諸行無常。仏教の教えの一つ。この世のものに終わりのないものなどなく、変化しないものなどない。たしか、そんな教えだったと朦朧とした意識の中で思い出す。
赤く染まった身体からはドクドクと血が流れ出て大地を濡らしていく。少し離れたところで叫んでいる人たちはスマートフォンを片手に写真を撮ったり救急車を呼んでいるようであった。
チラリと薄れゆく意識の中で目線を横に向ける。意識と共に視界も可笑しくなっているのかボヤけた視界の中に見えたのは巨大なトラックと横転した車たち。
漂ってくる焦げたような匂い。遠くから鳴り響くサイレンのような音。ガヤガヤと騒がしく走り回る無数の足音。
薄れゆく意識の中でも導き出せる明瞭とした回答。つまり事故死。ありふれた形の不幸が舞い込んできた。そういうことだろうと諦めと共に目を閉じる。
死に際のためか本来、ズタズタになっているであろう身体が要求する痛みさえ何処かへと消えた俺は、引き込まれるように消えていく意識に逆らうこともなくその意識を閉ざしていく。
短くもなき男の人生は、そうして終えたのだった。そして、目が覚ましたその時──!!
「──っていう夢を見たんだ」
「ふうん。ねえ、その話まだつづくの?」
「いやいや、こっから面白くなるんだって。目を覚ました男は異世界に転生して、どったんばったんと大活躍して」
「はいはい。妄想もほどほどにね」
椅子に座り、肩口まで伸ばした赤い髪を触りながら藤丸立香は友人である
放課後の教室で妄言としか思えない内容を楽しげに話す藍原は高校に入学してからの同級生であり、入学直後からの友人であった。
彼は珍しいというべきなのか、同性の友人を作るよりも先に誰よりも早く私に友達になりたいと話しかけてきた人物だった。
理由としては、私を一目見てビビッときたかららしい。よくわからない理由だった。
『わからないならそうだな……藤丸が可愛かったから、そう思ってくれ』
そのとき思ったのは『もしかしてわたしは口説かれてるのだろうか』という疑問だった。
実際には本当に友人になりたかっただけで、過度に異性間の付き合いというものを求めては来なかったため私の勘違いだったのだが、異性から可愛いから仲良くなりたいなんて言われたのは初めてだったので内心、少しだけドギマギしたのは秘密だ。
ともかくそれ以来、私はこの友人との付き合いは続いていた。
「ところで話は変わるんだけどね。私今度バイトで外国行くんだよね」
「外国? バイトで?」
「そっ、バイトで。ちょっと誘われて、結構内容も良さそうだから勢いで受けちゃった」
「受けちゃったって……えぇ……外国ってお前、大丈夫なのかよそれ。危なくないのか?」
「大丈夫。信頼できるところみたいだから。お父さんたちの許可ももらえたしね」
マジかよと、覆うように頭を抱えて机に倒れるこむ彼に私は目をキョトンとした。
「そんなにショック受けることある? ちょっと外国で働いてくるだけだよ?」
「ショックだよもー。休みの間会えないかもなあって覚悟はしてたけどさ、藤丸が遠くにいっちゃうと寂しいぞ俺は。休みにデートにでも誘うつもりだったのによう」
「デートって、藍原って私のこと異性として見てたんだ」
「見てないとお思いか。俺はいつだって藤丸のこと可愛い女の子として見てたぞ。チャンスがあれば付き合いたいとさえ!」
「えっ!? あっ……そう……だったんだー」
唐突に告げられた予想外の返答に言葉に窮してしまう。
今まで、彼が異性としての意識を向けてくることはなかった。或いは巧妙に隠していたのか。
それがまさかこんな直球で好意を向けてくるなんて、そこまで私が外国に行くことがショッキングだったのだろうか。
だとしたらちょっと……うん、嬉しい、かな?
