まったく。
思い返せば。俺の人生、どうしてこうなっちまったんだ。ちくしょう。
「グエン・バン・ヒューさん。あなたは懲戒解雇です」
その言葉は「青天の霹靂」というやつだった。
「は? なんだあてめえは。いきなり人様のフネに乗り付けてきやがって」
「何度も申し上げているように、私は人事部の者です。グエンさん。あなたは、その……。簡潔にいうとクビです」
とある大企業に新設された、外航警備部門の司令官クラス。それが俺、グエン・バン・ヒューの役職。バーミリオンの奇跡を果たしたヤン艦隊の一番槍の実績だからこその待遇で、俺は当然だと思っていた。
それなのに。
目の前のヒョロヒョロ眼鏡から俺がぶつけられるのは、謂れのない非難の言葉だ。
周囲への常習的なハラスメントだの、度重なる独断専行だの、マニュアルの不徹底だの、業務態度の不改善だの、……めんどうくさくて聞きたくもない。
現に。この警備船隊は、俺のやり方で動いてんだ。
そんなに文句があんなら、テメエで動かしてみろや。おら。こら。
「俺が居なくなったら、この警備船隊は誰が動かすってんだ?」
俺は、ヒョロヒョロ眼鏡に言ってやった。
生きるか死ぬかの戦場で、艦隊を率いて敵中突破できるのは俺だけなんだぞ? ローエングラムが率いた帝国軍の提督どもと対峙できるのは、ヤン提督を除けば俺だけなんだぞ? 疾風ウォルフより速いのは俺だけなんだぞ? 鉄壁ミュラーを打ち破れたのは俺だけなんだぞ?
そんな俺を無碍に扱うってのは、見る目のない連中だな。
べつに辞めてやってもいいんだぞ。後で悔しがっても、もう遅いぜ。
「と、とにかく。後任は本社の者が来ます。技術指導には『
カールセン?
あの、士官学校も出てないボケジジイが?
俺は頭に血がのぼって、気がついたらヒョロヒョロ眼鏡をブン殴っていた。
会社をクビになった日から、俺の人生は坂道から転げ落ちるようにダメになった。
「グエンさん。あなたは
俺のネームバリューを嗅ぎつけてきた、地方選挙の候補者を打診してきた新興政党もクビになった。
「グエンさん。言いにくいんだけど、試用期間の三ヶ月経ったけど、採用は無しってことで」
とりわけ高給でもない、さして特徴のない会社の事務職もクビになった。
「グエンさん。何度も言ってるけど、なんでお客様や他のスタッフに謝れないの? 来週から、シフト出さなくていいから」
ついには、学生がやるようなアルバイトですらクビになるようになった。
気がつけば、俺は日々の大半を
『……試合終了! 45対7で、FCケリム
「ちくしょう! クソ監督! 辞めちまえ!」
金玉の付いた男なら誰もが通る、公営スポーツくじ。
俺は贔屓チームのみっともない負け散らかしで頭に血が昇り、振り上げた握り拳でテーブルを叩きつけていた。
「俺に代われ! 俺は元提督だぞ! いますぐ代われ! バーミリオンの奇跡を起こしてやっから!」
当然、贔屓チームの連敗は、直接俺の連敗に結びつく。
ギャンブルで連敗し続ければ、待ちうける未来は素寒貧だ。
どうしてだ。うまくいかねえ。
俺は納得できなかった。
軍を中将で退役した頃にはひと財産あったはずなのに、俺の預金口座は底をつきかけていた。一方の定期収入は、近頃のインフレに追いつかない年金が入るだけ。ギャンブルの負けはギャンブルの勝ちで取り返すからいいとしても、時間も運も平等なはずなのに、俺に限ってはカネも運も逃げていく。ついてねえ。
とにかく、この頃の俺は怒りに支配されていた。
目に入る景色や出来事。すべてにムカついていた。
ゴミみたいなニュースを垂れ流すネットにも。のんきに道幅を取って歩く家族やカップルにも。駅前のロータリーで酔い潰れた大学生にも。フードコートで騒ぐ放課後の中高生どもにも。家の近くの幼稚園からの騒音にも。ポスト受けに投函される督促状にも。
もう、鉄火場に行く交通費もない。
俺は家から出られなくなった。
『お前の苦労を、ずっと見ていたぞ。本当に、よく頑張ったな……(ガザガザの音質)』
俺の趣味は、リビングで安酒のロング缶を煽りながら、ヒビ割れた型落ちの
俺は、虎が好きだった。
