憑依者しかいないゲマトリアがキヴォトスの破滅を回避しようとする話 作:シャンタン
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『先生、おはようございます!』
「"おはよう·········アロナ"」
アロナの元気な声が、シャーレの執務室に響く。
だが、返事は普段よりも明らかに覇気がなかった。机に突っ伏して、顔だけを上げている先生の目元には薄く隈が浮かび、寝不足を隠しきれていない。
『大丈夫ですか?先生?昨日はそのまま寝てしまっていましたが······』
「"ちょっといろいろあったからね。話が一日で二転三転してて、頭の中で整理してたら、随分と時間が経っててね"」
そう言いながら、先生はこめかみを軽く揉んだ。
昨日起きた出来事は、どれも軽く流せるものではなかった。
小鳥遊ホシノ、パパ活疑惑。
アビドス高校、借金問題。
小鳥遊ホシノ、人体実験疑惑。
一つだけでも十分に衝撃的な話題だ。それがわずか一日のうちに次々と飛び込んできたのである。
先生には一日で消化しきれるものではなかった。
カヤへの報告のあと、少し整理しようとシャーレの部室に来て椅子に座ると、いつのまにか寝てしまっていた。
お陰で、睡眠時間と睡眠の質にダイレクトアタックを仕掛けられている。
事実と憶測が入り混じる情報の数々。
どこまでが真実で、どこからが誤情報なのか。
先生として、生徒に関わる以上は軽率な判断はできない。
結局確定している事実は、アビドス高校に多額の借金があること。
それを如何様かの手段で、利子以上に返済していることの二点である。
その返済方法次第で、シャーレの動き方が変わってくるのだ。
借金返済のために、生徒の安全が脅かされているならば、介入が必要になる。
しかし、全くの見当違いであるならば、安易に踏み込むこともできない。
情報不足。
アビドスについても、良く分からない非公認自治区についても、確固たる情報は少ない。
それが今の先生にとって、最も頭を悩ませる問題だった。
『あまり、無理はしないでくださいね······』
先生の思い詰めた顔を見たアロナが、心配そうに声をかける。
軽口の一つでも返したいところだが、先生にはその余裕もない。
先生は苦笑を浮かべるだけだった。
ピコンッ。
通知音が静かな室内に響く。
『先生!ユメさんから連絡がきましたよ!どうやらお昼にラーメン屋さんへ行くみたいです。アビドス高校の生徒さんたちも行くみたいで、お誘いがきてますよ!!』
アロナの表情がぱっと明るくなる。
先生も僅かに身体を起こす。
重苦しい情報ばかり追っていたところへ舞い込んだ、比較的平和な誘いだった。
それに、アビドス高校の事情を生徒たちに確認するのに丁度良くもある。
あわよくば、ホシノ本人に黒服と呼ばれる人物について尋ねたい。
「"お邪魔させて貰おうかな。集合場所はアビドス高校かな?"」
『そうみたいです!!もう伺いますか?』
「"そうだね。出発する際に連絡するって返信をお願い。あと、カヤに電話·········"」
そこまで口にして、先生は言葉を止めた。
昨晩の光景が脳裏をよぎる。
自分が帰る間際に、突如として発生した仕事を処理し始めたカヤ。
明らかに自分が仕事を増やしていた自覚があり、電話は憚られた。
少し遅めまで寝ているかもしれない。
それに、わざわざ電話をかけるほどの内容でもない。
今回の訪問は依頼対応というより情報収集に近い。
調べた結果を報告するだけならば、後でも良いだろう。
いろいろ正当化するための理由が湧いてくる。
「"いや、メールだけ出しといてくれるかな。あと、ニコに借りても良い車があるか聞いてくれる?"」
『了解です!』
先生は電話の判断をやめ、カヤへの連絡はメールに留める。
また、昨日はニコに送迎して貰ったが、今日は自分だけで向かおうかと思い、ニコへのメールもアロナへお願いする。
連続で足に使うというのも憚られたのだ。
歩いて向かわない分、多少の危機感はあるかもしれない。
しかし、先生一人で向かおうとしている辺り、キヴォトスを甘くみているだろう。
もっとも、その自覚は本人には薄かった。
『ニコさんから返信が来ましたよ!「私も行くので待っててください」―――だそうです!!』
「"気を遣わせちゃったかな?·········シャーレで使っていい車を把握するか、私も車を買うべきかな?"」
先生は苦笑する。
移動手段を他人任せにしてしまっていた。
シャーレ用に動かしていい車があるのか、それとも個人で車を所有した方がいいのか、いろいろ確認や準備が足りないなと改めて思い知る。
『なら、月の課金額を減らしまょう!このペースだと、車を買うお金まで貯まりませんよ!!』
「"······世知辛いね"」
即座に飛んできた現実的な提案に、先生は肩を落とした。
ピコンッ。
さらに通知音が鳴る。
『ニコさんが下に到着したそうです!』
「"もう?急がせちゃったかな?"」
思った以上に早い到着だった。というより、既に向かっていたのだろうか?
