炉に炭を入れる。ふいごから吹く風が炉の中を巡り、炭が赤く熾り、やがて白に近いほどの光を帯びる。
鋼を入れる。炉の奥で黒い鋼が赤く染まる。赤は橙へ、橙はやがて眩い黄白色へ。そこでふいごの風を止め、炉の中から取り出す。
間髪入れず鋼を叩き、そして色が落ちれば再び炉の中へ。それを幾度となく繰り返し、均一へ。
火花が散り、それが肌を焼こうとも手を止めることは許されない。槌を握る手が痺れ、限界を知らせるがそれでも尚握る。
柔い鋼と堅い鋼を重ね、叩き、ひとつの形へと馴染ませていく。やがて出来上がった細い棒状の鉄を少し形を整えてやり、土を塗る。刃には薄く。棟には厚く。泥にも似た土を、まるで刀へ紋様を描くように塗っていく。
そうして出来上がったものを、再び炉の中へ。火は何も語らず、ただその身の色を目まぐるしく変え、土を熱する。十分だと言うタイミングで取り出し、一気に水の中へと放り込む。
温度差により悲鳴のような音を立てて上がる蒸気。それが収まり、土を取り除けばそこから生まれる一本の刃。
ゆっくりと、出来栄えを確認しようと視線の高さまで持ち上げた瞬間、ピシリと耳を撫でる嫌な音。そうして一息のうちにふたつに折れる刃。
ああ、またか。と口の中で転がして、再び鋼へと手を伸ばす。
折れぬ刃をと、それを欲してどれほどの刻が経ったのか定かではない。師として教えを乞うた先人は既におらず、剣以上に才のないこの身はただひたすらに鉄を打つしかできない。
打って、打って、ルーンを入れて、そうしてまた折れて、再び打つ。
「おいおい、遺火よう。お前さん、まぁだ鍛冶師なんてやってんのかい。いい加減、諦めろよ」
ルーンの師と仰いだ
岩を斬っても刃こぼれせず、血脂に濡れても斬れ味の落ちぬ、鋼鉄の皮膚でさえ両断できる理想の一振り。
しかし、我が腕前では理想は遥か遠く。再び打ち上がった刃は、一振りのうちに折れてしまう。
まだ足りぬ、まだ足りぬと、足りぬ頭で何が足りぬか思考し、そしてまた鋼を手に取る。我はそれしか知らず、それしか方法がない故にまた打つしかない。
「遺火よう。ちぃとばっかし、こいつの面倒みちゃくれねぇか?同じ人間同士、仲良くやれんだろ」
「………ちわっす」
小人が連れてきた幼子。無道に親を嬲られ、行き場を失った無道の贄。
慰めてやるのが筋なのだろう。だが、幼子に構う余裕はなく、ただ好きにしろと言う他ない。幼子がいようとも、やる事は変わらず。ただひたすらに鉄を打つ。
「………おっさんさ、才能ないってわかってる?」
いつしか幼子から言われた言葉。そんなものは、一切合切承知している。才などない身で理想に手を伸ばそうなど、余程の阿呆だろう。
ならば我は阿呆でよい。阿呆のまま、みっともなく足掻くしか我にはできない。
「ふーん………なぁ、オレにも教えてくれよ」
我に教えるような技はなく、寧ろ教えを乞うしかできない身。それでも幼子は我の動きを見様見真似、時には他の者から教えを乞い、いつしか隣には幼子がいた。
「おうおう、遺火よう。まぁた弟子と仲良く鉄打ちか?随分と入れ込んだもんだ。師匠思いの良い弟子じゃねぇの。お前さん、鍛冶やルーンの才はとんとないが、人望だけはあるんだな」
弟子などおらぬと、そう何度説き伏せても変わらず。幼子も否定もせぬものだから、最早語る言葉なし。
