【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。   作:曇りのち晴れ男

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第七話 愛、暗いね

 

 シャーレの執務室には、エアコンの微かな駆動音と、紙をめくる乾いた音だけが響いていた。

 

 私は来客用のソファではなく、なぜか先生のデスクのすぐ横──パイプ椅子を勝手に引き寄せて、そこで頬杖をついていた。

 視線の先にあるのは、真面目な顔で書類の山と格闘している大人の横顔だ。

 

「(……バカみたいな顔)」

 

 心の中で悪態をついてみるものの、私の目は無意識のうちに、その輪郭をなぞってしまっている。

 少しだけ癖のある髪。パソコンの画面の光を反射する瞳。そして、ペンを握る右手に付けられた黒い手袋。

 昨日までは「ただのお人好しな大人」としか認識していなかったはずのパーツ一つ一つが、どうしてこんなにも、いちいち私の頭の芯を痺れさせるのだろうか。

 

「……あのさ」

 

 不意に、カチャリとペンを置く音がした。

 先生が困ったような、少しだけ引きつった笑いを浮かべてこちらを振り向く。

 

「そ、そんなにガン見されてるとやりづらいんだけど……」

 

「無視して静かに仕事しなよ」

 

 間髪入れずに冷たく言い放つ。

 本当は「見つめててごめんなさい」と言って目を逸らせばいいだけの話だ。でも、一度自分の『好き』という感情を自覚してしまった今、変に意識して視線を外すこと自体が、自分の下心を見透かされそうでひどく恐ろしかった。だから、強がって居直るという最低な防衛手段しかとれない。

 

「えぇ……?」

 

 先生は情けない声を出して、首を傾げた。

 普通なら「邪魔するなら帰りなさい」と怒る場面だろう。なのにこの大人は、私の理不尽な態度を咎めることもなく、ただふっと眉尻を下げて、優しく微笑んだ。

 

「なんか、表情柔らかくなったね、ミサキ」

 

「……っ」

 

 その言葉に、心臓が大きく跳ねた。

 自分ではいつも通りの仏頂面を作っているつもりだった。でも、この人には見透かされているのだろうか。私が今、どんなにどうしようもない感情を抱えながら、アンタの隣に座っているのかを。

 

「……別に。気のせいでしょ」

 

 私はそっぽを向き、深く座り直して足を組んだ。それ以上何か言われたら、顔が赤くなっているのを隠しきれそうになかった。

 

 その時、執務室のドアが開く。

 

「ただいま。先生、買ってきた」

 

「おおっ、お帰り」

 

 両手に大きなビニール袋を提げたアツコと、その後ろで涎を拭いながら拝むヒヨリが帰ってきた。

 さっき、先生が「たまにはみんなでジャンクフードでも食べようか」と言って、自分の財布からお金を渡して買い出しに行かせていたのだ。もちろん、あの月末のモヤシ生活を知っている私はそんなお金があるのかと呆れたが、先生は笑って誤魔化していた。

 

「よし、じゃあ仕事は一旦休憩にして、お昼にしようか」

 

 先生がデスクを片付け、ローテーブルに買ってきたハンバーガーや大量のポテト、炭酸飲料が広げられる。

 

「いただきまーす! うぅ、お肉の味がします……こんな贅沢、明日にはバチが当たって隕石が……むぐっ、美味しいです……!」

 

「ヒヨリ、ポテトも熱いうちに。先生も、はい」

 

「ありがとう。ミサキも、遠慮しないで食べてね」

 

 先生から、チーズの溢れたハンバーガーを手渡される。

 みんなでテーブルを囲みながら、何の変哲もない、ただの平和な時間が流れていく。

 

 アツコもヒヨリも、先生の冗談に笑い、当たり前のようにこの温かい空間に馴染んでいる。……私だけが、手元のハンバーガーの味も分からないくらい、胸の奥で渦巻く感情に振り回されていた。

 

「(……ど、どう向き合えばいいんだろう……?)」

 

