この朧楼学院には、とびきり美しい人がいるという。
桜色の綺麗なウェーブの髪と、輝くような紫色の瞳。誰もが振り向くであろう彼は所作も美しく、凪いだ表情で空を見上げる横顔はまるで絵画のよう。その美しさは学院外でも有名だ。
そんな彼のことを、皆こう呼ぶのだ。
〝桜の君〟と。
その彼というのが。
「あまりひとりで出歩かないで、って。ずっと言っているのだけど」
名を
確かに、息を呑むほど美しい人だ。と、熾葉は自分のことのように誇らしげに思った。
それもそのはず。
そんな綴は熾葉の恋人で、熾葉がずっと昔から慕う最愛の人なのだから。
その彼は少し不機嫌そうに腕を組み、熾葉を見下ろしていた。
「すみません、つい」
えへへと頬をかき、綴を見上げる。
綴の不機嫌な表情はポーズであるとわかっている。もちろん、本気で心配されているともわかっているけれど。
「ごきげんよう、せんぱい。相変わらず美しいですね。学院内でも有名だそうで」
まだ入学して三日しか経っていないのに、既に綴の噂が聞こえてきている。とはいえ美しいという噂以外にも、色々聞こえてきたのだが。何をしたんだ、この人。
暴走機関車とか聞こえてきたような気がする。本当に何をしたんだ、この人。
「おやまあ。お前も似たようなものだけどね。とびきり可愛く美しい皇帝陛下、って」
「恥ずかしいので言わないでもらってもいいですか?」
そう。熾葉は綴と並び、美しくそして可憐であると知られる皇帝陛下だ。お似合いのふたりだとも言われているし、それ自体は熾葉も嬉しい。だが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
二人はまだ婚約者ではないが、いずれそうなるだろうと皆信じて疑わず、熾葉も綴もそうなるように努力を怠らない。
「はいはい……まあ、そんなことより。こんなところでなにしてたの?」
「少し考え事を……」
「なるほど。お前の悪癖だね」
思った通りの回答に、「やっぱりか」と呟いて綴はため息をつく。
熾葉の考え事をする時に一人になる悪い癖。昔から直らないので、そろそろ綴は諦めて自分が着いていくことにしている。二人が出会った頃から変わらない癖だった。
「お前を呼びに行ったのに、教室にいないから。少し探したよ」
綴のクラスの授業が終わってすぐに熾葉の教室へ来たのに、熾葉は既に出て行った、とクラスメイトの子どもたちから聞かされたのだ。
「ごめんなさぁい……」
「私はすぐに見つけてあげられるけど、他の人はそうもいかないんだから。気を付けるように」
そう言って熾葉の頭を優しく撫でる。その表情は慈しむものそのもので、手のかかる恋人でも可愛いらしい。
そうして綴は左手を差し出す。
「じゃあ、今日は校内デートでもしようか」
熾葉は迷わずその手を掴んだ。
朧楼学院は広い。
真ん中にある本棟の周りに霊術棟、剣術棟、覡棟があり、少し離れた場所に生徒たちの寮である楼が四つある。
その他にも体育館や校庭、試合や決闘が行われる闘技場など、広い敷地を使っているため、歩いて移動するのは少し疲れてしまう。
忍術科のみ別の敷地にあるためここには無いのだが、それでも広い。広すぎる。
「本当に広いですね、ここ」
「そうだね。でもそのうち慣れるよ」
てくてくとふたり手を繋いで校庭を歩く。
校内デート、という名の学院案内だ。熾葉は逆行前、敷地内全てを回ったことは無いので、実は初めての場所もあったりする。前回はほとんど自分の教室と自室の行き来しかしていないのだ。
校庭の隅。
とある建物の前に着くと、綴が足を止める。熾葉も合わせて足を止め、隣に並んだ。
「ここが第二用具倉庫。第一用具倉庫は校舎の近くにあるけど、それは教えてもらったね? 用具倉庫は誰でも入れるし、使う機会も多いと思うから覚えておくといいよ」
そう言って綴は扉を開ける。ぎぃぎぃと音を立てながら、両開きの大きな扉は口を開ける。
内部は二階建になっており、用途ごとに分けてまとめられている。建物内は埃臭くなく、掃除されていることがわかる。
確か、用具倉庫の管理は整備委員会の管轄だったはずだ。
「忍術の道具は無いんですね」
「そりゃあ、無いでしょ。ここの生徒は使い方を知らないし、危ないよ」
言いながら、大きな扉を閉めるために熾葉を外に出す。
またぎぃぎぃと音を鳴らして、扉は閉まっていった。
「次は闘技場に行こうか」
「はーい!」
また少し歩く。闘技場に近づくにつれて周りから人が消えていく。闘技場は使用時以外は人がいないのかもしれない、と熾葉は考えてみた。
それにしてもやはりこの学院は広い。
この広い学院の移動手段として、転送陣と呼ばれる転送の霊術が込められた陣が描かれた部屋が何ヶ所かあり、その陣を使えば移動できるのだが、綴はそれを使わないらしい。
もっとも、熾葉も大好きな人と並んで歩けるので特に意見はないのだが。
しばらく歩くと、円形の建物が見えてくる。
