「グエン・バン・ヒュー中将。先程の突撃戦術、見事であった」
『はっ。統軍総長閣下よりそのようなお言葉をいただけるとは。ありがたき幸せであります』
グエン中将は涙を浮かべ敬礼し、いたく感激していた。指導者に対する尊崇の念。向こう見ずな老虎と評されるグエン中将をして、敬虔な信徒を思わせる振る舞いをさせる。
そのカリスマ。仮面に表情をつつみ隠し、民衆の前に姿を表さず。軍の将官や政府高官ですら直に会うことは稀。されど一度出撃すれば、たがわず勝利を演出する神懸かり。
戦果という具体物と、偶像という象徴性。その実と虚の光は、絶妙に重なり合うことで、
『〈ステラリア〉による
「……違うな」
グエン中将の素直な賞賛に、ウィザーズは短くつぶやいた。
「一手、有る。彼等がこの状況を逆転し得る、現実的な手段が」
ウィザーズは抑揚のない声で、戦場に起こり得るひとつの可能性に触れる。彼の声には、聴く者すべてに彼自身の真意を推し量らせようとする神秘のベールが被われていた。
『と、申しますと? 不肖グエン、統軍閣下のご洞察に及ばず』
「単純な事だ。私を、この艦を討ち取ることだ」
グエンは眼を白黒させた。
『しかし、それは困難かと。現状、彼我の戦力差は逆転しております。〈ステラリア〉による
「在るのだ。グエン中将。彼等には、それを可能とする戦力が」
ウィザーズは、いまだ〈ステラリア〉の侵食電子戦から逃れている、温存された戦力に言及した。
『ゴスペル・ホールディングス』所属艦。のべ一五〇〇隻。
それを率いる男装の令嬢イヴ・トリューニヒト。戦力比で劣勢に立たされただけで無為無策に終わるはずのない女。むしろ、この状況を望んで仕向けたとすら疑ってもよい策士。ウィザーズはそう睨む。
「彼女の艦隊一五〇〇隻で〈ステラリア〉一隻に辿り着こうとするのは、そう難しい話ではあるまい」
『では、カールセンめの艦隊を使えば! 圧倒的火力で挟み撃ちにできます!」
「距離が近すぎる。方位も一直線上で、我が艦隊との同士討ちになる。それに、カールセンの残存艦隊を無視はできない」
流石はカールセン提督といったところか、と。ウィザーズは賛辞を送った。これ以上の損害を避けるための、ためらいのない戦域離脱。それでいて遠距離からの再攻撃を警戒させる動きで、掌握艦の火力を引きつけながらである。いずれも、致命傷を受けながらも秩序を失わず、勝機を維持する判断。仮にウィザーズが勝ち急ぐような凡将であれば、充分に逆転できるであろう。
事実、ウィザーズの手勢は必ずしも優勢ではない。『ゴスペル・ホールディングス』率いる一五〇〇隻に対し、砲撃戦を耐え忍び消耗した九〇〇隻を数えるのみ。編成上は標準型戦艦や宇宙母艦の比率が高い艦隊中枢とはいえ、真っ向から戦うにはあまりに困難であった。しかし。
『……統軍閣下。どうなさるおつもりですか』
「迎え撃つ。論理を以て」
ウィザーズは、ただ短く答えた。
「……で、なんで司令官代理のイヴ会長が、おれの〈エース・オブ・ハーツ〉に乗り込んでんだよ」
他方で同盟側。司令官代理イヴ・トリューニヒトはどういうわけか、ポプランらの艦に乗り込んでいた。
その〈エース・オブ・ハーツ〉はというと、同盟軍レダ級巡航艦の一隻をピーキーに改修した速度特化艦艇。
「いい艦だねえ。趣味全開。個人事業主にとっては浮かべる夢の城だ」
イヴは気兼ねすることなく、きょろきょろと艦橋区画を見渡す。戦闘指揮の最中とは思えないふるまいであった。
「いや、おれらの艦の感想はいいから、こっちに来た意味を教えてくれねえと」
