「ほっ! よっ! テンション上がるね〜!」
0.15Gに調整された密閉低重力空間を、全身を競技プロテクターに身を包んだ男たちが宙を舞い、壁を蹴り、アタックラインを翔ける。
「サイド見ろサイド見ろ! ペア上がってくる!」
「ーーへえ? そんじゃそのライン、ポプランさまがいただくぜ?」
「くそ! 真ん中抜かれた!」
翌日。イヴ一行はフライングボール競技場に足を運んでいた。屋内式スタジアムの一角の、小型コートの低重力空間。イヴはコーネフとともに、街中のアドレナリン不足に憤っていたポプランの競技ぶりを控え室から観戦していた。
試合形式は2ON2(二対二)。対戦相手は大柄な学生二人組。そしてポプランと組むプレイヤーは。
「爺さん! パス捕れっか?」
「ああ!? なんでも来いや小僧お!!」
競技プロテクターに身を包む七〇超えの老虎、
ポプラン側の得点とともにミニゲームは終了。控え室に戻る。
「爺さん。パスもかなり攻めたつもりだけどよ。アレ捕るたあやるじゃねえか」
「舐めんなや。こちとら、てめえのケツが、青いうちから、士官学校で鍛えてた。年季がちげえ」
グエン提督はぜえぜえと息を切らしながらも、ポプランの賞賛に応じる。老いてなお、彼のフィジカルと闘争本能は健在であった。
「観させてもらったが、素直に上手いじゃないか。自称反則王のポプランさん」
「ま、おれの反則的に巧いプレーが、ルールの穴を突いちまうからこその渾名だかんな」
ここのレギュレーションだとセーフらしいぜと、ポプランは得意げに勝ち誇ると、コーネフが差し出したスポーツドリンクを口にした。
「ポプランくん、見事なミスディレクションだったね」
「へえ。イヴさん、詳しいのかい」
「小学生の頃に、多少ね」
ふふん、と。イヴは面白げに答える。
彼女のいう「多少」がどのレベルなのかは、この場の誰にも窺い知れない。
「んじゃ次の試合……、いや、もうグエン爺さんが限界っぽいな」
「私が代わりに組もうか」
「えっ、おれはいいけどよ?」
久々に身体を動かしたくなったといって、イヴはレンタル貸出機でスポーツウェアと競技プロテクターの装備一式を受け取る。更衣室で手早く着替えを済ませたイヴは、手慣れた様子で準備運動と競技プロテクターの装着を済ませる。その流れるような所作は、熟練の風格を纏っていた。
「……イヴさん。あんた、名門クラブでやってたクチだろ」
「さてね。私はポプランくんに合わせよう。遠慮なく動いてくれたまえ」
ともあれ準備は完了。試合形式は、引き続き2ON2(二対二)。
対戦相手は自動でマッチング。両チームは低重力空間に入り、試合が始まる。対戦相手はまたしても、大柄な学生二人組であった。
「19番に気をつけろよ。さっきの試合でダチが当たってるが、まるで歯が立ってない。俺たちとは動きが違いすぎる」「で、その19番と組んでるのは……、女? まあレギュ上は問題ないけど。一応警戒してくか」
一応警戒。二人の学生の低く見た予想は、見事に覆される。
「この女、マークできねえ! 小回りが巧すぎてまるで蝶々だ!」「くそっ、思い通りに数的優位で動かれちまうぞ」
フライングボールなる競技は、地上で行われるスポーツとは根本から異なる。0.15Gという低重力空間で動く都合上、1G環境下の普段の動作とは比較にならないほど「思ったように動く」こと自体が難しいのだ。わずかなモーションのブレが、慣性のズレとなって全身に波及してしまい、まるで明後日の方向に身体が投げ出されてしまうこともしばしば。
そのような特異な環境下で、自身の挙動を自在に操り、送球の速度や軌道と、自他の捕球時の反動を考慮に入れて、その上で対戦相手の思考すら誘導することがいかに高等な技術であるかは言うまでもない。
「イヴさん。マークを楽勝に撒いてくれるからやりやすいぜ」
