銀河英雄伝説 バーミリオンの反逆者   作:ICHINOSE

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2話:宇宙暦823年の反逆

 

 

 楊青年は天涯孤独の身であったが、学業進路においては相応の恩恵に浴することはできた。

 努力の甲斐あって同盟最難関のハイネセン国立中央自治大学に現役入学。成績優秀につき学費免除の上に支援金も与えられ、在学中に公務総合職試験に合格。大学卒業とともにトップエリートの登竜門と評される財政省に入庁を果たした。

 

「『バーミリオンの奇跡』を果たしたヤン提督のように、文民の自分たちも『奇跡の同盟』を再建しよう」「新時代への改革は、自分たちが担うんだ」楊青年は入庁同期たちと語りあった高邁な理想を抱き、同盟政策の中枢を担う国家官僚となるべく日々の職務に精励していた。

 

 楊青年の転機は、宇宙暦八一七年の春。

 ヤン・ウェンリー新政権の成立であった。

楊青年らの望んだ「改革」は、同政権ナンバー2に就いたアレックス・キャゼルヌの号令で断行された。それは必ずしも、楊青年の望んだ方向性ではなかったのだが……。

 

『また、紙の本を読んでおいでですか』

「……いいや。少し昔のことをね」

 定期通信。楊青年も少女も作戦中ではなく共に母艦に乗艦中であるものの、二人が言葉を交わすのはモニタ越しの通信だけ。理由は統制上の規則で、指揮官と部隊員との必要以上の交流が禁じられているからだ。おおかた団結されて組織に反抗されるのを防ぐためだろう。

 

「ところで。あの工程、きみには最後まで任せる」

 「工程」という隠語。脱出決行は一週間後であった。

楊青年は慎重を期していた。通常の哨戒任務や敷設任務におり交ぜつつ、怪しまれない範囲で秘匿艦への調査を実施した。とはいえ実際に現地の小惑星基地に足を踏み入れたのは通信相手の少女一人だけであり、楊青年が赴くことは一度もなかった。欺瞞の都合上、軽々に母艦を離れられないからだ。楊青年が動くとすれば、それは脱出作戦の最終局面。

 

『はい。わたし以外の人員は……』

「ほかの人員は不要だ」

『いえ。もうしわけありません』

 人員。不要。すなわち他の人間は連れていけない。逃亡できるのは作戦に携わる最小限の人員。楊青年と少女、共謀相手の技術者ダグラスと、スパイ役として楊青年に協力してきた帝国軍中佐とその家族だけ。現実的に考えた結論だ。

 仮に子供たちをすべて抱えていくのなら、まず会社の実働部隊を全滅させるくらいのことは必要。それはもはや逃亡ではなく反逆であろう。楊青年は歯がゆくも願う。可能であるなら、そうしたい。会社組織すべてを敵に回しても打ち倒せるほどの武力が、あの秘匿艦にあれば。

 

 この時、楊青年は心の底から力を欲した。自分が本当にミラクル・ヤンであれば。奇術でも計略でも操って、手持ちの部隊や装備だけで、魔法の手品みたいに皆を救い出せたなら……。

 そこまで考えたところで「欺瞞だろう?」とささやく別の楊青年もいる。楊立民よ。おまえには、本気で子供たちを救う気なんてない。なぜならおまえ自身、子供たちを対等な人間とみなしていない。どうせ一瞬で死ぬ駒としか考えていない。彼ら皆と顔を合わせたこともなければ、ひとりひとりの名前や生い立ちを知ろうともしなかったのがその証左だ。とはいえ彼らもまた、おまえと同じように諦めている。現に彼らはこれまで、一指揮官にすぎないおまえにに怒りや憎しみすらぶつけてこなかった。さしあたって、戦いで生かしてくれるだけの指揮と情報と補給しか求めていないはず。その限りにおいて信用はされているドライな利害関係でしかない。だから楊立民、おまえはそれでいいだ。そうするしかない……。

 けれども。そんな己自身の囁きとは違う、一人だけの例外があった。

 楊青年が唯一、直接通信を開く子供。あの少女だ。

 

「きみは。どう思う?」

 楊青年は、もっとも信頼を置く少女を「きみ」という二人称でしか呼べない。楊青年が雇われ指揮官としてここにきて間もない時だ。少女に名前を聞いたとき、けんもほろろに拒まれたからだ。

 

『ここで帝国軍残党と戦わされている、子供たちについてですか?』

 少女の問いに、楊青年は言葉を返せなかった。

 きみもその一人だ、と言ってしかるべきなのに。たとえその資格などなかったとしても。

 

『しかたのないことだと思います。わたしの認めた指揮官であるあなたが、しかたがないと、苦しまれておいでですから』

 それに、と。

 名を明かさぬ少女は無表情に続ける。

 

『世界で使い捨てられているのは、なにもわたしたちだけではありません。きびしい条件で働かざるを得ない方々も、情勢の変化で職を失われた方々も、突然の不幸や病気に遭われた方々も、苦しみは同じことでしょう。わたしたちが、単に子供というだけで殊更同情されるべきだとは思いません』

「いや、それは、ちがうんだ!」

 楊青年は、思わず声を荒げてしまった。聞くに堪えなかった。まるで少女自身を切り刻むようなものの言い方が、楊青年の胸中に杭を打ち込んだ。疚しさか、悔しさか。とうに諦めたはずの理想論や正義感が、楊青年の腹の奥底からせりあがってくる。一度声に出た想いは、堰をきったかのように激流となった。

 

 しかたがない? 

