【完結】先生とネトゲでマッチしたミサキが、他人として先生と仲良くなるお話。 作:曇りのち晴れ男
ジュージューと、網の上で肉の焼ける暴力的なまでに香ばしい匂いが、夕暮れのキャンプ場に漂っていた。
「ほらミサキ、次はこの野菜切ったやつ、おねがい」
「ん。焦がさないでよ、先生」
「任せて! 焼き加減には自信があるから」
バーベキューグリルの前で、トングを握って手際よく肉を裏返す先生。私はその隣に立ち、切った野菜を皿で渡したり、空いたスペースにウインナーを転がしたりと、黙々とサポートに回っていた。
「ふぇぇ……お肉が光ってます……! 噛まなくても溶けます……! 明日こそ確実に隕石が降ってきて世界が滅びます……むぐっ」
「ヒヨリ、これも美味しいよ。あーん」
「あーん……ひゃああっ、幸せですぅ……!」
テーブルの方では、完全に餌付けされているヒヨリと、それを楽しそうに世話するアツコが、焼きたての肉を次々と胃袋に収めていた。
ひどく平和な時間だった。
つい先ほどの、無意識に指を握ってしまったあの頭がおかしくなりそうな接触なんて、すっかり忘れてしまったかのように。
ただひたすらに、目の前の肉と野菜、そして笑い声だけが流れていく。先生も私も、すっかりこの温かい空気に当てられて、あの時の不自然な赤面と気まずさをどこかへ放り投げてしまっていた。
「(なんだ。私、何をあんなに焦っていたんだろう)」
網の上で跳ねる油を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
別に、あの人の「特別」になんてならなくたっていい。こうして他愛のない言葉を交わして、みんなで美味しいものを食べて、ただ笑い合える時間が過ごせれば、それで十分じゃないか。
この温かい場所にいられるだけで、ただ、楽しい。
「(……そう、思えばいいだけだ)」
「よし、第二陣のお肉も焼き上がったよ! ヒヨリ、アツコ、どんどん食べて!」
「わーい! いただきます!」
先生の明るい声と共に、山盛りだった食材の第二グループが綺麗に皿へと移された。
一段落ついたところで、私はふうっと息をつき、クーラーボックスから取り出した冷えたお茶のペットボトルを開ける。炭火の熱で火照った体に、冷たい液体が心地よく流れ込んできて心地いい。
その時だった。
もぐもぐと口を動かしていたアツコが、ふとこちらを見て、なんでもないことのようにぽつりと呟いた。
「……ミサキと先生、共同作業して、夫婦みたいだね」
「っっっっ!? ブーッ!!!」
気管に変な入り方をしたお茶が、見事な勢いで私の口から噴き出した。
そしてあろうことか、その飛沫はバーベキューグリルの網を一直線に突き抜け、赤々と燃えていた炭火に直撃する。
情けない音と共に、さっきまで元気に火柱を上げていた炭が完全に沈黙した。
「ミサキ!? 鎮火にはまだ早いよ!?」
丁度テントの中から第三グループの食材を持ってきた先生が、目を丸くしてパニックになっている。
「バッ……あっ……げほっ、くっ……!!」
私は喉を押さえてむせ返りながら、顔面から火が出るほどの凄まじい熱を感じていた。
さっき無理やり飲み込んだはずの感情が、たった一言で大爆発を起こして頭の先まで駆け巡っている。涙目で顔を上げると、網の向こう側で、アツコが私を見つめていた。
私の気持ちを唯一知っている彼女は、完全に確信犯のくせに口元をそっと手で隠し、楽しそうに肩を震わせている。微かに頬を染めながら、からかうような視線をこちらに投げかけていた。
「(……このっ。姫……っ!)」
なんだか始めてアツコに対し怒った気がする。
真っ赤になった顔で必死に睨みつけるものの、アツコは涼しい顔でウインクまで飛ばしてくる始末。
私のささやかな平穏と諦めは、たったの一言によって、木端微塵に吹き飛ばされてしまったのだった。
■■■
夜の山の中。虫の音と、風が木々を揺らす音だけが静かに響いている。
鎮火したバーベキューをなんとか立て直し、夕食と片付けを終えた私たちは、それぞれのテントに入って就寝の準備をしていた。
当然ながら先生と生徒で一緒のテントというわけにはいかないため、大小二つのテントを並べて張っている。私は一人用の小さなテントで、シュラフの上に寝転がってスマートフォンをいじっていた。
ふと、見慣れたゲームアプリを起動する。
フレンドリストを開くと、そこには『MISA』の文字の横に、緑色のオンラインマークが点灯していて眉が上がる。
「(……起きてるんだな、ミサキ)」
テントの薄い布を二枚ほど隔てたすぐ隣。ほんの数メートル先に、今このゲームにログインしている彼女がいる。そう実感するだけで、なんだかくすぐったいような、不思議な感覚に陥った。
昼間の駐車場で無意識に指を握ってしまった時の、あの驚いた顔。
バーベキューでアツコにからかわれ、顔を真っ赤にしてむせ返っていた姿。
現実の彼女は、必死に棘を立てて距離を取ろうとしているけれど、時折見せるその不器用な反応は、年相応の女の子そのもので、とても可愛らしい。
そんなことを思い出しながら画面をスクロールしていると、ふと、システムからの新しい通知ポップアップが表示された。
『大型アップデート実施! ユーザー同士の「パートナー契約」機能が追加されました!』