先生は時計を見て小さく眉を上げる。
少しの疑問を抱きながら出入口まで歩いていく。
シャーレの廊下を抜け、エントランスへ向かう足取りは少しだけ重い。
それでもアビドスへ向かえば、何かしら新しい情報は得られるだろう。
今はそれに期待するしかなかった。
「"ニコ、ごめんね。急に呼んじゃって"」
「いえいえ。今日も伺うかなとは思っていたので」
待っていたニコはいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
その姿に先生も少し肩の力を抜く。
だが、その直後。
ニコの携帯が鳴る。
一度だけではない。
着信音ははっきりと耳に届いていた。
しかし、ニコに出る気配がない。
「"出なくて大丈夫?"」
先生が尋ねると、ニコは表情を崩さないまま答えた。
「あぁ、気にしないでください。個人携帯の電源を切り忘れていただけなので」
そう言いながら、ニコは携帯の電源を切る。
「目的地はアビドス高校で大丈夫ですか?」
「"······?大丈夫なら良いんだけど。目的地はアビドス高校であってるよ。······私も出発したってメール出さないと"」
違和感。
それは本当に些細なものだった。
着信を無視したことか。
それとも説明の仕方だったのか。
先生自身も何に引っ掛かったのかは分からない。
ニコに少しの違和感を覚えながらも、ユメへシャーレを出発した旨の連絡をする先生。
しかし、その小さな違和感は胸の奥に引っ掛かったまま消えなかった。
アビドスへ向かう車が動き出す。
昼食会へ向かうだけのはずだった移動は、先生の知らないところで別の流れを孕みながら静かに始まっていた。
防衛室前の廊下。
業務の始まり際だというのに、その一角だけは妙に静かだった。
整然とした廊下の壁に背を預けながら、ユキノは携帯を耳に当てている。
表情はいつも通り無機質。
しかし、その内心は決して穏やかではなかった。
「ニコはやはり?」
短い問い。
だがその言葉には、確認というより確信に近い響きがあった。
『やっぱりいないねぇ~。自室も散らかってるし、鍵もかけてない。随分とバタバタしてたっぽいね。隊長の方は?』
電話の向こうから聞こえるオトギの声は、相変わらず緊張感に欠けている。
だが報告内容そのものは軽くない。
ニコが無断で行動している可能性は、もはや疑いようがなかった。
「······こちらも、カヤ室長には会えていない」
『いやいや~、カヤちゃんがいない理由と、ニコがいない理由は別でしょ?カヤちゃんは防衛室で寝落ちしちゃって、後輩ちゃんに仮眠室に担ぎ込まれたとかだったんじゃ?』
「·········把握していたのか?」
ユキノの眉が僅かに動く。
『えっ?マジ?冗談のつもりだったんだけど·········いくら何でも働き過ぎじゃない?』
「······それは、私たちが判断することじゃない。それよりも、ニコの行方に見当は?」
話題を切り替える。
カヤについて語り始めると長くなる予感がしたからだ。
実際のところ、ユキノ自身も防衛室に突入した際、仮眠室で眠っているらしいカヤを起こそうとしていた。
だが――。
『カヤ室長を、少し休ませてあげられませんか·········?』
防衛室所属の生徒から向けられた、あまりにも切実な視線。
後悔が入り混じるような、罪悪感を抱いている表情。