 ふと、頭をもたげた。

 私は先生のことが好きだ。私はこの人の特別になりたい。でも、どうすればなれるのか分からない。

 

 気づけば、私は飲んでいたコーラの紙コップをテーブルに強く置き、衝動のままに口を開いていた。

 

「……ねえ、先生」

 

「ん? どうしたの、ミサキ」

 

「先生の好きなタイプって、なに」

 

 ピタリ、と。

 執務室の空気が、一瞬だけ止まった。ヒヨリがポテトを咥えたまま目を丸くし、アツコが面白そうな目で私を見る。

 

 言ってしまってから、なんてバカな質問をしたんだと後悔した。でも、口から出た言葉はもう戻せない。

 

「えっ……急にどうしたのさ」

 

 先生はコーラを喉に詰まらせて咽せながら、ひどく狼狽したように視線を泳がせた。

 そして、私の真っ直ぐな、そして少し睨みつけるような視線から逃れるように頭を掻き、ひどく無難な言葉を並べ始めた。

 

「ええと……そうだね。強いて言うなら、優しい人、かな。あとは、お互いに支え合えるというか、つかず離れずで、一緒にいて安心できるような……そんな感じ?」

 

 誰も傷つけない、生徒という立場から見ても完全に安全圏の、面白みも何もない模範解答。

 

「……」

 

「えっと……ミサキさん? どうかした?」

 

 私は小さく鼻で笑い、つまらなそうにハンバーガーの包み紙をクシャリと丸めた。

 

「……ふーん。何それ。誰にでも当てはまるじゃん。つまんないの」

 

「うっ……ごめん、大人が答えるにはちょっとハードルが高くて……」

 

 私は先生から視線を外し、残りのポテトを無言で口に運んだ。

 不満だった。つまらなかった。

 

 だって、その『一緒にいて安心できる優しい人』という条件の対極にいるのが、素直になれず、可愛げのない言葉しか吐けない、今の私なのだから。

 

 ■■■

 

 数時間後。私たちはシャーレを離れ、薄暗いカラオケボックスのソファに腰を下ろしていた。

 

 テーブルの上には、飲みかけのドリンクバーのグラス。

 食事を終えた後、あの人は「たまには三人で遊んでおいでよ」と言って、少し無理をしているのが見え透いた笑顔で、私たちにお小遣いを渡してくれたのだ。

 

 そのお金で入ったカラオケ。モニターから流れるポップなメロディに合わせて、マイクを両手で握りしめたヒヨリが、モニターを食い入るように見つめながら構えている。

 

「〜〜っ♪ あっ。あっあっ。えっ……そういえばこの曲、サビしか知らない……! ふぇぇ、音程が……!」

 

 知りもしない音程を気合で熱唱するヒヨリの歌声と、やけに明るい伴奏。

 その賑やかな音に隠れるようにして、隣に座っていたアツコが、モニターから視線を外さないまま、ぽつりと口を開いた。

 

「……伝えないの? 気持ち」

 

 ヒヨリの歌声に掻き消されそうなほど小さな、けれど真っ直ぐに私の鼓膜を叩く声だった。

 

 私は手に持っていたストローから口を離し、氷の浮いたグラスをテーブルに置いた。先ほどのシャーレでの出来事が、ひどく惨めな形となって胸の奥に蘇ってくる。

 

『一緒にいて安心できる、優しい人』。あの人の無難な回答と、それに悪態をつくことしかできなかった自分自身の可愛げのなさ。

 

「……あのやり取り見てたうえで、それ聞く……?」

 

 私は自嘲するように鼻で笑った。

 

「どう考えたって、私が入る隙なんてないでしょ。あの人が求めてるのは、日向を歩けるような、普通で優しい生徒だよ。私みたいに、可愛げの欠片もない女じゃない」

 

「ミサキは、優しくないの?」

 

「優しいわけ、ないでしょ」

 

 即答して、私は深くソファに沈み込んだ。

 アツコはそれ以上私を責めることはせず、ただ静かに私の横顔を見つめている。その凪いだ瞳に見透かされているような気がして、私は両手で自分の腕を抱え込むようにして、視線を床に落とした。

