憑依者しかいないゲマトリアがキヴォトスの破滅を回避しようとする話 作:シャンタン
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ホシノのショットガンが最後の一人を吹き飛ばした。
「はい、おしまいだよ~」
気の抜けたような声とは裏腹に、マーケットガードたちは路上に転がり、誰一人として立ち上がれない。
シロコもアサルトライフルを下ろし、ノノミもマシンガンの銃口を地面へ向ける。
戦闘時間そのものは短かった。
相手は数こそいたが、アビドス対策委員会を相手にするには力量不足だったのである。
「終わりましたね」
「ん。弱かった」
アヤネとシロコが周囲を警戒する。
先生も一息ついた。
だが、その直後だった。
「おおーっ!!」
「やるじゃねえか!!」
「新入りどもがボコボコにしやがった!」
「見事だぜ!!」
突然、周囲から歓声が上がった。
「······え?」
ユメが目を丸くする。先生も思わず周囲を見回した。
路上の露店。
建物の窓。
屋台の店主。
今まで遠巻きに様子を眺めていたブラックマーケットの住人たちが、なぜか拍手や歓声を送っている。
中には親指を立てる者までいた。
「え、えっと······?」
アヤネが困惑する。
助けた相手から感謝されるなら分かる。
だが、周囲の第三者まで盛り上がっている理由が分からない。
そんな中。
「そういえば······」
おずおずと声を上げたのは、ペロロの仮面を着けた少女だった。
「思ったより逃げやすかったような気がする。僕は運動が得意じゃないし、最近は動いてなかったけど、逃げることはできてて違和感があったんだ」
「え?」
ユメが振り返る。
ペロロ仮面の少女に続くように、ベロロのカバンを背負った少女は、思い出すように首を傾げながら語る。
「追い掛けられてたんですけど、何というか······本気で捕まえようとしてる感じじゃなくて······逃げてるときは何も思わなかったんですが」
「言われてみれば······」
ユメも思い返す。
確かに、逃走していた少女二人と、マーケットガードの距離は詰められていた。しかし、少女たちの後ろからしか、追ってきた人員はいなかった。
本当に捕まえるつもりなら、先回りする方にも人員を割くなど、もっとやりようはあるはずである。
「なるほどね~」
ホシノが周囲を見渡した。
そこで、一人の露店商が大笑いしながら声を掛けてくる。
「そいつら、表の連中に怪我させないように、お綺麗な配慮してんだよ!」
それに続くように、猫の獣人も語り出す。
「逃げられる程度に追い回して、『危ないから帰れ』ってやってんだよな!」
「"······"」
先生は少しだけ気まずそうな顔になった。
つまり、マーケットガードなりに、少女たちを気遣っていたと解釈したのだ。
相手のやり方はともかくとして、そんなマーケットガードを先生たちは、容赦なく叩きのめしたことになる。
「"ちょっと悪いことしたかな······"」
先生がそう呟く。
すると。
「気にすんな!」
近くの屋台の店主が即座に言った。
「ここじゃ負けた方が悪い!それがルールだ!!」
「ずいぶん雑な──」
セリカが言いかけたところで、ホシノが軽く手で制す。
「まあまあ、そういう場所なんだよ」
「ん。弱肉強食」
シロコも、ホシノに理解を示すように呟く。
そして、外野から口々に飛んでくる言葉。
「途中までは賭けに勝ったと思ったんだがなぁ!」
「いやはや、誰かが助けるなんて大穴が······オッズも凄かったですから、猫の店主もご機嫌そうで」
「いや、ありゃ···」
その内容に、先生たちは揃って目を瞬かせた。
少女二人がどうなるか、賭けまで行っていたらしい。
アビドス自治区や連邦生徒会などの、表の世界とは違う。
価値観そのものの根幹が違うのだ。
先ほどまでの歓声を思い出し、どこか不気味に感じられた。
ブラックマーケットの住人たちは、マーケットガードを倒したことを評価しているわけではない。
ただ単純に、勝った側を認めているだけだった。