虎は孤高で、デカくて強いからだ。
野生の勇ましい虎も、動物園で毛繕いをする可愛い虎も、好きだった。だから俺は関連動画で流れてきた、俺を励ましてくれる黄金の虎のショート動画に目を奪われた。俺は黄金も好きだった。黄金は珍しくて、強そうで、運気が良さそうで、光り輝いているからだ。
『……値段ばかり気にして、欲しい物を我慢し、外食や娯楽を控え、節約ばかりの生活(ガザガザの音質)。……収入は増えず、金は出ていく一方。将来に希望を持てず、疲弊する日々(ガザガザの音質)』
俺を解ってくれるのは、この黄金の虎の動画だけだ。
俺を慰めてくれるのは、この黄金の虎の動画だけだ。
息子たちも出ていった家は久しく開けていないカーテンで暗くて、リビングは空き缶やコンビニ弁当のゴミで散らかり倒していたけれど、俺の手元の画面だけは黄金に輝いている。
俺は黄金の虎の言うとおりに、演出の入った画面を二回タップした。シェアした。案内された金運鑑定アプリをインストールした。
『……今、お前の運気は急上昇している。そのまま願い事をコメントするのだ(ガザガザの音質)』
願い事。
不思議と、俺の欲しいものはカネなんかじゃなかった。どんなに大金を積んでも二度と戻らないものだった。
天国にいった嫁さんだった。
馴れ初めは、四〇年以上も前のことだ。俺が士官学校学生の頃に、休暇で繰り出した街中でひょんなことから知り合った女だった。初めて出会った時、彼女は難関私大の学生だった。俺より四つ歳上で、機敏で優秀で、誰にも媚びずに、皆の先を進む美女。俺が中の上くらいの成績で士官学校を卒業して少尉任官する頃には、彼女は大企業のエリート筆頭で、新規プロジェクトの立ち上げを任されるほどになっていた。
二人の釣り合わなさは、俺が一番自覚していた。なのに彼女は、たまの休みには必ず俺を連れ回して、海にも遊園地にもフライングボウル観戦にも行った。朝から晩まで、彼女は同盟軍士官の俺ですらヘトヘトになるまで遊び倒して、いつもパワフルで子供みたいに笑ってた。
俺は普段部下や他部隊にイキがってるくせに、彼女相手にはヘタレなところしか見せられなかった。その程度の俺と楽しそうに付き合っていること自体が、不思議で仕方なかった。
プロポーズした日。今でも覚えている。
ある日、俺は彼女に対する引け目から、男どころか人間として最低で情けないことを言った。
俺の親が、結婚しろと言っている。でも俺程度じゃ貴女と釣り合うとは思えないから、結婚なんかしなくてもいい、と。もう別れてもいい、と。
「聞こえない。もう一度、言って」
それが彼女の答えだった。
だから俺はもう一度言った。でも「まったく聞こえない」という。「小さくて聞こえない」「もっと大きな声で」。もう五回目だった。「ちゃんとお腹の底から出して。君が本気で思ってること、言えるでしょ」。その次に、俺が口をモゴモゴと開こうとしたときだった。「本当のことを、本気で言いなさい! 君は、自由惑星同盟軍の士官なんでしょ!」。彼女の迫真さは、まるで士官学校の教官だった。
その檄に、俺はハッとした。
だから。親の意向でも、俺の引け目でもない。
俺は彼女に対する「本当の」思いの丈を、本能で叫んだ。そして。
「うん! よろしい!」
彼女は満面の笑みで、俺に思いっきり抱きついた。
そのときの俺は、甘えん坊の虎にじゃれつかれた飼育員になっていた。そこから一〇分くらいは、ハグしてきては離さない彼女のなすがままだった。
それから、俺たちは夫婦になって、二人の息子をもうけて、家庭を築いた。俺には責任感が湧いてきた。嫁さんの言いつけをしっかり守って、俺は威張ることをやめた。部隊内での人間関係もうまくいくようになった。上官や他部隊から評価されることが多くなった。俺には自信がついた。指揮幕僚課程もストレートで通過した。同期の中でもエリートに属するようになった。気がつけば中佐になり、
それは子育ても一段落ついて、嫁さんが五〇歳を迎えた頃だった。
嫁さんが、交通事故で死んだ。