端的に言えば、一人で残すと働き続ける上司を憂いていた。
口車にのって帰るべきではなかった······と早過ぎる出勤を決めていた防衛室所属の生徒は悔やんでいたのだ。
そして、その言動や表情がユキノには、思いのほか効いてしまったのである。
結果として、緊急性を再評価した末に、カヤを起こすのを断念した。
その判断に私情が混ざっていなかったとは、ユキノには言い切れないだろう。
『十中八九、アビドスじゃない?昨日の夜にカヤちゃんから説明を受けたあと、二人で話し合ってたみたいだし。今回とは別件って言ってたけど、そんなことはないでしょ』
「······」
ユキノは沈黙する。
ニコが独断で動いた。
その事実だけでもあり得ないことだった。
しかも、連絡を絶っている理由が分からない。
勝手な行動は、特殊部隊として褒められたものじゃない。それどころか、連絡を無視しているため、命令違反に近い。
ニコは飄々としていながらも、こういった連絡を怠るタイプではない。ましてや副隊長として自覚も持っており、独断専行などしない。
だからこそ余計に不可解だった。
カヤとニコの間で何かあったのかと、考えを張り巡らせるユキノ。
『どうする、隊長?私たちも今から向かえば、追い付けるとは思うよ』
「いや、ニコ一人であれば説明をつけられる。しかし、それ以上は無理だ。指示を待て」
オトギの問いに、ユキノは冷静に答える。
組織として動く以上、独断に独断を重ねるわけにはいかない。ましてや、今のSRTの行動は、カヤの判断だと解釈される。
対外的にはカヤ一人でSRTを運用できないように説明している。しかし、連邦生徒会長代理のリンからは、SRTを動かすのは緊急時に限り
つまり、連邦生徒会長代理の承諾を受けたと建前だけ用意して上手く誤魔化せれば、防衛室長単独の判断でSRTを投入することが可能なのである。
もちろん、下手なことをすればカヤの首は飛ぶ。
連邦生徒会のトップ重視の思想が変わってないと嘆くべきか、高度な柔軟性を確保していると評価すべきか迷うラインだ。
『でも·········』
「これは命令だ。FOX4」
その一言で空気が変わる。
感情を圧し殺そうとしている、隊長としての声だった。
『············FOX4、了解。全く、隊長も素直じゃないね』
その言葉に、ユキノは小さく目を伏せた。
オトギは気付いていた。
もし問題になった場合、ユキノは「自分が指示した」と説明するつもりなのだと。
隊員を切り捨てる選択肢を、最近のユキノは持っていないだろうと。
そして、上司であるカヤがその判断をどう扱うかの信頼もある。
『じゃあ、絶壁ちゃんにも伝えておくね~』
『ちょっと!!誰が絶壁だって言うのよ!?』
オトギが雰囲気を戻すための一言で、電話の向こうが騒がしくなる。
どうやらクルミも近くにいたらしい。
『えー?誰も、クルミのことだって言ってないよ?』
『この状況だと私以外いないじゃない!?ふざけるのも大概にしなさいよ!!』
ユキノは無言だった。
以前の彼女なら、即座に注意していたかもしれない。
しかし最近は違う。
多少のじゃれ合い程度なら放置するようになっていた。
それは成長と言うべきか、それとも悪化と言うべきか。
『じゃあ、隊長に決めてもらおうよ。どっちが悪いかさ?隊長、スピーカーにするね~』
