【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。   作:曇りのち晴れ男

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第三話 うれしはずかし

 

 深夜零時。油と香辛料の匂いが染み付いた、場末の中華料理屋。

 今日、私たちはまともな荷運びの臨時アルバイトをして、その日給を手に入れた。そして今、そのお金の範囲内で、月に一度あるかないかの『贅沢』をしている最中だ。

 

「はむっ、むぐむぐ……美味しいです、エビチリ……! どうせ明日の朝には隕石が落ちてきて私なんてもう死んじゃうに決まってるんですから、今日のうちに予算の限界まで食べておかないと……店長さん! チャーハン追加でお願いします!」

 

 円卓の向こう側では、ヒヨリが半泣きになりながらメニューの端から爆食している。明日死ぬ前提の悲壮感と、異常な食欲が入り交じったカオスな光景だが、稼いだ分の予算内には収まっているので好きにさせている。

 

「見て、ミサキ。麻婆豆腐の豆腐」

 

 ふと、隣に座るアツコが割り箸の先を指した。

 

 見ると、彼女の皿の上には、赤い餡の中から拾い上げられた豆腐がジェンガのように高く積み上げられていた。

 

「どれも完璧な正方形にカットされてる。すごい……神の御業」

 

「……遊んでないで食べなよ。冷めるから」

 

 謎の感動に浸っているアツコに呆れつつ、私は食後の冷めた烏龍茶を飲み干した。

 肉体労働の心地よい疲労感と、満たされた胃袋。少しだけ緩んだ気分のまま、私はポケットからスマートフォンを取り出し、日課となっているオンラインゲームを開いた。

 

 ログインして早々、画面の端でダイレクトチャットの通知が光った。

 

【T:お疲れ様! 今夜も少し時間ある? 実はちょっと、相談したいことがあって】

 

 相談? 私は眉を寄せながらフリック入力する。

 

【MISA:なに? ゲームのこと?】

 

【T:いや、リアルの知り合いのことで。最近、知り合いで少し元気がない子がいるんだけど、どう接してあげたらいいか分からなくてさ。君なら同性だし、何か分かるかなって】

 

 少し元気がない知り合い。

 その言葉を見た瞬間、私はため息をつきたくなった。どうせ、最近私が夜更かしのせいで、シャーレのソファでずっと気怠そうにしていたからだろう。相変わらず、分かりやすいお人好しな大人だ。

 わざわざゲームの『相棒』にまで私の悩みを相談してくるなんて、どこまで世話焼きなのだろうか。

 

「(……でも、待って)」

 

 ふと、私の脳裏に悪い考えがよぎった。

 アイツは、画面の向こうの相手が私だとは気づかずにアドバイスを求めているのだ。そして、アイツは私のことを「頼りになる相棒」として完全に信用しきっている。

 

「(もしかしてこれで、アイツの態度を思い通りに操れるんじゃない……?)」

 

 いつもいつも、余裕ぶった態度で私を苛立たせるあの大人。

 ここで私が『絶対にアイツがやらなそうな、恥ずかしい行動』をアドバイスとして吹き込めば、アイツは真面目にそれを実行しようとするはずだ。

 明日、シャーレでアイツが私の前でぎこちなくその『恥ずかしい行動』を取ろうとする姿を、私は特等席で眺めて、鼻で笑ってやることができる。

 

 想像しただけで、口元にうっすらと意地悪な笑みが浮かんだ。

 私は、わざと思わせぶりな前置きを作ってから、画面をタップした。

 

【MISA:うーん、その子との関係性にもよるけど。私は一人の女性として扱われるのが一番嬉しいかな】

 

【T:一人の女性として? 具体的にはどんな感じ?】

 

 食いついてきた。私は笑いを堪えながら、さらに要求をエスカレートさせる。

 

【MISA:変に気を遣って遠くから見守るより、ぐっと顔を近づけて、目を真っ直ぐ見てあげるの。それで『今日もよく頑張ったね』って、甘やかすみたいに褒めてあげるとか。そういう風にドキッとさせられたら、案外元気になるかもね】

 

【T:か、顔を近づけて!? そ、それはちょっとハードル高くないかな……!? セクハラにならない!?】

 

 画面の向こうで、あのヘタレな大人が頭を抱えてパニックになっている姿が目に浮かぶ。

 私は中華料理屋の喧騒の中で、一人静かにほくそ笑んだ。

 

【MISA:大丈夫だって。誠意を持ってやれば伝わるよ。頑張ってね】

 

 送信ボタンを押し、スマートフォンの画面を暗くする。

 

「ミサキ、どうしたの? 悪い顔してる」

 

「……別に。明日の暇つぶしができただけ」

 

 豆腐のピラミッドを崩し始めたアツコにそう返し、私は残っていた烏龍茶の氷をカラリと鳴らした。

 明日、あの余裕ぶった大人がどんな間抜けな顔を見せてくれるのか。いまから楽しみで仕方なかった。

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 翌日の午後。シャーレの執務室で書類仕事に目を通しながら、私は密かにその時を待っていた。

 

 昨晩、オンラインゲームのチャットで交わしたやり取りを思い返すと、今でも笑いが込み上げてきそうになる。

『少し元気がない知り合いを元気づけたい』と相談した私に対して、相棒……ミサキ本人が返してきたアドバイス。

 

【一人の女性として扱われるのが一番嬉しいかな】

 

【変に気を遣って遠くから見守るより、ぐっと顔を近づけて、目を真っ直ぐ見てあげるの。それで『今日もよく頑張ったね』って、甘やかすみたいに褒めてあげるとか】

 