いつもと変わらず、けれど幼子の補助に助けられて脆い刃の数は激減した。
「お師さんさぁ、やっぱ才能ないよ」
幼子はいつしか青年となり、何故だか我を師と仰ぐ。教えた事など何もないと言うのに。鍛冶の腕など、とうに追い抜いているというのに。
「オレに鍛冶の原型を教えてくれたのはお師さんだろ?だからお師さんだよ」
否定すればそう返され、特に困ることもないと思い至り、そのままにしておく。我が見るのは鉄のみで良い。無道を斬るための一刀を造り上げる事のみに注視すれば良い。
「お師さんはさ、なんで諦めないのさ。普通、そこまできたら誰だって槌を放り出すよ」
言わずもがな、無道を斬るため。無辜の人々を守るため、などとは言わぬ。ただ我が許せぬから。無道蔓延る世を認めたくはないから。
そのために剣を振い、槌を振い、果てなき理想へと手を伸ばす。その道がどれだけ険しかろうと、
「ーーーお師さん、これ」
いつの間にやら我が手に皺が増え、動きも鈍くなってきたころ。青年は壮年となり、自らの工房を持つように。幾人もの弟子を抱えているというのに、時折こうしてただ徒に鋼を無駄にする我の元へと顔を出す。
その日、その手の中にあったのは一振りの刃。鞘に収められたそれをするりと抜けば、いつかいつかと夢に見た理想がそこにある。否、それさえ遠く及ばぬ、我の想像を超えた一振り。
「四方詰め。皮鉄はオリハルコン、心鉄はアイアン、刃鉄と棟鉄はミスリル。刻んだルーンは修復、切断、鋭利。本当はドワーフ王の武器みたいに七つ刻めれば良かったんだけど、オレの腕では、これが限界だったよ」
ほう、と漏れた息は感嘆か、嫉妬か。壮年は卑下するが、彼の王の武器にさえ届き得る至宝だろう。滑らかな刀身を納め、壮年に返そうとすればやんわりと断られる。
「これはお師さんの為に鍛えた刀だから。文字通り、魂を込めて打ったこれを、お師さんに受け取って欲しい」
しかし、我に支払えるものなどこの身しかなく、この老骨など薪にもならぬ。しかし、壮年はゆるゆると首を横に振る。
「お師さんには、沢山もらったよ。そりゃ、ルーンや鍛冶は他の人からだよ?でも、お師さんは心を教えてくれた。それは、どんな崇高な職人にもないものだったよ」
だから、これはそのお礼。といって頑なに受け取ろうとはしない壮年。
そんなもの、ただ諦めの悪いだけの、才のない我に許されたたったひとつできる事でしかない。
「お師さんは鉄を打つ以上に、やるべき事がある。オレにはそれがわからないけど、これがお師さんの力になれば嬉しいよ」
彼の師の中には名のある刀匠もいただろう。誰もがしるルーン工匠もいるだろう。しかし、それらを差し置いて我に得物を贈るなど、到底理解の及ばぬこと。
ああ、しかし。しかし、だ。
戒めなければならぬと言うのに、この一振りを譲り受けるという暁光を手放すというのは惜しいと、卑しい己がいることもまた事実。我が意思に反して、鞘を握る掌を恨めしくも思う。
そうしているうちに、外が俄かに騒がしくなる。街の外れ、穴倉とも呼ばれるこの地には微かにしか音は聞こえず、しかし騒ぎ立てる声は刻を追うごとに大きくなる。
「お、オイ!遺火よう!お前さん、荷物をーーーいや、荷物も捨てて逃げろ!今すぐにだ!」
