【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。 作:曇りのち晴れ男
「……先生より仲のいい友達、出来たから」
わざと目を逸らして、ぶっきらぼうに言ってやった。
公園から呼び出されてシャーレに来たけれど、結局やることは退屈な書類整理の雑用だった。手首に巻かれた真新しい包帯を無意識に撫でる。
どうせ手伝いなんて建前で、ただ私たちを涼しい部屋に呼びたいだけだ。私みたいな面倒な生徒に、どうしてこの大人はここまで世話を焼くのか。そのお人好しっぷりが居心地悪くて……だからこそ、ちょっと意地悪な衝動が湧いた。
私が『先生以外のヤツ』と仲良くしていると知ったら、少しは寂しそうな、焦ったような顔をするんじゃないか。
しかし、顔を上げた先生は、目を丸くした後──パッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「本当!? それは良かったね、ミサキ! 先生、すごく嬉しいよ!」
「……は?」
素っ頓狂な声が出た。
嬉しい? なんで?
「いや、ミサキにそんな仲のいい友達ができたなんて安心したよ。どんなことして遊んでるの?」
あまりに無防備で、底抜けに明るい笑顔。
「(なんで、こんなに嬉しそうなの……)」
私はもっとこう……焦ったり、引き留めようとしたりするのを期待していたのに。
「……ゲームの話。その人は、あなたなんかよりよっぽど私の話を聞いてくれるし、頼りになるから」
「へえ! どんなゲーム?」
「……普通のオンラインゲーム。一緒にパーティー組んでるの。昨日の夜中も、ずっと一緒に難しいクエスト手伝ってくれたし」
「そっかそっか! 昨日の夜中って……深夜二時くらいまで?」
「……ッ。なんで二時までって分かったのよ」
白々しい。昨晩、深夜二時まで私と一緒にクエストを回っていた『相棒』の正体は、他でもない目の前にいるこのお人好しな大人だ。プレイ中のチャットの癖や、たまにこぼす仕事の愚痴で、相手が先生だということはとうに気づいている。
もちろん、先生は私が『ミサキ』だとは夢にも思っていないだろう。だからこそ、顔の見えない私を相手に、真面目な相棒を演じてくれているのだ。
「え? いや、なんとなく……そんな気がして!」
ごまかすように笑う先生の顔は、どう見てもニヤケが止まらないといった感じだ。
腹が立つ。私が他のヤツと仲良くしてるって言ってるのに、なんでそんなに余裕なの。
「……その人、すごく強いの。私がピンチの時も、必ず助けてくれる。それに、あなたみたいに説教くさくないし」
「ふふっ、そっか。夜遅くまで付き合ってくれるなんて、本当にミサキのことが大切なんだね。そういう友達は一生モノだよ」
「……」
通じない。私の皮肉も、棘のある言葉も、すべてこの大人の笑顔に吸い込まれて無効化されてしまう。
背後で奇妙な音がして振り返ると、アツコが逆立ち歩きをしていた。
「ちょっとアツコ、何やってるの……」
「お散歩」
「お散歩……?」
完全に天地が逆転しているというのに、なぜかスカートの裾は重力に逆らってふわりと保たれたままだ。どういう原理なのか突っ込む気力も湧かない。
部屋の隅のテーブルでは、ヒヨリがショートケーキを頬張っている。
「うぅ……美味しいです……こんな高級なイチゴのケーキ……どうせ明日には隕石が落ちてきて私なんかがペシャンコに……」
「ヒヨリ、うるさい。食べてるなら黙ってな」
「ひぃっ!? す、すみませんミサキさん! 私がイチゴを先に食べちゃったから怒ってるんですよね……!」
「イチゴはどうでもいい」
テレビからは昼のニュースが垂れ流されている。
『──続いてのニュースです。ヴァルキューレ警察学校の発表によりますと、昨晩、第7区の工業地帯から大量の軍事用高火力爆薬が盗み出される事件が発生しました。犯行グループは──』
物騒な音声も、この異常に平和な空間ではただのBGMだ。私は再び先生を睨みつけた。
「……先生、顔がだらしないよ」
逆立ち歩きで机の横を通り過ぎたアツコが、逆さまの視界から先生を見上げてぽつりと呟いた。
「あ、ごめんごめん。いや、ミサキが楽しそうにしてるのが嬉しくてさ。アツコも危ないから気をつけてね」
「平気。でも血が上ってふわふわしてきたからやめる」
「……バカみたい」
どこまでもマイペースなアツコと、どこまでも余裕ぶった先生。
私だけが、行き場のない苛立ちを持て余しているみたいで、酷く惨めな気分になった。
ドンッ、と揃えかけた書類を机に叩きつける。
「もういい、私帰る」
「あ、ミサキ!? まだお菓子食べてないよ!?」
「いらない。空調代の無駄だから帰る」
足早にドアへ向かう私の背中に、間の抜けた声が追いかけてくる。