 あの時、画面の向こうで彼女がどんな顔をしてこの文章を打っていたのか、想像するだけでたまらなく愉快だった。

 

 おそらくミサキは、「この鈍感な大人に絶対にやらなそうな恥ずかしい行動をとらせて、からかってやろう」とでも企んだのだろう。私の困惑する顔を想像して、さぞ悪い笑顔を浮かべていたに違いない。

 

 だが、彼女は決定的な事実を知らない。その相手が私だということを。

 つまり彼女は、無自覚のうちに『ミサキが私からどういう風に扱われたいか。あるいは、どういうことをされたら恥ずかしいか』という究極の正解を、自分自身で暴露してしまったようなものなのだ。

 

「(……ミサキにそこまで言われたら、実行しないわけにはいかないよなぁ!)」

 

 彼女の目論見通りにオロオロと照れてみせるのも悪くはないが、それではあまりに大人のメンツが立たない。

 

 それに何より、彼女が自ら指定してきたその『恥ずかしいシチュエーション』を、躊躇いなく真っ直ぐに実行した時――普段は斜に構えている彼女が一体どんな反応を見せてくれるのか、純粋に見てみたかった。

 

 カチャリ、と執務室のドアが開く音がした。

 

「……来たな」

 

 顔を上げると、ミサキが一人で入ってくるところだった。

 いつも通り気怠げな歩き方だが、今日はどこかそわそわしているように見える。顔も知らない大人に恥ずかしいシチュエーションをお願いしたのが今になって罪悪感となったのだろうか。

 

「やあ、ミサキ。いらっしゃい」

 

「……ん。どうせまた暇なんでしょ。何か手伝うことある?」

 

 いつものように素っ気ない態度をとるミサキ。

 私はペンを置き、立ち上がった。そして、一切の躊躇いを捨てて、彼女の正面へと真っ直ぐに歩み寄る。

 

「えっ……ちょっと、何……?」

 

 私の迷いのない足取りに、ミサキが僅かに目を丸くした。後ずさろうとする彼女より早く、私はその足元にピタリと立ち止まる。

 

 そして、昨晩彼女自身が書いた台本の通りに――逃げ道を塞ぐように少しだけ前傾姿勢になり、彼女の顔を至近距離で覗き込んだ。

 

「――っ!?」

 

 ミサキが小さく息を呑む音が聞こえた。

 鼻先が触れ合いそうなほどの距離。普段は前髪に隠れがちな彼女の大きな瞳が、驚きで見開かれている。微かにシャンプーの甘い香りが漂い、そのあまりの近さに私自身も少しだけ心臓が跳ねたが、そこは大人としてポーカーフェイスを保つ。

 

 目を逸らそうとする彼女の視線を真っ直ぐに捕らえ、私はできる限り優しく、甘やかすような低い声で囁いた。

 

「――今日も一日、よく頑張ったね、ミサキ。偉いよ」

 

 その瞬間。

 ミサキの青白い肌が、耳の先から首筋に至るまで、文字通りカッと朱に染まった。

 

「あ、え、あ……っ!?」

 

 思考回路が完全にショートしたのだろう。彼女の口からは、意味を成さない間抜けな声が漏れる。

 私をからかうように操るつもりが、まさか一切の照れもなく、これほど完璧に実行されるとは思っていなかったに違いない。自ら仕掛けた罠に全力で飛び込んで自爆した彼女の姿は、申し訳ないが最高に可愛らしかった。

 

「……ふふっ」

 

 私は顔を近づけたまま、堪えきれずに意地悪な笑みをこぼした。

 

「どうしたの、ミサキ。顔、真っ赤だけど? 少しは元気、出たかな?」

 

「なっ……!?」

 

 至近距離で私の顔を見たミサキの瞳が、さらに大きく見開かれる。

 私がからかうように覗き込んでいることに気づいたのだろう。声なき抗議が、その震える唇から読み取れた。

 

「……っ、バカ! 近い、離れて……っ!」

 

 パニックになったミサキは、真っ赤な顔のまま両手で私の胸をドンッと突き飛ばした。

 

「痛っ!? ご、ごめんミサキ、嫌だった?」

 

「知らないっ、最悪……ムカつく!! なんでアンタがそんな余裕なのよ!!」

 

 ミサキは逃げるように執務室の奥へと駆け込み、ソファのクッションを抱え込んで顔を隠してしまった。

 クッション越しにも、彼女の耳がまだ真っ赤に茹で上がっているのが分かる。

 

「いや、実は昨日、すごく頼りになる友達に相談したんだ。『一人の女性として扱って、顔を近づけて褒めてあげなさい』って」

 

「〜〜〜〜ッ!! もう喋るな!! バカ!!」

 

 クッションの中からくぐもった悲鳴が上がり、そのままクッションが顔面に向けて飛んできた。私はそれを笑いながらキャッチする。

 自分が『相棒』として言ったセリフをそのまま引用されたことで、ミサキは羞恥心の限界を迎えているらしい。

 

「(……ごめんね、ミサキ。でも、君が仕掛けてきたんだからね)」

 

 私は心の中でそっと謝りつつ、ソファで丸くなってプルプルと震えている彼女の背中を、愛おしい気持ちで見つめた。

 いつかこの心地よい嘘が終わる日が来るまで、もう少しだけ、この生意気で不器用な生徒との『秘密の遊び』を楽しませてもらおう。

 

 私は散らかった書類を片付けながら、今夜のゲームのログイン時間が待ち遠しくて仕方がない自分に、小さく苦笑した。

 




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