『分かりきってるじゃない!聞くまでもないわよ!!』
電話越しに聞こえる慌ただしいやり取り。
そんな二人の様子を聞きながら、ユキノは一拍だけ考える。
「·········FOX3、ほどほどにしておけよ」
『ブフッ』
『何で私なのよ!ちょっとオトギ!!携帯渡しな·········』
「また連絡する」
そのまま通話を切る。
直後、静寂が戻った。
そして、ユキノは小さく目を閉じる。
SRTの代表として、完璧と評される程の人物であるのだが、カヤとの信頼関係が良好になるにつれ、考え方に影響を受けていた。
ユキノがSRTの一年生で、学年も終わり際のことである。
連邦生徒会長から、防衛室長候補としてカヤを紹介された。
防衛室とSRTで連携を深めていく意図があり、交流を深めて欲しいという意図らしい。
そして、連邦生徒会長が信頼をおける生徒の一人がカヤだと言う。
事務処理能力を高く評価されていたリン以外に、こういった人物もいるのかと、驚愕を今でも覚えている。
そしてユキノは、カヤと会話を行い交流を深めていった。
なぜ、SRTに入ったのか。
ユキノの信念は何か。
小隊として心がけていることは。
という真面目な質問から、
休みの間はどうしている。
ボードゲームは嗜むか。
恋愛に興味はあるか。
など、答える必要性が分からない問いまで投げ掛けられた。
そして、それを顔に出してしまっていたのか、
『上に立つならば、ユーモアも大事ですよ?上が固い考えだと、下は肩身を狭くするでしょう?』
という言葉まで告げられた。
その言葉は、ユキノからすれば気にするべきものではなかったが、連邦生徒会長から信頼される人物という肩書きが、カヤからのアドバイスを受け入れる下地を作った。
何か意味があるのだろうと真面目に受け止め、ユキノは自分なりの解釈でアドバイスを受け止めることにしたのだ。
そして、真面目にユーモアを取り入れようと試行錯誤した結果―――真剣な表情でボケる堅物という変異を遂げた。
本人は至って真面目である。
問題は、これによってSRTの生徒として甘い判断を下すことが増えたことである。
訓練中などはめちゃくちゃ厳しいのは変わり無いが、プライベートの行動などでは目くじらを立てることが減っていた。
対外的な目がない時には過度な緊張は不要で、適度な緊張となるように、リラックスを覚えたのだ。
変わる前を知る同年代からは一時期、体調不良を心配されている。しかし、前より親近感があると概ね好評であった。
そんなことを知らない新入生からは、
『最初は怖いと思ったけど、緊張を和らげようと気遣ってくれる』
と、思ったより優しいと好評である。
流石は防衛室長候補·········とユキノなりにカヤへの信頼度を上げていた。
そして、その認識をカヤ本人に伝えたとき、ユキノの頑張りであると受け止められた。
ユキノは、これが上に立つ人間かと、好感度を無意識に上げている。
(カヤ室長とニコだけが知っている情報があるのは明らかだ。しかし、互いに意味もなく情報を秘匿するようなことはしない。わかってはいるが······)
ユキノは壁に背を預けたまま視線を天井へ向ける。
(少しは、信頼されていると考えていたのだがな。はぁ、武器に感情は不要だろうに。なぜ私は、こんなにも時間を浪費している?)