「安心したまえ。わが社の艦隊は人財が豊富でね。こと運用において私が旗艦にとどまる意味はないのだよ」
まるで噛み合わない。いや、イヴ側がわざと噛み合わせようとしない発言。
さしものポプランも、イヴの真意を掴みかねた。仮にもあの老将カールセンから指揮権委譲をうけた司令官代理が、作戦実行前に旗艦を離れるという「奇行」とは。スリルジャンキーを自認するポプランとしても「まさか遊びに来たわけじゃないだろ」と言いたげであった。
「意味? スリルだよ。最前線にいるほうが、頭が冴えるからね」
やっとまともに返ってきたのは、信条はともかく中身のなさそうな言葉。
ポプランは、呆気にとられた。
「コーネフもなんとか言わねえの? お得意の皮肉やら冷笑やらでよ」
「いや。案外真理かもしれんさ」
ポプランの期待とは異なり、コーネフは斜め上の発言をする。
「これは素直な褒め言葉だが、イヴさんは極度の刹那とスリルの中でこそ、攻め時にせよ退け際にせよ判断力が最高潮に達するタイプなのだろう。成功できる経営者やアスリートには、往々にしてそういうパターンがある」
「ふふん。コーネフ氏も褒め言葉が上手い」
イヴは得意げにわらった。側から見るに、その表情は街中の若い女子と変わらないものがあった。無論、彼女が現在身を置く状況は、非日常極まるものであったが。
「冗談はともあれ、私にはしっかり考えがあるから安心してくれたまえ。ここに直接乗り込んだ理由の一つも、とっておきの秘策を〈バーミリオン〉に傍受されたくないからだよ。そこでお二方、プランの詳細なのだがね……」
イヴは二人を寄せて耳打ちする。
とはいえこの場には三人しかいないため、ごにょごにょとささやくことに意味は無い。
「なるほど? だからこっちに来たのか。そいつはおもしれえや。撃墜王の腕が鳴るね」
ポプランに異存はなかった。次いでコーネフはというと。
「たしかに、うちのポプランを上手く使ったプランではある。しかしイヴ会長。本気でおやりになるのですか? 理屈の上では完璧な奇襲です。とはいえ貴女の命の危険が……」
「私はいつだって本気さ。よろしく頼むよ。お二方」
「イヴ会長さんご本人がそう言ってんだ。頼まれれば必ず『届けて』やるのがおれたちの仕事だろ? イワン・コーネフさんよお」
イヴとポプランの言葉に、コーネフはやれやれと首を振った。
そんな彼の様子は、まるでポプランが二人になってしまったと嘆くようでもあった。
同盟側が〈バーミリオン〉と呼称するその艦は、通常の軍艦とは一線を画する構造を持っていた。有人区画は、聖堂を思わせるような白亜の空間のみ。
『前方、一個集団。円錐陣形にて前進を開始しました』
「艦隊。後退しつつ、横形陣を展開。敵の攻撃を迎え撃つ」
〈ステラリア〉の誇る自律指揮統制システムがもたらすデータをもとに、ウィザーズは静かに号令を発する。
艦隊各部隊は整然とした操艦で、ウィザーズの望む布陣を敷いてみせる。直進する敵に対して、最大の火力を指向可能な横形陣。
「撃て」
各艦の艦首ビーム照射基が、砲門を開く。敵艦隊一五〇〇隻へと突き刺さる光条を敷いていく。
寸分違わぬ統制射撃。敵艦隊前衛への穴を穿つ一点集中砲火。しかし先の戦闘で機関出力に負荷が掛かりきった都合、ビーム照射は長くは続かない。無論、そのようなことはウィザーズも織り込み済みであったが……。
『統軍閣下ぁ! 危険です!』
「グエン中将。貴官の想いは受け取ったが、兵を率いる将たる者は、みだりに感情を表すべきではない」