「ポプランくんのパスも、中々だよ。こなれた速度で私の未来位置に吸い付いてくるね」
イヴとポプランは各々、ボールの保持制限時間内に難なくパスを回しあって得点圏まで進む。
手脚の動作で細かな重心を制御し、自身の動きと楕円形のボールを操る。移動、投球、捕球。パス、ブロック、シュート、タッチダウン。投げ放たれた不安定な楕円形のボールを巡って攻守が目まぐるしく移り変わる。それがフライングボールのはずであったが、この試合に関してはワンサイドゲームすぎた。
「戻れ戻れ! 女が来る! ベクトル読みいいからとにかく戻れ!」
「こんなところかな。最後はポプランくんに任せよう」
ラインネットまで程近い得点圏の手前。対戦相手が必死にブロックラインを敷こうとするなか、イヴは宙でくるりと回って最後の投球。楕円形のボールはイヴの技術で加えられた特殊な回転に従って、対戦相手の予想位置を見事にツイストして飛び越える変則パスとなる。当然その先はポプランの進行方向であり、ポプランは誤たず捕球した後に、難なくシュート。一連の無駄のなさ。芸術的であった。
「……おれ、イマイチ何もしなかったな。ほとんどイヴさんのゲームメイクじゃねえか」
「ポプランくんのパワーとスピードあっての私だよ。フライングボール、久々にやると楽しいね」
童心に帰ったように笑うイヴは、汗ひとつかいていなかった。慣性利用の動作に熟達した彼女のプレイスタイルらしく、エネルギーロスのない証拠であった。(無論、自身の有り余る運動エネルギーですべてをねじ伏せるプレイスタイルも存在し、グエン提督はその最たるものであったが)
「いや。楽しいとかいうレベル超えて、あのパスはプロ級行ってんだが」
それで久々ってレベルかよ、と。ポプランは末恐ろしさを感じながら控え室に戻り、休憩を挟みながら次の試合に備える。その時であった。
「グエン提督に、イヴ御一行様。火急の要件があります。我々とご同行願います」
控え室にはスーツ姿の男たちが現れる。彼らの隆々とした体躯から、役人ではなく軍人の空気を醸しだしていた。
「興がのってきたところだったんだけどね。それで、私たちはどこに連れられるのかな?」
「
スーツ姿の男は告げた。行き先は
「……情勢に動きがあったみてえだな。また会おうや、イヴお嬢さんたち」
イヴ一行は
「……なんもねえ砂漠だな」
「多分、地下に入り口があるんだろ。統軍参謀本部は、そこから繋がってる秘密基地ってところか」
コーネフの見立ての通り、スーツ姿の男たちは秘匿された地下坑を開ける。そこからは目隠しをされたうえでエレベーターやら非公開メトロやらを乗り継ぎ、非常口から目的地の統軍参謀本部へとたどり着いた。目隠しも外され、イヴ一行の視界は淡い光を浴びる。
「ほお、これはすごい
「……イヴさん。この国に来て一番テンション上がってんのな」
連なる大小のビル群。各種生産プラント。軍需工廠。巨大な湖。地底世界を覆う光は、鍾乳洞を思わせる幻想的な青い光……。
空前絶後の地下空洞を目の当たりにしたイヴは、子供みたいにはしゃいでいた。なお、当然のごとく写真撮影は許されなかった。
「お待ちしておりました。イヴ・トリューニヒトさん」
ひとりの制服軍人が、声を掛けてきた。
彼の眉目は秀麗寄りで優等生的であるものの、同時にワーカーホリック気味で、痩せた頬と目元の隈。体格は長身ではあるものの線が細い印象を与える中年男性。前線部隊士官というより後方勤務畑という印象で、それ以外に目立つ点はない。しかしその軍人はよほどの高官なのか、黒スーツの男たちは目に見えて動揺していた。
「そんな、本部長自らお出迎えに」
「いや、いいんだ。この方々は貴重な客人だ。むしろ我々は、このような不躾の許しを請わなねばならない立場なのだから」