「······善悪じゃなくて、勝敗かな~?」
ホシノが小さく呟き、目を細める。
先ほどまでの和やかな空気とは違う。
ブラックマーケットへ足を踏み入れてから初めて見る、警戒心を帯びた顔だった。
「みんな、浮かれない方が良いよ~」
ホシノの声に、一同の視線が集まる。
「今の歓声も、称賛されてるわけじゃない」
周囲の住人たちは相変わらず笑っている。
だが、その笑顔の奥にあるものは決して善意だけではない。
先生は周囲を見渡した。
「ここには、ここの価値観があるんだろうね」
露店の店主。
武装した運び屋。
建物の陰から様子を窺う誰か。
全員が値踏みするように、こちらを見ている。
「おじさんたちは、勝ったから認められただけだよ」
ホシノが短く言う。
「ん。逆に言えば、負けたら終わり」
シロコが銃を軽く持ち直しながら、ホシノの言葉をひろう。
「ここじゃ、弱いって思われた瞬間、餌になる」
ブラックマーケットの喧騒は何も変わらない。
だが先生たちは、その空気の意味を少しだけ理解した。
ここは無法地帯。
善悪ではなく、力と損得で回る街なのだと。
「さて~」
ホシノが軽く伸びをする。
「立ち話もなんだし、移動しようか~」
「······そうですね」
「ん」
アヤネとシロコも頷く。
いつまでも倒れたマーケットガードの近くにいる理由もない。それに、周りの目が多くあるのは不気味で仕方なかった。
一同は、人通りの少ない場所へ移動した。
「えっと······改めて助けていただいて、ありがとうございました!」
ペロロのカバンを背負った少女が深々と頭を下げる。
「私は阿慈谷ヒフミって言います!トリニティ総合学園の二年生です!」
「へぇ~」
ユメが感心したように声を漏らした。
トリニティの生徒がブラックマーケットにいるというだけでも珍しい。
("トリニティ······羽川さんと、守月さんの所属校だったかな?")
先生は記憶を探るように思い返した。
「そして!」
ヒフミが隣を向く。
全員の視線も自然とそちらへ集まった。
「こちらは──」
「待ってくれ!こんな時にやってみたかったことがあるんだ!!」
ペロロ仮面の少女が勢いよく一歩前へ出た。
「僕は謎のペロロ仮面!」
びしぃっ、とポーズを決める。
「最近は幼馴染みのヒモになっているのでは?と恐怖を感じている家出少女さ!」
沈黙。
「「「············」」」
誰も反応できなかった。
「あはは······えっと」
ヒフミも、連れの唐突な暴走に困惑している。
そんな様子を見て、アヤネが何とか口を開く。
「どこから話を聞けばいいんでしょうか?」
「私も分からないですね~」
「ん。情報量が多い」
「家出は良くないと思うよ?大丈夫?」
ユメだけが真面目に、家出をしている少女の心配をしていた。
「違うんだ!」
ペロロ仮面は慌てて両手を振る。
「僕にも色々事情があってだね!」
「その説明で、事情が分かる人はいないのよ······」
セリカが呆れたように額を押さえた。
「と、とりあえず気にしないでください!」
ヒフミが慌ててフォローに入る。
「"気にしない方が良いんだ······でも、どうして仮面をしてるの?"」
先生は少し遠い目になった。それでも気になったのか、ペロロ仮面を着けている理由を聞く。
「えっ?だってブラックマーケットにいるんだよ?素性はある程度隠した方がいいでしょ?」
「"···納得できるようで、できないのはなんでだろうね?"」
先生は理解するのを諦めてしまった。
ペロロ仮面を被る理由にはなっていないのである。
「それで、二人はどうしてブラックマーケットにきたんですか?」
ノノミが首を傾げながら質問をする。ペロロ仮面についての理解を諦めたともいう。
「あっ、それはですね!」
ヒフミの表情がぱっと明るくなる。
「モモフレンズ舞台劇の初公演の際、少数だけ販売された限定グッズを探してたんです!」
「"限定グッズ?"」
「はい!」
ヒフミは力強く頷いた。