焦るグエン中将に、ウィザーズは淡々と窘める。そして次の号令を発する。
「
艦隊後方に控える一〇〇隻もの大型宇宙母艦からは、数多の戦闘艇が宙空へと展開される。その数、八〇〇〇機。
大群の内訳は、巨大なビーム照射装置を抱えた無人砲門艇と、強力な直進推進力と通信能力を有する有人指揮艇で構成される。前者が七六〇〇機。後者が四〇〇機。
それらは〈ステラリア〉をはじめとした大型艦艇の指揮補正を受けながら、各機各部隊で所定座標へと迅速な展開を終える。その編隊は通常の戦闘艇のように動き回ることはせず、艦隊のように陣形を成す。
結果。艦隊陣形の両翼に、各々四〇〇〇機が巨大な面陣形として姿を現す。それらは艦隊と合わせて、鶴翼陣となった。
「
ビーム照射。
数多の機体が織りなす巨大な両翼平面が、同時に煌めいた。その火力は、瞬間的ながらに三〇〇〇隻の分艦隊に匹敵。わずか一撃にして二〇〇隻を超える敵艦艇が撃沈、または戦闘能力を喪う。理想的な十字砲火。
そして
「撃て」
ウィザーズの下す、再度の号令。
淡々とした、奇を衒わない用兵。それがさらに、〈ステラリア〉への接近を図る敵艦隊の損害を倍化させる。
数多の民間軍事請負会社が搭乗員もろとも使い捨てにしていたような、かつての粗末な棺桶とは違う。製造精度の飛躍的向上と運用方法の洗練により、
「どう出る。イヴ・トリューニヒト」
ウィザーズは独り、つぶやいた。
彼が言及きた敵艦隊の『ゴスペル・ホールディングス』は、軽視しえない損害を被っていた。構成艦艇はあくまでも民生警備艦であり、主砲たるビーム照射基の威力は自衛用の域を出ない。正規軍との交戦を想定した
しかし電子戦能力を含めた艦隊統合システムは分散複層式セキュリティを備えた最新型であり、〈ステラリア〉が継続的に仕掛ける
円錐陣が速度を増し、さらに迫る。
他艦艇の犠牲を前提とした動き。
たしかに、〈ステラリア〉の喉元へと到りつつある。
直撃予想時間にして、およそ三〇〇秒。
『……統軍閣下。このグエン。不躾を承知で申し上げます! このままでは、敵は〈ステラリア〉に直接ぶつかってきますぞ!』
「その通り」
ウィザーズの声に熱はない。あたかも自らの視点を、自らに迫る危機から切り離した冷徹な俯瞰であった。
「ぶつかりたいなら、そうすればいい」
『迎撃に目算がお有りの上でのご発言とは存じますが、どの程度の見積りで……』
「九割九分九厘だ」
ウィザーズは言い切った。
「敵の狙いは明確だ。ならば、行動も逆算できる」
ウィザーズの視線は、モニター上の一つのマーカーに注がれる。
それは『ゴスペル・ホールディングス』所属艦とは規格が異なる、とある一隻の改造艦。
『ポプラン&コーネフ』社の〈エース・オブ・ハーツ〉。この〈ステラリア〉への最終突撃に使われると、ウィザーズが睨んだ一隻であった。
時同じくして、
「コーネフ氏。作戦を最終フェーズに移行したまえ」
「了解。弊社『ポプラン&コーネフ』は、責任を持って貴女を〈バーミリオン〉までお連れ致します」
民間軍事請負会社三社連合軍の司令官代理イヴ・トリューニヒトの決断に合わせて、〈エース・オブ・ハーツ〉の操艦全般を預かるコーネフはスロットルを最大に押し込む。天使が背中を後押しするかのごとく、〈エース・オブ・ハーツ〉は加速を続ける。
「おいポプラン」
「なんだよ」
一人で操艦をこなすコーネフは、イヴを伴って格納庫へと向かおうとするポプランに声をかける。
「イヴ会長には聞かないのか? いつもの口説き文句。これから乗せるんだろ?」