無能の交通管制官野郎のヒューマンエラーで、大通りで玉突き事故が起こったせいだ。テレビの学者気取りのコメンテーターが「杜撰な人員配置が生んだ悲劇」「同盟軍が人材を取りすぎる」などと、悲しむ素振りもなしに分かったようにぬかしていた。俺はテレビを殴りつけた。液晶が粉々になった。画面が真っ暗になった。
「君はね、君を分かってくれる誰かに飼われてないと、ダメになっちゃうから」
そして。戦争も終わって、宇宙暦818年。
昔の嫁さんの言葉が、酔い潰れた俺の頭の中にリフレインする。
その通りだ。今も、嫁さんが生きていれば。俺はこんなことにならずに済んだのに。
もう一度、嫁さんに逢いたい。
人生のすべてをやり直させてくれ。
そして俺のすべてが終わったのは、そんな願いをコメント欄に書き込もうとした、次の瞬間だった。
「親父! 中にいるんだろ! リビングか?」「兄貴。いきなりは怒るなよ。家の中、これひどいな……」
玄関の鍵を開けたのは、二人の息子だった。
久々に会うのに、インターホンの呼び出しすらしなかった。しかも剣呑な雰囲気だ。
俺は、致命的に嫌な予感がした。
「親父。兄貴が教えてくれたんだけど、直接確かめたくてさ……」
「なんだあ、お前ら。いきなり帰省か? 仕事と家族はどうした」
「それどころじゃねえから来たんだよ親父! なんなんだよこの借金は!」
長男坊主からぶつけられた剣幕は、一生忘れない。
あの瞬間。ついに、俺は家族すらクビになった。
家から追い出された。色々なことが明るみになって、親類全員から縁を切られた。そんなウワサが広まったのか、昔馴染みもあからさまに避けてくる。おれは独りになった。食えなくなり、地球教の炊き出しに並ぶようになった。そこでもいざこざで出入りできなくなった。誰かの世話になることが嫌いになった。俺はコンビニやスーパーマーケットから、パンや弁当を盗むようになった。不思議と、捕まらなかった。誰か、俺を捕まえてくれればよかったのに。
俺はホームレスになった。ホームレスになっても、人間関係がついてまわった。新入りの俺は条件のいい場所にいることを許されず、風雨を凌そうな場所を転々とした。
俺がどうしようもなくなる中でも、時代はすっかり変わっていた。
首都がフェザーンに遷都する時代。ヤン提督が同盟最高評議会議長になる時代。アッテンボローが野党指導者としてバーラト星系の州知事になり、シェーンコップが大物議員として政界を暗躍する時代。強大な帝国軍の脅威がなくなった時代。軍隊が減らされた時代。民間人が武装して、勝手に旧帝国領を開拓する時代。一部の新時代の勝ち組が、富を総取りする時代。
誰も俺を必要としない。俺はもう要らないんだ。
そして、宇宙暦823年の夏。
『『『金持ちは〜! 税金を払え〜!』』』
『『『金持ちしか守らないヤン政権は〜! 即刻退陣しろ〜!』』』
八月。うだるような夏の暑さの中。
何もすることがない俺は、公園のベンチで生ける屍になっていた。
この日の俺は、抗議のプラカードを掲げて政権批判のシュプレヒコールを飛ばす人の列を眺めていた。ここは旧首都ハイネセンポリス中心部の公園なので、ああいうデモがちょくちょく行われる。同盟建国功労者の名前を冠するグエン・キム・ホア広場で、名もなきグエン・バン・ヒューがホームレスをやっている。同じグエンでも、天と地の差だ。いや、俺だって同盟復活の功労者だったはずだ。バーミリオンの奇跡の、ヤン艦隊の一番槍だったはずだ。
そうだ。ヤン艦隊に居た頃は、嫁さんに先立たれても、俺の人生はまだうまく行ってたんだ。ヤン提督。あなたこそが、嫁さんの言ってた「どうしようもない俺を分かってくれる誰か」だったんだ。ヤン提督。ヤン提督……。こんなことなら、俺はあのバーミリオンで、貴方の指揮の下で、華々しく死んだ方が良かった。
『『『ヤン政権は、民主主義を守れ〜!』』』
「……なんだあ、あの連中」
俺は頭に血が昇るのを感じた。
民主主義を守れだって?
ヤン提督が居なかったら、お前らは全員帝国の奴隷になってるんだぞ? バーミリオンの奇跡がなかったら、のんきにデモもできないんだぞ!?
ヤン提督を馬鹿にしやがって!
俺を、馬鹿にしやがって!
