賑やかな入学式から三日後。
静かな教室に、教師が黒板をチョークで叩く音が響く。
(暇だなあ)
熾葉はぼんやりと窓の外を見ていた。入学式の日と同じ、雲ひとつない青い空が広がっていて、散っていく桜が景色を作り出している。
今日はこの学院に入って初めての授業の日。
けれど熾葉は授業の内容は全て識っている。入学前に勉強したからという意味でもあるが、それ以外の理由もある。
それは恐らく、この教室の子どもたち全員に共通することだろう。船を漕いでいる子もいれば、ノートにらくがきをしていそうな子もいる。
せめて真面目な姿は見せておけばいいのに、と思わずにはいられない。そういう彼らが愛しいと思わないわけでもないけど。
ちょん、と隣の席からつつかれた。
隣を見れば、薄い緑の髪と翡翠の目をした少年――
《どうしたの?》
そう聞く熾葉の口は動いていない。念話だ。
念話という霊術は、声に出さずとも霊術師同士で会話できる優れもので、霊術師が習う初歩的な会話手段だ。
とても便利な霊術だが、霊力を持つ者同士でしか話せないことが欠点として挙げられる。
まあ、とある方法を使えば霊力を持たない者も使えないわけではないのだけれど。
《みんな、暇そうだね》
《だって、もう聞いた話だから》
《それもそっか》
まあそうだよね、というような反応をして、風花は一番前の窓側の席を見る。赤髪の少年が船を漕ぎ、こくりこくりと頭が沈んでいく様子が見えた。
《
次に、風花は自身の斜め前を見る。
二人の少年は身を寄せあって、ノートに何かを必死に書いている。
《
だめだね、と苦笑する風花。そうだね、と笑い合っていると、教師のチョークが紅蘭に飛んだ。
「いってぇ!」
「真面目に聞きなさい」
「スンマセン!」
どっ、と笑いが起きる。教師は溜息をつき、そしてぎろりと二列目扉側の席を睨む。
「貴方たちもですよ、
「は〜い」
「すみませ〜ん!」
どうやら全てバレていたらしい。
この教師は
そこで、授業終了のチャイムが鳴る。
仕方ない、とでも言うように教師は礼をして教室を去っていき。
黒板を見れば、既に知り尽くしたことが書かれていた。
きっと、この教室の生徒たちは簡単に諳んじることができるだろう。
(当たり前だけど)
熾葉はふ、と息を吐く。
だって、この教室の生徒たちは知っているのだ。
【この世界が巻き戻った】ということを。
故に、彼らは二度目の人生を歩んでいるのである。
幼い頃、夢を見た。
それは熾葉が三つの誕生日を迎えた日から、五日間にわたって見続けた夢のこと。
初めて見たのは、仲の良かった兄に嫌われる夢。
その夢を見た日、熾葉は不思議に思う。だって、兄とは仲なんて良くなかったはずだ。兄は幼い熾葉にも分かるくらい徹底的に熾葉を避けていたし、言葉を交わすこともほとんど無かったのに。
仲良くなりたいと願う自分が見せた夢だったのかもしれないと、もう少し歳を重ねれば思えたかもしれないけれど。
もちろん、まだ三つにならない当時の熾葉はそんなことを考えられず、兄と夢のことを話そうと部屋に突撃し追い払われ。
そうして部屋で一人で泣いていたのだった。
二日目は、疎まれ続ける自分の夢だった。
夢の中の熾葉は、年月が経ってもずっとずっと疎まれ続けていた。
五歳、八歳、十歳……。
知らない景色が流れて、未来の自分は静かに目と耳を塞いで泣いている。
手を伸ばしてみる。――すり抜けた。
自分の涙を拭うことは、できないままだった。
三日目は大好きな父が死ぬ夢で。
熾葉が十歳になった頃から、少しづつ体調が悪くなっていった父は、熾葉が十二の時に死んでしまう。
三日間の夢で少しだけ大人びた熾葉は考える。
(これは未来で起こること? それとも予知夢というもの? もしくは、おれを恨む人のいたずら?)
