【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。   作:曇りのち晴れ男

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第五話 優しさに溢れる

 

 休日の午後。私たちは何気なく、涼みに行くという名目でシャーレを訪れていた。

 

「ああっ、今日もクーラーが効いてて天国みたいです……! 早く中に入って、先生からお菓子を恵んでもらわないと……!」

 

 執務室のドアノブに手を掛けようとしたヒヨリの首根っこを、私は咄嗟に掴んで引き戻した。

 

「ひげっ!? な、なんですかミサキさん! 私なんかが先生の甘いお菓子を期待したから、天罰が……」

 

「……ヒヨリ、足元」

 

 私が指さした先。執務室のドアの隙間から、極細のトリップワイヤーが床すれすれに張られているのが見えた。よく見れば、ドアの蝶番の裏には小型のスタングレネードらしきものがガムテープで固定されている。

 

「罠。しかもプロの仕事」

 

 アツコがしゃがみ込み、感心したようにワイヤーを指で弾いた。

 この過剰なまでの警戒心と、シャーレの廊下という日常空間に躊躇いなくブービートラップを仕掛ける手口。心当たりは一人しかいない。

 

 私はワイヤーを慎重に跨ぎ、静かに執務室のドアを開けた。

 

「だからアズサ、気持ちはすごく嬉しいんだけど、シャーレの廊下にクレイモアを置くのは危ないから回収してほしいな……?」

 

「……万が一の事態に備えるのは当然だ。先生は不用心すぎる。私が守らなければ」

 

 部屋の中央では、予想通りの光景が広がっていた。

 呆れ顔で諭す先生の前で、なぜか本格的なガスマスクを装着したアズサが、真剣な声で言い返している。相変わらず、平和な日常と物騒な警戒心がバグのように同居しているらしい。

 

「あ、ミサキたちも来てくれたんだ。いらっしゃい」

 

「……邪魔だった? アズサが来てるなんて知らなかったから」

 

「そんなことないよ。アズサも久しぶりでしょ?」

 

 先生に促され、アズサがガスマスクを外してこちらを振り返る。

 私たちと同じ、アリウスのどん底を這いずり回っていたはずの彼女。けれど今の彼女は、トリニティの制服に身を包み、日差しを浴びて育った花のように、どこか柔らかい雰囲気を纏っていた。

 

「……ミサキ。それに、アツコとヒヨリも。久しぶり」

 

「ん。罠、引っかかりそうになった」

 

「むっ、見破られたか。まだまだ詰めが甘かったな……」

 

 アツコの指摘に、アズサが悔しそうに唸る。

 相変わらずだな、と私は小さく息を吐いた。アズサがいること自体に、特別な感情はない。彼女がトリニティで居場所を見つけたことは知っているし、こうして先生の元へ遊びに来るのも珍しいことではないからだ。

 

「アズサ、ほら、罠の回収手伝うから。……でも、先生のためにそこまで警戒してくれて、本当にありがとう。アズサは偉いね」

 

 先生はそう言って、優しく微笑みながら、アズサの銀色の髪を大きな手で撫でた。

 

「……っ。と、当然だ。私は、先生を守るって決めたから」

 

 アズサは少し頬を染めて、嬉しそうに目を細めながら、先生のその手を受け入れていた。

 それは、ただの教師と生徒の、微笑ましいやり取りに過ぎない。

 

 ――なのに。

 その光景を見た瞬間、私の胸の奥が、冷たい泥を飲み込んだように重く濁った。

 

「(……ああ、そっか)」

 

 昨日、私がゲームの中で『相棒』に要求したこと。

 一人の女性として扱ってほしい。真っ直ぐ目を見て、褒めてほしい。

 あの時、先生は画面の向こうの『匿名の私』に向けて、甘やかすような言葉をくれた。だけどそれは、私が『正体を隠しているから』もらえた特別なものだと思っていた。

 

 でも、違ったのだ。

 先生は、現実の、光の当たる場所にいるアズサには――隠し事も嘘も必要ない彼女には、あんな風に、当たり前のように優しい手を伸ばすことができる。

 

 私みたいに、ゲームの中で『相棒』という仮面を被って、卑怯なやり方で気を引こうとしなくても。アズサはただ真っ直ぐに先生を想い、先生もそれに真っ直ぐに応えている。

 

「ミサキ? どうしたの、入り口で立ち止まって」

 

 先生が不思議そうに私を見る。

 その屈託のない顔を見た途端、酷い惨めさと、どうしようもない焦燥感が込み上げてきた。

 

「(……私、なんでこんなに苛立ってるの)」

 

 アズサへの嫉妬。

 そして、自分だけが『嘘』の陰に隠れないとあの優しさに触れられないという、絶望的な劣等感。

 