文句のひとつでも言ってやろうと激怒した俺は、走り出そうとしたところで勢いよく転んだ。夏の暑さのせいだろうか。俺の頭はこれ以上働かなかった。身体も怠くて、まるで起き上がれない。俺はここで死ぬのかもしれない。それならそれで良かった。俺はもう、疲れていた。
「大丈夫ですか!?」
薄れゆく意識のなかで。
学生だろうか。デモ隊の列から、一人の若い女の子が駆けつけてきた。
気がつけば俺は、彼女に介抱されていた。熱中症を疑われたのか、経口補水液などの救急看護キットで処置してくれた。駆けつけてくれた女の子のおかげで、俺の体調は回復した。俺はすっかり怒りの毒気を抜かれていた。
「救急車を呼びますか?」
「いや、いい。嬢ちゃんのおかげで、すっかり治ったよ。あんがとな」
俺はこれ以上の救護を拒んだ。病院にかかるカネなんてない。それ以上に、誰かの世話になって、迷惑をかけて、白い眼で見られるのが嫌だった。
ともあれ。元々が軍人だったのもあって、年老いても俺の身体はヤワじゃなかった。手際のいい応急救護のおかげで、日陰のベンチに座って話せるくらいには俺は元気になった。
「嬢ちゃんよ。デモ。せっかくきたのに、戻らなくてもいいんか?」
「はい。お爺さんはご自分で大丈夫とは言われてますけど、ちょっと不安なので経過観察でここにいます」
その女の子はにこりと笑った。
俺の体調を慮ってか、当分離れる様子はなかった。恩を受けておきながら追い払うのは憚られるし、無言でいるのも気まずかった。だから俺は、その女の子にデモに来た理由を聞いてみた。
「わたし、あんまり詳しくないし、うまく言えないんですけど……」
彼女は、ホームレスにすぎない俺の質問にも、はにかみながら真面目に、まっすぐ答えてくれた。
彼女は言った。社会の問題って、貧困の問題って、私たちの未来に無関係じゃないって思ったから、だと。
いろんな本を読んで、いろんな人と接してみて、いろんなことを知ったうえで、誰かの役に立ちたいって思ったから、だと。
そんな彼女の言葉を聞いていて、俺は悪くない気分だった。思えば、誰かとマトモに話すことなんて、久しぶりだった。
「嬢ちゃん。救護の処置、テキパキしてて上手かったぜ。ああいうのは、しっかりした訓練や経験がないと軍人でもあたふたするもんだが」
「わたし、じつは看護学校の二年生なんです! ありがとうございます!」
女の子は、満面の笑みだった。
俺は心地よかった。憑き物が落ちた気がした。世界が澄んでいるように見えた。
「……がんばりなあ。応援してっからよお」
じゃあな、と。俺は後腐れなく、小さく手を振ってその場を立ち去ろうとした。しかし。
デモ隊が集っていた広場のほうでは、ただならぬ雰囲気が立ち込めていた。
「なんだ、あの連中は」
百人規模の謎の男達が、不気味な隊列を組んで、無言でデモ隊ににじり寄っていく。
その連中はどこか奇妙だった。
服装といい短い頭髪の身だしなみといい、一見するとなんの変哲もないクールビズのオフィス街会社員どもだ。しかし異様なのは、両手には黒グローブをはめていて、腰ベルトには暴徒鎮圧用の特殊警棒が装着されていた。そのどれもが、営業の外回りやランチ休憩には不要なものだ。
俺の勘が告げる。
あいつらは、まともな連中じゃない。そしてそのお仲間は、こっちにもやってきた。
「そこの老人。ホームレスだな? ホームレスは社会の秩序を乱す存在。お前は我々の施設で、労働教化を受けてもらう」
「嬢ちゃん。逃げろ」
俺は直感で指示した。こいつは暴力沙汰になる。未来のある女の子を巻き込むわけにはいかない。
デモ隊にしても、届出をしている以上は警護役の警官がついていたはずだが、彼らは異様な連中の到来を黙認している。きっとグルなのだろう。結論、現場レベルの警察は当てにならない。
「嬢ちゃん! 命令だ! 逃げろ!」
俺は叫んだ。軍隊時代の声のハリが復活していた。
「逃げて安全を確保したら、ハイネセンポリス市議会の議員に手当たりしだいに電話しろ! 理解したら復唱!」
俺は女の子に、命令を復唱しろと命じる。
女の子は俺の指示を理解した。「逃げて、電話します!」
女の子は全速力で逃げおおせた。この場に残ったのは、俺と十人ほどの連中だけになった。
「おまえら、憂国騎士団かあ。いつものブサイクな黒マスクは、便所みてえな臭え汗が染み付いたから捨てちまったのか?」