意外ともいうべきか、本部長という重しのある役職。事実、彼の両肩の四つ星の階級章は、
すなわち、トップの
「なあ、おい。あんたは……」「他人の空似でなければ、まさかとは思いますが」
「ポプランさんと、コーネフさんですね。たしかに、私の顔を知らない同盟市民の方々はいないでしょう」
ポプランとコーネフは、その軍高官の顔に見覚えがあった。
とはいえ二人も「彼」と面識があったわけではない。見覚えがあったのは、あの『バーミリオンの奇跡』以来、同盟社会のマスメディアやネットのどこを見ても「彼」の顔が流れていたからである。その報じられようは、多額の懸賞金を掛けられた極悪非道の海賊のようであり、自由惑星同盟を滅ぼしかけた悪名高い犯罪者として、同盟が平和になってからも社会的に断罪され続けていた。
「本部長さん。お元気そうでなによりだよ」
この場ではイヴだけが、「彼」を既知のように接する。
そんな「彼」は、ヤン・ウェンリーの偉業に対となる愚劣な存在。同盟軍事史上もっとも忌むべき妄動ーー宇宙暦七九七年の帝国領侵攻作戦を主導したとされる張本人であった。
「私は、
統軍参謀本部本会議場。
議場中央に据えられた三次元ディスプレイや多機能モニターをはじめとして、将官クラスの大人数が戦略次元の討議と検証を可能とするホールには、一〇〇名を超える参加者の姿が。
されども。仮面の指導者こと統軍総長ウィザーズ・リーの姿はどこにもなかった。
「まずはじめに。建軍まもない
会議の進行役を務めるのは、フォーク大将であった。
彼の声は丁寧ながらも、棒読みじみていて抑揚に乏しく、表情もまた高揚感の類はない。それを陰気さと取るか、はたまた沈着さと取るかは、聞く者が彼に抱くイメージによってコインの裏とも表ともなり得る。
「……あれが、ホンモノのフォークさんか。とんだ極悪人かと思いきや、案外普通のヤツじゃねえか」
「ポプラン。私語は慎め。俺たちの出る幕はない」
コーネフのもっともな注意に、ポプランはへえへえと応じる。
イヴ一行は、会議にオブザーバーとして参加していた。
もっとも、フォーク大将がなんらかの意図でイヴ一行を会議に組み込んだという表現が正しいようにみえる。イヴ一行が会議にて主体的に発言する余地はなさそうにも思えるが、フォーク大将の真意は不明。そんな中、イヴだけが独り、口端に不敵な笑みを浮かべていた。
ともあれ。フォーク大将の言う「喫緊の情勢」についての討議が開始される。
「ロイエンタール朝銀河帝国に、我が国への大規模侵攻の兆候があります」
大規模侵攻。議場に緊迫感が走る。
フォーク大将は手元の端末を操作し、把握し得た高確度の情報に基づく分析データを映し出した。
フォーク大将は、例によって無感情な声で現状を確認する。ひとつ、ロイエンタール朝による対立辺境勢力の平定が完了したこと。ひとつ、帝都オーディンにて大規模な王朝セレモニーが壮挙されたこと、ひとつ、全艦隊への新型艦艇配備と慣熟訓練が完了したこと。ひとつ、要衝とされる複数の星系における通信量と流通量の異常な増大を観測したこと。ひとつ……。
「これらの動静から、翌年二月下旬を目安とした全面侵攻実施は疑いありません。なお、その基幹戦力は六個艦隊。後方支援部隊を含めて、総勢一五万隻を超えるものと想定されます」
六個艦隊。一五万隻。
その数字を聞いたとき、議場はどよめきを隠せなかった。
亡命者や解放領を中心に建国してまもない
「……と、一度ここで。諸将の見解をお聞きしたいと思います。あえて順序も持ち時間も定めません。自由闊達な提言をお願いしたい」
フォーク大将は参加者の発言を促す。
各々の思考を引き出させて、軍司令官レベルでの脅威認識を共有するためだろうか。
そこで、早速。我こそは、と。
ひとりの男が挙手をする。
「……では、グエン・バン・ヒュー中将」