詳細を読んでみる。どうやら特定のユーザーと特別な絆を結び、専用のチャット枠や恩恵を受けられる機能らしい。
「なんだそりゃ……」
もらえるゲーム内アイテムや告知のイラストからして、結局のところゲーム内での疑似的なプロポーズシステムのようだ。
私は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
現実のミサキは、私に対してどうしても素直になれない。素直になることを、恐れているようにすら見える。
でも、この匿名のアバターである『T』の前でなら、彼女は素直な言葉を紡いでくれるのだ。今日あった嫌なことや、ちょっとした愚痴をこぼして、甘えてくれる。
「……たとえ私じゃないと思われていても」
暗いテントの天井を見上げ、誰に聞かせるわけでもなくぽつりと呟いた。
「ミサキの心の拠り所になってくれるのなら」
この関係が、彼女にとって安全で温かい逃げ場であり続けるなら。
私は迷うことなく、パートナー申請のボタンをタップし、宛先に『MISA』を選択した。
「『T』……君にすべて託すよ」
確認ボタンを押す。
画面に『MISAにパートナー申請を送信しました』という文字が浮かび上がった。
現実の私ではなく、もう一人の私が、彼女に永遠を誓い、特別な存在になる。
彼女がそれで少しでも安心して息ができるのなら、私は喜んでこの関係を続けよう。
「……大人として……?」
それが正しい事なのか、私にはいまいちわからない。
いや、正しくないはずだ。そんなことは分かっている。正しくないはずなのに。
正体を明かしたとき、
操作を終え、暗転したスマートフォンの液晶に、自分のぼんやりとした顔が映り込む。
それを見て、私は自嘲気味に口角を上げた。
「……はは」
自分自身のアバターに対して嫉妬を覚えるなんて。
我ながら本当に情けなくて、滑稽な大人だった。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
薄暗いテントの中。
ランタンの灯りを落とし、シュラフに潜り込んだ私は、スマートフォンの放つ青白い光だけをぼんやりと見つめていた。
布一枚、ほんの数メートル隔てた隣のテントからは、先生が寝返りを打つ微かな衣擦れの音が聞こえてくる。それがやけに生々しくて、昼間の出来事──駐車場で無意識に指を握ってしまったことや、アツコにからかわれてむせ返った記憶がフラッシュバックして、ひどく落ち着かなかった。
気を紛らわせるように、いつものゲームにログインする。
今日は珍しく、あの人……『T』とはパーティーを組まず、一人で適当なデイリークエストを回していた。なんということでもない、たまたまだ。
無心でモンスターを狩り続けていた、その時だった。
『Tさんから「パートナー申請」が届いています』
画面のど真ん中に、見慣れないポップアップが割り込んできた。
「パートナー申請……?」
気になってアップデート情報の詳細を開いてみる。
そこには、今日実装されたばかりの新機能について書かれていた。特定のユーザーと特別な絆を結ぶシステム。専用のチャット枠、お互いのステータス共有、ログイン通知、そして……。
「(……これ、要するにゲーム内での結婚じゃん……)」
文章を読み進めるにつれて、カァッと顔に血が上っていくのが分かった。
「はっ、恥ずかし……っ」
思わず声が漏れる。シュラフを頭まで被り、口元を両手で覆った。
永遠を誓うだの、特別な相手だの、画面に並ぶ甘ったるい公式の文言を見ているだけで、頭がおかしくなりそうだった。こんなものを、あの人は私に送ってきたというのか。
激しい動悸に襲われながら、私はふと冷静になった。
「……ん?」
ちょっと待て。
あの人は、私が『ミサキ』だということを知らないはずだ。
ということはつまり、あの人は「ネットで知り合ったどこの誰とも分からない女」に向かって、こんなプロポーズ紛いの重い申請をホイホイ飛ばしてきたということになる。
「(……あの人、軽薄すぎない?)」
急にむかっ腹が立ってきた。
誰にでも優しいのは知っていたけれど、ゲームの中でまでそんなタラシみたいな真似をしているなんて。今すぐ隣のテントに乗り込んで、その鈍臭い背中を思い切り蹴り飛ばしてやりたくなった。
だけど。
ふつふつと湧き上がる怒りの直後、私は小さく息を吐いて画面を見つめ直した。
……よく考えれば、正体を隠して騙しているのは私の方なのだ。
あの人にとっては、私がゲームの中で一番気を許せる『相棒』で、だからこそこの機能の相手に選んでくれたのかもしれない。私じゃない誰かじゃなくて、MISAを選んだ。
そう考えると、文句を言う筋合いなんてどこにもない。
それに。
理由はどうあれ、先生が私にプロポーズしてくれた、という事実だけが手元に残っている。
「(……バカ)」
スマホを握りしめたまま、私はシュラフの中で身悶えした。
腹が立つし、呆れるし、情けない。でもそれ以上に、どうしようもなく嬉しい自分がいて、顔のニヤけをどうしても抑えきれない。承認ボタンを押す指が、自分でも呆れるくらい震えていた。
「ひぃっ!? ミサキさんが見たことない表情に!! すんごいニヤけてる!!」
「センチュリーすぎるスープでも飲んだのかな?」