 そんなわけがない!

 

 子供がなによりも守られるべき理由だって? そんなものは自明だ! 人はだれしもが子供だったからだ! 人はだれかに育まれることなしに大人にはなれない! だからこそ、みずからが受け取ったものを、守りぬいて豊かにして、未来の世代に託す義務がある! それは自由な意思のもとに集った同盟市民が、自由惑星同盟の国是として、民主共和政体の理念として、苦しくとも険しくともみずから選んだ、高貴なる荊の道のはずだ! 

 個人の自由と権利っていうのは、そういうもので、それを守っていく社会っていうのは、そういうものなんだ……、と。

 楊青年の喉が枯れたところで、叫びはとぎれた。

 けっして手に届くことのない理想と、目の前の子供たちすら救えない現実との狭間にすりつぶされながら。

 

『これを、みてください』

 すると。少女は一枚の手書きの絵を見せた。それは国旗のようであった。深い青地の上に、一条の黄色い斜線が差していて、七つの白い星が輪になっている。楊青年になじみ深い自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)の国旗とは異なるものであった。

 少女曰く。夢で、何度もみたと。そこは平和の国で、街はだれもが楽しげで、学校や公園では子供たちが笑顔で過ごしていると。この星の旗は、街のショッピングモールや、学校や公園で、高いポールに掲げられていた、と。でもそれは「こうだったらいいのにな」っていう空想で、わたしがお父さんやお母さんとはなればなれにになる前の「たのしかった昔の思い出」のつぎはぎで作り出した、夢まぼろしの世界でしかないけれど……、と。

 そんな、少女のぽつぽつとした、親が子供におとぎばなしを読み聞かせるような語り口。

 楊青年は、言い得も知れない物悲しさを感じた。夢なんて、しょせんは雲をつかむような話だとでもいうのか。幸せは思い出にしかにない虚像だとでもいうのか。まるでなにも望まず欲せず、いつか来る死を待つことだけが希望だとでもいうのか。だれも報われない諦め。この聡明な少女をして、現世には諦めしかないのだ。

 

『ヤン・ウェンリーが、あなただったらよかったです』

「……それは、どういうこと? もしも僕に、ヤン議長みたいな才覚があれば、という意味かな」

『ちがいます。ヤン・ウェンリーなんかじゃなくて。あなたが英雄だったら。あなたが議長だったら。世界はやさしくなったと思うからです』

 ヤン・ウェンリー、なんかじゃなくて。

 そんな冷えきった響きの呼びかた。憎悪すら込められていない。聞こえてくるのはやはり、からっぽの諦念だ。

 

 楊青年は悟ってしまった。

 少女の言葉には、楊青年とちがってヤン議長への畏敬の念はない。もはやこの子達にとって自由惑星同盟は自由の国ではないばかりか、自分たちを同盟市民とすら思っていない。もはやヤン議長はたんなる異国の権力者で、自分たちのために戦ってくれた英雄でも救世主でもない。それもそうだ。事実、ヤン政権はこの子達を救っていない。むしろ「自由化」政策の名の下に子供たちの窮状をもたらした敵だ。いや、もはや「敵」とすら認識していない諦めの対象。

 だからなのか。この子が夢に見たのが自由惑星同盟の国旗なんかじゃなくて、空想の旗なのは……。

 楊青年は、床の底が抜ける思いだった。

 

「もしも。僕が」

 楊青年は、うつむきながらも、つぶやいた。

 

「もしも僕が英雄だったら。議長だったら。なにがしたいか、なにをするべきか。世界にどうなってほしいか」

 そんなものは単純であった。いまさっき、耐え切れずに吐き出した本心にほかならない。

 守るべき誰かを、助けることだ。誰かのためにも。自分の信じたい理想のためにも。

 

「逃げても、だめだ。逃亡計画は『反逆作戦』に変更する。目的はこの会社を潰す。それ以上でも以下でもない。準備を早めるが、ここからは僕も直接動く。計画が成功したそのときは……」

 ここに至ってようやく、楊青年は恐れを踏み越えた。

 通信のログは残ったが問題ない。そもそもこの回線の機密は、脱出共犯者ダグラスの細工で十全に守られている。会社側にダグラスほどの技術者がいればともかく、しょせんは理念のかけらもない民間軍事請負会社だ。欲求と暴力のアメとムチでしか構成員を統率できない木っ端組織。かつての銀河帝国の秘密警察の足元にも及ばない。最初から、いちいち恐れをなす必要なんてなかったのだ。この一年間、馬鹿な遠回りをしていた。