「流通数が本当に少なくて、普通じゃ見付からないんですよ!私も自宅の観賞用しか持っておらず、
「ブラックマーケットなら、流れてる可能性があると思ってね!ヒフミに誘われてついてきたのさ!!」
「なるほど~分からないことが分かったよ~」
ホシノが納得したように頷く。
自宅にあるのを飾れば?という質問は藪蛇な気がして、深堀りを諦めてしまった。
「それで、最終的には追われてたんですね~」
「そうなんです······」
ノノミの発言に、落ち込むようにヒフミは苦笑した。
「でも見付かる気がしなくて······」
「うんうん」
ペロロ仮面も深刻そうに頷く。
「モモフレンズ道は険しい。······そもそも衝動的にきてしまったが、ここで買っても転売の可能性があることを考慮すると、どう扱うべきか難しい部分がある」
「駄目ですよ!ペロロ仮面!!グッズに罪はありません!!!もしあるとしたら、私たちが救うべきなんで······」
ヒフミがグッズの扱いについて力説する。
その時、目を見張る様子を見せながら、ヒフミの言葉が止まる。
「まさか······?」
ヒフミの視線がユメへ向く。
「そのカメラ······」
「これ?」
ユメが首から下げていたチェキカメラを持ち上げる。
次の瞬間。
「「えええええええっ!?」」」
ヒフミとペロロ仮面が同時に叫んだ。
「な、なななななな!?」
「まさかそれは!?」
二人は勢いよく詰め寄る。
「モモフレンズパーク・開演記念のチェキカメラ!?」
「しかも、初代版だ!?」
ヒフミの目が完全に輝いていた。ペロロ仮面は、明らかに雰囲気がワクワクしている。
「え?」
ユメがきょとんとする。
「これ、そんなに凄いの?」
「凄いなんてもんじゃありません!」
「コストや性能も相まって、今じゃ予約待ちなんだよ!しかも、初代から今は姿が変わってるから、その姿のチェキはほとんどないんだ!!」
二人は興奮しながらカメラを覗き込む。
「ここ見てください!」
「製造番号!」
「関係者向けの特殊番号だ!」
「一般販売版と違うやつなんですよね!!」
先生たちは思わず、ユメへと顔を向ける。
「そ、そうなんだ······これ、貰い物なだけなんだけど······」
ユメ自身も初めて知ったらしい。
「うわぁ······!!」
ヒフミは感動したように両手を合わせる。
「特殊版を見られる日が来るなんて······」
「僕も意地を張らなければ······」
ヒフミは感動に震えていて、ペロロ仮面が悔やむような声を出している。
「しかし、これの価値が分からないのは勿体ない!」
「はい!モモフレンズを知ってもらいましょう!」
二人は示し合わせたように、同時に頷いた。
「レアグッズを見せていただいたお礼です!」
「モモフレンズの素晴らしさを伝えよう!
······とはいっても、今はヒフミのペロロシリーズしかないのが悔やまれるが······!!」
「え?」
「ん?」
「はい?」
周囲が困惑する中、ヒフミはペロロカバンを前にもってきて、手を突っ込んでいく。
「これは第一期ペロロ様キーホルダーです!」
「こっちは劇場限定ペロロステッカー!」
「こちらはペロロ様生誕祭記念バッジ!」
「これはペロロマグネット!」
次々とベロログッズが出てくる。
「多くないですか!?」
「あんなに種類があったんですね~」
アヤネが思わず叫んだ。
同意しているのか分からないが、ノノミも相槌をうつ。
「まだあるぞ!」
「まだあります!」
ペロロ仮面とヒフミは、完全に布教モードへ突入していた。
次々とヒフミが、ぺロロ仮面に紹介するグッズを渡している。
完全に暴走していた。
先生はどんどんとペロロ仮面の手が塞がっているのを見かねて声をかける。
「"手伝おうか?"」
そう言いながら、ヒフミが取り出している物を受け取る。
「ありがとうございます!」
ヒフミは反射的に手渡した。
一冊の本だった。
真っ白な本。
表紙にも裏表紙にも何も書かれていない。
「"······?"」
先生は首を傾げる。
すると、ヒフミの動きがピタリと止まった。
「あっ······え?」