コーネフはなにかのネタを茶化す。
案の定、ポプランはうげえと苦い顔をした。
「言わないなら、代わりに俺が言ってやるさ。『なああんた。この機体が二人乗りのワケ、知ってるか? それはな……』」
「私のような絶世の美女を乗せるためだろうね」
イヴは先回りして「決まり文句」の答え合わせ。コーネフいわく「ご名答」であった。
「コーネフの野郎が二人になっちまった。やってらんねえぜ今回の仕事は」
「撃墜王の腕がなるんじゃなかったのか?」「期待しているよ。撃墜王くん」
「わーったから! イヴ会長は早く乗って……、ってかもう乗ってんのかよ」
イヴはポプランに促されるまでもなく、パイロットスーツの着用を手早く終え、
そしてカタパルトによる発艦準備を終えたのは、直撃予想時間にして、およそ三〇〇秒の間合いに達した時であった。
「じゃあ、イヴ会長と一緒に、ひとっとびして来るぜ」
発艦。〈エース・オブ・ハーツ〉の艦首上部が解放されるやいなや、目立つ橙色の機体が、まさしく弾丸のように飛び立った。
カタパルト推進にて生じた星間物質の残滓が、星屑のようにエメラルドグリーンのきらめきとなって、漆黒の宙に軌跡を描いた。その軌跡は、真っ直ぐそのもの。
「ひゅう! 遅いね!」
ポプランはスロットルレバーを押し込む。
加速。さらに加速。
〈バーミリオン〉艦隊の迎撃は、いっさい間に合わない。副砲によるビーム照射も、ポプランが駆る
「そろそろだぜ! イヴ会長!」
そして。
機体を叩きつけたのは、高出力電波。〈バーミリオン〉が仕掛けた妨害電波であった。無論、ジャミングを目的とする通常の妨害電波であろうはずがない。
「へっ。こっちを乗っ取ろうってか? で、イヴ会長! どうにかしてくれんだろ!」
「まかしてくれたまえ」
後部座席のイヴは、とあるチップを取り出す。そして対抗電子戦装置に挿入する。すると……。
「ウィザーズくん。私たちの勝ちだよ」
イヴは勝利を宣言した。
その言葉に偽りがないことを知るのに、さしたる時間は要さなかった。
「……まるで手品だぜ」
目前の光景に、ポプランは驚嘆した。
いっさいのビーム照射が止んだ。一発のミサイルすら、放たれることはない。
戦場の時は、まさに凍りついていた。
〈バーミリオン〉を筆頭とした星条国連邦艦隊のすべてが、いっさいの行動を停止した。
「とはいえ、これが効くのは一瞬だよ。あと六〇秒もすれば、たちまち対策されて動き出す」
「その間に〈バーミリオン〉乗り付けろって作戦だけどよ、あんたもかなりの酔狂だぜ」
「怖いかい? 事実私はかなりの無茶を言っているからね。引き返してもいい」
イヴの煽りともとれる確認に、ポプランは「へっ」笑う。
いわく、この程度でおじけつくならこの手の商売はやっちゃいないね、と。
「もちろん、付き合うぜ。そんくらいがおもしれえや」
ポプランは応じた。
〈ステラリア〉戦闘指揮所。ややもすれば無機質さに気が狂いそうなほど、ひたすらに白亜の空間。
「よお。あんたがウィザーズさんか?」
二人の人間が足を踏み入れる。
いうまでもなく、完全気密のパイロットスーツに身を包んだポプランとイヴである。
他方で、相対するのは仮面に表情を包み隠すウィザーズひとり。
「おれはポプランってんだ。勝手に乗り付けちまって悪いが、よろしくな」
ポプランはラフに挨拶。
しかしウィザーズに返答する様子はない。
「にしてもこのフネ、なかなかのフネだな。着艦甲板も格納庫もかなりデカさで助かったぜ。……つうか、うんともすんともいってくれねえのは困るぜ」