俺は連中の注意を引きつけるために、思いっきり煽ってやった。白昼堂々と特殊警棒を振り回せるイカれた私兵集団は、あいつらくらいしかいない。
「我々はヤン・ウェンリー聖戦師団だ。旧帝国領解放と民主主義普及の足を引っ張る日和見主義者どもに、聖なる処罰を加える存在である!」
そいつらの名乗りに、俺はしらけた。
どうせロクデナシ政治結社の憂国騎士団のお仲間さんだろうが、それにしてもふざけた名前だ。そんなに偉そうに抜かすんなら、こんなところでクダを巻いてないで、お前ら自身が艦隊を組んで、帝国軍の残党やらロイエンタール朝の軍隊やらと戦いにいけばいいだろうが。
「……処罰、だあ? あのデモ隊が、なんかとっ捕まることでもしたのかよ」
「騒乱罪である! 同盟社会の秩序を乱し、国益を損なう売国奴! 万死に値する!」
知ったかぶりみてえな、バカみてえに仰々しい言葉の羅列に、俺はうんざりした。
俺は、そいつらをデモ隊以上に、はるかに気に食わなかった。ヤン提督と縁もゆかりもない連中が、てめえの欲のために看板に名乗って、弱い相手だけにイキがって、死地に飛び込む覚悟もないくせに、群れて力を振りかざしている。そういうくだらない連中を目の当たりにして、俺の頭は不思議と冷めていった。
そうだ。くだらないのは、俺もだ。
感情にまかせてデモ隊に文句をつけに行こうとした俺も、こいつらと根っこは同じだ。
だからくだらない連中は、くだらない俺と一緒に争ってもらう。
「いいか? くっせえ便所のブサイク集団の、民主主義の落書き野郎ども。お前らの相手は、この俺だ」
俺は、そいつらのションベン色の脳みそにも解るように、大きな声でしっかりと名乗ってやった。
自分は、自由惑星同盟軍退役中将、グエン・バン・ヒューである、と。
「まさか。あのバーミリオンの英雄であるグエン提督が、こんな小汚いホームレスのはずがない」「こいつは、自分を提督だと思い込んでいる病人にちがいない」「病人は、同盟を弱体化させる社会の癌だ。我々が処罰する」
処罰。処罰。処罰。
処罰。処罰。処罰。
そいつらは、あやしいカルト団体みたいな呪文を唱えて、大仰に警棒を構える。俺は囲まれた。相手は十人。逃げ場はない。どこをみてもドグサレばかりだ。望むところだぜ。
俺は、口の中に溜まった痰を、道に吐き捨ててから叫んだ。
「まとめてかかってこいやあ! 雑魚どもがあ!!」
「……この病人め。犬みたいに噛み付いてきやがって」「意外と手間取ったな、このホームレス。連行するか?」「いや。こいつは野獣だ。我々の施設で教化しても同盟市民にはなれない。捨てておけ」
夕暮れ時。朦朧とする意識。俺はズタボロにされた。
デモ隊がどうなったかはわからない。ただ、広場はすっかり無人になっていた。
俺は負けなかった。俺は負けたなんて言わなかった。
最後までリングに立ち続けたのは、俺だけだった。正しかったのは、俺なんだ。警棒野郎十人相手に、俺はひとりで勝ったんだ。
「はぁ、……はあっ。くそ、が」
ちくしょう。あいつら、殺す気で警棒を叩きつけてきやがった。
肺だ。肺が苦しい。うまく呼吸ができない。
正面から、左胸への一撃をもらったせいだ。このままだと、本当に死ぬ。声が出ないから、助けも呼べない。
『君はね、君を分かってくれる誰かに飼われてないと、ダメになっちゃうから』
天国の嫁さんの声が聞こえてきた。お迎えってやつかもしれない。
でも、嫁さんは今の俺と会いたくないんだろうな。俺も恥ずかしさで会いたくないし、そもそも会えない。こんな情けない終わりかたで、俺は天国なんかに行けやしない。もっとこう、誰かを助けて罪を償わないと、嫁さんの居る天国には行けねえんだ。
だから、俺は心底思った。
死にたくねえ。死にたくねえ。
こんなところで終わっちまったら、ほんとうにどうしようもねえやつで終わっちまう。
『まったく聞こえない』
天の声が難癖をつけてきた。
本当に死にたくないなら、助けを呼べとでもいうのか。
『小さくて聞こえない』『もっと大きな声で』。
けれど、どう頑張っても、俺の身体からは意味をなさない掠れ声しか出せない。そして肺は、針を刺されたように痛む。
『ちゃんとお腹の底から出して。君が本気で思ってること、言えるでしょ』『本当のことを、本気で言いなさい! 君は、自由惑星同盟軍の士官なんでしょ!』
「……く、ねえよ」
その天の声に、俺は這いつくばった地面を握りしめて、歯を食いしばった。
そうだ。俺は自由惑星同盟軍退役中将、グエン・バン・ヒューなんだ!
