サイド7の受信機~アムロ・レイの隣で鳴り響く、もう二つのガンダムの叫び~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
それは、獲物の喉元を狙う獣が、草むらの中で吐息を殺しているような、おぞましい「無音」でした。
コロニーの空気に混じる火薬の匂いは、もう隠しようがないほど濃くなっていました。平和な街並みを彩るクリスマスの飾り付けが、まるで死者を弔う花輪のように見えて仕方がなかったのを覚えています。
私の感覚は、コロニーの森の奥深くに潜む「獣」の殺意を捉えていました。ミーシャと呼ばれた男が抱く、酒の香りと硝煙が混ざり合ったような、退廃的で鋭利な殺意。
「森の中に、悪い獣が隠れてる」。
そう訴える私の声を、カツもレツも、そしてアムロさんでさえ、切迫した現実としては受け止めてくれませんでした。けれど、見えない場所で牙を研ぐ獣の気配は、確実に、そして残酷に、クリスお姉ちゃんの守る「もうひとつのガンダム」へと近づいていたのです。
サイド6の街には、キラキラした飾りが増えていた。
「クリスマス」っていうお祭りが近いんだって、フラウお姉ちゃんが教えてくれた。
でも、キッカはちっともワクワクしなかった。
クンクン、と鼻を鳴らす。
やっぱり、匂う。
おもちゃ屋さんの並ぶ通りにも、白鳥のいる湖の風にも、あのみんなを焼き尽くす「火」の準備をしている匂いが混じっている。
「キッカ、またそんな顔して。今日はサンタさんにお願いするものを決める日だよ?」
カツが呆れたように言う。
「そうだよ、キッカ。そんなに怖い顔してたら、サンタさん来ないぞ」
レツも笑っている。
「……違うの。カツ、レツ。聴こえない? お空の向こうから、獣が走ってくる音がするんだよ」
キッカはコロニーの壁の向こう側、暗い宇宙を指差した。
そこには、大きなトラックに隠された、青い色をした怖いロボット……ケンプファーが、バラバラの体をつなぎ合わされて、目覚める瞬間を待っていた。
(……あ。お酒の匂い。とっても、冷たくて怖いおじさんの音)
『……あばよ、相棒。明日の今頃、この街は最高の花火に包まれるぜ』
聴こえてきたのは、ミーシャっていう名前の男の人の声だった。
その人の心の中には、悲しみも、迷いもなかった。
あるのは、ただ目の前の敵を壊し、戦いの中で燃え尽きたいという、真っ黒な炎だけ。
その炎が、森の中に隠された秘密の基地……クリスお姉ちゃんがいる場所を、じりじりと炙り出そうとしている。
「……お姉ちゃん、逃げて」
キッカは小さく呟いた。
でも、お姉ちゃんの声は、さらに深い義務の底に沈んでいた。
『……明日、アレックスの最終テストを行います。これで、アムロ・レイ少尉に届ける準備が整うはずです』
クリスお姉ちゃんは、自分を狙っている「獣」がすぐそこまで来ているなんて、ちっとも気づいていない。
お姉さんは、ただ真っ直ぐに、アムロさんのためにガンダムを完璧にしようと、暗い格納庫でモニターを見つめている。
お姉さんの「守りたい」っていう静かな音と、ミーシャおじさんの「壊したい」っていう激しい音が、森の境界線で火花を散らし始めていた。
「キッカ、何をブツブツ言ってるんだい?」
いつの間にか、アムロさんが後ろに立っていた。
アムロさんの瞳には、少しずつ戦士の鋭さが戻ってきている。サイド6に入ったばかりの時のような、パパとの再会に震えていた弱さは、もうどこにもなかった。
「……アムロさん。森の中に、悪い獣が隠れてるの。とってもおっきな牙を持って、お姉ちゃんを狙ってるよ」
キッカがアムロさんの手をぎゅっと握ると、アムロさんは一瞬、ハッとしたように森の方へ視線を走らせた。
「獣……。いや、僕にも何かは感じる。でも、これはジオンの艦隊のプレッシャーとは違う。もっと近く、もっと嫌な場所に潜んでいるような……」
アムロさんは自分の眉間を指で押さえた。
「……キッカ、君には何が見えているんだ? 僕は、戦うことには慣れてきた。でも、このコロニーに満ちている『嫌な予感』の正体までは掴めないんだ」
「……あのお姉ちゃんが、危ないの。アムロさんのために、ガンダムを守ろうとしているお姉ちゃんが」
アムロさんは、キッカの言葉の半分も理解できていなかったかもしれない。
けれど、アムロさんはキッカの震える手を見て、優しくその手を包み返した。
「……わかった。僕も気をつけておくよ。ホワイトベースの周りだけじゃない、このコロニー全体に、何かが起きようとしているのは確かだからね」
その夜、キッカは夢を見た。
銀色の悪魔が、平和な街を真っ赤な炎で焼き払い、クリスお姉ちゃんが泣きながらガンダムに乗り込む夢を。
12月18日。
戦いの幕が上がるまで、あと数時間。
リボ・コロニーの夜は、獣の吐息のように、不気味に静まり返っていた。
リボ・コロニー内に潜伏するサイクロプス隊は、分解して持ち込んだ新型MS「ケンプファー」の組み立てを完了させる。パイロットのミハイル・カミンスキー(ミーシャ)は、翌日の襲撃を前に、静かに闘志を燃やしていた。一方、連邦軍のクリスチーナ・マッケンジーは、アレックスの調整を最終段階へと進めていた。両者の距離は、コロニー内の森林区を挟んで、すでに目視できるほどに接近していた。