刑罰:学園都市キヴォトス征服支援 作:霧霊旅団のしたっぱ
エデン条約調印式襲撃事件から1週間が経ち、浮き足立っていたキヴォトスも平穏を取り戻し始めている。
しかし、キヴォトスを駆けるホットな話題はその日を境に大きく変わった。それは結局御破算となったエデン条約及び機構のことではない。
「ねぇ聞いた?あの外から来たっていう"鬼"の話」
「もちろん。人を食う化け物なんだっけ?」
ミサイルによる爆破は規模こそ大きかったもののゲヘナとトリニティがどうせ上手くいくわけないという先入観もあり、当事者でない者達からしたらありふれた諍いの延長的な話題である。
彼女らの興味は、そこで目撃され写真等が拡散されたある人物に移っていた。
「何だかんだ言っても男なんでしょ。先生とは違うタイプらしいけど、顔はどうなんだっけ?写真は出てないんだよね、似顔絵は何種類かあるけど……」
「いやぁ、ウチが聞いたところによると食べるのは好色って言う意味で、結構かっこいいから万魔殿で囲って楽しんでたんだって」
「そうなの?こっちは歯抜けの間抜け面してるやつ見たけど。暴力癖が手に負えないから首輪付けていつも議員にリードを引き回されてたらしいよ」
「何言ってるの、そいつも所属してるのは満更でもなかったらしいじゃん。首輪付けられてリード引っ張られて満足する変態なんているわけないって」
「それもそっかぁ」
万魔殿は未だに黙秘を貫いているが、あそこまで人目につくと人の口に戸は建てられない。
キヴォトス中が謎の男の話題で持ちきりであり、噂が噂を呼ぶ事態となっていた。尾ひれがついた噂を前提にした妄想が事実のように語られ、虚像は膨らんでいく。
「週刊
「まあ可愛いからいいけどね」
「ね~」
◆
シャーレ近郊に先生の自宅はある。
多忙な時はシャーレ内の宿直室に泊まることも多いが、生徒による睡眠妨害などの問題もありなるべく帰る時間は作るようにしている。
先生は、目を覚ますと朝食を食べる前に顔を洗ってスーツに着替えることにしていた。
大したことではないが、いつものルーティーンでありスーツを着るということが生徒の手本となるべき大人として振舞うためのスイッチになっていた。
しかし、その日は前日の夜の影響もあり少し違った。まず、口の中が妙に気持ち悪い。歯を磨くためにも習慣的に洗面所に向かった時、居間からソファに座った男が声を掛けてくる。
「おはようございます!いい朝っスね!」
男──ツァーヴはテーブルに幼児向けの日本語の教本を広げながら片手に持った缶に口を付けていた。
二日酔いでやや曖昧な頭を振って返事をする。
「ああ、うん、おはよう……ちょっと待って、何飲んでるの?」
「昨日買って冷蔵庫の中に残ってた酒っス」
「いやちょっと……それ、高いし私の自費で買ってるんだから勝手に飲まないでよ。水とお茶はいくらでも飲んでいいって言ったじゃないか」
「すいませんね。酒はゲヘナにいた時は飲めなかったんで、今のうちに楽しんでおこうと思って」
話を聞いているのかいないのか分からない返答に先生は溜息を漏らしながら、寝間着のままツァーヴの元に歩み寄る。
「とにかく、私の許可がない限り酒を飲むのは禁止」
「つれないこと言うなぁ……昨日はあんなに酒を酌み交わした仲だって言うのに」
そう言われると、先生は苦い顔をするしかなくなる。
ツァーヴの言う通り、二人は昨夜酒盛りをしていた。先生がとりあえずやるべき喫緊の仕事が一段落したということを呟いたら、ツァーヴに丸め込まれて二人で晩酌をしてしまったのだ。
「それとこれとは別だし、そもそも朝っぱらから酒を飲むんじゃない」
先生は屁理屈を言うツァーヴの手からビールの缶を取り上げる。
ツァーヴも酒に執着している訳ではないためかあっさりと手放した。
「許してくださいって、暇なんですよ。この部屋から出るにも許可が必要で、先生は自分の仕事してばっかですし」
ツァーヴは露骨なアピールをするかのように大きなあくびを漏らしながら伸びをする。