傍から見れば、絵になる姿だった。
整った容姿。
隙のない立ち姿。
まさしく精鋭部隊の隊長。
しかし実際のところ。
カヤやニコが自身に秘匿している情報がある事実。
連邦生徒会長失踪後から、明らかに焦燥しているカヤ。
思い詰めた表情を時折見せていたニコ。
そして、FOX小隊の隊長として、頼りにされていない状況。
そんなことで頭を悩ませている最中だった。
甘さを持たずに成長していれば、緊急事態としてカヤを叩き起こしただろう。
それに、部隊メンバーに独断を許すような雰囲気にはしない。
何よりも、連絡もなく動いているであろうニコを放置したり、庇ったりなどしないだろう。
ユキノは思考の柔軟性を手に入れたが、感情で動くことがあるという、SRTの生徒としては欠陥を抱えるようになってしまった。
本人はまだ、そのことに気付いていない。
プルルッ。
携帯が鳴る。
画面にはクルミの名前。
恐らく先ほどの件について抗議の電話だろう。
ユキノは一切の躊躇なく着信拒否した。
静かになった携帯を見つめながら、小さく息を吐く。
再度のため息をついているが、怒りたいのはクルミであろう。
そして少し離れた場所から、比較的遅めに出勤してきた防衛室所属の生徒が、不思議そうな顔でその様子を見ていた。
カヤの睡眠優先の判断に、ひと悶着あったことを知らない生徒たちは、
(あの人何してるんだろ·········?)
と疑問を頭に浮かべて防衛室に入っていた。
そんな視線が向けられていることに、ユキノは最後まで気付かなかった。
今の彼女は、今疲労で眠っている上司や、連絡が途絶えた隊員の安否のことで、頭がいっぱいだったからである。
アビドス高校校舎前。
昼前の陽光が砂漠の校庭を照らしていた。
そんなアビドスの校舎前に車が止まり、先生とニコが降りてくる。
「おはよ~、先生、ニコちゃん。来てくれてありがとねぇ」
「おはよう、先生、ニコ」
「"小鳥遊さん、砂狼さん、おはよう"」
「······」
何か考えているのか、ニコは挨拶も返さずにホシノを見つめている。
「ん。ニコ、大丈夫?」
「あっ、すみません。ボーッとしてました。おはようございます」
ニコは慌てたように返事をする。
だが、その反応は明らかに一拍遅かった。
運転中も少し注意散漫で、集中できていないというよりは、考え事をしているように先生には感じられた。
先生も度々声をかけていたが、はぐらかされてしまっている。
あまり詮索されたくないのかなと、先生はニコへ深く事情を聞いていない。
もっとも、その変化は先生だけでなくアビドスの生徒たちも感じ取っていた。
昨日会ったばかりの相手ですら違和感を覚えるほど、今日のニコの違和感は顕著だった。
「"他の人は準備中かな?"」
「セリカちゃん以外はそうだよ~。セリカちゃんは先に目的地にいるからね。それと、おじさんのことはホシノでいいよ~、先生」
ホシノは自然な調子で話を合わせる。
先生が話題を変えたことも理解していた。
だからこそ、あえて追及しない。
昨日の時点でやんわりとニコを警戒していた少女とは思えないほど、自然な対応だった。
話の流れを変えやすいように、自分の呼び方について言及する。
そして当然のように、セリカのバイト先へ向かうことは伏せていた。
メインイベントは、バイト中のセリカの所へ突撃しからかうためであるが、先生には伝えない方が面白いという判断である。
「ん。私もシロコでいい」
「"それじゃあ、そう呼ばせて貰おうかな"」
シロコも短く頷く。
だが、その視線は一瞬だけニコへ向いていた。
シロコも、ニコの違和感を気にしながらも応答していた。
「"それと、ご飯が終わった後なんだけど、ホシノに時間ってあるかな?"」
「······会って一日なのに大胆だねぇ。先生?でも、おじさんを選ぶのは趣味が悪いと思うなぁ」
「"ち、ちがうからね!?ただ、聞きたいことがあるだけだから!!"」