 ただの『暇つぶしの暇つぶし』だったはずのあの大人に対して、いつの間にかこんなにも重くて醜い感情を抱え込んでいる自分に気づき、私は思わず唇を噛み締めた。

 

「(……違う。別に、どうだっていい)」

 

 私は小さく頭を振り、胸の奥底で渦巻き始めた得体の知れない感情を、無理やり思考の隅へと追いやった。

 

 アイツが誰に優しくしようが、誰の頭を撫でようが、私には関係ない。ただの暇つぶしの相手だ。私がこんな、まるで恋でもしているかのような惨めな嫉妬を覚える義理なんて、どこにもないはずだ。

 

「あっ! 先生、その机の上にあるのは……先週発売された限定スイーツの詰め合わせでは!?」

 

「んも~。ヒヨリは目ざといね、あはは。みんなで食べようと思って買っておいたんだ。はい、ヒヨリには一番大きいマカロンね」

 

「ひゃああっ!? こ、こんな高級なお菓子を私なんかが……! きっとこれには毒が……いえ、明日隕石が落ちる前の最後の晩餐なんですね! いただきますっ!!」

 

「先生。私も」

 

「アツコはこっちのクッキーでいい?」

 

「……うん、ありがとう」

 

 執務室の奥では、和やかな笑い声が響いていた。

 アズサだけでなく、ヒヨリも、アツコも。みんな当たり前のように先生の周りに集まり、その無条件の優しさを享受している。彼女たちの顔には、アリウスの地下にいた頃のような暗い影はない。

 

 その眩しい光景を見つめながら、私は一人、入り口の近くで立ち尽くしていた。

 

「(……私だけだ)」

 

 冷たい焦燥感が、足元から這い上がってくる。

 みんなは現実で、あんなに自然に笑い合って、先生と繋がっている。

 

 私だけが、素直になれず、卑屈な態度のまま置いていかれている。現実の自分ではあの輪に入れないから、夜のゲームの世界で『相棒』という嘘の仮面を被って、卑怯なやり方でアイツの優しさを独占しようとしている。

 

 なんだそれ。底抜けにダサくて、惨めじゃないか。

 

「(……こんなの、絶対に違う。私がアイツを特別だなんて、思ってるわけない)」

 

 この感情に、名前なんかつけたくなかった。認めてしまえば、自分のすべてが崩れ落ちてしまうような気がした。

 息が詰まる。この温かくて眩しい部屋に、これ以上一秒たりともいたくなかった。

 

「……私、帰る」

 

「えっ? ミサキ、お菓子食べないの?」

 

 振り返った先生の声にも応えず、私は乱暴に踵を返した。

 早く、早くここから離れなければ。頭の中がぐちゃぐちゃで、足元もおぼつかないまま、執務室のドアに向かって大股で踏み出した――その瞬間。

 

『カチッ』

 

 私のスニーカーのつま先が、ピンと張られた極細のワイヤーを、勢いよく引きちぎった。

 

「あ」

 

「あっ! ミサキ、待て、それはまだ解除してな――」

 

 アズサの制止の叫びは、鼓膜を揺るがす爆音にかき消された。

 

 ドアの蝶番に仕掛けられていたスタングレネードと、謎の小型爆薬が容赦なく火を噴いた。

 凄まじい閃光と白煙が執務室の入り口を包み込む。

 

「げほっ、ごほっ……! なに、これ……最悪……」

 

 幸い、怪我という怪我はなかった。しかし、私の顔と服は爆発の煤で真っ黒になり、せっかく整えていた前髪も鳥の巣のようにボサボサに逆立ってしまっている。

 

「ミサキ!? 大丈夫!? どこか痛むところはない!?」

 

 真っ白な煙を切り裂くように、先生が血相を変えて飛び出してきた。

 煤だらけの私の肩を強く掴み、その瞳は、本気で――それこそ、自分のこと以上に痛切な色を浮かべて、私の体を心配そうに覗き込んでくる。

 

 その顔が、あまりにも近くて。

 そして、その真っ直ぐすぎる優しさが、今の私には酷く痛かった。

 

「……っ」

 

「ミサキ? 立てる? とりあえず救急箱を――」

 

「触らないでっ!!」

 

 私は、私を気遣おうと伸びてきた先生の手を、力任せに振り払った。

 

「え……」

 

「……っ……」

 

 驚きに目を見開く先生を置き去りにして。

 

「……ごめん……っ」

 

 私は煤だらけの顔を隠すように俯き、逃げるようにシャーレの廊下を走り出した。

 背後から「ミサキ!」と呼ぶ声が聞こえたけれど、私は一度も振り返らなかった。

 

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