発言の一番槍は、〈向こう見ずの老虎〉ことグエン提督であった。
「今更とは思うが、俺たちはこれある日に備えて軍隊を作り上げてきた。艦隊司令官が操る主力艦隊も、各星系の航路インフラも生産プラントも、ひとつひとつが明確な防衛戦略に基づく戦力で防衛資産だ。つまり、俺たちは無策なんかじゃない。過剰に恐れる必要は無えってことだ」
グエン提督は諸将を見回して、にやりと笑っては堂々と言ってのける。
彼は揶揄的に向こう見ずとは評されるものの、星条国連邦軍内において最多の実戦経験を誇る、れっきとした宿将。彼の発言は議論のアイスブレイクの域を出るものではなかったが、その言葉には不思議な重みと、静かなる鼓舞があった。
「で、俺は学校の講義みたいにひとりでしゃべるのは性に合わないから、短いタームの討論形式でいこうと思う」
そうだな……、と。
グエン提督は問う先を考え、ひとりの艦隊司令官を指名した。
「ジークマイスター中将。お前は、六個艦隊一五万隻って数字、どう考える?」
グエン提督に発言を求められたのは、ひとりの若い男であった。
レオンハルト・ジークマイスター。
毛量の多いオールバックの癖黒髪と、ぎょろりと光る
「そうですね。数字だけを聞くならば『
ジークマイスターの背丈は160センチと小柄ながらに、その智謀と眼力によってたしかな存在感を示す。
彼のジークマイスターという姓が示すように、かつてのゴールデンバウム朝帝国における反体制諜報網を構築した伝説的スパイマスターことマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターの直系子孫であった。
その出自から彼は、自他共に認める筋金入りの共和主義者でもあった。理想国家樹立を追い求める彼は、祖先が亡命した自由惑星同盟の枠すらも超えて、
「ほお。お前でもそう思うか」
「ええ。事実、ロイエンタール朝の軍事力再建のスピードは、我々の想定を超えていますから」
ジークマイスター中将は率直な感想を述べた。彼の専門家としての知見を以ても、ロイエンタール朝は強大な存在と認識されていた。
しかし当然というべきか。ジークマイスターの戦略眼は、表面的な
「とはいえど。
ジークマイスターは、
いわく、ロイエンタール朝がこちらの想定を超えてきたのは「動員しうる艦隊戦力」の一点だけだという。ひるがえって、戦力以外の条件について。これはロイエンタール朝の不利に働く。
古い星図から更新されない地理。オーディンから遠い距離。大軍を支えるには細すぎる補給。なおざりな宣撫工作。手付かずの対外関係。戦果のための戦果を求められる国内情勢。それらすべてが作戦上の障害となり、彼らは不本意な撤退を余儀なくされる、と。
「そもそも。
ジークマイスターは断言する。
そこにこそ、我々
「対して。
ジークマイスターの迫真さは増す。そして手元の端末を操作しては三次元ディスプレイに概略図を出力し、作戦構想の説明が始まる。
第一段階。開拓民兵部隊を中心とした縦深防御陣による、敵戦力の漸減および誘引。重要インフラの計画的撤退。
第二段階。快速ゲリラ部隊による、反復遊撃戦の展開。敵後方連絡線への負担強要。敵艦隊への心理的機略戦。
第三段階。正規軍機動部隊による反転攻勢。敵重心(補給艦隊ないし工作艦隊)への連続作戦。敵後方連絡線の遮断。敵艦隊の継戦能力の根本的破壊。
第四段階。正規軍の総力を用いての艦隊決戦。
「つまりはジークマイスター中将。かねてより策定されていた我が軍の基本戦略に沿うってことだわな?」
「ええ。ここを改変する必要はないでしょう。我々は我々のなすべきをこなす。それだけでおのずと勝利できます。しかし
ジークマイスター中将は盤石の自信をもって、論に補強を加える。
いわく。我々