「どうしたんだい、おやっさん。随分と騒々しい」
「お前さんもいたのか!それより早く行くぞ!ドラゴンだ!ドラゴンがこの地に舞い降りてきやがった!」
小人の言葉に、ゆるりと腰を上げる。歳を重ねたこの身は、ただそれだけで節々に痛みを告げる。
小人の制止を振り切って、喧騒の先へと歩みを進めれば、そこには霜のような白色の鱗を持つ竜の姿。スラリとした肉体に詰められた、圧倒的な力。その巨体に見合った声量は、遠くドワーフ国の隅々にまで響き渡る。
「俺は霜の竜王‼︎喜べ、ドワーフ共‼︎貴様らは俺の配下となるのだ‼︎」
「ま、待ってくれ、霜の竜王よ!我々は敵対するつもりはない!どうか、牙を納めてはくれないか!」
「なんだと?貴様、下等種族の分際で俺に意見をするのか?」
「い、いえ、そんな………」
一人のドワーフが先頭に立ち、場を収めようとするが、竜に言葉は届かず。そも、無道に聞く耳はない。
ゆるりと、自然に。己が身を自然に任せ、竜の前に出る。背後から戒めの声が届くが、我が刃は既に見定めた。
「あ、おい!遺火、てめっ、この野郎!勝手に出てくんじゃねぇ!」
「ん?なんだ、下等種族の老耄か。まさか抵抗するつもりか?」
「ーーー無道」
鞘から刃を抜き出し、一歩を踏み出す。老骨のそれは、若かりし頃よりも尚遅く。それよりも早く頭上へと迫り来る竜の腕。
慣れ親したしんだ死の気配。己が命が終わる瞬間。常ならば刃は届かず、我が身は肉へと変わっていただろう。
しかし、振るった刃は羽のように軽く、水面に刃を滑らすような軽さでそれを縦に切り裂く。
「ぐっ、ぁあああ‼︎きさっ、貴様ぁああ‼︎」
「ーーー見事」
岩よりも堅き鱗を切り裂き、血脂に濡れても尚毀れぬ刃。空を斬り、刃に付いたものを振り払うと再び無道を見据える。
巨大な口から吐かれる、極寒の冷気。刃では裂けぬそれに、刃を振るう。両断された冷気は周囲を凍らすが、我が身には届かず。そしてまた、刃も曇ること能わず。
「ーーー
迫り来る竜の腕に乗り、その身を駆け上る。一歩踏み出すたびに節が悲鳴を上げた。視界が揺らぎ、頭の奥から不可能だと叫ぶ己がいる。
けれど、それは無道を斬らぬ理由にはならぬ。牙を、爪を、魔を躱し、そうして漸くその首へと至る。
「ま、待て!貴様は厚遇してやろう!だからーーー」
「ーーー無道」
するり、と刃が滑り、その首を刎ねる。刃は依然として曇らず、欠けも曲がりもない。
「遺火、お前………」
「あぁ、よかった………」
ふと、言葉を失くす群衆の中で声がした。ちらり、とそちらへと視線を向ければ壮年の姿。心底安堵するように、感嘆するように、瞳に涙を浮かべた壮年は、ゆっくりと息を吐く。
「ようやく………ようやくお師さんに、恩返しができた」
返される恩もないというのに、壮年は満足いったとばかりに目を細めていた。
◇◆◇◆
ふと、目を覚ます。
いつの間にやら眠っていたらしく、抱えていた刃へと視線を落とす。
この刃がいつ手の中にあったのか、定かではない。けれど、手放すなかれと叫ぶ己の声に従い、手を離れる事のない刃。
ゆるり、と視線を周囲へと移せば、巨大な樹木が倒壊している。森の奥にて蔓延る無道。周囲の生物を、ただ徒に喰らう無道。
