サイド7の受信機~アムロ・レイの隣で鳴り響く、もう二つのガンダムの叫び~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
あんなに激しく鳴り響いていた「死」のノイズは、潮が引くように消え去り、代わりに世界には日常という名の小さな音が戻ってきました。パンを焼く匂い、誰かが誰かを呼ぶ声、壊れた壁を直す槌音。
大学生になり、ジャーナリストの端くれとして「あの日」を追いかけている今の私は、時々ふと考えます。あの時、私の耳に届いていた「もう一つの戦場」の声たちは、今どこで、どんな風に響いているのだろうかと。
記録には残らない戦いがありました。ガンダムという名の「力」に翻弄され、あるいは愛のためにすべてを投げ打った名もなき主人公たち。私は、彼らがいなければアムロ・レイという光もまた、あのア・バオア・クーの闇に呑まれていたのだと信じています。
これは、4歳だった私が受け取った、祈りの終わりの物語です。
1月の空は、宇宙(そら)であってもどこか新しい冷たさを帯びていた。
ホワイトベースを下船したキッカは、フラウの手に引かれながら、連邦軍の施設が並ぶ灰色の通路を歩いていた。カツとレツは、慣れない陸上での生活に少しはしゃいでいたけれど、キッカだけは時折立ち止まって、誰もいない方向をじっと見つめていた。
(……聴こえなくなった。あんなに騒がしかった、遠くの声が)
耳を澄ませても、もうケンプファーの不気味な足音も、アプサラスの巨大な羽ばたきも聴こえない。戦争という巨大な怪物が眠りについたことで、キッカの特別な感覚もまた、穏やかな眠りに入ろうとしていた。
けれど、完全に消えたわけではない。
キッカの胸の奥には、砂粒のように小さく、けれどダイヤモンドのように固く残った「記憶」があった。
「キッカ、どうしたの? 足が痛いの?」
フラウが心配そうに覗き込む。キッカは首を振って、にっこりと笑った。
「ううん、大丈夫。……ねえ、フラウ。あのお姉さん、元気になったかな」
「あのお姉さんって……サイド6の?」
フラウは不思議そうな顔をしたが、キッカは答えなかった。
キッカの頭の中には、いま一人の女性の「静かな意志」が届いていた。
サイド6、リボ・コロニー。復興の始まった街角で、クリスお姉ちゃんは軍服を脱ぎ、新しい旅立ちの準備をしていた。
『さようなら、アル。勉強、頑張るのよ』
お姉ちゃんの声は、少しだけ寂しそうだったけれど、あの日ガンダムの中で震えていた時よりも、ずっと凛としていた。彼女は、バーニィという青年が遺した悲しみを抱えながら、それでも「平和な世界」を歩き出そうとしている。その前向きな鼓動が、キッカの耳に心地よく響く。
そしてもう一つ。ずっと遠い地球の、ジャングルの向こう側から。
シローお兄ちゃんとアイナお姉ちゃんの、混じり合った一つの「生」の波長。
『アイナ、見てくれ。新しい芽が出てる』
『ええ、シロー。私たちの春が、もうすぐ来るのね』
二人の声は、もう軍の通信には決して乗らない。連邦からも、ジオンからも忘れられた場所で、二人はただの男と女として、泥にまみれて生きている。シローお兄ちゃんは足を失い、アイナお姉ちゃんはすべてを捨てた。けれど、キッカには見えていた。二人が見つめ合う瞳の中に、どんなガンダムのセンサーも捉えられないほど眩しい、本物の「光」があることを。
「……よかった。みんな、生きてる」
キッカは小さく独り言をこぼした。
前方を歩いていたアムロさんが、ふと足を止めて振り返った。
アムロさんの瞳は、戦っていた頃の鋭さを失い、穏やかな、どこか遠くを見るような色をしていた。彼はキッカの横まで戻ってくると、大きな手でキッカの小さな手を包んだ。
「キッカ。君には、まだ聴こえているのかい?」
アムロさんの問いかけに、キッカは頷いた。
「うん。アムロさん。あのお姉さんも、地球のお兄ちゃんも、みんな頑張ってるよ。だからアムロさんも、もう一人じゃないんだよ」
アムロさんは一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、心当たりがあるような、少しだけ照れくさそうな表情をして、空を見上げた。
「……そうか。僕が生き延びることができたのは、僕だけの力じゃなかったんだね。君が繋いでくれたその声たちが、僕をここまで連れてきてくれたんだ」
アムロさんは知っていた。自分が「ニュータイプ」として完成されていく裏で、世界中でどれほどの小さな命が、自分の光を支えるための影となって散り、あるいは生き抜いたのかを。
キッカを通して伝えられる名もなき人々の意志。それが、アムロ・レイという孤独な天才を、再び一人の青年に引き戻してくれたのだ。
「行こう、キッカ。新しい世界を、見に」
アムロさんに手を引かれ、キッカは一歩を踏み出した。
宇宙の耳鳴りは、もうしない。
代わりに聴こえてくるのは、冷たいコンクリートの隙間から芽吹いた、小さな草花が風に揺れる音。
いつか、キッカが大きくなった時。
あの森のお姉ちゃんや、ジャングルのお兄ちゃんに直接会える日が来るかもしれない。
その時、私はなんて言おう。
「ずっと聴いてたよ」かな。「頑張ったね」かな。
4歳のキッカが見つめる視線の先には、戦争の傷跡を包み込むような、柔らかな春の予感が満ちていた。
物語はここで一度幕を閉じる。
けれど、キッカが拾った命のシンフォニーは、形を変えながら、今もこの宇宙のどこかで鳴り響き続けている。
一年戦争の終結後、ホワイトベース隊の乗組員たちはそれぞれの道を歩み出した。アムロ・レイ、クリスチーナ・マッケンジー、そしてシロー・アマダ。交わることのなかった彼らの運命を、唯一「耳鳴り」として繋ぎ止めた少女、キッカ・キタムラ。彼女が大人になり、歴史の真実を追うジャーナリストになったのは、この時、宇宙の端々から届いた無数の「生きる声」を忘れないためだったのかもしれない。