【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。 作:曇りのち晴れ男
週末。なぜか急に「みんなでキャンプに行こう!」と言い出した先生の提案により、私たちアリウススクワッドの三人は、レンタカーの車内に押し込まれていた。
私はどういうわけか助手席に座らされ、後部座席にはアツコとヒヨリが並んで座っている。
「いやあ、レンタカー屋の店員さんには適当に選んでもらったんだけど、ずいぶんいい車もらったなぁ。マニュアル車なんて久しぶりだよ」
ハンドルを握りながら、先生が上機嫌な声で言う。
車に詳しくない私には、この少し古めかしくて車高の低いスポーツカーの何がいいのか、さっぱり分からない。ただ、低く響くエンジン音だけはやけに主張が激しかった。
すると、後部座席からアツコが身を乗り出し、運転中の先生の視界の横に、自分のスマートフォンの画面をすっと差し出す。
「……先生、この車の名前、これ?」
「ん? おっ、よく調べたね。……アビドスにそんな名前の子がいるよ」
「アビドス?」
「いや、なんでもない。ちょっと知り合いを思い出しただけ」
先生はクスッと笑いながら、シフトレバーをカチャリと操作した。
どこかの学校の生徒と同じ名前だからといって、どうしてこの大人はこんなに嬉しそうなのか。相変わらず理解不能だ。
車は次第に標高を上げ、街の喧騒から完全に切り離された山間部へと入っていく。
キャンプ地まではまだかなりの距離があるはずだが、目の前に現れたのは、右へ左へと曲がりくねった、まるで蛇のような急勾配の峠道だった。
「(……ん?)」
ふと、隣に座る先生の横顔を見て、私は微かな違和感を覚えた。
先ほどまでの和やかな表情が消え、ハンドルを握る手にぐっと力が込められている。そして、目の前の連続するカーブを見つめる瞳には、どこか危うい、少年のようなどす黒い輝きが宿っていた。
「……ね、ねぇ、みんな」
突然、先生が妙に低く、抑えた声で口を開いた。
「ど、どうしたんですか……先生。急に声のトーンが……何か、問題ですか……?」
「ちょっと、掴まっててもらっていい?」
ヒヨリの怯えたような問いかけを無視して、先生は私たちにそう告げた。
「……何する気、先生」
私が怪訝な顔で尋ねた、次の瞬間だった。
突如として、けたたましいエンジンの咆哮が車内に轟いた。
先生がアクセルペダルを床まで踏み込んだのだ。強い加速Gが私の体をシートに押さえつけ、風景が文字通り一瞬で後ろへと弾け飛ぶ。
「なっ!?」
目前に迫る鋭角なヘアピンカーブ。しかし先生はブレーキを踏むどころか、逆にシフトダウンしてエンジンを唸らせ、迷いなくハンドルを切り裂くように回した。
タイヤがアスファルトを削る凄まじい摩擦音が鳴り響き、車体が真横に滑るようなあり得ない挙動でコーナーを駆け抜けていく。
「っっ……! っっっっ……!!!」
あまりの恐怖と遠心力に、私の喉からは声にならない悲鳴が漏れた。
シートベルトが食い込み、必死にドアの上の手すりにしがみつく。隣を見ると、先生はまるで何かに憑かれたかのように、淀みない手つきでシフトレバーとハンドルを操り、次々と現れるコーナーを猛スピードで攻め落としていた。
「(バカじゃないの!? 死ぬ! 死ぬって!!)」
若気の至りという言葉では済まされない、完全にリミッターの外れた走り屋の目だ。私が知っている『お人好しで鈍臭い先生』はどこへ行ったのか。
「初見のコースなのにすごいね、先生」
「オレのモチベーションめちゃめちゃ
なぜか隣でアツコと先生が共鳴している。本当に何なのだろうか。
信じられないことに彼女……アツコはシートベルトに体を預けながら、まるでラリーのナビゲーターのように前方の道幅を読み上げている。
そしてもって先生もよくわからないセリフを吐いている。
「1万1千までバッチリ回そうね、先生」
「ほほぉ、さてはアツコ、好き者だね?」
「姫……!?」
アツコの口から飛び出したあまりにも物騒でマニアックな煽り文句に、私は思わず後ろを振り返った。アツコは少しだけ口角を上げ、この命がけのアトラクションを完全に楽しんでいる。
その横で、ヒヨリはすでに白目を剥き、シートベルトに縛られた状態で完全に気絶していた。
「よしっ! みんな、しっかり掴まっててよ!!」
先生が楽しげに叫び、再びエンジンが限界まで咆哮を上げる。
右へ、左へ。タイヤの焦げる匂いと暴走する大人を乗せたスポーツカーは、キャンプ地へと続く急勾配の峠道を、狂ったようなスピードで駆け上がっていく。
「(……もう、最悪……っ!!)」
私はぎゅっと目を閉じ、このイカれたドライブが早く終わることだけを、ただひたすらに祈り続けていた。
■■■
タイヤが砂利を踏みしめ、ようやく車が完全に停止した。
「と、到着〜! いやぁ、久しぶりのマニュアル車、最高だったね!」
爽やかな笑顔でエンジンを切る先生。
私はフラフラと助手席のドアを開け、地面に足をついた。膝が笑っていて、まともに立つことすら難しい。後部座席では、ヒヨリが涙目で何かを呟きながら半泣きになっている。
私はゆっくりと運転席側に回り込み、呑気に車から降りてきた大人の肩口に向かって、無言で思い切り拳を叩き込んだ。