先生の反応を見て、ホシノが満足そうに笑う。
ホシノは先生のことを、お人好しの雰囲気があり、からかい甲斐のある相手だと判断していた。
少しのニンマリ顔で、先生をからかうホシノ。
声音から、ホシノがからかいモードに入ったことを察し、自身への注目が無くなったと判断したシロコは、ニコのことを注視する。
先生をからかうホシノ。
慌てる先生。
そのやり取りを眺めながらも、ニコだけはどこか別のことを考えているように、シロコには感じられた。
(昨日まで先生のことも探ってたのに······今は、どちらかというとホシノ先輩を見てる)
シロコは静かに観察する。
ニコが見ているのは先生ではなく、明らかにホシノであった。
それも、単なる興味ではない。
何かを確かめようとしているような視線。
そんな様子をみて、ニコへ声をかけるべきか悩んでいると、シロコの耳にバタバタした足音が入る。
校舎の中から慌ただしい足音が響く。
次の瞬間。
「待たせてごめんね~~!ノノミちゃんとアヤネちゃんのおかげで、探し物見つかったよ~!」
ユメが勢いよく飛び出してきた。
いつも通り元気いっぱいである。
そして、ユメの手には奇妙な形のカメラが握られていた。
白い鳥を模したようなデザイン。
鳥の口から飛び出したレンズが特徴的だった。
「遅いよ~ユメ先輩。あまりにも遅いから、先生に口説かれちゃったよ~」
「え~~~!ホシノちゃん、先生からも口説かれちゃったんだ!?」
「"だから、誤解だって!!"」
無自覚の攻撃者が増えた瞬間である。
しかも先生の言葉は聞こえていないとばかりに、既成事実が形成されつつある。
被害を拡大していくホシノ。
先生も冷静になれたら、ユメの言葉の違和感に気付けたかもしれない。
しかし、今の先生は必死に誤解を解く側である。
そこまで頭が回らなかった。
そんなコントをやってる間に、ノノミとアヤネが合流する。
「ん。おかえり」
「ただいまです~。なかなか賑やかになってますね?」
「ん。ホシノ先輩は今日も好調」
「あはは······」
アヤネの乾いた笑い。
もはや理解を諦めた者の笑いだった。
「みんな来たみたいだし、先生と遊ぶのもここまでかな~」
ホシノが肩を竦める。
その言葉を聞きながら、先生は心の中で小さく考える。
("話を逸らされたって思うべきかな?······それにしても、陰のない雰囲気だ。どちらかといえば、多額の借金で苦しんでいることの方が嘘だと思えてしまう")
話を逸らされたのだと見当をつける先生。
直接探り過ぎたかと少し後悔しつつ、話を続ける。
ただの愉快犯である可能性が頭をよぎるが、流石に失礼かと首を振る。
こういったやり取りからどうしても、人体実験の被害者として先生には結びつかなかった。
先生は、合流してきたユメに、今日の目的を改めて確認することにした。
「"ラーメン屋さんに行くんだっけ?"」
「そう!柴関っていう、アビドス一のラーメン屋さんだよ!!」
「"······何で、カメラを持ってきたの?"」
「ふふん!それはお楽しみに、だよ!!」
そこはかとなくドヤ顔のユメ。
どうやら聞いても教える気はないらしい。
「"楽しみにしておくね。みんなはもう、出発しちゃって大丈夫かな?"」
先生は若干の諦めを感じながらも、先を促す。
もしかしたらホシノの雰囲気は、ユメ譲りなのかもしれないと見当をつけていく。
そんな思考を片隅に寄せながら、先生は全員の賛成を確認すると、ニコへと確認をとる。
「"申し訳ないんだけど、目的地までお願いして良いかな?"」
「問題ないですよ。朝も食べ損ねちゃったので、楽しみです」
そう答えたニコの表情は普段通りだった。
だが、その笑顔はどこか上辺だけにも見える。
「"ありがとうね。ニコ"」
「ありがとう!ニコちゃん!!」
先生とユメがお礼を述べながら、車へと乗っていく。
