私は結局負け犬でした。いや、勝負すらできませんでした。
大好きなゆかりさんは、もう弦巻先輩のもので。
でも、こうなったら、もう好きにしちゃって、いいですよね?

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第1話

『え、知らへんかった?ゆかりんとマキさん付きおうとるよ?』

 

 ああ、そう零された言葉がどれ程深く鋭く私の心を抉り貫いたかを誰が理解出来ようか。

 

『あぁ、そや。ところでお二人さんはどぉこぉまぁで?進んだんかな?もうやることやってたりぃ?』

 

 ああ、五月蠅い。五月蠅いです、茜先輩。どうか、もう喋らないで。これ以上私の傷口を広げないで。

 

『そ、そんなこと言えるわけないでしょう…!恥ずか『うーん、まあ健全なお付き合いですよー?チューはしちゃったけどね?』

『マキさん!?』

 

 急速に色を失いモノクロに変わっていく視界のその先で、愛しのその人は当たり前の様に隣の席を陣取る彼女を頬を膨らませながら抗議する。いつもだったら悔しさ半分ながらも穏やかな心持で先輩の可愛らしさを堪能できるそんな場面。

しかし、今の私にそんな余裕などない。最早ライバル視だとか対抗心だとかいうものを抱く余裕すらなかったのか、競争など始まるとうの前に既に勝敗は決していたのか。無意識にマウントを取るあの金髪の(今の私には色の薄いグレーにしか見えないが)女は、己の彼女の微笑ましい抵抗に対してへらへらと平謝りを繰り返している。それが悔しくて、苦しくて。

目の前がモノクロを通り越して黒一色に塗り潰されていく。吐き気すら込み上げてくる。私は逃げるように部屋を飛び出した。否、実際逃げ出していたのだろう。目の前の光景から。先輩達の呼び止めの声も無視して、すれ違いざまにぶつかった人も、胸元の痛みに伴って流れ出る涙も、全部無視して。

気付けば自宅のベッドの上。撮影で使ういつもの服のまま、自分の身体を抱きしめる様にして掛け布団に埋まりながらガタガタと震えていた。

 

あぁ、つまらない反骨心を抱かなければよかった。『お二人っていつも距離が近いですよね、付き合ってるんですか?』なんて、嫉妬心丸出しのからかいなんて言わなければ、こんなみじめな気持にならずに済んだだろうに。

ただ、惨めに、情けなく、涙を零す。傷心深いことこの上ない私にできるのはそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

ふ、と目を開く。開かれた視界の先、窓越しに入る微かな光はマンション自室のすぐ横にある鬱陶しい街灯のそれで、少なくとも日が堕ちた時刻であることは理解できた。泣き疲れて眠り落ちるなんてまるで子供じゃないか、と自嘲できるくらいには精神的にも落ち着いたらしい。

それでもなお、疲れ切った心は何をするでもなく、ひたすらの惰眠を求めた。自らの身体の代わりに枕を腕の中に抱え込み、顔を埋める。少しながら息苦しさを覚える程に顔を押し付ければ自然と頭の中から悩み事が消えていく気がした。そうして仄暗い一室で無為に過ごしていれば思考も鈍く、ぼやけてくる。もう暫く何も考えたくない、このままもう一度眠りに落ちてしまおうか。そこまで考えて、

 

 ピンポーン。

 

 今の私には腹立たしい位に無駄に高く明るい音が響いた。この部屋に住んでおよそ一年、すっかり聞き慣れたインターホン。つまりは来訪者だろう。

 …ただ、私は惰眠を貪りたいのだ、誰にも会いたくないのだ。来訪者に悪い、とは思わないでもない。それくらいの良識は流石に持っている。だが、今の心持で対応など出来ようものか。

 だから、あと二回。もし、あと二回鳴らすのなら相手をしよう。

 

 ピン、ポーン。

 

 二度目はすぐに鳴り響いた。相変わらずの、厭に軽快な音。僅かに間を置いたのは遠慮のつもりなのか、単なる気まぐれか。結局のところ、虫の居所の悪い私にはただ不快感を煽るだけでしかないのだが。

