【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。   作:曇りのち晴れ男

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第四話 タブー

 

 深夜二時。薄暗い照明と、空調の低い駆動音が響く漫画喫茶のファミリールーム。

 今夜の私たちの寝床はここだ。

 

「すぅ……むにゃ……どうせ明日は隕石が……お肉、もっと……」

 

 防音扉のすぐそばに敷かれた薄いフラットシートの上で、ヒヨリが無料貸し出しのブランケットをミノムシのように固く握りしめながら寝言を漏らしている。

 

 先刻、明日死ぬかもしれないなら、せめて睡眠時間だけでも富裕層と同じだけ貪りたいと言って、入店して一時間足らずで限界まで丸まって夢の世界へ旅立っていった。

 

 ふと、隣で氷がカラリと鳴る音がした。

 胡座をかいたアツコが、ドリンクバーから持ってきた透明なプラスチックコップを、室内の薄暗い蛍光灯に透かしてじっと見つめている。

 

「見て、ミサキ。メロンソーダと烏龍茶と、エスプレッソを1:2:1で混ぜたら、泥水みたいな色になった」

 

「……お腹壊すから、それ以上変なもの混ぜないで」

 

「でも、新しい可能性」

 

 アツコは躊躇いなくその禍々しい液体をストローで啜り――数秒間、完全に無表情のまま沈黙した後、指先でそっとテーブルの端へと遠ざけた。どうやら可能性は潰えたらしい。

 

 ブースの隅に備え付けられた小型のモニターからは、深夜帯のニュース番組が低い音量で垂れ流されている。

 

『――続いてのニュースです。昨晩、盗まれたはずの軍事用高火力爆薬の一部が使われた痕跡が発見されました――』

 

 相変わらず物騒でカオスな報道だが、この薄暗くて狭い密室では、ただの単調な環境音だ。

 私は壁に寄りかかりながら、手元のスマートフォンの画面に視線を落とした。日課となっているオンラインゲーム。今日も『相棒』こと、あのバカな大人とパーティーを組み、高難易度クエストの周回作業をこなしている最中だ。

 

『ピコンッ』

 

 不意に、画面の端で小さなアイコンが点灯した。

 パーティーメンバーの【T】の横にある、マイクのマーク。ボイスチャットがオンになったサインだ。

 

「(……は? あの人、間違えてマイク入れた?)」

 

 普段はテキストチャットしか使わないのに。おそらく、端末を操作した拍子に誤タップしたのだろう。

 私はイヤホンを耳に押し込み、息を潜めた。

 

『――あー、もうこんな時間か。肩凝った……』

 

 微かなノイズ混じりに聞こえてきたのは、間違いなくシャーレの執務室で一人ボヤく、あの情けない大人の声だった。

 相手が私だと知らずに、完全に素の状態で独り言をこぼしている。その無防備さに、なんだかこちらまで変に緊張してしまった。

 

 その直後だった。

 

『……っと、マグカップ、危な――ガタンッ! バシャァッ!!』

 

『あッっっ――!?』

 

 派手な物音と共に、先生の悲鳴が響き渡った。

 しかしその「あつッ」という声は、直後にハッと息を呑む音に遮られる。瞬時に口を両手で必死に塞いだような、くぐもった呻き声へと変わった。

 

「(……バカじゃないの)」

 

 音だけで、向こうの状況が完全に手にとるように分かった。

 間違いなく、深夜のテンションで熱いコーヒーか何かを盛大にこぼし、火傷したのだ。そして悲鳴を上げかけた瞬間マイクがオンになっていることに気づき、自分の正体がバレるのを防ぐために必死に声を殺して悶絶しているのだろう。

 

 そもそもチャット勢がマイクに声を乗せるのは本人からすれば恥ずかしいことだし、あの人の「先生」と言う立場上、少しでも声を聴かれて大問題につながるリスクは避けたいだろう。

 

 相変わらず、どこまでもドジで情けない大人だ。

 私は呆れ半分、心配半分の感情を抱えながら、わざと白々しいテキストチャットを打ち込んだ。

 

【MISA:なんか今、向こうからすごい音と、変な呻き声聞こえたんだけど】

 

【T:えっ!? あ、ごめんマイク入ってた!? 違う違う、今アクション映画見てて、その爆発音と役者の声だよ! 全然こぼしてないし熱くもないから!】

 

【MISA:……ふーん。そう】

 

 自分から「こぼした」「熱い」と白状しているようなものだ。

 これ以上追及すると、ボイスの主が先生だと気づいていることがバレてしまうため、私はあえて深く突っ込まないことにした。

 

【MISA:もう遅いし、今日は解散でいいよ】

 

【T:ごめんね! じゃあまた明日!】

 

 早々にログアウトしていくアイコンを見送りながら、私は小さくため息をついた。

 あれだけ派手な音がしたのだから、絶対にどこか火傷しているはずだ。

 

「……明日、シャーレに顔出そ」

 

 もし手に包帯でも巻いていようものなら、思う存分鼻で笑ってやる。それに、ちゃんと冷やしたのかどうかも気になる。

 そんな意地悪な言い訳を自分に言い聞かせながら、私は寝袋を引き寄せた。

 