考えてもわからない。だって熾葉はまだ三つの子どもだから。
その日は父に一日中引っ付いていた。
四日目は最愛の人を自分の手で殺した夢。
桜色の髪をした知らない人。だけどよく知っている人が、熾葉に刀を向けている。彼はいつも夢の熾葉のそばにいた。どんな時も、熾葉のいちばん近くに。
だけど、今の彼はなんだか苦しそう。
なんとかしなくちゃ、という考えと一緒に、夢の中の熾葉が動く。
咄嗟に彼に向けて放った霊術は、しっかりと心臓を貫き――
目を覚ました熾葉の心臓は、痛いほどばくばくと音を鳴らしていた。
冷や汗でぐしょりと濡れた寝間着の感触が気持ち悪い。
今までで一番嫌な夢だったと、知らないはずの人を想って泣いた。
五日目。最後に見たのは自分が処刑される夢。
夢の中で、熾葉は処刑台に上る。
夢の中の自分は、虚ろな目で俯いていた。
皇帝であり全ての元凶である兄はただじっと熾葉を見つめ。彼が合図を出すと、隣にいた処刑人が刀を振り上げて。
――――自分の首が、落ちた。
(いやなゆめ)
それだけだと思いたかったけれど。きっとそうではないのだと、思うほどには鮮明な夢だった。
その日から、ぼうっと夢を見ている感覚が拭えなかった。
今も夢の続きなのかもしれない。
そんな気がしてならなくて。
だけど、最愛の人と二度目の『はじめまして』をしたある日。熾葉はこれは自分の記憶であると理解した。
――その日、熾葉は逆行前の記憶を全て思い出したのだった。
一日の授業が終わり、放課後。
熾葉はひとり中庭のベンチに座り、考え込んでいた。
桜がひらひらと舞っている。優しい風が熾葉の頬を撫でた。
考え事をする時、人気のないところにふらふらと歩いて行き、一人になるのは昔からの癖だった。よく注意されていたのだけれど、直る気配はいっこうに訪れない。
そろそろ本気で叱られてしまうかもしれないな、と思い出しながら。
(あの人を殺したのも、おれが死んだのも、おれが十五歳のときのことだ)
目を瞑り、前回の流れを辿っていく。
今はまだ十歳。前回通りになればあと五年後の話だ。
けれど、その可能性は低いと熾葉は思っている。
疎まれていた王子様は慕われる皇帝になった。
第一王子の派閥は前回よりも縮小し、現皇帝派が主になっている。この状況で前回と同じ事を起こすとは考えにくいのだ。
逆行――巻き戻った世界のことを逆行、逆行した者のことを逆行者と呼ぶことにしている――した記憶を引き継いで良かったことは、前回起こったことを回避出来るかもしれないことである。
現に、熾葉が皇帝になっているのは前回と違う点なのだから。
今も兄との関係は良好とは言えないけれど。
それでもいつか、ちゃんと話してみたいと思っている。熾葉はいつまで経っても、仲の良かった優しい兄を忘れられないでいるから。
(今は穏やかで、やることもあまり無いし……逆行したきっかけでも調べてみようかな。そのあとは、兄のこと)
逆行した理由が気になっているのは、熾葉だけではないはずだ。この逆行という不思議な現象には、なにか理由があるのかもしれない。熾葉だけでなく、クラスメイト全員が逆行した理由が。
それに、今は己や最愛のあの人が死ぬ可能性が低いとはいえ、いつ兄が前回と同じような行動を起こすか分からないのだし。得られる情報は得ておきたい。
熾葉には理想がある。そのために、兄に前回のような事を起こされたくはなかった。やり直せるのは好都合なのである。
(みんなに記憶を思い出したきっかけを聞いてみよう)
何かわかるかもしれない。
熾葉が夢だったように、他の子達も夢なのか、それとも生まれ持っていたのか。
思い出したきっかけは? その共通点は?
ふつふつと知的好奇心が湧いてくる。熾葉は知的好奇心が旺盛な子供なのである。
兎にも角にも行動だろう、と意気込んで立ち上がった。
まだみんなは教室にいるかもしれない、と教室へ向かおうとしたその時。
「なにしてるの?」
――不意に、背後から声が聞こえた。