実際、彼は現状軟禁されているに近かった。行動は制限され、先生の自宅のリビングから出ることはない。
先生の自宅はほぼ全ての生徒にとって不可侵であり、ここにいる限り生徒と合うことはまずない。
やることと言えばたまに残業がてら持ち帰ってくる先生の仕事を眺めることのみ。手伝うことすら許されず、読めもしない本を読むか先生に何となく話しかけるかのみを続けていた。
「いつになれば帰してくれるんスか?マコトちゃんからクレームが入りまくってるのは知ってますよ?」
先生はツァーヴの言葉を聞いて眉をひそめた。ツァーヴが滞在している間、自宅は自分以外出入りしておらず、ツァーヴが滞在している部屋には人の通れる窓すらない。
四六時中監視しているわけではないが、セキュリティもある。少なくとも妙な行動をして外部まで脱出したわけがないなんてことは確実であった。
「……どうやってそれを知ったの?カマかけ?」
「連絡手段はスマホってやつだけじゃないんで」
すっとぼけるように嘯くツァーヴからはまともな情報を得ることができないことを早々に理解し、先生は口を閉じる。
一昨日にはサツキがシャーレを直接訪れたらしいということをツァーヴは察知していた。
万魔殿は旧ゲヘナ生徒会情報部のノウハウもあり、現在のゲヘナでは風紀委員情報部と並んで有数の諜報機関でもある。
暗号等を用いた秘匿でのやり取りは、事前の示し合わせさえあればある程度可能なようになっていた。
先生は一旦ツァーヴとの会話をやめ、朝の支度を始める。
スマホを取り出して入っている連絡を確認すると、一件意外な場所から入っていることに気が付いた。
手早く返信をすると、待っていたとばかりに一分足らずで返ってくる。
鼻歌を歌っているツァーヴの前に座った。
視線すら本から離さずまるで興味無さげだが、目ざとい人間であるということは分かっている。先生は口を開いた。
「いい機会だから聞こうかな……今度は前に聞いた経歴じゃなくて、君自身について」
「聞くまでも無いと思いますけどね。オレ、根がお人よしタイプなのが滲み出てるんで」
先生は眉間に手を置く。──しかし、これまでの対話からこういう類の返しが来ることなんて分かり切っていたことだ。それに、今までこの手の生徒もいないわけではない。
頭を振って気を取り戻すと、質問を再開する。
「なんで万魔殿に加担してるんだい?本気でマコトのキヴォトス征服が実現すると思ってるの?」
「本気も本気ですよ!何てったってマコトちゃんが本気なんだから」
「えぇ……そんな根性論だけが根拠で?」
先生はあまりにも予想外の回答に素で疑問を溢してしまう。
ツァーヴはその呆れを理解しているのかしていないのか、本から目を離して先生を正面から見据えた。
「オレは人の意思の力の強さってもんを信じてるんです。マコトちゃんが本気で目的に向かって努力してるんだから、叶わないわけがないんですよ」
真っすぐと先生を見つめる目からその胸中は読めないが、言っている言葉の意味自体は理解できる、と先生は思う。そうなるわけがないとは思いつつも、世界がそうであってほしいとは自分も思っているのだ。だから、否定の言葉を言うことができなかった。
「ということは、勝ち馬に乗るため……」
「いやぁ~別に権力欲は無いっスね。それに、オレが協力なんかしなくたってマコトちゃんはいつかは叶えます。だって本当に理想のために努力してるんですからね」
「……じゃあ、ただ単に救われたから?」
「あぁ、縁も無い訳じゃありませんよ。たまたま拾われたからにはちゃんと尽くすべきっていうやつ?こういう時に無責任に投げ出さないんですよねぇ〜。でももちろんそれだけじゃありません。さて、何でだと思います?」
ニヤニヤと笑いながらツァーヴは問いかけてくる。
先生は自分が問い詰める側であるという立場を忘れそうだった。
「他の万魔殿の結構な数のみんなみたいにイブキのため、って訳じゃなさそうだよね」