「ま、まあそんな長いこと外国行くってわけじゃないからさ。帰ってきたら……うん、その時にでも誘って。受けるかどうかはわからないけど」
「くっそー。こんなことならもっと早く誘っとくべきだったあ」
「あはは……」
大袈裟なまでに悔しがっている彼に私は恥ずかしさを覚え窓の方へと顔を向ける。赤らみ、上気した顔が彼に視線を向けることを拒否させていた。
「外国かあ。流石に遠すぎるぜ」
「ちょっとだけだって。もう会えないとかじゃないんだし」
「ん〜〜………しゃーない。藤丸、お前にこれ渡しとく」
「これってミサンガじゃん。君がいつもつけてる」
机から顔を上げ、少し悩みながらも彼が袖を捲り腕から外して渡してきたのは、複数の色の糸で編み込まれたミサンガだった。
「俺が母さんからもらって、ガキの頃から身につけてる幸運のお守りだ。外国じゃ何かあってもできることはないからな。持ってけ」
「ミサンガって、他の人に触らせちゃダメなやつじゃ」
「細けえことはいいんだよ。俺が10年も身につけて壊れねえ優れものだ」
「……なんかバッチくない? 君が10年も体につけてたやつでしょ」
「汚くねえよ! ちゃんと洗ってるよ!!」
「ふふ、うそうそ。お守り、ありがとうね」
ミサンガをそっと受け取る。彼の体温が残っているのか、仄かな暖かさを残すそれを腕につけ、私はどうよと彼に見せた。
「俺よりもよっぽど似合ってるよ。藤丸、ちゃんと帰ってこいよ」
「もちろん! 帰ってきたら、デート誘ってね」
「……おう」
窓から差し込む赤い日の光に消えるような小さな声。そっぽを向くように窓の外を見る彼の頬は私に負けず劣らず赤くなっているように見えた。
それは私が遠い海の先を超え、南極に向かうことになる前のささやかな放課後の一幕。
彼との小さな約束を交わしたありふれた光景。そして今もう、遠い思い出となってしまった1日。
藤丸立香はその光景を大切に胸の奥にしまいこむように意識を浮上させた。
「……朝だ」
ピピピと鳴り響く目覚ましの音で目を覚ましたのは見慣れた白い部屋。南極に建てられたカルデア。その建物内で自分に割り当てられた無機質感を感じる部屋であった。
「先輩、おはようございます。起きてますか?」
「おはようマシュ、うん、今起きたよ」
「はい、おはようございます。先輩、今日は少し遅めの起床でしたね」
「うん、懐かしい夢を見ててね。ちょっと起きるのが遅くなっちゃった」
ずっと鳴っていたのであろう目覚ましのアラームを止める。時間を見ると普段より30分も遅れていた。
30分もアラームが鳴っていたなんて、どれだけ深い眠りについていたのか、少し自分に呆れてしまう。
カルデアに来て出会った紫陽花のように綺麗な薄紫色の髪で片目を隠した大切な後輩であるマシュがコップに水を入れて差し出してきた。
「……先輩、少し喉が枯れてます。水を飲んだ方がいいかと」
「ん、ありがとうマシュ」
「いえ、それでは準備ができましたら一緒に食堂に行きましょう、先輩。朝食を食べないと元気が出ません」
そうだねと、私が返事をして起き上がるとマシュは部屋の外へと出ていった。恐らくはドアの前で待ってくれているのだろう。女同士なのだし、別に部屋で待ってくれてもいいのだが、真面目な後輩である。
「ふう、懐かしい夢を見ちゃったな。あんな夢を見ちゃうなんて、もしかして寂しくなっちゃってるのかなあ」
鏡の前で顔を見る。目元が少しだけ赤く滲んでいた。
「だめだめ。まだ戦いは終わってないんだから、ホームシックになってちゃ皆んなに心配かけちゃう」