「見て、今度はオレンジジュースとカルピスを1:1」

 

「今度は安全マージンを決めてる……」

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 翌日の午後。シャーレの執務室で、私はひっそりと冷や汗を流していた。

 

 ズキズキと痛む右手。そこには、エンジニア部との共同作業用に買い置きしてあった、黒いニトリル手袋をすっぽりと嵌めている。

 理由は単純にして致命的だ。昨晩、深夜のゲーム中にボイスチャットを切り忘れ、熱湯に近いコーヒーを右手にぶちまけて盛大な火傷を負ってしまったのだ。

 

 もし、この包帯ぐるぐる巻きの火傷をミサキに見られでもしたら。『昨日、マイク越しに熱いものをこぼして悶絶していた情けない相棒』の正体が私だと、一発で勘付かれてしまうかもしれない。

 彼女にとって唯一の逃げ場である『匿名の相棒』という仮面を守るためにも、この手袋だけは絶対に死守しなければならなかった。

 

「……なんで手袋なんてしてるの」

 

 執務室にやって来たミサキは、挨拶も早々に私の右手をジッと見つめてきた。

 その視線の鋭さに、心臓が跳ね上がる。

 

「あ、ああ、これ? エンジニア部と少し薬品を使う作業をしてね。ちょっと手が荒れちゃって、念のために保護してるんだ」

 

「ふーん。薬品、ね」

 

 ミサキは一切信じていないような、底冷えする声でそうこぼした。

 ずかずかと距離を詰められる。私は本能的に後ずさったが、ふくらはぎがソファの縁に当たり、逃げ場を失ってしまった。

 

「ミ、ミサキ……? どうしたの、そんなに近――」

 

「見せてよ」

 

 ガシッ、と。

 ミサキの細い手が、私の右手首を強引に掴んだ。

 火傷の痛みに私が「痛ッ」と小さく顔をしかめた瞬間、ミサキの瞳に明らかな怒りの色が混じった。

 

「……いつも私の事心配してるくせに、私からの心配を拒絶するってこと?」

 

「えっ……? いや、これはそういうわけじゃ……わっ!?」

 

 言い訳を口にするより早く、両肩を強く突き飛ばされた。

 バランスを崩した私は、そのまま背後の革張りソファへと仰向けに倒れ込む。驚いて身を起こそうとしたが、ミサキが私の上に馬乗りになるような形でのしかかり、私の両腕をソファに縫い留めた。

 

「ミサ、キ……?」

 

 至近距離で見下ろしてくる彼女の瞳は、射抜くように鋭く、そしてひどく熱を帯びていた。

 私の胸の上に、彼女の柔らかな太ももの感触が伝わってくる。吐息が交じり合うほどの近さ。普段は前髪に隠れて見えない彼女の整った輪郭が露わになり、ふわりと、少し甘いシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。

 

「隠し事、しないで」

 

 囁くような、熱っぽい声。

 彼女の冷たい指先が、私の右手首に密着したニトリル手袋の縁に、ゆっくりと滑り込んだ。

 ゴムが薄く引き伸ばされる、微かな摩擦音。私の肌を直接なぞるように這う彼女の指先の感触が、あまりにも生々しい。

 

「ちょ、ミサキ、本当にダメだ! これは見せられ――」

 

「動かないで」

 

 私が身を捩ろうとすると、彼女はさらに体重をかけて私を深く押し沈めた。

 乱れた襟元から覗く彼女の白い首筋と、私を逃がすまいと見つめてくる熱の籠もった視線。普段の無気力な彼女からは想像もつかないほど強引で、それでいてひどく艶やかな空気に、私の思考は真っ白に染まりかけた。

 

 ジリ、ジリと。黒いゴム手袋が捲れ上がっていく。

 あと数センチめくられれば、昨日の火傷の痕が完全に露わになってしまう――。

 

「おはよう、先生」

 

 その瞬間、執務室のドアが凄まじい音を立てて吹き飛んだ。

 

「――!?」

 

「なっ!?」

 

 私とミサキが同時に弾かれたように入り口を見ると、そこにはキャタピラから砲身に至るまで、すべてが『段ボール』で精巧に作られた2分の1スケールほどの戦車が鎮座していた。

 そして、その段ボール戦車のキューポラらしき穴から、アツコが下半身だけすっぽりとハマっている。

 

「……ミサキ、ついに襲おうとしたんだね」

 

 押し倒され、乱れた姿勢のまま固まっている私たちを交互に見つめ、アツコは一切の感情を交えずにぽつりと呟いた。

 

「違ッ……誤解ッ!」

 

 ミサキが真っ赤な顔で跳ね起き、バタバタと手足を振り回して叫ぶ。

 しかしアツコは、どこか慈愛に満ちた、悟りを開いたような優しい微笑みを浮かべた。

 

「お母さんは嬉しいよ……ミサキ……」

 

「姫ッッ!!」

 

 ミサキの悲鳴のような絶叫が、シャーレの執務室に虚しく響き渡る。

 私はソファに倒れ込んだまま、めくれかけたニトリル手袋をそっと引き上げながら、嵐のような状況にただただ呆然としていた。

 

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