「イブキちゃん?健気でかわいいとは思いますけど、あんま面白くないから別にって感じっスかね」
ツァーヴはそれこそ万魔殿に聞かれたら顰蹙を買うであろうことを平然と言ってのける。
やはりこの男は万魔殿に対する帰属意識など持ち合わせていないのだろう、そう先生は思う。
「面白くない……つまり、マコトのことは面白いって思ってるんだ?」
「大正解!当たり前じゃないっスか!あんなしょぼい兵しか率いてないのに、本当にシラフの本気でこの国を支配しようとしてるんスよ!しかもそのためにやることなすこと突拍子もないし、マジで大ウケっスね。マコトちゃんのためだったら頑張れちゃうなぁ」
担ぎがいがありますよね、と嘯くツァーヴは楽しげな笑顔を浮かべている。
「マコトの目的それ自体についてはどう思ってるんだい?可能不可能の問題じゃなく……ゲヘナ及び万魔殿によるキヴォトスの支配……どう考えても反発する人間の方が多い。そのために尽力するということに抵抗はないの?」
「え?もしかして今、噂に聞く"道徳の授業"ってやつを受けさせられてますか!?いや参ったな、先生の前じゃオレも等しく生徒扱いってことになっちゃいます?」
「そんな訳ないだろう……真面目に答えてくれ」
「オレはいつだって大真面目なんスけどね。質問に答えると、知らない人間がどう思おうがどうでもよくないですか?万魔殿のみんなに報われてほしいなァ~」
そうは言うが、ツァーヴは万魔殿の部員に報われてほしいなんて本気で思っているわけではないのだろうな、と先生は感じた。
「……それに、道徳観念の話だけじゃない。キヴォトスの運営に支障をきたすし、治安やらだって悪化する」
「ぶっちゃけマコトちゃんが目的を達成したとしても、その後に問題が起こらない訳がないなんてオレも分かってますよ、バカじゃないんで。でも、それに対応するマコトちゃんも面白そうだし別にいいかな。オレからしたら
「……平和とは程遠い感性をしてるね……けど、それだけなら生徒にもいないわけじゃない。それにそもそもがマコトの望みか……」
先生は少し考えるように下を向く。
「……まぁ、一旦いいか。ある程度問答だったら真摯に答えてくれるってことは分かったしね」
先生はぽつりと呟くと立ち上がった。気合を入れ直すように頬を軽く叩く。
(きちんとルーティーンをこなさなかったせいでペースに飲まれてしまったかもしれない。自分は生徒のためにある存在だということを刻み込まないと)
「なんで急に顔叩いてるんスか?話には聞いてましたけど確かに先生って変なところありますよね」
「……話は変わるけど、君に会いたいって言う生徒がいるんだ。その子は不安定な状態で、君に会わせていいものかと迷ってたけど……」
「その言い方、
退屈が紛れるためかどこか愉快そうな表情を浮かべるツァーヴに、先生はジャケットを羽織りながら返す。
「錠前サオリ。アリウスの事実上のリーダーだった子だよ」
「……いや本当に誰っスか?」
◆
「お~、君かぁ!一週間ぶりだけど元気してた?」
連邦矯正局の取調室の中にいたサオリは、正面の扉から入ってきた人物に目を向ける。
ここに連れられた時点でそうであることは分かっていたが、自分の要望通りの男だった。
「……生憎だが、私が元気だったことなど一度も無い」
「ははっ、かわいそ」
ツァーヴが軽口を飛ばしながら対面のパイプ椅子に腰かける。
「そんなしょぼくれたサオリちゃんがいつでも元気いっぱいなオレに何の用?分けてもらいたいのかな?ちなみにオレの会話は全部録音されてるからね」
「それに関して言うなら、この部屋にはそもそも監視カメラがある」
サオリが親指で示した天井には確かに武骨なカメラが構えられていた。
「私の名を知っているんだな。……その呼ばれ方は、初めてだが」
「そりゃ聞いたからね」
「私もお前について少しだけ聞いた。噂話程度のものだが……」
「噂も何も、大体オレのことは話したと思うけどね」
「アリウスで無線越しにペラペラ喋っている時は、聞き流していた。覚えていない」