 

「その時は。きみの名前を、教えてほしいんだ」

「はい。そうしたら、そのときは……」

 楊青年は、少女の言葉を待った。

 

「そのときは私も、あなたからいただいた『腕時計』を、お返しします」

 少女の申し出に、楊青年はようやく思い出した。『腕時計』。帝国軍残党からの鹵獲品の一つで、外観はクラシックな造りの腕時計だが、正体は護身用の隠し光線銃(ブラスター)。一度の充電で二回分の照射が可能な代物だ。自分が持っていても使わないからと、楊青年が少女の身を案じて渡したものだ。

 

「平和な世界に、これはいらないものですから。かわりに、あたらしい腕時計がほしいです」

「……わかった。約束する。買いに行こう。一緒に」

 逃げ出しても、なにも変わらない。正しいことを果たさなければ、自分が自分を赦さない。だから。楊青年は戦うことを選んだ。

 個人の自由と権利を妨げて、搾りつくすような存在は、この手で壊すしかない、と。

 

 

 

 楊青年の計画は滞りなく進んだ。工程の再確認。技術者ダグラスと合同での小惑星基地の現地調査。これまでのスパイ役で亡命希望者の帝国軍残党中佐との合流計画の最終調整。そのすべてにおいて、楊青年は自ら(少女のガイドを受けながら)打撃戦闘艇(トリエーレス)に乗り込んでは現地に赴き、計画変更に伴う不安要素の解消に万全を期した。

 

 そして決行の日。

 作戦の展開は、拍子抜けするほどであった。

技術者ダグラスの別働工作により、根拠地停泊中の戦闘艇母艦や本部艦隊は軒並み動作エラーを吐いて一時的に無力化。任務にて航行中の実働部隊も、楊青年率いる打撃戦闘艇(トリエーレス)部隊による各個奇襲攻撃によって作戦能力を喪失。

 かくして楊青年率いる反乱部隊は、例の秘匿艦が停泊する小惑星基地へと集結していた。

 

「よおミラクル・ヤン! そっちの首尾はいつもどおり上々だな!」

「ダグラスこそ。それより、これが秘匿艦の戦闘指揮室か……」

「そういやおまえが乗り込むのは初めてだったな。艦種は旗艦級戦艦で、艦名は〈バーミリオン〉。武装もご丁寧にバッチリ使える状態。拾い物にしちゃ大した艦だぜ」

 ダグラスが照会した艦内データから知り得た内容だ。艦名は、ヤン提督が四半世紀前に演出した「バーミリオンの奇跡」に由来するものだろうか。万単位の艦隊を一手に指揮統制する旗艦級戦艦だけあって、全長一五〇〇メートルにも及ぶ新鋭艦は外観も頼もしいかぎりであった。

 

「にしても帝国軍の中佐さん。巡航艦を二隻も寄こしてくるあたり、あんたも本気なんだな」

『無論だ。私はもう、内部抗争には疲れたのだ』

 帝国軍巡航艦からは、件の中佐がモニタ越しに答える。長年の労苦が刻み込まれた皺顔の、初老の大男であった。

 

『しかし当方も、乗員や弾薬は最小限であるから、交戦能力の過大な期待はしないでほしい』

「ああ。外で警戒してくれてるだけでもありがたいぜ。仮にドンパチになっても、そんときは文字通り大船に乗ったつもりでいてくれや。こいつの主砲、アイアース級並みの四〇門もあるからな!」

 ダグラスは得意げに言い放つ。明るい男が傍にいてくれるのは、楊青年としても助かる思いであった。

 

「で、楊。会社の奴らは」

「帝国軍残党の主力に潰してもらう。情報は中佐を介して流してあるから、今頃根拠地ごと陸戦隊が無血占領しているだろう」

「本当によかったのかよ。子供たちの件。帝国の奴らに任せて」

「僕の隊の子供たちと直接話しあって考えた結果だ。帝国軍に投降してでも、同盟には帰りたくないそうだ」

 楊青年は会社を売る情報とともに、帝国軍の良心に訴えかける嘆願文も送っていた。

 

「自分は子供たちを救いたい。これ以上の非道には堪えられない」「しかし、今の自分の身ではこのような告発しかできない」「あなた方に託す」……、と。

 それにしても、この会社で使い潰されていた子供たち。できれば自分の手で救いたかった。脱出成功率がどこまで下がろうとも、床に頭をこすりつけて説き伏せてでも、全員抱えて安全な場所に連れていきたかった。今の作戦は、楊青年が下したぎりぎりの決断であった。

 

 ともあれ自由惑星同盟は、子供たちから拒否されたのだ。暖かい食事が待っているから一緒に家に帰ろう、ぐらいのことすら言えない現実。ひとりの同盟市民として情けない。これが、同盟市民の選んだ「自由」か。