ヒフミが、ぽかんと口が開ける。
「どうしたの?」
ユメが尋ねる。
ヒフミは先生を見たまま、小さく尋ねた。
「······タイトルは読めますか?」
唐突な質問だった。
「"え?"」
今度は先生が困惑する番だった。
先生は本へ視線を落とす。
「"······そもそも、この本に題名なんてないよ?"」
先生は、素直にそう答えた。
ヒフミは確かめるように先生を見つめる。
「そうですか······」
「"ヒフミ?"」
「······?」
ペロロ仮面も首を傾げる。
「ちょっと待ちなさいよ」
そんな様子を見て、セリカが呆れたように口を開く。
「なんで急に物を出し始めたのよ」
「あっ!」
ヒフミが硬直した。
数秒後。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる。
「凄い暴走しちゃって、いろいろ出しちゃいました!!」
そう言いながら猛烈な勢いでグッズを回収し始める。
「すみません!渡した順に返してください!!」
「いや、この量から順番には無理だよ!?落とす可能性がある以上、そんな難しいことはできない!!僕の不器用さをなめない方がいい!!」
大混乱だった。
先生も苦笑しながら、どうにかペロロ仮面が持っているグッズを落とさないよう受け取りながら、気を付けつつグッズと白い本をヒフミへ返していく。
「"はい"」
「あっ、ありがとうございます!」
ヒフミは慌てて受け取り、カバンへ仕舞い込んだ。
その一連のやり取りを、ホシノだけが静かに見ていた。
先生が白い本を手に取った瞬間。
ヒフミが驚いた瞬間。
そのどちらも見逃さないように。
「······うへ~」
小さく呟きながら、ホシノは僅かに目を細める。
まるで、何かを確かめるように。
「本当にすみませんでした······」
ヒフミは何度目かも分からない謝罪を口にした。
ようやく荷物を整理し終えたものの、先ほどの暴走を思い出しているのか、耳まで赤くなっている。
「気にしなくていいよ~」
ホシノは苦笑しながら手を振った。
「うん。怪我したわけでもないし」
「むしろ面白かったですしね♪」
シロコやノノミも気にしていない様子を見せる。
それでもヒフミは申し訳なさそうに肩を落としていた。
「あっ」
そんな時、ヒフミが何かを見つけたように声を上げる。
視線の先には、小さなたい焼き屋があった。
ブラックマーケットらしく派手なネオン看板が付いているが、店そのものは意外にも普通で、香ばしい匂いが周囲へ漂っている。
「お礼です!」
ヒフミは勢いよく振り返った。
「助けていただいたお礼と、さっきのお詫びも兼ねて、たい焼きをご馳走します!」
「"え?"」
先生が目を瞬かせる。ヒフミの暴走が継続しているようにもみえた。
「"そんな気を遣わなくても──"」
「遣わせてください!」
ヒフミは真剣な顔だった。
その横でペロロ仮面も頷く。
「恩は返さないと落ち着かないんだ。とはいっても、僕にはいま、たい焼きを買える資金なんてないんだが······」
「うへ~~」
ホシノは困ったように笑った。
だが断る理由もない。
若干虚しい言葉は聞き流すことにした。
数分後。
近くの休憩スペースらしき場所で、一同はたい焼きを手にしていた。
「美味しいですね!」
アヤネが嬉しそうに頬張る。
「ん」
シロコも小さく頷く。
ノノミは甘い香りに機嫌が良さそうだった。
ユメはチェキカメラを構え、たい焼きを食べるみんなを撮影している。
写真が出てきて困惑していた様子だが、ヒフミから説明をうけたのち、しばらくしてから自身のカバンにしまっていた。
「なんか平和だねぇ」
そう言いながらホシノも一口かじった。
ブラックマーケットの喧騒は、近くにも遠くのようにも聞こえる。しかし、この場所だけは妙に落ち着いていた。
しばらく雑談が続いた後、ヒフミがふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば······」
「?」