「ひでぇ~!」
ケラケラと笑うツァーヴを、サオリは対照的にニコリともせずに見る。
「だが、相対して組み合った時の会話は覚えている。その境遇に関して、聞きたいことがある」
「えぇっと、何言ったっけ?オレ、あんま引き摺らないタイプだからさ」
「いい、聞きたいことはこちらから逐一聞く。……いくつから暗殺技術を叩き込まれたんだ?」
「う~ん、悪いけど覚えてないなぁ。ガキの頃に攫われちゃったから、当時の記憶はどうも曖昧になってる節があるし、それに日も当たらない場所で訓練付けだった時期もあるし……」
「……すまない、悪いことを聞いた」
「ん?何が?まあ訓練じゃなくて仕事をしてる期間も含めたらグエン=モーサにいたのは20年くらいじゃないかな」
「……そうか。20年、か」
「そっちは?」
「お前は……私に興味など無いだろう」
「そりゃ無いけどさ。聞き返すのが礼儀ってもんでしょ?」
「……なら答えるのも礼儀か」
「そうそう!分かってんじゃん!」
「私は物心ついた時からだから……14、5年といったところか」
「おわ~、そりゃひでぇ!やっぱガキに対しては洗脳教育とかあんの?オレのところは薬とか拷問とかあったよ」
「……あったな。vanitas……この世の全ては虚しい、というものだが……」
その後も、過去について二人はしばしば話した。似通っていた個所も多いが、キヴォトスとその外では異なる箇所も多い。
ツァーヴはずっと肩を揺らして笑っていた。幼少から地獄のような訓練を受けていた、という話題を愉快だと思いながら話す人間は、キヴォトスを探してもそうはいないだろう。サオリは釣られてか小さく吹き出す。
「後学のために聞きたい。どうすればそんなに明るく生きられる?何もしたいことが無いならどうすればいいんだ?」
「う~ん?別にオレもやりたいってほどやりたいことはないよ?でも暗い顔してても仕方ないじゃん」
ツァーヴは前も言ったようなことを言う。
しかし、今回は続きがあった。
「オレは仲間のために働いてやってたね。あいつらってオレがいないと本当にすぐ死んじゃうポンコツの集まりだったから。やっぱり今とやってることはそんな変わんないな、オレって優しすぎるから哀れな奴らは見捨てらんないんだよなぁ」
「仲間……」
「先生に聞いたけど、仲いい子がいるんでしょ?オレはいたことないからよくわかんないけど、友だちがいるっていうのはいいことだと思うよ。こっちはそういうの作ったとみなされたら自分の手で壊したり殺したりしないといけなかったからね」
その時、外から二回ノックがした。
サオリは時間にはやや早いと思ったが、この部屋には時計も無い。
思ったよりも話すことに集中してしまったか、と考えて、そんなことを考えている自分に驚愕する。
「ここで罪を償うの?サオリちゃん」
「いや……仮釈放が決まった。アリウスの復興に尽くせとのことだ」
「あぁそう」
一応聞いてみただけだということはサオリにも分かった。
あくびを一つ漏らすとツァーヴは立ち上がる。
「バイバイ、人生なんて適当でいいんだよ。みんな考えすぎなんだよね」
ツァーヴが取り調べ室を出た時、備え付けの椅子に座って待っていたはずの先生の姿はなかった。
頭上から一人の生徒が飛び出す。
「ばぁっ!」
「どうしたの?先輩に伝えるべき用件は全部持たせたと思ってるんだけど」
「……まぁ、ツァーヴさんに通じるとは思ってませんでしたけど……ちょっとはリアクションしてくださいよ」
「ごめんね!事前に言われてた時間より早かったし。チアキちゃんが来たのはちょっと意外かな?あんまりオレ周りのゴタゴタとか興味ないでしょ」
死角から華麗にツァーヴの前に着地したのは、元宮チアキであった。
活動するときはいつも身につけている帽子もコートも着ておらず、制服にトレードマークのカメラのみを持っている。
「聞かなきゃいけないことはいくつかありますが……まずどうやってライオンマルを手懐けたんですか?あの子の首に暗号文がくくられてたのが見つかった時は驚きましたよ」