「痛っ!? ちょ、ミサキ!? ごめん、ちょっとテンションが上がりすぎちゃって……!」
「……バカじゃないの。死ぬかと思った。本気で」
「あはは……ごめん。でも、アツコは楽しそうだったし……」
「もう一発殴るね」
「ひぃっ!? 暴力反対ッ!」
「ストップ、ミサキ。先生が壊れちゃう」
クスクスと笑いながら車から降りてきたアツコに止められ、私はしぶしぶ拳を下ろす。
眼下には、見渡す限りの深い緑と、澄み切った青空が広がっている。ひんやりとした山の空気が、先ほどまでの恐怖と熱を帯びた体を優しく冷ましてくれた。
「わぁ……絶景ですね……! 崖から落ちなくて、本当によかったです……」
「うん。空気がおいしい」
ヒヨリとアツコが、柵から身を乗り出すようにして景色に見入っている。
私はその少し後ろで、隣に並んで立つ先生と共に、静かに雄大な山々を眺めていた。
風が吹き抜ける。なんだかんだ文句を言いながらも、こうしてみんなと並んで見る景色は、ひどく綺麗で。
強張っていた私の心の奥を、少しずつ解いていくような不思議な感覚があった。
ぼんやりとした安堵の中。
だらりと下げていた私の右手が、無意識に、すぐ隣にあった先生の左手へと吸い寄せられていく。
触れたい。
その温もりに、少しだけ触れてみたい。
そんな理性を超えた本能のままに。
私の小指が、先生の手の甲に微かに触れた。
普通なら、ここでハッとして手を引っ込めるはずだ。自分でも分かっている。なのに、私の手は止まらなかった。
そのまま躊躇うように指を滑らせ、するりと——先生の少し節張った大きな『人差し指』を、自分の指でそっと、けれどしっかりと握りしめてしまった。
「——えっ」
隣で、息を呑む気配がした。
「あ、あの……ミサキ?」
戸惑うような、微かに上擦った声。
その声にはっと我に返り、私はバッと顔を上げた。
視線の先には、目を丸くして、耳の裏まで茹でダコのように真っ赤に染め上げている先生の顔があった。信じられないものを見るような目で、私が握りしめている自分の人差し指と、私の顔を交互に見ている。
「あ……っ」
自分が今、とんでもないことをしていると気づいた瞬間。
カアァァァッ、と。顔面から火を噴きそうなほどの熱が、一気に全身を駆け巡った。
違う、こんなつもりじゃなかった。ただ、無意識に。体が勝手に。
言い訳の言葉を脳内で探すが、パニックになった頭は完全にショートしてしまっている。
「ち、違うっ……! これは、その……っ!」
「え、あ、うん! 車酔い、かな……!? まだフラフラするよね、ごめんねあんな運転して……!」
「そ、そう! まだ目が回ってて……っ! 変な勘違いしないで……っ!!」
バッ! と火傷でもしたように手を振りほどき、私は逃げるように背を向けた。
心臓が、早鐘のようにうるさく鳴っている。顔が熱くて、絶対に今は振り向けない。背後で先生も「あはは……」と、ひどくぎこちない笑い声を漏らしているのが分かった。
「……ミサキ、先生。二人とも顔、真っ赤だけど。熱でも出たの?」
「なっ、何でもない! ほら、さっさとテント立てるよ! 先生はあっちで荷物下ろしてきて!!」
「わ、分かった! すぐ持ってくるよ!!」
不思議そうに首を傾げるアツコとヒヨリから逃げるように、私と先生は、お互いの赤い顔を隠すようにして慌ただしく設営の準備に取り掛かった。
気を取り直して、トランクから大量のキャンプ道具を下ろす。自然に囲まれた区画サイトには、清々しい風が吹き抜けていた。
「よし、まずはテントの設営だね! えーと、説明書によると、最初にこのポールをクロスさせて……」
先生が眉間に皺を寄せながら、新品のテントの部品と格闘し始めた。
しかし、相手は私たちアリウススクワッドだ。長年、日の当たらない地下や廃墟で野営を繰り返し、劣悪な環境でのサバイバルを叩き込まれてきた私たちにとって、こんな親切な市販のレジャー用テントの組み立てなど、目を瞑っていてもできる。
「ヒヨリ、そっちのペグ打って。アツコ、フライシートの固定お願い」
「はいっ、お任せください……! 廃墟での野営に比べたら天国みたいです!」
「うん。了解」
私たちが無駄のない動きで手分けして作業を進めると、先生が説明書の1ページ目を読み終えて「なるほど?」と首を傾げている頃には、すでにシワ一つない立派な大型テントが完成していた。
「えーっと、よくわからないなこの説明書……。え? 嘘、もうできたの? 早すぎない!?」
説明書と完成したテントを交互に見比べて、目を丸くして驚く先生。
「アンタがトロいだけ。どんくさい大人」
「うぅ……面目ない。アリウスのみんなは流石だね」
私は呆れ顔で言い捨てながら、テントの入り口のジッパーを調整した。
さっきの峠道でのイカれた運転といい、今の不器用で情けない姿といい、本当に極端な人だ。
「(……でも)」
しゅん、と肩を落とす先生の背中を見て、私は小さく息を吐いた。
不思議と、嫌な気はしない。むしろ、こうして明るい太陽の下で、他愛のないことで呆れたり、文句を言ったりできるこの時間が、少しだけ──本当に少しだけ、悪くないと思ってしまっている自分がいた。
ふと自分の右手の平を見る。
先生の大きな指の感覚は、まだ小さな面に残っていた。