【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。 作:曇りのち晴れ男
炎に包まれた市街地を、私たちは肩を並べて必死に駆け抜けていた。
怪我を負った先生の体を支えながら、少しでも安全な場所へ。和解の余韻に浸る間もなく、周囲の空気は焦げ臭い死の気配に満ちている。
突如、視界の端にあった建造物が内側から無惨に弾け飛んだ。
鼓膜を破らんばかりの轟音と、熱を持った凄まじい爆風。私は咄嗟に目を閉じ、頭を庇って地面に伏せた。
熱風が通り過ぎ、降り注ぐ破片の雨が止んだ直後。
「先生……っ!」
顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、崩落した巨大なコンクリートの残骸と、その下敷きになっている先生の姿だった。
突き飛ばして私を庇ったのか、先生の右足が、どう考えても一人では持ち上げられない質量の瓦礫の下に完全に押し潰されている。
「くっ……あぁ……っ」
苦悶の表情を浮かべる先生を見て、私の心臓が冷たく跳ねた。
一瞬パニックになりかけるが、奥歯を噛み締めて必死に自分を落ち着かせる。大丈夫。まだ生きている。出血もそこまで酷くない。応援を呼んで、周りの瓦礫を少しずつ退かせば、まだ時間は……。
そう思って、瓦礫の隙間を覗き込んだ矢先だった。
暗がりの中で、不気味に発光する赤い数字が目に飛び込んできた。
『03:59』
絶え間なく減り続ける、デジタルタイマー。
瓦礫の奥深くに、まだ起爆していない大型の時限爆弾が埋まっていたのだ。
「さっきの爆発で全部じゃないの……!?」
私の悲鳴に近い声に、先生も足元の赤い光に気がついた。
途端に、先生の顔に明確な焦燥と絶望が浮かび上がる。残された時間は、わずか数分。瓦礫を退かしている余裕なんてどこにもない。
「ミサキ……刃物は! カッターでも何でもいい、持ってない!?」
先生の血気迫る声に、私は弾かれたように自分のポケットを探り、いつも持ち歩いているカッターナイフを差し出した。
それを受け取った先生は、一切の躊躇なく、瓦礫に挟まれた自分の足の肉へと鋭い刃を突き立てた。
「やめ……っ!」
自らの足を切断してでも、ここから脱出する。
しかし、文房具の薄い刃先はすぐに硬い骨に阻まれた。肉を裂く激痛に先生の顔が激しく歪み、呼吸が乱れる。骨を断ち切ることなど到底不可能で、傷口から新たな血がとめどなく溢れ出すだけだった。
先生が何をしているのか、それが現在の極限状況における『最適解』なのだと、頭では理解している。けれど、自らの体を切り刻み、無残に血に染まっていく先生の足を、私はとても直視することができなかった。
「爆弾なら、解除ができるはず……!」
私は血まみれのカッターを握りしめる先生から目を逸らし、瓦礫の隙間へと身を滑り込ませた。
爆弾本体は複雑に崩れた瓦礫にガッチリと挟まり、到底引きずり出すことはできない。しかし、表面の配線板のカバーだけなら、なんとか開けられそうだった。
隙間に手を伸ばし、力任せに金属のカバーを引き剥がす。
タイマーの赤い光に照らされたその中身を見た瞬間、私の全身から一気に血の気が引いた。
「なに、これ……」
そこにあったのは、まるでダンゴムシの裏側のように、おぞましいほど複雑に入り組んだ無数の配線だった。
赤、青、黄色。何重にも絡み合い、ダミーの回路が無数に這わされている。どれか一本を切ればタイマーが止まるのか。それとも、どれを切っても即座に起爆のトリガーを引く絶望の未来に繋がっているのか。
誰が見ても分かる。
これは、解除させる気など微塵もない、純粋な悪意だけで作られた死の塊だった。
間に合わない。
どう考えたってこんな複雑な爆弾を解除できるはずがない。刃物で足を切断することもできず、爆弾も止められない。何をどうしても、先生は助からない。
頭の片隅で、冷酷なもう一人の私が絶望的な計算式を弾き出す。
それでも。諦めることなんて、絶対にできなかった。
私は血まみれのカッターを放り捨て、先生の足を押し潰している巨大なコンクリートの塊に両手を叩きつける。
建物が丸ごと飛んできたような、圧倒的な質量。いくら力を込めたところで、人間の力でどうにかなるような代物じゃない。そんなことは痛いほど分かっている。分かっているのに、私は狂ったように瓦礫を押し続けた。
擦り切れた手のひらの皮が破れ、滲み出した血が灰色のコンクリートをどす黒く染めていく。
骨が軋み、筋肉が限界を超えて悲鳴を上げている。あまりの無力さと虚しさに、声にならない嗚咽が漏れ、視界が涙でぐしゃぐしゃに歪む。
それでも、先生を助けたい一心で、私は渾身の力を込め続けた。
「ミサキ。……もう、いいよ」
不意に、足元からひどく弱々しい声が響いた。
見下ろすと、瓦礫に寄りかかるようにしていた先生が、ぐったりと地面に体を倒し、血の気のない顔で私を見上げていた。
「このままじゃ、ミサキまで巻き込まれる」
「……っ、黙ってて! 今、動かすから……!」
「……逃げて」
私を突き放すような、決定的なその言葉。
「やれることはすべてやったはず……。もう、間に合わない」
先生は、静かに目を伏せてそう言った。
激痛と多量の出血で限界を迎えているのだろう。自分の命を諦め、ただ私だけを生かして逃がそうとする、どこまでも自己犠牲的で、腹立たしい大人の顔だった。