ともあれ。〈ステラリア〉の戦闘指揮所に、他国の人間の侵入を許すなど、
「ウィザーズ統軍総長閣下」
対話を仕掛けたのは、イヴであった。
「見ての通り。今現在、戦闘は事実上の停戦を迎えています。双方は停止し、砲門を閉じた。これは私達がこの場で会しているがゆえの状況なのです」
イヴは現状を説いた。
いずれかが撃てば、イヴもウィザーズも、いずれの艦隊の司令官も死ぬ。だから撃てない。すくなくとも、ウィザーズが砲撃を指示してはいない。
「すなわち。私達のフェーズは、戦闘ではなく交渉に入った、ということです」
イヴは交渉を持ちかける。
しかしウィザーズは、言葉はおろか頷きひとつ返さない。
「……ふふん。よろしい。これが欲しくないなら、そのままだんまりを決め込むといい」
イヴは持ち込んだ鞄から、一枚の文書を取り出す。それは格調高い本革製のホルダーに収められた、形式ばった文書であった。
「ウィザーズくん。私はきみに、ひいては
「あー、おれに戦闘艇で突っ込ませたのって、そういう目的だったわけ?」
「……ポプランくん。いま良いところだから、口出しせずに大人しくしていたまえ」
へえへえ、と。ポプランは不機嫌そうに言葉を引っ込めた。
イヴは、文書の内容を読み上げてみせる。厳かな彼女の声は、調度品のない白亜の空間に響き渡る。
偉大にして良き友へ。私は自由惑星同盟立法府上院議員の一人であり現在貴国を訪問する責任者であるイヴ・トリューニヒト議員によってこの公式書簡をお送りするものであります。
私はトリューニヒト議員に、私が閣下と閣下の政府への最高の好意を保持していること、また
自由惑星同盟憲章と法律は、他国の宗教的政治的問題に対するいかなる干渉も禁じています。私はトリューニヒト議員に対して、閣下及び貴国の領域の平穏を動揺させかねないいかなる行為も慎むよう特に命じております。
自由惑星同盟はサジタリウス腕からオリオン腕の半ばに達し,わがハイネセンポリスは、イゼルローン回廊またはフェザーン回廊を通じて、貴国の領域に結びつく位置にあります。
私たちの偉大なハイネセンポリスは、サジタリウス腕における市民、物資、資本、情報の中核としての機能を有し、自由惑星同盟における経済活動の半数を担います。貴国もまたオリオン腕において豊かで肥沃な惑星の多くを統治する国家であり、多くの価値ある物産を産出しています。貴国の市民は克己心と開拓精神に富み、多くの技能に熟達しています。私は、われら二国が
「『私』とは、誰のことか?」
イヴの読み上げを、声が遮った。
変声機を介したような、声量に対して腹の底に響く声。
ようやく口を開いた指導者。ウィザーズの問いであった。
「イヴ・トリューニヒトよ。今一度、問う。その文書を記したであろう者……、その者を指す『私』とは、いったい誰のことか?」
「ご関心をお寄せいただき、なによりでございます。統軍総長閣下」
イヴは遜って答えた。
しかしその口端は、ふふんと不敵に歪んでいた。そして問いには直接返さずに、イヴはそのまま文書をつらつらと読み上げていく。
その内容は明瞭簡潔であった。主権の相互承認の希望。将来結び得る友好条約および通商条約における締結協議の希望。銀河のいずれの勢力とも承認されずにいる
そして。文書を違わず読み上げたイヴの言葉は、こう締めくくられた。
……貴国に、ひいては自由な意思に基づく崇高なる
ここに証としてのハイネセンポリスを代表する偉大な印章を捺せしめ、私の名前を署名する、わが州政府の存するバーラト星系第四惑星ハイネセンポリスにて。宇宙暦825年11月13日。
