「ギャハハハハ!! 回る! 回るぜぇ!!」
先ほどまで欠けてボロボロだった刃が、地上から還元された「恐怖」のエネルギーを吸い上げ、本来の鋭利な輝きを取り戻している。
「オラァッ!!」
デンジは床を蹴り、壁を蹴り、ピンボールのように空間を跳躍しながら、忘却の悪魔に向かって突進した。
悪魔が迎撃のために放った数十本の透明な糸が、彼を串刺しにしようと殺到する。
だが、今のデンジは先ほどまでの「ガス欠状態」ではない。
ギャリギャリギャリギャリッ!!
「邪魔だ邪魔だ邪魔だァ!!」
デンジは両腕のチェンソーを乱舞させ、迫り来る糸の束を強引に削り落としていく。
完全に切断するには至らないものの、弾き返されることなく、火花を散らして糸の軌道を逸らすことには成功していた。
「いいぞデンジくん、その調子でヘイトを稼いでくれ!」
五条悟は、瓦礫の陰から戦況を冷静に分析し、自身の呪力出力を確認した。
「……よし、出力20%。これなら、ある程度は動ける」
五条は右手の人差し指と中指を交差させ、小さく息を吐いた。
(無下限呪術、再起動)
彼の周囲の空間が、ピリッと張り詰める。
完全な自動防衛には程遠いが、意識を集中させれば、致命傷になるような攻撃を防ぐことができるレベルまでバリアが回復した。
「さて、と」
五条は六眼を極限まで凝らし、悪魔の本体から地上へと伸びている無数の糸の中から、次に切断すべき「脆いポイント」を探し出す。
「宿儺! 次のターゲットは、お前の頭上、左から五番目の束だ!」
少し離れた場所で、腕を組んで不機嫌そうに悪魔を睨んでいた両面宿儺が、鼻で笑った。
「……指図するなと言ったはずだ。俺は俺のタイミングで斬る。貴様らは俺の『解』に合わせて踊っていればいい」
宿儺はそう言い捨てながらも、五条が指示したポイントへ向けて、残された呪力を練り上げ始めた。
先ほどの一本を切断したことで、彼の呪力も確実に底上げされている。
「行くぞ!」
五条が再び『蒼』を生成し、ターゲットの糸の束を強引に吸い寄せ、ピンと張り詰めさせる。
極限の張力が発生し、糸がギリギリと悲鳴を上げた瞬間。
「オラァァァッ!!」
デンジが空を切り裂き、上段からチェンソーを振り下ろす。
「『解』」
宿儺が下段から、鋭利な斬撃を放ち上げる。
ガギィィィィンッ!!!!
再び、地下広場に金属音が響き渡り、火花が散る。
二つの刃が十字に交差し、五条の『蒼』が作り出した極限の張力の点で激突する。
ブチッ……バツンッ!!!!
二本目、三本目、四本目。
連携攻撃によって、悪魔の糸が次々と引きちぎられていく。
切断されるたびに、地上のどこかで数千、数万の人間たちが、突如として蘇った「恐怖」や「苦痛」の記憶に悲鳴を上げ、パニックに陥る。
そして、その爆発的な負の感情が、極上の「呪い」となって地下広場に降り注ぎ、五条たちの干からびた呪力回路を満たしていく。
「出力30%……35%……!」
五条の顔に、いつもの余裕のある笑みが戻りつつあった。
「ハァ……悪くない。空気がさらに美味くなった」
宿儺もまた、自身の掌を見つめ、凶悪な笑みを深くした。
彼の身体を覆う黒い刺青が、脈打つように赤黒く発光し始めている。
「もっとだ! もっと寄こせェ!」
デンジのチェンソーの回転音が、さらに高く、鋭く咆哮する。
彼らが糸を切るたびに、世界は「痛みを伴う現実」を取り戻し、彼らは「最強の力」を取り戻していく。
絶望的な状況から、三人の怪物が徐々に本来の牙を研ぎ澄ましつつあった。
だが、忘却の悪魔もただ黙って斬られ続けるほど甘くはなかった。
『……拒絶……ノイズ……不協和音……』
悪魔の巨大な脳髄が、かつてないほど激しく脈動した。
無数の眼球が、五条、宿儺、デンジの三人を同時に凝視する。
『……全てを忘れ……沈め……』
地下広場の空間が、不自然に歪んだ。
物理的な攻撃ではない。
透明な糸による斬撃でも、鞭打ちでもない。
五条の「六眼」が、その攻撃の正体を直感的に捉え、戦慄した。
「……マズい! 二人とも、精神を守れ!」
五条の警告と同時に、悪魔から放たれた目に見えない「概念の波動」が、三人の脳髄を直接直撃した。
「ぐぁっ……!?」
デンジが空中でバランスを崩し、真っ逆さまに墜落する。
頭を押さえ、苦悶の声を上げて床でのたうち回る。
「……チッ!」
宿儺もまた、片膝をつき、自身の顔を鷲掴みにした。
彼の強靭な魂でさえ、その波動を完全に弾き返すことはできなかった。
「が、はっ……」
五条も無下限のバリアを貫通され、脳に直接ノイズを流し込まれたような激しい頭痛に襲われた。
物理的なダメージはない。
だが、彼らの脳内から、「自分自身を形成する記憶」が、強制的に消去されようとしていた。
「俺は……誰だ……?」
デンジが、焦点の合わない目で虚空を見つめる。
チェンソーの駆動音が、プツンと途切れた。
「俺は……チェンソーマン……? 違う……俺は……」
ポチタとの契約。マキマへの歪な愛。アキやパワーとの記憶。
それらが徐々に薄れていく。
宿儺もまた、千年の記憶が欠落していく恐怖に直面していた。
「俺は……呪いの王……。だが、なぜ王なのだ……? 俺が殺した者たちの顔が……思い出せん……」
五条の脳裏からも、大切な記憶がこぼれ落ちていく。
夏油傑と笑い合った青い春。生徒たちの顔。自分が「最強」であるという自負。
『……全てを忘れ……ただの肉となれ……』
悪魔の無機質な思念波が、彼らの自我を溶かしていく。
このままでは、糸を切るどころか、自分が何のために戦っていたのかさえ忘れ、ただの肉塊となってしまう。
出力が40%まで回復したことで、悪魔は彼らを「脅威」と認識し、物理攻撃から精神攻撃へとシフトしたのだ。
「……ふざけ、んな……!」
五条は、薄れゆく意識の中で、ギリッと奥歯を噛み締めた。
額に脂汗を浮かべながら、彼は必死に「自分」を繋ぎ止めようと足掻く。
(僕は……五条悟だ。……最強の、呪術師だ……!)
だが、忘却の波は容赦なく彼の自我を削り取っていく。
絶体絶命の精神攻撃。
自我の防衛戦が、今、限界を迎えようとしていた。