「人聞き悪い言い方しないでよ、オレは誠実に先輩に向き合ってただけなんだから。信頼関係があるんだよ」
イロハは呆れたような感心したような諦めたような笑い顔を浮かべる。
一匹の猫が、懐いていたとしてもシャーレまで一人の人間を訪ねていくわけがない。何かしらの細工をしていたことは間違いないが、まともに返す気はないということだろう。
「すいませんね、動物愛護精神に欠けてて。次に……"天上天下"をどうしたって、マコト先輩がおかんむりですよ。そもそもどうやって持ち出したんですか?アリウスでの戦いでは持ってなかったってイロハちゃんから聞きましたけど」
「え?あー、アリウスに放棄してきちゃった。持ち出し方はバラしてから現地で組み立てたってだけ」
「えぇ!?あそこ今触れづらい領域なのに……絶対もう鹵獲されてますよね。あっちゃ~、これは収穫なしになりそうですかねぇ」
「先に言ってよ~、今その話できたのに」
ツァーヴはそう言って後ろの扉、ひいてはその中のサオリを指す。
もうロックがかかっており、改めて入りなおすことはツァーヴの手ではできない。
「え?アリウスの誰かと話してたんですか?」
「そういうこと」
「じゃあ自由になったら責任もって交渉してくださいね」
「はいはい」
会話を交わしながらツァーヴのどこか気のない様子をイロハは怪訝に思う。
毒気を抜かれる前にとっとと本題に入ることにした。
「まぁ……それはいいんですよ。マコト先輩がそこに怒ってるのもポーズってことは大体みんな察してます。要するに、ツァーヴさんに早く戻ってきてほしいんですよ。というか私は抜け出す手引きをしろってことで結構なバックアップを受けてるので、一緒に帰ってこないと怒られちゃいます」
「へぇ。他には誰もいないの?」
「単独の潜入工作はツァーヴさんの次に私が優れてるので……ヴェリタスからの干渉を防ぐためにも完全にアナログで来ましたからね。スマホも置いてきました」
チアキはスカートのポケットの中から取り出した針金を揺らす。
電子はともかく物理錠の鍵開けができる生徒はキヴォトスでもそう多くはない。
チアキができるのはツァーヴによる"指導"の賜物でもあった。元々は別のことに活用する予定だったが、今回は別の形で功を奏した。
「ごめんね、帰っていいよ」
ツァーヴはそう言うと椅子に座る。
「……まさかシャーレの方が居心地がいいとか言いませんよね?」
「んな訳ないじゃん。こっちは流石につまんなすぎるって」
イロハは大きくため息をつく。
しかし、本人がこの様子では連れ戻せるものも連れ戻せないだろう。マコトの説得が面倒だな、とだけ思った。
「では、またそのうち。今度は大所帯でお会いすると思います」
「へへっ、愛されてんね」
「ほんとですよ、マコト先輩に感謝してください。忙しいせいでストックしてたイブキちゃんコレクションで紙面を埋める羽目になっちゃいましたし……じゃあ最後に、記事のために哀れな捕虜の姿を一枚、いいですか?」
へらりと笑ったツァーヴがピースサインをすると、カメラのフラッシュが瞬く。
チアキはそのまま天井にある通気孔に消えていった。
ちょうどそのタイミングで先生が通路の角から姿を現した。
ツァーヴを視界に収めると、どこか意外そうな顔をする。
「おかえりなさい!先生、面会に同席しなくてよかったんスか?」
「サオリが話したいと言ってきたなら、いくらでも本人から話は聞くよ」
「お、やっさし~。そっちの用も済みました?」
「うん。大したことじゃなかったから」
二人で並んで矯正局の廊下を歩く。
先生はツァーヴの止まらない軽口を右から左へ聞き流していたが、元居た面会室から十分に離れたところで先生が遮るように口を挟んだ。
「……私は、全ての人間を救おうだなんて思ってない。けど、生徒のみんなにはのびのびと青春を謳歌してほしいと思ってるんだ」