「気をつけて帰るんだよー! あと、あんまり夜更かししすぎちゃダメだからねー!」
「……チッ」
舌打ちをして、乱暴にドアを開ける。今日の夜、当てつけの如く愚痴ってやる。
『今日さ、すっごくムカつく大人がいてさ』。
チャット画面に入力する文面を頭の中で組み立てながら、私はポケットのスマホを強く握りしめた。冷たい廊下の空気が、熱を持った頬を冷やしていく。
こんなにも苛立っているのに、早くあの画面を開きたいと思っている自分がいる。あの存在だけが、今の私にとって唯一、息ができる場所だった。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
深夜二時。誰もいなくなったシャーレの執務室には、サーバーの駆動音と空調の微かな稼働音だけが静かに響いている。
私は一人、すっかり冷めてしまったコーヒーのマグカップを片手に、デスクの上の私用モニターを見つめていた。
画面には、最近すっかり日課になっているオンラインゲームの待機画面が映し出されている。
『……先生より仲のいい友達、出来たから』
昼間、ミサキが少しだけ顔を逸らしながら言い放った言葉を思い出し、私は誰もいない部屋で一人、静かに息を吐いた。
普通なら、面倒を見ている生徒からあんな風に突き放されれば、少しは寂しがったり心配したりする場面だったのかもしれない。だが、あの時の私の心境は、純粋な喜びに満ちていた。
アリウスの過酷な環境で育ち、常に虚無感と死の影を纏っている彼女。私に対する態度も、どこか「大人への警戒」や「施しを受けることへの負い目」が付きまとっていた。
『先生と生徒』『保護者と被保護者』。その立場がある限り、彼女は決して本当の意味で気を抜くことはできないのだろうと、ずっと歯痒く思っていたのだ。
だからこそ、彼女がそのしがらみを飛び越えて、対等に接することができる『ただの友達』を見つけてくれたことが、本当に嬉しかった。
顔も本名も知らないネット上の相手だとしても、彼女が誰かに気を許し、頼りにし、自分の時間を共有したいと思えるようになった。その事実が、彼女の心に生まれた確かな変化が、一人の大人として誇らしく、喜ばしかったのだ。
ただ一つ、致命的な問題があるとすれば。
その、彼女がようやく見つけた大切な『友達』の正体が、他でもない私自身だということだ。
「(……本当に、悪いことをしているよな……)」
マグカップをデスクに置き、私は画面の端に目をやった。
偶然マッチングし、成り行きでパーティーを組み、いつの間にか毎晩遅くまで一緒に遊ぶようになった『相棒』。それがミサキだと気づいた時、私は名乗り出るべきか迷った。
だが、もし「相棒の正体は先生だよ」と告げたら、彼女はどうするだろう。
間違いなく、せっかく見つけた安らぎの場所から逃げ出してしまうはずだ。再び心を閉ざし、今度こそ誰にも手の届かない深い虚無へと沈んでしまうかもしれない。
彼女がこの仮想空間で、ただの一人の少女として、くだらない愚痴をこぼしたり、負けず嫌いな一面を見せたりできる『逃げ場』。
それを守るためには、私は絶対に口を割るわけにはいかない。ただの「ゲーム仲間の友人」という仮面を被り、彼女を騙し続けなければならない。その罪悪感は、常に胸の奥に燻っていた。
『ピコンッ』
静寂に包まれた執務室に、軽快な通知音が響いた。画面の端に、見慣れたミサキのアバター名がポップアップする。
と、ほぼ同時に、ダイレクトチャットのウィンドウが勢いよく開いた。
【MISA:ねえ、いる?】
【MISA:今日、すっごくムカつく大人がいてさ。ちょっと聞いてくれる?】
ログイン直後の怒涛のメッセージに、私は思わず苦笑してしまった。ムカつく大人。間違いなく、昼間の私のことだろう。
シャーレを出た後もずっとその苛立ちを溜め込み、顔も知らない私に愚痴るために、わざわざログインしたのだ。その不器用な信頼が、痛いほど伝わってくる。
「先生としては、あんまり顔も名前も知らない相手にここまで信頼を寄せることはしてほしくないんだけどね……」
それは独占欲などというものではなく、一教師としての心配だ。
私は、先生としての顔を一旦仕舞い込み、キーボードに両手を乗せる。
ここからは、ただの『友達』の時間。
【T:いるよー。お疲れ様。ムカつく大人って、どうしたの? 話聞くよ!】
送信ボタンを押すと、すぐに画面上で『入力中……』のアイコンがせわしなく点滅し始める。
画面の向こうで、ミサキが眉間にシワを寄せながら、一生懸命に私の悪口をタイピングしている姿を想像すると、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
静まり返った深夜のシャーレで、私とミサキだけの、秘密の時間が始まった。