「ふざけないで……ッ! やっと、やっと正直になれたのに……ッ!」
気付けば、喉が裂けるほどの声で叫んでいた。
ずっと素直になれなくて、ひどいことばかり言って、逃げ出して。やっと今日、お互いに心の中を打ち明けて、謝ることができたのに。
これから、少しずつやり直していけると思っていたのに。こんな身勝手な結末、絶対に認めたくない。
「ミサキ、お願いだから」
「うるさいッッ!!」
先生の懇願を涙声で叩き斬り、私は再び巨大な瓦礫へと向かい合う。
血を流しすぎた手の感覚は、もうほとんどなくなっていた。それでも私は、残されたわずかな時間と命を削るように、微動だにしない絶望を力任せに押し続けた。
「くっ……っ……いやだ……」
急に、腕からぷつりと糸が切れたように力が抜け落ちた。
血まみれの両手が滑り、瓦礫をこれ以上押すことができなくなる。限界を超えた体は、もう私の意志に従ってはくれなかった。
私は崩れ落ちるように地面を這い、瓦礫の隙間で横たわる先生の元へとにじり寄る。そして、血と煤にまみれたその温かい胸板に、すがりつくように体を預けた。
「……ミサキ、ダメだよ。ミサキだけでも……」
「……もう、逃げない。逃げたくない……」
熱を持った胸の鼓動が、私の頬に直に伝わってくる。
死の恐怖がないと言えば、嘘になる。足元の赤い数字は、確実に私たちの終わりを刻んでいるのだから。それでも私は、震えそうになる体を必死に押し殺し、先生の服の胸元を強く握りしめた。
「ミサキ……」
「置いていきたくない……!」
私の強がりと、その奥底に張り付いている恐怖。
先生は、私が人生最期の瞬間に直面して、それでも一人で無理をしているのだと、すぐに察してくれたのだろう。
瓦礫に挟まれていない無事な方の腕が、私の背中にゆっくりと回された。そして、震える私を安心させるように、子供をあやすような優しい手付きで、ゆっくりと撫でてくれる。
「……ありがとう、ミサキ」
耳元で囁かれたその声は、ひどく穏やかで、温かかった。
炎の熱も、カウントダウンの絶望も、不思議と遠ざかっていくような気がした。
視界が涙で滲む中、ゆっくりと、先生の顔が近づいてくる。
煤と泥、そして互いの涙でぐしゃぐしゃになった顔。それでも、私を見つめるその瞳だけは、これまでのどんな時よりも優しく、澄んでいた。
そっと、頬に添えられた不器用な手のひら。
重なり合う、浅く震える吐息。
そして、私の冷え切った唇に、ひどく熱くて、言葉よりも確かなものが、触れるだけの心地で落ちてきた。
それは、最悪の絶望の中で交わされた、最初で最後の、不器用な許しの証だった。
「……先生」
私が静かに目を閉じ、迫り来る最期の瞬間を受け入れようとした、まさにその時だった。
「っっぁああああああああ!!!」
炎の爆ぜる音を切り裂くように、聞き覚えのある声が響いた。
それは、ずっと私たちの前から姿を消していたはずの、あの人の声。
驚いて顔を上げると、視界に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
私一人では微動だにしなかったあの巨大な瓦礫に、アツコとヒヨリ、そして──サオリの三人が取り付き、渾身の力で持ち上げようとしていたのだ。
限界を超えた力が込められ、重たいコンクリートの塊がゆっくりと持ち上がっていく。
瓦礫の隙間が広がり、先生の足が解放された瞬間、サオリがその奥へと手を伸ばした。そして、あの赤い数字を刻み続けていた爆弾の本体を乱暴に引きずり出すと、一切の躊躇なく、火の海のさらに奥、誰もいない廃墟の深くへと全力で放り投げた。
「……っっ!」
数秒後。
遠く離れた場所で、視界が白く染まるほどの強烈な閃光と、内臓を揺らすような凄まじい衝撃波が吹き荒れた。
熱風が私たちの髪を大きく揺らす。本当に、あとほんの数秒。間一髪のところで、私たちは確実な死から生還したのだ。
「……みんな」
私は呆然と呟く。
煤だらけの顔で荒い息を吐くアツコとヒヨリ。そして、かつて私たちを置いて去っていったリーダーが、すぐ目の前に立っている。
「サオリ……なんで……? なんでここが……?」
震える声で問うと、サオリは荒い息を整えながら、まっすぐに私と先生を見た。
「この場所が分かっていたわけじゃない。ただ、先生からSOSが来たから駆けつけた」
「SOS? そんなの私は出してないけど……」
先生が首を横に振ると、サオリは怪訝そうに眉をひそめた。
「そうなのか? 確かにシャーレからSOSが……」
その言葉を聞いた瞬間。
私の隣で地面に仰向けに倒れ込んでいた先生が、ふっと息を吐き出した。
そして。
「ははっ……ははははっ……」
喉の奥から、乾いた笑い声を漏らし始めたのだ。
ひどい怪我を負って、ついさっきまで死を覚悟していたというのに。その笑い声はどこか晴れやかで、心底おかしそうな、安堵に満ちた響きを帯びていた。
先生は怪我をしていない方の手で顔を覆いながら、肩を揺らして笑い続ける。
「全く……優秀すぎるな……」
誰に向けて言った言葉なのか。
その真意は私には分からなかった。けれど、絶望の底にいた私たちを救うきっかけを作ってくれた見えない『何か』に対して、先生が深い感謝と信頼を向けていることだけは、確かに伝わってきた。
エピローグを明日投稿します。