「あはは、その···私たちばかり話してましたけど、皆さんのお名前を聞いてませんでしたね」
「······確かにそうですね」
アヤネが納得したように頷く。
助けてから今まで、まともな自己紹介をしていない。
「私は奥空アヤネです」
「黒見セリカよ」
「十六夜ノノミです♪」
「砂狼シロコ」
「おじさんは、小鳥遊ホシノだよ~」
「私は梔子ユメだよ!」
順番に名乗っていく。
「そして、こっちは先生!」
ユメが先生を紹介した。先生は開きかけた口を閉じる。
「先生?」
ペロロ仮面が首を傾げる。
ヒフミも反応した。
「先生って······もしかして連邦生徒会の?」
「そう。シャーレの先生だよ~」
ホシノがあっさり答えた。
ヒフミが目を丸くする。
ペロロ仮面も思わず先生を見た。
「なるほど······」
仮面の奥から、どこか納得したような声が漏れる。
しかし、同時に疑問も生まれる。
「でも」
ペロロ仮面が眉をひそめた······はずである。
「なんでここにいるんだい?」
先生たちは僅かに視線を交わした。
ペロロ仮面は続ける。
「シャーレの先生がブラックマーケットに来る理由なんて、普通はない。連邦生徒会はブラックマーケットへ不干渉を貫いているはずだ」
その指摘はもっともだった。
ヒフミも少し不思議そうな顔になる。
先生は返答に迷った。
記録帳簿や銀行強盗、今回の目的であるそれらは、どれも軽々しく話していい内容ではない。
「聞くの?」
どう説明すべきか迷っている先生を見かねたホシノが、静かに口を開いた。
先ほどまでの柔らかな声音ではない。
穏やかではあるが、確かな圧力を含んでいた。
「聞いたら、引き返せないよ?ここで止めれば、君たちは何も見なかったことにできる」
その場の空気が少しだけ張り詰める。
ホシノの目は笑っていない。
本気だった。
「この場所に合わせて言うなら、知らない方が良いこともあるんじゃない?」
軽い好奇心で首を突っ込むなら、ここでやめておけと、そう告げている。
ヒフミは思わず息を呑んだ。
しかし、ペロロ仮面は目を逸らさなかった。
しばらく沈黙した後、静かに口を開く。
「君たち、アビドス高校の自治区の生徒だろう?その制服には見覚えがあるんだ」
その言葉に、アビドスの面々が僅かに反応した。
ホシノは確かめるように目を細める。
「廃校寸前だとか」
「借金問題を抱えているとか」
「生徒数もほとんど残っていないとか」
そんな周囲を気にせず、ペロロ仮面は一つ一つ確認するように続ける。
「色々な噂を聞いた。そして、仮に僕の予想が正しければ」
そして、たい焼きを持つ手をゆっくり下ろした。
「君たちは、その問題を解決するためにここへ来ている」
当初の雰囲気こそが擬態であったかのように、言葉が熱を帯び始めていた。
「そうであるならば、僕達には、困窮している人を助けない選択肢はないんだ。今は、ただのペロロ仮面であるならなおさらね」
その声に迷いはなかった。
「つまり、しっかりと君たちの存在を把握したのに、見て見ぬふりをして、後悔なんてしたくないんだよ」
ヒフミも隣で小さく頷く。
「はい。私もペロロ仮面と同意見です」
トリニティの生徒らしくない、真っ直ぐな肯定だった。
「だから」
ペロロ仮面はホシノを見た。
「聞かせてくれ。君たちが何をしようとしているのか」
ブラックマーケットの雑踏が遠くで響く。
「明日の僕が後悔しないように、今日の僕を巻き込んでくれ」
ホシノはしばらく無言だった。
たい焼きを一口かじる。
視線だけが、ペロロ仮面から離れない。
その目は試すようでもあり。
測るようでもあり。
あるいは覚悟を確かめるようでもあった。
そして隣では、先生とユメが、静かに二人を見ていた。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、ホシノだった。
「さすが、幼馴染みのヒモは違うねぇ~」
緊張感をぶった切るような一言だった。
「いや、疑惑なだけのはずなんだ······」
ペロロ仮面は頭を抱えた。
「少なくとも僕が認めなければ······」