 

「私は……。私は、分からない」

 

 絞り出すような声が漏れた。

 分からないのだ。自分がどうしたいのかも、どうすればいいのかも。ただ一つ分かっているのは、自分があの人の隣で笑う資格など、最初から持ち合わせていないという残酷な事実だけだ。

 

 ふと、脳裏に一つの凄惨な記憶がフラッシュバックした。

 

 ──エデン条約の調印式。

 空を覆う絶望と、瓦礫の山。そして、私たちのリーダーであるサオリが引き金を引いた瞬間。

 乾いた銃声と共に、あの人の腹部から鮮血が赤黒く広がり、崩れ落ちていく光景。

 

「あの時は何も感じなかった」

 

 無意識のうちに、私の口から独り言のような呟きがこぼれていた。

 アツコは黙って耳を傾けている。

 

「ただ、私たちの目的を阻む、邪魔な要因だと思ってたから。あの人が血を流して倒れたのを見ても、心が痛むことなんて少しもなかった。……でも、今は……」

 

 喉の奥が、ギリギリと引き攣るように痛んだ。

 今、あの時の光景を思い出すだけで、呼吸が浅くなり、指先がひどく冷たくなる。あの人が死んでしまうかもしれないという恐怖。自分たちが、あの無条件の優しさを永遠に奪おうとしたという、取り返しのつかない罪悪感。

 

 私たちは、あの人を殺そうとしたのだ。

 他でもない、この手で。

 

「……確かに、マダムと戦いに行く時に彼は赦してくれていた。それでも。仮にもあの人を殺しかけた私が、あの人の隣にいていいのかわからない」

 

 ヒヨリの歌う明るいサビのメロディが、私の陰惨な告白を皮肉なほど鮮やかに浮き彫りにする。

 

「……私なんかが、あの人の『特別』になりたいなんて願うこと自体が、身の程知らずの図々しい勘違いなんだよ。だから……これでいいの」

 

 言い聞かせるように、私はぎゅっと目を閉じた。

 現実の私は、あの人にとって『保護すべき哀れな生徒』の一人でしかないし、それで十分だ。それ以上の関係を望めば、かつての罪が、私自身の心が、私を許さない。

 

「私は気持ちに気付けただけで……十分だよ」

 

 だからこそ、私は逃げ場を求めるのだ。

 顔も名前も知らない、互いの過去も罪も関係ない、あの暗闇のゲームの世界に。

 そこなら私は、ただの『匿名の相棒』として、あの人の特別な隣にいることが許されるから。

 

「(……帰ったら、ログインしよう)」

 

 もう、あの『相棒』という仮想の仮面にすがるしか、私があの人と繋がっていられる方法は残されていなかった。

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 太陽が沈み、だんだんと暗がりを見せてきたキヴォトスの空が見えるシャーレのオフィス。

 今さっきまでこの部屋にいた生徒たちの存在感を思い出しながら、パソコンを叩く。

 

「ふぐっ……あぁ~~っ」

 

 回転チェアに目いっぱい倒れ込み、伸びをする。

 肩から腰にかけてとんでもない音がするが、気のせいだろう。

 

「……ミサキ、なんか変だったなぁ」

 

 ふと、昼間の生徒の顔を思い出す。

 私が仕事をしてる時はアイドルでも見るような穏やかな表情をしていたミサキが、シャーレを出ていくときにはなぜかいつも以上に暗い顔になっていたのがとても気になる。

 

「疲れてるのかな?」

 

 天井に語り掛けながら最近ミサキと行ったレイドバトルの難易度を思い出す。最近追加された新しい難易度に二人で挑戦しているため、ひどく苦戦した。

 その影響だろうか。

 

「ゲームのやりすぎは良くないからな……そうだな、いっそのこと……」

 

 デスクから離れ、シャーレのオフィスの隅にある物置を開ける。

 雑多なものが転がっているが、その中から釣り竿やテント組み立てキットなどを取り出す。

 

「みんなを連れて、山でも行こうか」

 

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