 

「例の女の子の、白い打撃戦闘艇(トリエーレス)も収容した。発進準備、完了だぜ。あとは命令承認に、俺とお前の名前を吹き込むだけだ」

 

 楊青年はダグラスに促され、コンソールの音声認証マイクに名乗ってみせる。

 ダグラス・ウィルバー。楊立民。

 正副二人の命令責任者の名前が承認されたとき。〈バーミリオン〉は動き出した。その巨艦は小惑星基地を抜け出し、帝国軍中佐の率いる巡航艦二隻とともに、彼らの目指す自由への航路を目指す――。

 そのはずであった。

 

「悪いな。楊」

 ダグラスのつぶやきに、楊青年は気が付かなかった。

 

『対戦闘艇レーダーに感がある。識別反応は……、同盟軍の新型戦闘艇(ファランクス)!』

 帝国軍中佐からの緊急通信。二隻の巡航艦は応戦も叶わず、一瞬の閃光を放ったのちに粉々に砕けた。〈バーミリオン〉の統合モニタからも、二つの光点が消えた。それとほぼ同時に、遠方に五〇〇を超える膨大な艦船反応が。民間軍事請負会社の比ではない。まがうことなき「艦隊」であり、楊青年にとっても青天の霹靂であった。

 

「いや、同盟軍相手なら問題ない。プラン変更だ。当艦はこのまま保護を受ける。ダグラス、認めてくれ」

「……了解。異存ないぜ」

 〈バーミリオン〉は即座に機関停止。発光信号にて降伏の意を示す。ほどなくしてコンタクトした同盟軍艦艇の接弦を受け入れる。

すると。

 

「見事だったよ。楊立民くん。さすがは、わが社のトップ指揮官だ」

 あらぬ声が、楊青年の聴覚を刺激した。

 戦闘指揮所に上がり込んできたのは、完全武装の陸戦部隊。それはいい。信じがたいことは中身の人間だ。指揮官と思しき一人が「わからんかね?」と告げ、防護フェイスを上げる。その正体は。

 楊青年が雇われていた民間軍事請負会社の社長。その人であった。

 作戦失敗。同盟軍。社長。決して合致するはずのないピースが楊青年の脳内を駆け巡るうちに、気づけば他の陸戦隊員によって身柄を拘束されていた。

 

「同盟軍とのコネクションも役に立ったが、それを差し引いてもきみの作戦は完全だったよ。ただ一点、そこにいるダグラス・ウィルバーの心を測り損ねたことを除いてね。彼が情報を売らなければ、私とて寝首を掻かれていたにちがいない」

 楊青年は、視線の自由だけを行使して反逆作戦の共犯者を睨む。

 そこには、拘束されずに社長の側に立つダグラスが。そして彼の手には、ぐったりとして動きのない、楊青年部隊の腹心の少女が。

 

 事態をようやく理解した楊青年は、叫んだ。どうして! と。

 ダグラスの答えは、いたって冷淡であった。

 

「どうしてって。よそでメシ食えねえからに決まってるだろ」

 ダグラスは続ける。いまの戦場職場も、ガキを巧く使えば自身はまず死なない。それは楊が証明したことだ、と。それに俺はもうじき昇格して、雇われ指揮官からは外れて本職の技術者として幹部登用される流れだった、と。高給。権限。名誉。すべてが満たされる。この寒いご時世、そうありつけない職場だ、と。

 

「そういうことだよ。楊立民くん」

 社長は柔和な声で伝える。人に最初の一歩を促すのは信念と信頼だが、人に最後の目的地を決めさせるのは現実的な損得勘定だよ、と。きみは前者において申し分なかったが、後者において不足があった。だからきみの共犯者はリスクリターンの天秤にかけて、たしかな目のある会社側を選んだ。共犯者はこう思っただろう。「逃げた先の、戦った先のビジョンは? 見返りは?」。双方を満足させることこそが、他者を率いる者の最低条件だよ、と。

 

 社長の持論は、経営者としての余裕を表していた。勝者といえども勝ち誇るものではなく、むしろ相手を教え諭す人徳すら漂わせていた。

 とはいえ。楊青年は覚悟していた。相手は孤児を戦争道具に厭わず使う組織のトップだ。

 この非道であぶく銭の経営者が、反逆者に対して生ぬるい報復で済ませるはずがない。

 

「罪には罰が必要だ。しかし、きみは信念の人だ。きみ自身を傷つけても逆効果だろう。そこで、代わりを用意したんだ」

 社長は楊青年にタブレット機器を見せた。それはライブ動画。場所は会社本拠地の一角で、普段は打撃戦闘艇(トリエーレス)に乗せられている子供たちが横一列に並べられ、ひざまずかされていた。

 誰かの合図で、子供たちの腕が、一斉に切り落とされた。

 この世のものとは思えない叫びが、タブレットのスピーカー越しに伝わってきた。

 