もしかしたらマシュにはもう、バレちゃってるかもしれないけど。さっきの様子からして、少し気を遣わせちゃったかもしれない。
「よし! 私は大丈夫!!」
パチン! と、頬を両手で叩き気合を入れる。
まだ戦いは終わっていないのだ。世界を救うため、弱気になっていてはいけないのだ。
「私は最後のマスターなんだから」
消された人類。その中にいる大切な人たち。家族、友人、知人、そして大切にしてたミサンガをくれた彼のことを思いそっと手首に触れて部屋の外へと向かう。そこで待つマシュと私は食堂へと向かった。
無機質な部屋を出て長い廊下を歩いた先、普段から使用している食堂へと入る。
少し遅れたせいか、食堂は少し閑散としていた。
ずらりと並べられた白い長机のほとんどは空席であり、食事をしているものは少なかった。
その中で、私はお盆に朝食を乗せたマシュと一緒に静かに食事をしている様子の紫色のローブを着た女性の元へと向かった。
「メディアさん、おはようございます。一緒に食事をしてもいいですか?」
「あら貴女たち、随分遅い食事ね。構わないわよ。座りなさい」
お言葉に甘えて私たちはメディアさんの前に座る。並べられた朝食は鮭の切り身に味噌汁、白米と日本人にはオーソドックスなもの。
私は箸を片手に馴染み深い食事に頬を緩める。いつもながら、ここの食事はプロ並みの美味しさだ。ある意味、カルデアでの生活で食事をする時が1番嬉しいタイミングかもしれない。
メディアさんとの食事は和気藹々としたものではなくとても静かなものだ。しかし息苦しさは感じない。私もマシュも言葉数は少ないが、その場に流れる清浄とした空気に浸るように穏やかに食事を続けている。
そして凡そ全ての料理を食べ終えた頃、メディアさんの視線が私の手首に向けられているのを感じた。
「どうしたんですかメディアさん。私の手首を見つめて」
「貴女がつけてるそれが気になってね。なんてやつなのかしら」
彼女が指差しているのは私の手首についているミサンガだった。
「ミサンガですね。自然に輪が切れると願いが叶うっていうお守りです。そういえば、先輩はいつからそれを付けてるんですか?」
「私が付けたのはカルデアに来るちょっと前かな。まあ、貰い物でこれの本当の持ち主は10年も付けてたみたいだけど」
「10年!? すごいです。ただの刺繍糸がそんなに綺麗に状態を保ってるなんて」
「そうね。普通じゃないわよそれ。ちょっと見せてもらっていいかしら……ああ、外さなくていいわよ、効果が薄れるみたいだから」
「?」
メディアさんの言うとおり、手首から外さず腕を彼女の前に差し出して見せる。ミサンガを知らないはずなのに、少し見ただけで身につけておかないといけないってわかったのだろうか。魔術師ってすごい。
メディアさんはしげしげとミサンガを見つめる。
そして何かに納得したように「ふうん」と意味ありげに私を見ながら手首から視線を外した。
「ありがとう。もういいわ。十分知りたいことは知れたから」
「はあ、何かわかったんですか? 友達から貰ったただのミサンガですけど」
神代に生きた高名な魔術師であるメディアさんが気にするほどのものはないはずだけどと訝しむ。彼女は不思議そうに見つめる私を揶揄うように笑いながらミサンガを指差した。
「それ、男からの贈り物でしょ」
「へ!?」
「決して強くはないけど、強い思いが込められた呪具よ。持ち主を悪いものから守ってくださいってね」
呪具!?