「聞いてますよ。関わりのないどんな生徒にも平等に、でしょ?ほんと聖人っスね。オレと肩を並べられるくらい」
ツァーヴの言葉を無視したように先生は言葉を続ける。
「そして、君は生徒じゃない。だからこんな強引な手段を取らせてもらったけど、君の存在が万魔殿のみんなにとって必要不可欠だっていうならあくまで彼女らのために返してもいいかもしれない。悪影響と言っても全く分別がつかない幼子ってわけじゃないんだから」
「えぇ?急にイブキちゃんの悪口っスか?」
「いや、どっちかというとサツキとかかな……そうじゃなくて。何が言いたいのかって言うとさ」
先生は立ち止まる。
「私程度難なく撒けるのに逃げないのはなんでなのかな?今の私を連れ出したのも工作だよね。シャーレとゲヘナの関係を考えるような性格でもないじゃないか」
その言葉を聞いてツァーヴはショックを受けたような顔をした。
しかし、それはどこか芝居がかっており万魔殿との密通を見透かされたことに対するものとは思えないほど軽い様子であった。
「あの~、マコトちゃんもそうですけど、オレのことナメすぎですよ!オレが逃げる気だったら6日前にはもうゲヘナにいますって」
「……じゃあ他に何か目的があるってこと?」
「ん?お優しい先生がそれ言うんスか?同類なら分かってくれないかなぁ」
気を悪くした様子も無くニコニコと笑いを保ったままハキハキと答える。
「オレの優しさが伝わらないわけないじゃないですか!お尋ね者になるより、堂々と帰った方が気持ちがいいでしょ!それにこれは大チャンスだとも思うんスよね」
「チャンス?何の?」
「先生を篭絡することですよ!イロハちゃんとの両面作戦っス!最大効率で進めたらマコトちゃんビビり散らかしそうでマジ面白いっスよね」
ツァーヴは得意げにそう言うと2を意味するピースを掲げる。
先生は拍子抜けしてしまった。
「それは……正面から言ったらダメなんじゃないかな……?」
「そうスかね?イロハちゃんも直接言ってるらしいし、昨日とか好みの女についてとか教えてくれたじゃないスか~」
「えっ」
「まぁちょっとツンケンしてる子がいいってのはオレには理解できなかったっスけど、今後の参考にはさせてもらうっス」
「いやちょっと、酔ってる時の私が何を言ってたのか詳しく──」
呼び止められても歩を止めないツァーヴが矯正局の外に出た時、フラッシュが二人を包み込んだ。
ツァーヴが光を遮るために顔を隠すと、ブーイングが上がる。
「うわっ!?」
「人気者っスねぇ」
ツァーヴは先生の体を脇に抱えると、突撃してきそうな勢いのギャラリーを飛び越えて走り去る。なぜか盛り上がって歓声を上げている生徒たちを背にして来るのに利用した車に乗り込む。
先生は渋々とエンジンを掛けると、ミラー越しにこちらの様子をうかがっている生徒を尻目に車を発進させる。
「これからミレニアムに行くつもりだったんだけど、君をどうするべきか……シャーレに寄るにしてもな……はぁ、今日の行動は今朝決めたことだし捕捉されないと思ったんだけどな」
先生が計画が狂ったことをぼやくと、助手席で勝手に席を倒して転がるツァーヴが少しバツの悪そうな顔をする。
ふてぶてしいのかそうでないのか分からない態度だった。
「あそこの中に顔見知りもいたし警備も割いてたし、ここにいるって情報流したのはウチの仕込みっスかね。悪いことしたかなぁ……いいっスよ?ゲヘナに送り届けてくれても」
「遠いよ。……そうだな。君にゲヘナ以外の世界も見せた方がいい気がしてきた」
「おおっ、オレが当番スか?これは光栄!いいんスか?いつでも離れられちゃいますけど」
「別に今だってどこへなりとも行けたよね?発信機は付けてるけど、そんなの気にするタチじゃないだろうし……逃げないなら、閉じ込めておく意味もないから」
先生は、どこか遠い目をする。その中には、ある程度諦めたような色があった。
「全く……言葉を交わせば交わすほど、君が何を考えているのか分かんなくなってくるよ」
「正直なだけっスよ!」