「でも、ヒフミちゃんはいいの?」
ホシノは頭を抱え、ぼやき始めたペロロ仮面を無視して、ヒフミへ視線を向ける。
「構いません」
ヒフミは迷いなく頷いた。
「流されているだけに見えるかもしれませんが、私も手伝うつもりです」
「なんで?どうして見知らぬ人を助けるの?」
ホシノは静かに尋ねた。
責めるような声ではない。
ただ純粋な疑問だった。
ヒフミは少しだけ考えるように目を伏せる。
それから、ぽつりと呟いた。
「私は、明るい物語が好きなんです」
風が吹いた。
ブラックマーケットの喧騒が遠く聞こえる。
「困難や苦難があっても、最後は誰でも笑えるような······そんな夢物語が好きなんです」
誰も口を挟まない。
ヒフミはゆっくりと言葉を続けた。
「でも、現実って思ったより綺麗じゃないんです」
その言葉に、アヤネが僅かに目を瞬かせる。
「努力は報われなくて、才能にも限界があって、経験のない愚者には、他人の世界なんて理解できないんです」
ヒフミは苦笑した。
「当たり前ですよね。凡人は物語の主人公になんてなれませんから」
その場にいた誰も、肯定も否定もしなかった。
ただ、真剣な表情で聞いている。
「それでも私は知っています」
強い声だった。初めに逃げていたのが嘘だと思えるような、意志のある声だった。
「努力が報われなくても、誰かはその努力を見ていることを」
ノノミが静かに目を細める。
アビドスで過ごしてきた時間を思い出したのかもしれない。
「それでも私は知っています」
ヒフミは続ける。何かをなぞるように言葉を紡ぐ。
「才能に限界があったとしても、人の力に限界なんてないことを」
シロコが僅かに視線を下げ、横目でホシノへと目線を向ける。
「それでも私は知っています」
ヒフミは微笑んだ。
「他人の話を聞いて理解をできない愚者でも、他人を思いやる権利があることを」
その場は静まり返っていた。
誰も茶化さない。
誰も否定しない。
ただ聞いていた。
ヒフミは胸の前で手を握る。
「だから私は、自分の人生の配役だけは選ぶんです」
真っ直ぐだった。
「主人公になれなかったとしても」
その瞳は少しも揺らがない。
「私は、誰かを見捨てる端役じゃなくて」
その声は微塵も揺るがない。
「誰かに手を差し出せる脇役になりたいんです」
ヒフミは、全員を見渡すように見つめる。
沈黙が落ち、ブラックマーケットの喧騒が戻ってくる。
その中で、ホシノは小さく息を吐いた。続く声は、誰にも聞こえないほど小さな声だった。
「選ばれるって、本当はこういうことなんだろうね。······なんで、被るかなぁ」
先生の隣で呟かれたその言葉は、風に溶けるように消えていく。
先生だけが、ほんの少しだけホシノを見た。
ホシノは肩を竦めて、それから周囲を見渡した。
「じゃあ、巻き込まれてもらうね~」
ホシノの声に、アヤネが顔を上げる。
ノノミもシロコもセリカもユメも視線を向けた。
「みんなも、それでいい?」
静かな確認だった。
答えるように、次々と頷きが返る。
様子を眺めていた先生も反対しなかった。
ホシノは思わず苦笑をこぼす。
「だってさ」
そして、ペロロ仮面とヒフミへ向き直る。
「じゃあ、君たちは共犯だ」
少し間を置く。
「これから予定している」
ホシノは平然と言った。
「ブラックマーケットの銀行強盗のね」
数秒の沈黙。
ヒフミが固まる。
ペロロ仮面も固まる。
「······ごめん」
最初に立ち直ったのはペロロ仮面だった。
「詳しく聞いてもいいかい?私はいま、冷静さを欠こうとしている」
仮面の奥の目が真剣になる。
「場合によっては、前言撤回して惨めにも逃走するよ」
ホシノは吹き出した。
「うん、それが普通の反応だと思うよ~」
その後、一同は改めて事情を説明することになった。
カイザーに雇われていたというヘルメット団の存在。
そしてブラックマーケットの銀行にあると思われる記録帳簿の存在。
話が進むにつれて、ヒフミの表情は何度も変わった。ペロロ仮面の表情も変わっているはずである。
