どうぞよしなに
第一話 普通の男の子
「ねえ知ってる? 陛下がこの学院にご入学されるって噂!」
「聞いた聞いた! 映像でしか見たことないけどさ、可愛らしいお方だったよな」
「今年で十になるんだよな、幼いのにすごいお方だ」
噂好きな生徒たちの明るい声が聞こえてくる。いや、この生徒たちだけではない。今この学院は、我が国の皇帝陛下がここに入学するという噂でもちきりなのだから。
三人組の少年はその横を通り抜けながら、くすくすと笑いあっていた。
◇◇◇
霊術科、剣術科、
学院長は先代皇帝が務め、学院内では学院内の序列に倣うことが規則で決まっている。
後輩は先輩を敬い、先輩は後輩に教える立場であるというのが、この学院で言われ続けていることだった。
――そして、今日はそんな朧楼学院の入学式。
雲ひとつなく晴れた青い空と満開の桜の下に、新入生で溢れる校庭。様々な子が、新しく始まる未知の生活への不安と期待を抱いて、朧楼学院の門をくぐる。
普段は学院から離れたところに敷地がある忍術科も、入学式は本校舎で行うらしい。四つの科の新入生が混じり合う中で、するりするりと人の間を縫って走っていく人影がひとつ。
(やっぱり『
校庭に貼り出されたクラス分けを思い出し、ふ、と口元に笑みを滲ませる人影――白い髪に金色の瞳をした小さな少年は、人の視線を上手く掻い潜り、見つかることなく校庭を走り抜けている。
(見つかると騒ぎになってしまうかもしれないし)
……なんてことを考えながら。
幸い、クラス分けや学院の地図に気を取られている新入生たちと、新入生の手助けをしている先輩たちに見つからないように走るのは、彼にとって案外簡単なものだった。
「
「霊術科は?」
「ここどこぉ〜……?」
「くそー!! 迷った!!」
そんな会話が、走り抜けたそばから聞こえてくる。
少年は黒い着物と赤い袴。自分以外の生徒は白い着物に青い袴。普通なら目立つはずの少年は、それでも誰にも気付かれない。
「知ってるか? 今年は陛下も入学されているって」
「ああ。それに確かあの方は――」
また僅かに聞こえてきた会話に、小さく苦笑して。
早く教室に行こう、と足を速めようとしたそのとき。
「あ、おーい!」
「ちょっと待ってくれ!」
突然、背後から呼びかけられる。
(あちゃー)
見つかってしまったかな。今捕まるのは嫌だなあ、と思いながら、けれど笑顔を浮かべて振り向く。しかし声の主であろう二人組の少年は、別の少年に話しかけている。
そうして、声をかけられたのが自分ではないことを悟った。
二人組の少年は、呼び止めた少年の元へ近付いていく。
どうやらこの三人は新入生ではなく在校生のようだ。
「
「うん、話したよ。少しだけね」
飛輪と呼ばれた少年は快く答え、つい先程の出来事を反芻しているらしい。
その答えに二人組の少年は「おお」と声を漏らし、興奮を隠しきれない様子で質問を投げかける。
「どんな方だった?」
「怖かった?」
そんな問い。普通なら皇帝陛下と直に会うことのない自分たちは、彼の性格を想像することしかできない。
陛下が朧楼学院に入学すると知って、みな緊張と不安があった。だからこそのこの言葉なのだと。それを察しながら、皇帝陛下と話したという飛輪は、穏やかに笑ってこう言うのだ。
「まさか!」
飛輪だって、皇帝陛下とは少し話しただけ。
皇帝陛下を見つけて、だけれど「陛下」と声をかけるのは違うだろうと、普通の新入生に対する言葉で話しかけた。
『やあ。入学おめでとう、新入生。何科かな?』
『霊術科です!』
『教室までの道はわかる?』
『わかります、大丈夫です。ありがとうございます、先輩!』
と、たったそれだけ。
そのあとは元気にお辞儀をして、陛下は走り去っていった。
それでも、それだけでも分かったことがある。
「あの子は普通の男の子だったよ」
無邪気に人懐っこく笑い、先輩の自分に敬語を使える礼儀正しい少年。去っていく背中が、映像で見た時よりも小さく見えた。普通の、なんてことのない男の子だ。
それが随分と印象に残っている。
ただひとつ、疑問があるとすれば。
――陛下、学院の地図をお持ちではなかったのだけれど。
少し、ほんの少しだけ疑問に思う。
周りを見れば、ほかの新入生たちは地図を両手に、あっちでもない、こっちでもないと頭を悩ませている。それを助けるのが我々先輩の役目だと聞いていたのに。
けれど、あの方は聡明なお方だと聞く。きっと校内の地図を事前に暗記でもしたのだろうと結論付けると、すぐにそんな疑問は忘れてしまった。
そうして一言二言これからのことを三人で話すと、飛輪たちはまた困っている新入生の元へ駆け出していった。
呼びかけられたと思い足を止めた少年は、また駆け足で走り出す。
どうやら見つかったわけではなかったらしい。
(おれじゃなかった〜!)
なんて、恥ずかしそうに口元を押えながら、ひとりくすくすと笑って。
自分の教室がわからず首を傾げ頭を抱える生徒たちの横をすり抜け、少年――皇帝・皇熾葉は迷うことなく自分の教室へ足を進めたのだった。
ここは
その国の頂点に君臨するのは、
究極のお人好しで、底抜けの善人。
優しい国で誰よりも優しい皇帝陛下。
そんな普通の男の子の、波乱万丈な物語のはじまりである。