 

 …ピンポーン。

 

 三度目。今度は少し時間を置いてから。時計も見えない、まして数えもしていないから実際のほどは分からないが一分ほどだろうか。余程大切な用事なのか、図太い性格なのか。

 仕方なく、仕方なく私は布団から重い身体を上げて玄関への扉へと向かう。自然と運ぶ脚も荒々しいものになる。頭の片隅のまだ冷静な箇所が、下の部屋への心配をするがそれだけだ。心の中に燻る不快感は収まる気配を見せない。これで不躾なセールスだったならどんな罵詈雑言を浴びせてやろうか、などと考えながら鍵を開けて、勢いを付けて扉を開けてみせる。そして、

 

「うわ、びっくりした…」

 

 扉の先にいた横恋慕の相手の姿を見てすぐに後悔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…すみません、ちょっと調子が悪くて、つい」

「いや、いいですよ。私も忙しい時期とかたまにやっちゃいますし」

 

 そう笑いながら入ってすぐの流し台の上にビニール袋を置くゆかりさんの背中を眺めながら洗面所への扉に凭れかかる。袋の中にはレトルトのお粥や果物の缶詰。…あれだけ走った様子を見て風邪か何かと判断したのか。相変わらず少し抜けているな、と思う。

 

「あかりちゃん、食欲はあります?」

「…あんまり、ないです。すみません」

「あー…じゃあ、冷蔵庫に入れておきますね。お腹がすいたら食べてください」

 

 そういって袋を持ちながら今度は冷蔵庫へ向かう。相変わらず甘い性格だと思う、その優しさにも惹かれたのだけれども。

 

「あの、あかりさん」

「はい?」

「今日はその、すみませんでした。その、なんていいますか…、女性同士の恋愛?の話題とか苦手だったのかなって」

「い、いえ!そんなことありません!ただ、その…。あ、あれです!ちょっと待ち合わせの用事が合ったの忘れてまして、その先で喧嘩しちゃいまして…」

 

 わたわた、と慌てて口から出任せを畳みかける。肝心のゆかりさんは納得したようなしていないような表情で、そうですか、とまとめた。

 

「でも、正直私達って結構ノリだけで物事進めちゃうときも多くって。それで争いになることも多かったりなので、何かあったらちゃんと言ってくださいね?」

 

 はい、とその問いに小さく返事を返す。誰が言えるだろうか、大好きな貴女が彼女と親しげに振舞っていたその様子に嫉妬してしまいましたなどと。

 あぁ、厭になる。己の浅慮さも器量の無さも。否、それほどまでにこの先輩は私の中でそれほどのウェイトを占めていたのだろうか、そうなのだろうか、自慢できたことではないが元々我慢という美徳に欠けた人間が私である。欲しいものは何でも欲しがる、何でも手に入れようとする。この業界に入る頃には、その悪癖も自覚し私は『よい子』としての振舞いを覚え、理想的な後輩を演じてきたはずなのだ。その仮面を度々引き剥がす彼女の前を除けば。だとすれば、この先輩にも責任があるのでは、などと身勝手極まりない理論武装を構えて、苦笑したその刹那にそれはゆかり先輩の口から無慈悲に飛んできた。

 

「マキさんもごめん、って謝ってましたよ?私とマキさんが変にイチャイチャしてるところを見せつけちゃってごめん、って」

 

 ―――それを牽制と、挑発としか受け取れない私にどれ程の愚かさがあったのかなど分かりはしない。ただ、私は怒りに身を任せて壁を殴りつけた。

 そうして、自然と息の荒くなる私を、ゆかり先輩はびくりと背を跳ねさせて怯えた様子で眺めている。当然だ。先程まで病人然というか調子が悪い体で振舞っていた人間が舌打ち交じりの不快感満載の態度でその場に佇んでいたのだから。平素の自分でも多少の恐怖は覚えて当然だろう。

 