アビドス生もお礼を述べながら乗り、ワイワイした雰囲気が車内に広がる。
車内は賑やかだった。
ユメが喋り。
ホシノやシロコが茶々を入れ。
ノノミやアヤネが笑い。
先生はそんな様子を微笑みながら眺めている。
その車内の輪の中で、ニコだけが時折バックミラー越しにホシノを見ていた。
誰にも気付かれない程度に。
まるで何かを確かめるように。
車で向かうこと数十分、一行は目的地へ到着する。
柴関ラーメン。
お店の前には、複数台の車が止まっており、アビドスに人がいないことを感じさせない雰囲気であった。
ホシノは車を降りた瞬間に違和感を覚える。
いつもと様子が違う。
「"アビドス一のラーメン屋さんって伊達じゃないね。車に乗って来てる人までいるなんて"」
先生は純粋な感想を口にする。
「······いや、少しおかしい。車に乗ってまで来てる人なんて初めてだよ」
ホシノの声音から軽さが消えていた。
先ほどまでの気の抜けた雰囲気はない。
目付きが少し鋭くなるホシノ。
その変化に、シロコもすぐ反応する。
ホシノが警戒する時には理由があると理解していた。
「それに、あの車。覚え違いじゃなければ······」
ホシノの視線が駐車場の一角へ向く。
そこには見覚えのある車両が停まっていた。
昨日の出来事が脳裏に蘇る。
つられるように、シロコも同じ車へ視線を向けた。
「···ん。昨日のヘルメット団の車」
その一言で、和やかだった空気が、音もなく張り詰めた。
アヤネの表情が険しくなる。
ノノミも笑顔を引っ込めた。
ニコも切り替えるように警戒態勢に入る。
ユメだけが雰囲気を理解できず首を傾げている。
「ご飯食べに来たんじゃない?」
そんなユメの発言は無視され、ユメ以外の全員に緊張が続く。
先生もただならぬ雰囲気を感じ取り、周囲を見回した。
ホシノはゆっくりと店内へ視線を向ける。
まさか襲撃か。
あるいは待ち伏せか。
はたまた昨日の件での報復か。
だとしたら、セリカが危ないかもしれない。
様々な可能性が頭を過る。
ユメ以外も、自然と警戒を強める。
もしもの時は即座に動けるよう、身体に適度に力を入れる。
店内の窓越しに人影が見え、ホシノは目を細めた。
「えっ~?」
思わずと言ったように、間の抜けた声が漏れる。
「?」
全員が窓から店内を覗き見る。
そこには、ヘルメットをテーブルの上に並べ、黙々とラーメンを啜るヘルメット団の姿があった。
一人はチャーシュー麺。
一人は醤油ラーメン。
一人は替え玉らしきものを注文している。
しかも全員、妙に行儀が良い。
今日のお目当てであったはずのセリカは、慌ただしく働いていた。
「「「······」」」
全員が沈黙する。
さらに店の入口近くでは。
「おい、それ私の餃子だろ」
「違ぇよ!一個しか取ってねぇ!」
「二個取っただろ!」
「店員さんに聞いてみろよ!」
などという、非常に平和な言い争いまで繰り広げられていた。
「······ただのご飯中?」
思わずシロコが呟く。
ホシノも同じ解釈をするしかなかった。
昨日あれだけ騒いでいた相手が、今日は普通にラーメンを食べている。
しかも結構美味しそうに。
襲撃を受けたはずのセリカも普通に給仕しており、敵対していたり脅されている雰囲気でもなかった。
「あっ」
窓際のヘルメット団の一人がこちらに気付いた。
一瞬だけ空気が固まる。
ヘルメット団の少女は慌てて口の中の麺を飲み込み、ペコリと会釈した。
「「「······」」」
「ほら!ご飯食べに来ただけみたいだよ!!」
アビドス一同が沈黙する。
向こうも何となく気まずそうだった。
まさかの、ユメの考えが的中した形である。
「"どうする?"」
先生が小声で尋ねる。
ホシノはしばらく考え、そして、肩を落とした。
「······ラーメン食べに来ただけっぽいねぇ」
「ん。同意」
若干の肩透かしをくらいながらも、一同は柴関に入ることにした。