「ちなみに、きみの情報を信じてのこのこ出てきた帝国軍の攻撃部隊なら、全滅させたよ。同盟軍の別動隊を潜ませてね」

 社長は言外にこう伝えていた。「ガキ」が苦痛を受けているのは、楊青年のせいだ。お前の愚かな反逆こそが無用な苦しみを与えているのだ、と。

 

「楊立民くん。謝罪しなさい。それで、今後わが社に一層の貢献をしてくれるなら、今回の件は水に流そう。私は優しい」

 このとき、楊青年は恐怖を感じていなかった。彼の脳髄を支配していたのは、打算や保身などではない。怒りだ。静かに澄んだ怒りだ。決して許さない。それだけだ。

 楊青年は社長に唾を吐きかけた。ためらいはなかった。

 

「……おい、おいおい。なんだ手前! この野郎!」

 社長は自分にされたことを理解すると、別人のように逆上した。楊青年を突き飛ばし、彼の顔面目掛けて携行式火炎銃を放った。楊青年の顔面は一瞬で炙られ、耐えがたい苦痛が襲う。無論、彼の両眼は視力をうしなった。感じられるのは痛みと聴覚ぐらいだ。

 

「ああ、しまった! 両眼を一気に焼いては拷問にならん。他人への拷問ももう見せられんから困る。かといってこれ以上資産を傷つけるのは堪えがたい損失だ。はてどうしたものか。いや、やりようはまだあるな」

 激情から我を取り戻した社長は、やってしまったと頭を抱える。しかし代替案はすぐに思いついた模様。

 社長はひとりの人間に目をつける。

 そこの小娘がつかえそうだ、と。

 

「ダグラス・ウィルバー指揮者改め本部技術長。その小娘、手籠めにしたまえ。とはいえそのへんの「ガキ」と違って、有能な搭乗員だと聞く。くれぐれも舌を噛みきらせて死なせないように。こっちのほうが唾吐き野郎……、もとい楊立民くんにも刺さるだろう」

「承知しました。社長」

 

 ダグラスは社長の指示に従った。

 楊青年の聴覚には、ダグラスの言葉だけが聞こえる。おいお前。おとなしくしろ。そのまま後ずさって、壁際に立て。あと、笑え。笑顔を見せてみろ。そうだ。不愛想なガキだとおもったが、案外やればできるじゃないか。俺はな、お前みたいな賢ぶってるのを解らせるのが趣味でな。ずっとこうしてやりたかったんだ。まずはキスだ。おまえは俺のものだ。俺のものだ。俺のものだ。ふう。俺のものになったな。ほかの部分もじっくり俺のものにしてやる。奴隷にしてやる。

 ていうか、なんだその腕時計。ボロい手動式かよ。萎えるんだよな。俺が新しいのやるよ。スマートウォッチ。最新機種で最上級モデルのやつな。失くさないように外せないようにして位置も脈拍も常に見守ってやる。お前、もう俺の所有物だから。つうかお前、名前なんつったっけ。まあいいけど――。

 

「……腕時計。ありがとうございます」

 少女がつぶやいた直後。ダグラスのおしゃべりが止まった。

 同時に、重たい人間が床に倒れこむような音がした。その人間が起き上がる音は、一切しなかった。

 

『――〈バーミリオン〉運用正権限者ダグラス・ウィルバーの心肺停止を確認。現時刻を以て、当艦の全運用権限。運用副権限者への移行を実施します』

 腕時計。楊青年は思い出した。

 護身用の隠し光線銃(ブラスター)。まさか。

 

「楊立民さん」

 少女は告げた。

 

「わたしが生きていると、あなたはきっと苦しむ。悪い人に、謝って、従って、酷いことをさせられる。そんな世界にわたしはいません。だからどうか、あなたは正しいと思うことをなさってください」

 少女の言葉。

 

「わたしの名前は――」

 楊青年が、少女の名前を聞いたとき。

少女の最期の言葉は、楊青年にとって永遠のものとなった。

 

「……ああ! わが社の資産が二人も! 陸戦隊の君たちもなぜ反応できなかった! 光線銃の二度の発射だぞ! 私が狙われたかもしれなかったんだぞ!」

 

『――〈バーミリオン〉運用正権限者、楊立民と認めます。権限移譲に伴う再設定にあたり、新たな命令要項を要求します』

 

「力をくれ」

 楊青年は願った。

 

「全部、壊す力を。暴力の、全部を」

 

『――〈バーミリオン〉了解。命令要項、当艦および楊立民への、直接脅威の排除と解釈します。手段措置、自由。命令実行』

 

 楊青年はつぶやいた。

 個人の自由と権利を妨げるもの、すべてを壊す力を。

 この瞬間。楊青年は絶対無比の力を手にした。

 〈バーミリオン〉のもたらした力の最初の標的は、社長の護衛役の陸戦隊員であった。

 