「え、と…。あかりちゃん?大丈夫?」

「…帰ってください」

「え…」

「いいから!今日は帰ってください!お願いします!」

 

 最早周りの部屋の迷惑など考えずに叫ぶ。緊張した様な、強張った「はい」の声が聞こえて、先輩はそれまで丁寧に詰めていたビニール袋を袋ごと雑に押し込む。そうして、下駄箱の上に置いた荷物を取りながら、何に対してか分からない「ごめんね」の声を残して靴を履こうとする。

 そうだ、これでいい。私の無様な姿を見てそのまま距離を置いてしまえばいい。そうしてマキさんと幸せな関係を築いていけばいいのだ。不幸なのは私だけでいい。そう、考えうる最高の結末を態々用意して部屋から追い出そうとしたときだ。

 

「あ、あの!」

 

 ゆかり先輩の呼び止め。まだ靴も履いていないままの姿でこちらへ振り返って、こんな不敬極まりない後輩に何を残す言葉があるだろうか。

 

「あかりちゃんが何かとっても大切なことで思い悩んでることくらいは私でも分かります。その…きっと私では全然力になれないのも何となくですが…」

 

 そこで一呼吸。それでも矢継ぎ早に二の句を告げる。

 

「でも!私はあかりちゃんの後輩ですから!私にできることなら何でもやって揚げますから!何か困ったことがあったら私に相談してくださいね?これでも茜ちゃんとかマキさんとかの相談にもちゃんと乗ってあげてるんですから!」

 

 そう、私の心の奥底に沈殿した澱みなど知らぬ顔の彼女は如何にも自信満々といった態度で息まく。

 

 そこで、決壊したのだ。私の中の大切な何かが。

 

「そう、ですか。じゃあ、私、先輩にお願いしたいことがあるんです」

 

 暗い感情が心を侵食する。良心とか道徳とか、そんな下らない感情を黒いペンキの様に醜い嫉妬心が塗り潰していく。もうここにいるのは『紲星あかり』というVOICEROIDではない。理性のタガが外れた一匹の獣である。

 

「はい!私に出来る範囲でしかないですが、その範囲内でしたらちゃんとやり遂げて見せます!」

 

 あぁ、この人はこんな穢れに塗れた感情になど碌に触れてはこなかったのだろう。そうでなければそこから先に紡がれる歪みに歪んだ要求など飲む筈が、否、そもそもそう言った愚かしい問答が零れることも予測すらできないのだから。

 

「じゃあ、私に貴女の初めてをください」

 

 へ、とゆかりさんが驚いた様な、何を言っているのか分からないといった表情を浮かべるのと、自制を捨てた私がゆかりさんの唇を奪ったのはほぼ同時だったろう。

 碌な抵抗も無い唇に舌を滑らせるのは実に簡単で、そのまま無抵抗の舌を私のそれで蹂躙する。逃げることすら許さず暖かいそれを絡み取れば、困惑の声か息か分からぬ空気が口周りと頬の辺りを擽る。それが心地いい。『清いお付き合いを~』その言葉を直接受け取れば、私がこの初めてを奪っているかもしれないのだ。そうやって、唾液をゆかりさんの口内へ送り込み、時には私の口内へ引き出して唾液を交換しながら強く抱き締める。がたり、ぶるり、と腕の中の身体を震わせて力が抜けて行くのは必然だったのだろう。そろそろいいか、と唇を離してやれば目の前には涙を流しながら息も絶え絶えの愛しの彼女の姿。そんな艶姿に心高まらない人間なぞ存在するのであろうか。

 

「ふぁ…、あ、あかりちゃん…、なに…を」

「だから、初めてをくださいって言ってるんです。キスのその先を私に下さい」

 

 そう言って、私は半ば無理矢理にキッチンスペースから引き摺るようにして寝室を目指す。およそ肉らしい肉を全くと言っていいほどに付けていない彼女の身体はこちらが心配してしまうほどに軽く、同じ女性の私でもぐいぐい、と簡単に運べてしまうほどで。ともすれば、食事指導か何かでもしてやったほうがいいかもしれない。