あなたの良き友 。州知事
ダスティ・アッテンボロー
州知事とともに 。州務長官
ラオ・ジエ
「ほお。しかし私の記憶が正しければ、自由惑星同盟の最高権力者はヤン・ウェンリーのはずだが」
「いえ。一年後には、この文書をしたためた者が最高評議会議長になっているはずですよ。現在のバーラト星系州知事こと、ダスティ・アッテンボローがね」
イヴの仄めかす『将来』。それは間違いなく来年の同盟統一選挙を指していた。
「次の議長は、キャゼルヌにはさせません。私ども
「万年野党が、たいしたホラを吹くものだ」
「では、一蹴なさいますか?」
夢幻の空手形だと見向きもしないウィザーズ相手に、イヴは強気を崩さない。そしてポプランは、繰り広げられる駆け引きに際して、まるで場違いかのようにしょうにもなく黙り込むしかない。
「ウィザーズ統軍閣下。……いや、
イヴは、ごく一部の人間しか知らないウィザーズの本名を言い当てる。これは交渉術の小手先にすぎない。
「貴方には見えているはずだ。同盟の矛盾が。掲げられた旗の翳りが」
イヴは歩き始めた。
無論、ウィザーズのほうへ。
「だから貴方は、同盟を棄てて新国家を建てた。そしてそこで、完全無欠の偶像を演じている」
「雄弁が過ぎるな。イヴ・トリューニヒト」
ウィザーズは右手を挙げた。その瞬間、イヴの歩みが止まった。
「この艦は私と一心同体だ。殺そうと思えば、いつでも殺せる」
「なるほど? いま私の動きが止まったのも、〈バーミリオン〉によるパイロットスーツへの
イヴはウィザーズの「魔術」を看破してみせる。事実、この場にいるポプランは、パイロットスーツのアシスト機能を逆用されて身動きできず、あたふたしている。
「イヴ・トリューニヒトといったか。涼しい顔をしているようだが、お前も身動きひとつとれまい」
ウィザーズは指摘する。もはやなすすべもないだろう、とでもいいたげに。しかし。
「
イヴはウィザーズを小馬鹿にした。彼の本名を呼んで、敬意のかけらもなくコケにしたのである。
「聞こえなかったか。生かすも殺すも私の意思ひとつだといったのだが」
「ふふん。いまの私が、敢えて身動きひとつ『取らない』だけだとしたら?」
イヴは言った。
そして次の瞬間、動かないはずの右手を挙げて、指先をウィザーズへと突きつけた。
右手の形は、握り拳に人差し指と親指で、ピストルの真似。武器のたぐいは、なにも握られていない。
「私はね、この艦の出自を知り尽くしている。対策だってバッチリなのだよ」
「だが。それで脅しのつもりか」
「当然、立派な脅しだよ。もしも私の指先からビームが出たら、きみはどうする?」
イヴの脅しは確かであった。身体に光線銃が仕込まれていようがいまいが、それはさしたる問題ではない。重要なのは、イヴに意思さえあればウィザーズはいくらでも命を落としていたということにある。
「それで、イヴ・トリューニヒト。おまえの要求はなんだ」
「星条国連邦への入国。目的は観光」
ウィザーズはその言葉を聞き終えると、挙げていた右手をゆっくりと下ろした。それに合わせる形で、イヴもまた右手を下ろす。
「……っとお! やっと身体が動くようになったぜえ! おいイヴ会長、いま何が起こってたんだ?」
「話し合いさ。今終わったよ」
かくして。宇宙暦八二五年。
民間軍事請負会社連合と星条国連邦艦隊が干戈をまじえたイルゴンシュタット星域会戦は、ウィザーズ・リーとイヴ・トリューニヒトという二人の思惑の交錯を持ち越したまま、ひとまずの決着をみた。