驚き、呆れ、困惑し、そして理解するように。
「二点、疑問がある。聞いてもいいかい?」
一通り説明を聞き終えたところで、ペロロ仮面が静かに口を開いた。
先ほどまでヒフミの隣で相槌を打っていた時とは違う。仮面の奥から向けられる視線には、確かな緊張感があった。
アビドスの面々も自然と居住まいを正す。
ホシノは手にしたたい焼きをくるりと回しながら、いつも通りの気の抜けた調子で応じた。
「何かな~? 正直、私たちも分からないことだらけだけど」
「構わない。これは確認みたいなものだからね」
そう前置きしてから、ペロロ仮面は先生へ視線を向けた。
「まず一つ目だ。先生は、本当にブラックマーケットの銀行強盗をするつもりなのかな?確かに違法な経営だから犯罪ではない」
その問いに、先生は特に表情を変えなかった。
だが、アヤネは僅かに眉を寄せる。
ペロロ仮面は言葉を続けた。
「けれど、ブラックマーケットは連邦生徒会が長年アンタッチャブルにしている場所だ。そして、連邦生徒会が見逃しているからって、連邦生徒会に何をされても、ブラックマーケットが見逃すという意味じゃない」
ペロロ仮面は、指先でたい焼きの袋を弄びながら、淡々と話していく。
「むしろ逆だ。ここは表のルールが通じない場所だからこそ、問題が表に出た時の反動が大きい」
その言葉に、ヒフミも真剣な顔で頷いていた。
「誤解を恐れず言えば、キヴォトスの企業の大半は信用できない」
ペロロ仮面は周囲の雑踏へ視線を向ける。
露店。
運び屋。
武装した警備員。
怪しげな仲介人。
どれもブラックマーケットでは珍しくない光景だった。
「この場所が今も存続している理由の一つだって、表の企業が裏で関わっているからだ」
そして再び先生を見る。
「仮に先生が捕まったら、間違いなく凶悪な犯罪者に仕立て上げられる。しかも、それで終わる話じゃない。君個人の問題じゃなくなるんだ。
アビドス高校も、シャーレも、下手をしなくても、連邦生徒会まで巻き込まれる」
その言葉を聞いた瞬間、アヤネは思わず息を呑んだ。
確かにその通りだった。
帳簿を手に入れることばかり考えていたが、その後のことまでは深く考えられていなかった。
沈黙が落ちる。
やがて先生は小さく頷いた。
「"うん······確かに危ないね"」
あまりにも素直な反応だった。
ペロロ仮面だけでなく、アビドスの面々まで目を丸くする。
先生は少しだけ考え込むように顎へ手を当てた。
「"正直、そこまで考えられてなかったのが本音かな"」
その言葉にアヤネが不安そうな顔を見せる。
先生は少しだけ視線を落とした。
「"···どうしようかな"」
ぽつりと呟く。
ペロロ仮面の言う通りだった。
ここで動けば、想定より遥かに大きな火種になる。
セリカはやっぱりかと諦観の表情を浮かべる。
「"私個人の問題じゃ、済まなくなるね"」
先生は、頭の中で状況を整理していく。
("全員で行けば、巻き込みが大きすぎる")
("アビドスだけ外しても、この場の繋がりは消えない")
("そもそも、誰かが関与している時点で、線引きは曖昧だ")
視線を上げる。
「"······いくつか選択肢はあるかな"」
静かに指を折るようにして続ける。
「"全員で行くか"」
「"誰かを外すか"」
一瞬、間が空く。
「"どれも完全に安全ではないけど······"」
先生は小さく息を吐いた。
「"一番
その言葉に、セリカの顔が強張る。
「ちょっと待ちなさい。それ本気で言ってるの!?」
先生はすぐには答えなかった。
少しだけ考えたあと、静かに言う。
「"本気だよ。少なくとも、巻き込む人数を減らすという意味では合理的だと思う"」
ただし、少し間を置いてから続ける。
「"もちろん、問題はあるけどね"」
視線を落とす。
「"私が失敗した場合、全部そこで止まるわけじゃない"」
もう一度、顔を上げる。
「"でも······子どもを危険に近づけるよりは、そっちの方がいい。幸いにも、私をシャーレの先生だと知っている人は少ないしね"」
嫌な予感がする。全員がそう思った。