 

「…!?…い、いや!いや、お願いです!離して!」

 

 漸く、私の言葉を理解したらしいゆかりさんはその僅かな力で碌な意味も無い抵抗を始めた。どれほど腰を低くして体重をかけようと私程度の力で引き摺れる己の非力さに自覚が無い等却って可哀想なくらいだ。だってもうすでに寝室への敷居は越えている。もう、この先には先程まで私が埋もれていたベッドがあるだけで、もう逃げ場など無いだろう。

 ただ、抵抗があるのは鬱陶しいのは事実で。それがどれだけ無意味なものであっても、抵抗の意思は結局、私よりあの金髪女が大事という事実の証左に過ぎないのだから。

 だから、私は、

 

「…ゆかりさん」

「…、あ、あかりちゃん、落ち着いて、ね?ちょっと、話でもして、おちつ」

 

パァン。

 

 ゆかりさんの身体は無抵抗にベッドの上に投げ出される。投げ出された彼女はきょとん、と頬に走った痛みもベッドに投げ出された現実にもまるで理解が追い付かず目を白黒させている。まぁ、分からないでもない。私だって、急に知人に殴られもしたら怒りより先に困惑が頭に浮かぶだろう。

 だが、そんなもの知るものか。ベッドに半分仰向けになって困惑している彼女の上に馬乗りになる。それでも困惑一杯だけで恐怖や絶望に直結しないその平和思想は最早愚かしさを越えて仁徳の域に達しているのではないだろうか、生憎それすらも私の知ったことではないが。

 

「落ち着いてますよ、私は?その上で、こうしてるんです」

「あ、あかりちゃん…。なんか、恐いよ?」

「そうかもしれないですね。だって私はゆかりさんを抱こうとか、愛そうだとかなんて思ってないですもん」

 

 一息つく。私も少なからず緊張しているらしい。

 

「だって私は、貴女を犯そうとしているんですから」

 

 そういってゆかりさんは今自分が置かれている状況に気付いたらしく、漸く悲鳴を上げて激しく抵抗し出す。やめて、許して、と叫びながら無我夢中で腕を、頭を振り乱す。精一杯の抵抗を示す。

 それをマウントを取った状態から制することのなんと快楽的なことか。頬を、腹を殴り付け、首を絞め、抵抗が弱まったところに自らの跡を残す。肩口に噛み痕を、首筋に鬱血痕を、薄い胸元には多少の苦労をしながらも握りしめたその痕を。今支配しているのは弦巻マキなどではなく、私なのだと。一体どれほどの権力を、財力を与えられたところでこの全能感は味わえなどしないだろう。私の一挙一動に怯え、身を竦ませ、涙を流す彼女の一挙一動のなんと可憐なことか。もうそれから先は夢中が過ぎた。碌な記憶も無い。ただ、愛しの先輩の身体を支配できたというその醜く歪んだ達成感だけが私の全てだった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「あ、先輩。起きてたんですか?」

 

 目が覚めた。窓から差し込む光からしてまだ明け方だろう。目の前の先輩は掛け布団で身体を包みこんでこちらを怯える様にして睨みつけている。

 

「…まぁ、しょうがないですよね。昨日あんなことしちゃったし。まぁ、悪いことはしたと思ってますよ?」

「ど、どの口が…!」

 

「ええ、ですから私はもうこのまま先輩に対しては悪い子でいようかなって」

 

 そうして先輩の視界に入るようにベッドに転がった“それ”を先輩に見せつける様にして掲げてやる。それが何か、理解した先輩の表情が急速に絶望に染まる。

 

「これって弦巻先輩にばれるわけにはいけないですよね?あぁ、大丈夫ですよ?私の言うとおりにしてくれるんでしたら、このことは絶対にばらしませんから」

 

 そう、ゆかりさんの“初めて”で赤黒く染まったティッシュペーパーを指先で遊ばせまがら、私はこれまで欲しかった“それ”を目の前に嬉しさで笑みを零したのだった。

 


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