近くまで寄れば、一段と気合いの入った装飾が細かく施されていることがわかる。
「ここが闘技場。模擬戦とか決闘とかで使われるし、個人的に練習する場としても使えるけど、どの用途にしろ事前に届出が必要だから、忘れないように」
だいたい二日くらい前に申請すればいい、と綴は言う。
綴は熾葉の手を引き、闘技場の中へ入る。使わないのであれば、申請せずとも入っても良いようだ。
「広くて戦いやすい。天井が開いてるから空も飛べる。戦うには絶好の場所なんじゃない?」
ほら、と指さした先。
階段を登り廊下を出た先にある大きな大きな円形のコートで綴の指の先を辿れば、確かに天井が開いている。半円を途中で切ったような形だ。
「ちなみにせんぱい、ここを使ったことは?」
「ある。授業の模擬戦と、決闘で」
そしてなんと全勝らしい。さすがである。
――それにしても。
「さっきから、ずいぶんと人の少ない場所を選ぶんですね、せんぱい。なにか理由があるのですか?」
尋ねる形をとってはいるが、熾葉は確信していた。
綴はぱちくりと目を瞬かせ、そして柔らかく笑みを作る。
「……そうだね。やっぱりバレるか」
綴は声を落とす。
どうやら、闘技場の申請が今日は誰もいないのを知っていて、ここを選んだようだ。
す、と目を細めると綴は二人の名前を口にした。
「
出された名前は聞き覚えのある名だ。もちろん、逆行前の世界での話で。
「いえ、まだ」
「……そう」
綴が少し考える素振りを見せる。
しばらくして。
「この二人は、なんだか怪しい、と思う。あまり近付かない方がいいよ」
怖がらせないように、言葉を選んで慎重に。
綴はつとめて平静な声でそう告げた。
熾葉は思わず目を見開いてしまった。驚愕の意味で。
(この人、本当にすごいんだな)
熾葉は知っている。穂長四津と玉響導が、前回の世界で兄のそばに居たことを。つまり第一皇子派、簡単に言えば敵というわけで。
「わかりました! 気をつけます!」
物分り良く、熾葉は頷いてにこりと笑った。
綴もそれを見て、また笑顔を浮かべてくれる。
「うん。特に玉響導はお前と同じ楼だから。なにかされたらすぐに言うんだよ」
言外に「斬るから」と聞こえた気がする。気のせいにしておこう。絶対気のせいじゃないけど。
綴の言いたいことはそれだけだったらしい。
競技場を一通り説明し終えると、また熾葉の手を引いて競技場を出ていく。闘技場の中からも見えていたが、外に出ると夕焼けが広がっていた。
綴は熾葉を楼まで送ってくれると言う。先程ひとりで行動するなと怒られたこともあり、熾葉も素直に頷いて手を握り返す。
けれど楼に向かうため本棟の中に入った熾葉は、少し気が重くなりつつあった。
競技場から熾葉の楼まで距離があり、また本棟の中を通らなければならないのだが、その本棟の中にあまり近寄りたくない場所があるのだ。熾葉としては避けたい場所だが、避けると遠回りになって門限に間に合わない。
どうかいないでくれと願いながら、その場所に近付いていく。
すると、二人に近づく影がひとつ。
にこやかに、ゆったりとした足取りで近付いてきて、声をかけてきた。
「新入生への学院案内ですか? 鳳仙くん」
その姿を認めた綴の笑顔がぴくりとひきつる。熾葉と話している時はずっと穏やかに微笑んでいたのに、だ。
あ、苦手なんだなとすぐに分かるほど、「この人のこと苦手です」を全面に顔に出していた。分かりやすい人である。
(まあ、おれも苦手だけど)
ちら、と彼を見る。
白衣を着た、白に近い灰色の髪を緩くひとつに結って肩に流した男性。
こちらを見透かすようなヘーゼルの目に、何を考えているのか分からない笑顔。穏やかそうに見えて、どこか油断ならない人物だという印象を受ける。
彼の名を
そう。熾葉が通りたくなかった場所は、本棟の保健室だった。
(まるで蛇のような人だ)
熾葉が避けたかった場所にいるはずの人間が、そこにいた。
「こんにちは、皇くん。低学年の貴方はそろそろ門限ですよ」
「はい! なのでせんぱいに送ってもらうんです」
まるで苦手意識がないかのように答える。
けれどそれも見透かされていそうで、孔雀の細められた目を前に、熾葉は無意識に綴の手を握る力を強めた。綴もそっと握り返してくれる。
どうして苦手なのだろう、と逆行前の世界で考えたことがある。
見透かされるような目が、笑っていない目で薄く笑う口元が、どこか胡散臭い雰囲気が苦手だと気付いたのは、最近のことだったが。
そんな彼の全てが熾葉と綴を警戒させるのだ。
「私がしっかり送るので、ご心配なく〜」
「そうですか。ええ、暗くなると危ないですからね。いろいろと」
綴は嫌そうな顔を隠しもせず、熾葉の手を少し強く引いてその場を立ち去る。
孔雀は特に気にとめず、手を振って二人を見送っていた。
(はてさて、どこまでやれますかね)
なんて、底の見えない笑みを浮かべながら。