その生命力のなんたる事、幾度と斬り伏せようとも尚衰えぬそれを斬ったのは、つい先程。
最早薪にしかならぬ無道から溢れる、樹液のような液体。それに映る我が身は傷に覆われており、頭頂は灰を被ったように微かに白く染まる。
「ーーー次なる、無道を」
腰掛けていた枝から立ち上がり、歩みを進める。
無道を斬る為に。
己が命を果たす為に。
刃は静かに、鞘へと納まった。
◇◆◇◆
「はぁ?例の男の事でありんすか?悪いでありんすが、私は覚えておりんせん。それよりも、何故アインズ様は休暇を与えたのでありんすか?私ならばすぐにでもその無礼な輩の首を持ってくると言うのにーーーは?私が?負けた?テメェ、その首引きちぎるぞ‼︎」
「件ノ男ニツイテ、私ハ知ラヌ。タダーーーイヤ、ヤメテオコウ。私ハ刃ダ。刃ガ自ラ斬ル相手ヲ選ブコトハナイ。担イ手ノ意志ニ従イ、振ルワレルノミ」
「例の男………すいません。私は守護者二人を見殺しに、おめおめと生き延びてしまった不詳の身。貴方のご期待に応えられるようなことは、何も………今回の罰も、アインズ様の温情があってこそ。そうでなければ、私の首など飛んでいたことでしょう。感謝こそすれ、異議を立てるなど恥知らずにはなりたくありませんので」
「ーーーふむぅ」
コツコツと、軍靴で床を叩く音が室内に響く。
ナザリック地下大墳墓、宝物庫。そこを守護せよと命じられた存在、パンドラズ・アクターは用意された机を中心に、ぐるぐると回り、その卵のようにつるりとした肌を撫でながら思考する。
「ナザリックに刃を向けた存在………この世界では亡剣と呼ばれる、御伽話の人物と同一視される男………アインズ様にその刃が届くとは思えませんが、万が一と言うこともありますからね。不安の種は取り除きたいところですがーーー」
既にナザリックが誇る守護者が三人、斬られている。かつて千五百人によるナザリック大侵攻の時は、第八階層まで攻め入られ甚大な被害を及ぼした。
そこまでいかずとも、たった一人でそれに差し迫る被害を出しているのもまた事実。至高の御方ならばまだしも、下僕たちだけでは分が悪いと判断せざるを得ない。
「デミウルゴス殿の代役にと、アインズ様から下賜されたこの役。その期待に応える事こそ、創造されたこの身の存在意義………ふむぅ」
だからこそ、直近で戦ったシャルティア、コキュートス、セバスから情報を得ようとしたが、結果は実に芳しくない。
「シャルティア殿、コキュートス殿の反応は想定内。しかし、セバス殿の反応………あまりにも不可解。そう、彼は二度も遭遇しておきながら、全て見逃されている!」
部屋に響く軍靴の音が止まり、宛ら舞台上の役者のように大げさなポーズを決めながら、パンドラズ・アクターの思考は進む。
「もしや、彼は件の男ーーー亡剣側に寝返った?いや、それはあまりにも早計………それに、ナザリックに情報は齎している。可能性は低いでしょう」
もし寝返っているのであれば、男の容姿や戦闘の様子など伏せるべき情報は多々ある。しかし、セバスはわかる範囲のみであるが、情報の共有はしているのだ。
それに、例えそうだとしても、それもまたアインズの策略のひとつという線もある。迂闊に手を出すべきではない。
「んー!アインズ様の深謀は、私には計り知れません!