「お、おい。動けないぞ。アシストが動かない」「全員なのか?」「気密メットの酸素濃度も勝手に下がって……」「隊長! パージできません! 隊長どうすれば!」陸戦隊員は頑丈な装甲服に閉じ込められたまま、ほどなくして窒息死した。「なにが起こっている!」防護フェイスを上げていたため窒息の難を逃れた社長だが、装甲服のアシストが機能せずに腕も脚もまるで動かせない。まったくの無防備。『三歩先、足元、小型戦闘斧です』「……これか」視力を失った楊青年は〈バーミリオン〉の音声案内で、陸戦隊員の落とした武器を手にする。『右九〇度、五歩先、標的です』「わかった」楊青年は社長の眼前に立つ。『目前です』楊青年は、無言の怒りのままに、手にした武器を振り下ろした。

 

 

 

 

 同盟軍が異変に気が付いたのは、民間軍事請負会社社長率いる陸戦隊員らが〈バーミリオン〉に接弦してから一〇分後のことであった。「連絡がない。あの社長はなにをやっているんだ」艦隊旗艦の司令官席に腰掛ける准将はぼやいた。准将は焦っていた。いかに同盟の利益にかなうからと言えど、一〇〇〇隻もの同盟艦隊を動員しているのだ。四半世紀前の対帝国戦争時代ならいざ知らず、出撃にかさむコストは馬鹿にならない。目的が帝国軍の侵攻の迎撃あれば瑕疵はないが、今回の出撃は一民間人に便宜を図るグレーな行動。万が一にもマスコミや議会に嗅ぎつかれ、社長と准将自身の癒着を暴かれようものなら、准将は同盟軍の席を追われる。成果主義の同盟軍において、民間軍事請負会社との「もちつもたれつ」で成果を上げてつかみ取った一つ星の階級。もっと上だって狙える。てばなすわけにはいかない……。

 

「艦長。妙です。艦隊データリンクの表示に誤差が……。こちらの操作も一切受け付けません」

「初歩的なエラーじゃないのか? 自己診断プログラムは正常だが。うむむ、電子技術士官を呼べ。『守護神(アーテナー)の護り盾』とかいう戦闘システムも難儀だな」

 艦隊旗艦の運用が役目の艦長とクルーたちが、艦橋下部の操艦制御フロアで相談事をはじめていた。

 准将の背筋に冷や汗がなぞった。第六感ともいえる不吉な兆候。そしてそれは、杞憂などで済んではくれなかった。

 

「前方から巡航艦二〇。友軍です。……えっ、主砲照射反応多数! 撃ってきました!」

「なんだと? 防御スクリーン最大展開。反撃は禁ずる」

「艦長。あれは例の艦に接弦を仕掛けた分遣隊です。どういうわけか定時連絡も途絶えていましたが、まさか」

「司令! 艦隊陣形の指令を!」

 艦長から艦隊指揮を仰がれた准将であったが、状況すでに彼の判断を凌駕しつつあった。

 

「本艦。すべてのレーダー・熱光学探知システム、火器管制システム、機関制御システムの応答、沈黙」「データリンクも途絶。システムダウンです」。准将は反射的に指示を飛ばす「連絡艇を出せ! 状況確認だ!」「それが、司令。発艦システムも異常をきたして……」「では何もできないではないか!」「目下、復旧を急ぐしかありません」「あ! 艦長! 全システムの起動を確認。しかし勝手に挙動しています。艦首ビーム照射基が、照射準備を……。僚艦をロックオンしています」「ハッキングだと? 全系統をマニュアルに切り替えろ!」「間に合いません」。恐慌に陥った彼らは思いもよらなかった。この魔術的ともいえる一連の事象が、〈バーミリオン〉のハッキングによるものだとは。そして艦隊が為すすべもなく壊乱させられるのに、さしたる時間は要さなかった。

 

 

 

 

 あれから数時間後。楊青年の望みは達せられた。

 〈バーミリオン〉はデータリンクを逆用したハッキングにより同盟艦隊の半数を掌握。即席艦隊を編成し、楊青年の在籍元であった民間軍事請負会社の本拠地へと殴り込みをかけた。結果は無論というべきか、同盟軍別動隊も会社主力部隊も、卓越したハードウェアと相応の艦隊戦力を手にした楊青年の敵ではなかった。捕虜については逃げるにまかせて、隷属状態から解放して保護した少年少女たちと、楊青年の隷下に入ることを希望したごく少数を引き連れ、〈バーミリオン〉の統べる約四〇〇隻の艦隊は占領した小惑星基地へと停泊していた。

 

「……誓うよ」

 〈バーミリオン〉の戦闘指揮所。

 その場に居たのは、冷たくなった少女と、ひざまづく楊青年だけであった。

 

「僕は、国を創る」

 楊青年はつぶやくと、もはや二度と帰らない少女を抱き留めた。そして続けた。

 証明してみせる。あなたが夢に見た世界が、けっして夢幻などではないことを。人々がひとしく安んじられる世界が存在することを。だからこそ同盟でも帝国でもない、真に個人の自由と権利が保障される国を実現させる。理想郷には程遠いかもしれない。けれども貧しさや隷属に立ち向かえるような、信じるに値するような、だれもがだれかを見棄てない、救いのある国を。だから。