「じにたく、ねえよお!!!」
その時だった。
「安心したまえ。聞こえたよ。救急車なら、すぐそこまできている」
俺の目の前には、男装の女優みたいな若い女が立っていた。メンズライクな薄手のスーツ。凛々しく端正な顔つき。堂々とした振る舞い。その若い女は、若い頃の嫁さんに似ていたかもしれない。
ほどなくして俺は救急搬送された。俺は助けられた。
その若い女は、付き添いで救急車に同乗した。
「勇猛果敢なるグエン提督。申し遅れたが、私は同盟議会上院議員のイヴ・トリューニヒトだ。念のために言っておくが、貴方に掛かる医療費諸々は、すべて私に持たせてもらうよ」
突然の展開に、俺は戸惑った。
とにかく、命の恩人には違いない。
「貴方にはふさわしい場所がある。とある才気溢れる青年が、同盟でも帝国でもない理想の国を作っているそうだよ」
議員だという若い女は、唐突に妙な話をしはじめた。
俺はまるで口がきけなかったから、その女に言われたことを脳に留めるしかなかった。
今にして思えば、それが俺の止まったままだった人生を動かした瞬間だったのかもしれない。
「君はその国の宇宙艦隊を率いる、最初の提督になるべきだ」
「……ってことが、あってよぉ」
「わかったわかった。グエン爺さん、それ二回目だからよ」
話は現実に戻る。
イヴ一行は、グエン提督との数奇な出会いを果たしていた。泥酔中とはいえ、相手は
とりあえずはグエン提督を手近なテーブル席に座らせたものの、そこからのイヴ一行は、グエン提督の身の上話に延々と付き合わされていた。
時計の針は、午後六時。ゆうに一時間以上は経っていた。
「ウィザーズ統軍総長閣下はな、
「そうかい。で、今でろでろに酔ったアンタの面倒見てんのは、おれだけどよ?」
ポプランは恩を着せるような物言いをした。
対するグエン提督はというと、ポプラン相手に恩義を感じている様子はなかった。
「でもあんた、今は立派に
「……いや、すまねえ。酒を呑むと、昔のことを思い出しちまってなあ。……うっぷ!!!」
「お、おい! ちょっと待、」
吐瀉。ポプランの静止も虚しく、グエン提督は胃の内容物を盛大に吐き散らした。
ポプランが座っていたテーブル席は、まさに黄色い地獄絵図になった。イヴとコーネフは嘔吐を予期してテーブル席から距離をとっていたため、被害を被ったのはポプランのみであった。
「大丈夫かポプラン。セルフコーナーからビニール袋とダスター布と洗浄液持ってきたぞ。あとはお前さんが頼む」
「はあ? おいコーネフ!」
ポプランは抗議した。さすがにそれはねえだろうがよ! と。
「俺は普段お前さんの介抱してる分あとは頼む」
素早い清掃道具の手配と、有無を言わせない早口で、コーネフは難を逃れる。
「ちっくしょお。なにが悲しくて、異国に来てまで、爺さんのゲロ片付けねえといけねえんだよお」
ポプランは弱った。まさか子供ほどに世代の離れた女性のイヴに無理強いできるはずもなく。「清掃」は自ずとポプランの役回りになった。
「つうか、さっきのグエン爺さんの話の中で、イヴさん登場してた気がすんだけどよ」
「…………そうだったかな? きっと気のせいだね」
ポプランのもっともな疑問に、イヴは露骨にはぐらかした。
グエン提督に事実を問いただそうにも、彼は手洗い場に向かってぐったりとしていて、とても話が聞ける状態ではない。
「ちょうど良い出会いだ。せっかくだから、明日以降はグエン提督にこの国を案内してもらおうじゃないか」
背後にちらつく事情はともあれ。
ポプランは釈然としない顔で、グエン提督の吐瀉物と格闘する羽目になった。