大袈裟に身体を反らし、頭を両手で抱えるパンドラ。一頻りやって満足したのだろう、襟を正すと再び至高の海に沈む。
「セバス殿が見逃された原因は、カルマ値で片付けることはできない。中立であるコキュートス殿が殺された原因は?監視の目が届かず、事後報告しかない現状を恨むべきか………いや、アインズ様の深謀を理解するには、今ある手札で解決しなければならない」
ひとつひとつ、丁寧に。頭の中で与えられた情報を組み立てる。それがアインズが思い描いた未来予想図であると、そんな恐れ多いことは言えない。
しかし、御方自ら創られた存在として、その足元に及ぶことくらいはせねばならないと、そう自負していた。
そうしてふと、パンドラズアクターの頭に閃きが落ちる。
「おや?おやおやおや?」
件の男から二度も見逃されたセバス。一度目はツアレを、二度目は村人を隕石片から守る姿が報告されている。
たっち・みーへと姿を変えたパンドラズアクターはそのまま思考を進める。
「セバス殿が見逃されたのは、たっち・みー様の善性が受け継がれていたから?」
そう考えれば腑に落ちる。
カルマ値に縛られない動きも、セバスが見逃された理由も。現場を目撃してから判断する、という推測に間違いはないだろう。
ならば、次はこれをどう利用するか。そして、どこまで利用できるのか。
「無理に敵対するつもりはないと、アインズ様はそう考えているはず。あの御方の慈愛の心は、創造された私が誰よりも知っている」
それはパンドラにとって揺るぎない自信。創造された身だからこそ理解できる感情。ただ、その深謀までは理解できないのは悔やむべきところ。
アインズが亡剣を本当はどう利用しようとしているのか、そこに至るまでの情報がまだ足りない。
「ふぅむ………そうですね。少し、気乗りはしませんが………」
たっち・みーからいつもの姿に戻ると、指輪の力を発動。転移した先は、ナザリック第七階層、溶岩地帯。熱を帯びるフィールドで、パンドラが迷いなく目指す先は赤熱神殿。
普段ならば悪魔たちが待機する階層であるが、その姿はどこにもない。何せ、休暇を言い渡された者がいるのだ。どう触れるべきなのか、どう扱うべきかわからず、次第に離れてしまったのだ。
領域守護者である紅蓮を除けば、この階層内にいるのはパンドラを除いてただ一人だけ。神殿の扉を開け、部屋を進む。そして、そのうちのひとつの前に立つと、カッコいい決めポーズをひとつして扉を開いた。
「しっつれいします、デミウルゴス殿!」
「おや…………あぁ、貴方がパンドラズ・アクターですね」
扉が開いた先、質素ながらも高価なものが揃えられた部屋にデミウルゴスはいた。
休暇を言い渡され、この部屋に自らを軟禁したデミウルゴスに、外見的な変化はない。ただ、どこか痩せたように見えるのは気のせいではないだろう。
「それで、どうかしたのかな?引き継ぎの書類は万全だったはすだが」
「それはもう、隅から隅までわかりやすく簡潔で、実に完璧な書類でしたとも!ですが、やはり生の情報というのは必要でして」
「なるほど、それは確かだ。私に答えられることならば、なんでも答えよう」
部屋に用意されていた物とは別の、質素な椅子に腰掛けてデミウルゴスは和かに笑う。
報告ではどこかがおかしい、壊れている、などと聞いてはいた。しかし、目の前のデミウルゴスは以前と変わらない様子ではないか、と内心でそう評価するパンドラ。
だが、その笑みがどこか痛々しく、怯えているように見えるのは気のせいではないとも察してはいるが。
「さて、まずお聞きしたいのは、件の男との戦闘。その経緯を覚えているかです」
「すまないね。報告にある通り、その記憶は私の中にはない。今の私にあるのはその情報のみだ」
「なるほど」
男に斬られたシャルティアとコキュートス、両名と変わらないその言葉に嘘偽りはないだろう。
「それではふたつ目。先日の守護者三名を独断専行で投入した理由は?」
「報告にある通り、アインズ様の御意志に沿ったから、と言うしかないね。三人とも最初は疑っていたが、私の説明に納得してくれたよ」
なるほど、と今度は口にしない。
デミウルゴスの言葉は確かに一見筋が通っている。しかし、言葉の節々からどうにも違和感が湧き上がり、納得には至らない。