 

「あなたの名前を、新たな国の名前にしたい」

 

 

 

 

 宇宙暦八二三年。ひとりの指導者が、銀河の一角に独立勢力を築いた。

 その指導者は自身を「ウィザーズ」と名乗り、鉄の仮面を被ったいでたちで正体を現さない。確たる事実は、艦隊を率いては非道な宇宙海賊や民間軍事請負会社を打ち倒す、常勝不敗にして正義の解放者だということであった。彼は同盟勢力も旧帝国勢力も関係なく平和を求める人々を受け入れ、勢力圏におさめた可住惑星の開拓や資源小惑星の開発を推し進め、混迷きわめる旧銀河帝国貴族領に安寧の地を築きつつあった。

 そして宇宙暦八二五年。

 彼は新国家「星条国連邦(インター・ステラ)」の樹立を宣言。「平和を希求する自由な人々の意思に基づく星系自治政府の連合体」を憲法に記し、国旗たる群青白星旗(ステラス・フラッグ)はその高貴なる精神を表していた。茫漠たる銀河を示す深い青地の上に、進むべき路を示す一条の黄色い斜線が差して、人々の願いを宿す七つの白い星が輪となって、ゆるぎなき連帯を成す……。

 のちに全銀河を三分する国家勢力が形作られた、その瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

「この度は、お会いできて光栄です。ユリアン・ミンツ国務次官殿」

 自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)新首都フェザーンに座する行政府ビル。その一室にて、二人の有力政治家が会合していた。ひとりはヤン政権における次代のホープことミンツ国務次官。もうひとりはスリーピーススーツにロングジャケットを羽織った男装の令嬢。

 

「どうか、楽になさってください。ハイネセンから遠路はるばるお呼びしているのは僕のほうですから。あと、その「殿」というのも……」

「では、ミンツ氏とお呼びしようかと。ちなみに、旅道は言われるほどに遠路ではなかったですよ」

 出迎えられた若い彼女の貫録は、四〇代に差し掛かり成熟した政治家のミンツ次官にまるで劣らなかった。

 一六〇センチにやっと届いたくらいの小柄さでありながら、顔立ちや容姿は女優のように端正であり、わずかにカールした黒髪のボブヘアは魔女的な妖艶さを醸し出している。きわめつけは、口端に浮かべられた余裕の笑み。もちろん瞳の奥は微動だにしない。そのような彼女が持つ男性的なハスキーボイスは、相手が誰であろうと対等の線を引く迫力をにじませていた。

 

「ヤン政権下で整備された星系間航路の恩恵、身を以て体感いたしました。贅沢を申し上げるなら、これが同盟の津々浦々まで拡がってくれれば、と」

「お恥ずかしい話、地方創生は途に就いたばかりなのです。その点、地方星系における貴女の活躍はここフェザーンでも有名です。僕自身、学ぶべきところが多い」

「まさかミンツ氏のお褒めにあずかるとは。とはいえ私自身、己の及ばざるを知る日々です」

 ほほえみで交わされる握手の裏に、静かにつばぜりあう睨み。設けられた会合の場も、穏やかな要件でないのは想像に難くない。

 

「〈バーミリオンの反逆〉から、もう二年も経つ」

 口火を切ったのは、男装の令嬢であった。

 彼女の振る舞いは、とたんに不敵なものになった。

 

「いまは〈ステラリア〉と名乗っている艦。星条国連邦(インター・ステラ)軍の総旗艦だ。ヤン・ウェンリーの演出した奇跡の戦場にあやかった新造艦が、こともあろうにどこぞの何者かの手引きで横流しされるばかりか、同盟に盾突く結果になろうとは。たいした皮肉だとは思いませんか。ヤン議長の薫陶篤いミンツ氏はいかに?」

「あれは同盟を脅かすテロリストです。貴女がどう買い被るかは自由ですが、当政権にとってそれ以上でも以下でもない。主権国家とも認めない」

「ふふん。つれない人だ。せっかくの機会、ちょっとしたおしゃべりをしましょう」

 男装の令嬢は、会話の主導権を譲らない。

 

「あの艦。兵装自体は現行の正式艦隊配備用旗艦(アーテナー級)の改良型に留まるが、頭脳を成すシステム面は試作型の次世代式。きわめて高度な侵食的電子戦力(アクティブ・ハック)を有するものだ。ネットワークに潜り込みさえすれば、戦艦から個人装備までみるみるうちに手駒にできる化け物だよ」

「政権中枢でも限られた情報を、野党議員の貴女がよくご存じですね。国家機密防衛法に触れている恐れがある。貴女を拘束できる別件も山ほどある」

「ほう。ヤン政権とは、代議士を密室に呼び出し、憶測に基づき拘束なさるのか。私はヤン・ウェンリーがそのようなやり方を善しとするとはまったく思わないが」

 ミンツ次官の、脅しにひとしい牽制。

 しかし男装の令嬢は、まるで相手にせずに続ける。

 

