし、当然調べられるだろう。だからまずは八十八橋の方を何とかしないとね。それで、羂索の呪いの方はまだそのままにしておこう。恵には申し訳ないけど羂索側に警戒心を抱かせない方がベストだ」
五条の言葉に理解をしていてもやや納得がいかない虎杖だったが、五条の言っている事はもっともだ。
だから渋々納得するしかない。
「よし、じゃあ次は少年刑務所の事だね」
事前に話していた少年刑務所での宿儺の指を喰らった特級呪霊。
その呪霊が刑務所で虐殺をしたこと。
そして虎杖の死亡。
これらも全て羂索側の策略だったが、今の虎杖には未来の情報と何より実力がある。
しかし――
「先生、俺と伏黒、釘崎の三人で行くよ」
虎杖の言葉に五条は笑みを浮かべる。
「悠仁の指導力、期待してるよ」
虎杖は五条と夜蛾に言っていた。
『自分だけが強くても意味がない。だから伏黒と釘崎も強くする』
と。
だから夜蛾は一年のまとめ役の教師に五条を選びつつも今後の事を考えて五条を任務や調査に回し、実質的な指導者に虎杖を選んだのだ。
五条の笑みに虎杖も僅かに笑みを浮かべる。