「それは、三名を騙した、と言うことでは?」
「説き伏せた、と言ってくれるかな?それではまるで私が、ナザリックを陥れようとしているように聞こえるからね」
まただ。
また違和感がパンドラを襲う。
宝物庫を拠点とし、その管理を任されて外に出ることのなかったパンドラ。デミウルゴスを始め、守護者たちやナザリックの下僕たちとの交流も今までなかった。
男に斬られる前、記憶を失う前のデミウルゴスのことなど、正直報告書の中でしか知らない。
それでも、ボタンをひとつ掛け違えたような違和感がずっと胸の中に残っている。
「…………そうですね。確かに、今の言葉は失言でした。訂正いたします。失礼しました、デミウルゴス殿」
「構わないよ。理解してくれたのなら、何よりさ」
軍帽の目深に被り、パンドラは無意識のうちに視線を逸らす。まるで目の前にいるのがデミウルゴスを騙る別者のような気がして仕方がない。
「…………これは仮定なのですが、もしアインズ様の御意志を読み違える、またはその意図に反していた場合はどう致しますか?」
「あり得ないよ」
きっぱりと、考える素振りすら見せずにデミウルゴスは言い切る。そこに疑われた不愉快さはなく、その質問自体が間違っているとばかりの反応。
「私はデミウルゴス。至高の御方に賢くあれと、そう命じられて生み出された存在。その私がその御意志に反することなど、あり得てはならない。つまりはそう言うことだよ」
「…………アインズ様の深謀、その全てを読み解くなど不可能では?」
「そこまでは言っていないさ。ただその一端を読み解こうとしているだけだよ」
その口調も、声色も、姿形も報告にある通り。だからこそ、不気味で不可解。
けれど、それを目の前の存在に悟られたらどう行動するのか読めない。アクターとして、演じなければならない。
「んなぁるほど!重ね重ね失礼しました、デミウルゴス殿!このパンドラズ・アクター、己の無知を曝け出す事となり、汗顔の至り!」
「そう卑下することはないよ。君は今まで宝物庫の番をしていたんだ。情報が不足して当然さ」
「私のフォローまでしてくださるとは!それでですね、デミウルゴス殿。無知な私にあとひとつだけ、ご教授願えますか?」
「おや、何かな?私で答えられるものならいいのだけど」
「いえいえ、簡単な事ですとも。ズバリ!デミウルゴス殿はこの休暇をいかがお過ごしなのか、と!」
大袈裟に、身振り手振りを大きく、声を張り上げてパンドラは演じる。
アインズからそうあれかし、と生み出された故にそれを恥じることなどない。
そんなパンドラがどう映ったのだろう。レンズの奥で、宝石の瞳がほんの僅かに歪んだ。
「無論、アインズ様の御意志を理解する時間として、有意義に過ごさせていただいているよ」
「ほう?というと?」
「アインズ様が何の意味もなく、私を含め守護者四名に休暇を与えるはずがない。その意味はどこかに隠されているはず………そう、きっと、そうに違いないはずさ」
演じる者として、そのデミウルゴスの言葉に隠された怯えを感じたパンドラ。しかし、そこを突いて何が飛び出してくるかわからない以上、口を噤むしかない。
「なるほどなるほど…………いやはや、とても有意義な時間でした。感謝します、デミウルゴス殿。私はここで失礼させていただきますね」
「いや、こちらこそ有意義だったよーーーああ、それと。あの男の事を探るために、王国の黄金姫が何かしているようだね。それを利用してはどうかな?」
背を向けて去ろうとしたパンドラの足が止まる。
その情報は確かに掴んでいる。いや、ラナーから報告されたと言うべきか。
曰く、亡剣を誘き寄せるための策があると。
それを利用しようと、そして安全性の確認をしている矢先にこの発言だ。
本来であれば、他の下僕すら出入りする事を許されていないこの場所で、どうやってそれを掴んだのか。
思わず振り返るパンドラに、デミウルゴスは優しく微笑みかける。
「これで、私がナザリックを裏切るつもりはないと、そう理解してくれたかな?」
「…………ええ、それは、もう」
軍帽を更に深く被り直して、パンドラは今度こそ部屋を出る。
最後に覗いた部屋の中では、デミウルゴスがそうあれかしと至高の御方に命じられたかのように、微笑みを絶やさないでいたのだった。