「とにかく、秘密裏に公試運転をおこなった〈バーミリオン〉は化け物すぎた。だから機密指定された。ひとたびお披露目して軍事の常識になってしまえば、『バーミリオンの奇跡』以降に整備した八万隻もの新世代艦艇が陳腐化しかねない。壮大な税金の無駄遣いだったと市民から誹られるだけで済むならまだいい。問題は、ヤン・ウェンリーの築いた戦略環境、国際関係のグランドデザインすら根底から揺るがす地殻変動ともなれば」

「地殻変動を望んでいるのは、貴女ではありませんか」

「個人の思想信条は自由だ」

「いいや。望むばかりでなく〈バーミリオン〉が流出するように直接手をまわしたのも、貴女でしょう」

 ふふん、と。男装の令嬢は、わらった。

 そして背をむけては後ろ手にまわし、堂々と言い放つ。

 まあ、そのとおり。と。

 

「封印も物理的に細分化されているかとおもえば、後生大事にそのまま艦ごとモスボール保管されていたのだから。後は簡単だった」

「ずいぶんと軽々しくいってくれますね」

「ハードウェアに頼りきった守りほど、盲点を突かれたときに脆いものもない。ああ。これはヤン・ウェンリーの言葉か」

「……それで、満足でしたか? あの青年の手に渡って」

 

 核心に迫ったミンツ次官の問いに、男装の令嬢は心底楽しげに答えた。

 もちろん! と。

 あの時、私は感動的なドラマを目撃した、と。モニタ越しとはいえ、生のミュージカルなど歯牙にもかけない刹那の輝きだった。絶体絶命。抗い得ない死地にあってなお、理想を貫く姿。あれは炎だ。信念の炎だ。私は感じたい。彼の放つ熱を感じたい。そして、その夢の旅路を見届けたい。

 

「ご感想はけっこうですが、火遊びは慎まれるように願いたかったですね。公人の身であるならなおさらです」

「火遊び? 異なことを。私はただ、あなたがたとおなじことをしているだけのつもりだよ。それに公人といえど、しがない野党議員だ。救国の英雄ヤン・ウェンリーの後継者と目される君とはちがって、あのバーミリオン星域会戦のさなかに雲隠れを決め込んだ悪名高い元議長の娘ともなれば……、我ながら寒い身分だ」

「若くして数ある有力企業を意のままに動かしているのに、しがない公人とは。ご自分を卑下されるなら、相応に清廉で慎ましくあるべきですよ」

「ふふん。なるほど。ミンツ氏らしい正論でなにより。ぜひとも、現政権を固める「お友達」にも諫言しておやりなさい」

 男装の令嬢はミンツ次官にたいして、持論を悠々と述べる。物事は、力を誇るときが一番に危うい、と。盤石のヤン政権こそ、慢心は禁物でしょう、と。

 もしかしたら、とある政権幹部が政策誘導の見返りに、どこかの大企業から多額のリベートを受け取っているかもしれない。と。とある与党有力議員が派閥ぐるみで、莫大な政治資金をプールしているかもしれない、と。数多の議員が地方選挙を勝ち抜いてこられたのも、反社会的集団を票田として囲い込んでいたからかもしれない、と。世論を形造る大御所コメンテーターも、芸能界をリードする人気コメディアンやインフルエンサーも、とある観光惑星のリゾート地で人権を踏みにじる悍ましい性接待をうけているかもしれない、と。

 男装の令嬢は、とどめに耳元でささやく。

 私はみんな、知ってるんだ、と。

 

「……ヤン議長への脅しですか」

「いいや。むしろやさしさだといってほしい。こんなスキャンダル、もし私が正義感と行動力を持ち合わせたジャーナリストであったなら真っ先に公表したよ。けれども、私は幸い、政治家だ。駆け引きに耽溺してしまう生き物だ。まったく救い難い」

「お父上にそっくりですね」

「そういうミンツ氏は、育ての親にはあまり似なかったようで」

 男装の令嬢は会話を打ち切ると、許可など求めず退出しようとする。

 そんな男装の令嬢の背に向かって、ミンツ次官は念押しして伝えた。

 

「〈バーミリオン〉対処作戦の件ですが。貴女の所有する民間軍事請負会社にも戦力供出を求めること、ゆめゆめお忘れなきよう願います」

「もちろん。私もあの青年の勢力には興味がある。敵としても戦ってみたい。では」

 ふたりの駆け引きは幕切れとなった。無論、水と油の間柄である両者にとっては、絶え間なく繰り広げられる虚々実々の一幕でしかなかったにせよ。

 それはともあれ。

 ふふん、と。この場で最後にわらってみせたのは、男装の令嬢であった。

 

「このイヴ・トリューニヒト。謹んでお引き受けいたしましょう」

 

 

 

 

 

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