その言葉に目を見開きミサンガを見つめる。
いくら見つめても、私には何の力も感じない。だけど、超一流のメディアさんが間違えるはずがない。こう言うことを冗談で言う人でもない。私は信じられないと言った気持ちでミサンガから顔を上げた。
「大したものよそれ。作ったのは魔術なんて使えない一般人でしょうに。積み重ねた年月と思いだけでちょっとした呪具として成立させてるわ。よっぽど貴女が大切だったのね」
「いっ……いやいやメディアさん。これ貰ったのはカルデアに来るほんのちょっと前ですよ! そんな私のために作られたものなんかじゃっ!」
「それじゃあ渡した男の気持ちが強かったんでしょう。本来はその男を守るためのものが、貴女に渡されたことで効果が変質したのね。よかったわね貴女、その男に相当愛されてるわよ」
愛されているという言葉にカアっと顔が赤くなる。
本来なら冗談として流せるであろうその言葉が、実際に呪具として成立するほどのミサンガを示されたことで目を逸らせなくなっていた。
「呪具ですか……メディアさん、先輩のミサンガは呪具ということですが、持っていて危険はないのでしょうか」
頬を上気させたまま固まった私を置いて、マシュが眉根を寄せてメディアさんにミサンガの危険性について聞いていた。
その視線の奥にはちょっとでも危険があるならば無理矢理にでも引き剥がすという意思が宿っていた。
「それは大丈夫よ。危険なものならとっくに離されてるわ。むしろ肌身離さず身につけておきなさい。強い想いが貴女を守ってくれるわ」
「強い想い……」
「ええ。愛ほど強い想いはないわ。それがどんなものであれね。強い想いは力となってくれる。だから、壊れるまでは離しちゃダメよ」
そう言ってメディアさんは席を立ち食堂から出ていった。
残された私は呆然とミサンガを見つめ、マシュは「愛ですか」と興味深くミサンガを見つめていた。
食事を終えて部屋に戻った私はベットに横になりミサンガを見つめていた。
「はあ、まさか藍原から貰ったこれが呪具だったなんて、全く気づかなかったわ」
どこからどう見てもカラフルな普通のミサンガにしか見えない。
とても、呪具と呼ばれるような力を持つとは思えない代物だ。
「──でも、メディアさんが言い切ったことだからなあ! 愛って……愛って!! あいつ〜〜〜ッ!!」
言葉にならない叫びが喉から漏れる。
あまりの恥ずかしさにベットの上で足をバタつかせてしまうほどだ。
嬉しいのか恥ずかしいのか、自分の心がわからない。これ以上ないほどに熱い顔がニヤけそうになるのを必死に押し留め、私は深く、深く深呼吸する。そして冷静になれと何だかの深呼吸の後心を沈めていき、私はベットから出て鏡の前に立った。
そこに映る姿は、ただの学生として過ごしていた頃とは違うものに見えた。
「………」
鏡の前で思う。カルデアに来て数年、もう随分と時間が経ってしまった。
必要に駆られて沢山の危険を乗り越えて、体も随分と鍛えられている。医療施設はあっても体の傷も増えてしまった。もうその身体はカルデアに来る前と後ででは、全然違うだろう。
彼は、今の私を見たら何を思うのだろうか。
世界を救ったとして元の日常に戻れたとして、果たして以前と同じように接することができるだろうか。
「たとえ元の関係に戻れなくっても……その先がなかったとしても……」
私は世界を救う。
それが最後のマスターであり、残された人類として果たさないといけない使命なんだから。
「私は世界を救うよ。誰のためでもない。私のために」
もし拒絶されたら、なんて考えない。私の知る藍原隆聖ならそんなことにはならないと思っても可能性は消えない。そしてそんな不安は足枷になる。だから、考えない。
暗く沈んだ心は視線を強くし、乙女のような顔から使命を果たさんとする戦士のような目に変わる。
「藍原、また会えたらその時に答えを聞くね。だから、それまでは私と一緒に戦ってね」
ミサンガにそっとキスをする。
それは彼女なりの誓い。
これからも訪れる数多の危険に立ち向かうための支えの一つ。
手首につけられた与えられた愛の証。それが切れるその時まで決して折れないという覚悟を新たに、彼女は鳴り響いた緊急アラームにドアの方へと振り向いた。
「先輩、特異点が発生しました!! 至急、準備をお願いします!!」
「わかってる。すぐにいく!!」
勢いよく、開かれたドアを出ていく。その先に待ち受ける世界に危険のないものはない。それでも迷いなく走る彼女を守るべく、いくつもの色が込められたミサンガは彼女の腕の中で輝いていた。
清姫とか思いだけで竜になれたりするんだから、時代が違っても思いだがて魔術的なものが生まれてもおかしくないはず。