そして先生は、その予感を裏切らなかった。
「"最悪の場合でも、アビドスには関係ない形にできると思う"」
シロコが絶句する。
ノノミも珍しく笑顔を消していた。
先生はさらに続ける。
「"それに、シャーレにはユメもいるし、カヤもいるから、うまくやってくれると思うよ"」
先生のポケットが激しく震えているが、周囲は気にした様子がない。
「ちょっと先生!?」
ユメが勢いよく立ち上がった。
「急に私とカヤちゃんに後を託すみたいなこと言わないで!?」
「"ははは。ごめんね"」
先生は苦笑する。
だが、その笑みは妙に達観して見えた。
「"でも、私にできることなんて少ないからね"」
そう言った後、一瞬だけ真面目な表情になる。
「"それに、子どもを巻き込むなんて、大人のやることじゃないでしょ?"」
誰もすぐには反論できなかった。
言葉だけを聞けば正論にも思える。
だが、結論があまりにも狂っている。
優しさなのか。
責任感なのか。
それともただの自己犠牲なのか。
判断がつかなかった。
重苦しい沈黙の中、ペロロ仮面が深く息を吐く。
「······狂ってるね」
その感想に悪意はなかった。
ただ純粋に、そうとしか表現できなかった。
誰も反論しない。
反論できなかった。
先生の言葉は理屈だけを聞けば筋が通っている。
危険なら自分だけで行く。
責任も自分で取る。
子どもは巻き込まない。
大人としては正しいのかもしれない。
だが、その結論へ本気で辿り着いている時点で、どこかがおかしい。
アヤネは口を開きかけて閉じた。
何か言わなければと思うのに、何を言えばいいのか分からない。
隣ではセリカも似たような顔をしていた。
「······すみません」
ヒフミが、小さく呟く。
「先生って、いつもこうなんですか?」
ヒフミの質問はホシノへ向けられていた。
ホシノは少しだけ考える。
「どうだろうね~」
肩を竦めた。
「私たちも、会ってまだ二日目だし」
「二日目なんですか!?」
思わずヒフミが声を上げた。
ペロロ仮面も驚いたように顔を向ける。
「うん」
今度はノノミが苦笑する。
「実は私たちも、まだ先生のことをあんまり知らないんですよ~」
「でも」
シロコが静かに続けた。
「こういう人なんだとは思う」
短い言葉だった。
だが、不思議と納得感があった。
先生は困ったように笑う。
「"そんな変なこと言ったかな···?"」
「「「言ったよ」」」
今度はアビドス全員が即答した。
ユメまで頷いている。
その反応に、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。ペロロ仮面はその様子を見て、小さく息を吐く。
出会って二日。 それなのに、この場にいる全員が先生の無茶を止めようとしている。
たぶん、それだけで彼女たちの善性の証明には十分だった。
だからこそ、問わねばならない。
「さて」
仮面の奥の視線が静かに細まる。
「二つ目の質問だ」
その声音は落ち着いていた。
だが、その穏やかさが、逆に緊張感を生む。
「僕は、事情を知らないからこそ聞く」
ペロロ仮面はゆっくりと言葉を選ぶ。
「君たちは、攻撃をしていたヘルメット団から情報を得た。カイザーから指示を受けたというね」
誰も否定しない。確認するようにペロロ仮面は続けていく。
「帳簿の話も」
「銀行の話も」
「全部、その情報が前提になっている。雇い主が変わって、意趣返しに協力してくれているんだろう?僕が言えることではないと思うが──」
ペロロ仮面は全員の表情を確認しながら、言葉を重ねる。
「だからこそ聞きたい」
ペロロ仮面の視線が、順番に全員をなぞるように動く。
「本当に、そのヘルメット団は信用できるのかい?」
その視線は責めているわけではない。
ただ、見ないようにしていた可能性から、目を逸らすことを許さなかった。
全員が考え込むように黙り込むなか、ホシノは少しだけ目を細めた。
「······ほんと、面倒なこと聞くねぇ」
そして、笑った。
けれどその笑いは軽くなかった。