戦争の性質が、根底から異なる。
我々は一兵士に至るまでが郷土防衛という明確な動機を持って闘えるが、彼らはさにあらず。人民労働者に選ばれない皇帝の号令によって、人民労働者の心に結びつかない親征を余儀なくされ、不慣れな真空の宙域で、神出鬼没を誇る我々の攻撃にたえず怯えなくてはならない。彼らの士気は遠からず瓦解し、撤退の時機を逸したきわめて脆弱な状況下において、物心ともに万全を期した我々
我々の秩序を保った後退は、雄途に代わる。
彼らの威風を纏った親征は、敗走に代わる。
我々人民革命同志の隊伍の前に、彼らの浅薄で封建的な企みは粉砕され、我々の勝利は疑いない……、と。
彼の弁舌は一司令官という枠を越えた、政治指導者の演説にも似ていた。その影には自己陶酔の旋律が潜むものの、大筋においては理に適っている。論理自体に、破綻を指摘する者も出てこない。
しん、と静まる中。ごほん、と咳払いの音。
フォーク大将が、進行役として議論に区切りを付ける。
「……ジークマイスター中将、積極的な発言に感謝申し上げます。私の見解としても貴方の見立ては、我が軍の基本戦略に沿うものであると思います」
そして。グエン中将は如何に考えますか、と。
フォーク大将はグエン提督に、ジークマイスター中将の発言を受けての所感を問う。
「ま、革命とか同志とかはさておき。ジークマイスター中将の言うとおり、市民はこれまで以上に全力で協力してくれるだろうな。ある意味、俺たちのバーミリオンの頃なんかよりも、はるかに
グエン提督はかつての戦訓を述懐する。
自由惑星同盟を救った『バーミリオンの奇跡』の行程を。
あの頃の同盟は、地に堕ちていた。
市民が市民を信じることをやめていた。理想や熱情を、民主主義を信じることをやめていた。本当の意味で「誰かのために戦う」意味を諦めていた。だから、広大な地理的縦深を有していながら無抵抗であり、ローエングラム元帥率いる帝国軍宇宙艦隊の侵攻を、軒先を土足で踏み入られながらも漫然と眺めるだけであったと。ごく少数の例外こと、同盟軍の残余を率いる司令官たち。ヤン提督やビュコック提督といった民主主義の守護者を除いては。
「じゃあ。あたしからも一言、いいかい?」
黒く輝く肌の挙手。女性にもかかわらず、そこいらの男軍人を圧倒する体躯の大物であった。
ヴァトゥシア中将。彼女もまたグエンやジークマイスターと同じく一個艦隊を預かる艦隊司令官であり、旧貴族領解放任務時の優れた差配によって亡命者市民からの人気を誇る人徳者であった。
余談だが、彼女の姓に連なる名前は、遠い祖先から継ぎ足しで付けられた非常に長い名前である。よって市民からは親しみを込めて『ヴァトゥシアおばちゃん』(または『おばちゃん』)とだけ呼ばれている。
「ジークマイスター。あたしは、あんたの理屈にケチをつけるつもりはないよ。ただ、縦深防御やゲリラ戦って簡単に言っちゃいるけど、どんだけの人命が失われる見立てなんだい?」
戦艦や巡航艦は数ヶ月そこらで建造できるが、人材はそうはいかないと、ヴァトゥシア中将は当たり前の事実を確認していた。
戦争は、人が死ぬ、と。
そして人は、そう簡単に産まれてはこれない、と。
無論、ヴァトゥシア中将もまた軍を率いる司令官であるから、教条的な博愛論を主張するものではない。彼女が指摘するのは、それよりも現実的な問題。人的資源に劣る
「簡単に言おうかねえ。帝国兵士一人を殺すのに、あたしら司令官は、我が国の兵士を何人犠牲にすればいいんだい?」
「一〇人から一五人」
ジークマイスター中将は即答する。
彼の発言と表情に、逡巡のたぐいは見られなかった。現実的で冷徹な打算であり、しかしそれをにべにもなく正当化する姿勢には、イデオロギーへの狂信すら孕んでいるようにも見える。
「あんた。そりゃ人が死にすぎじゃないかい? 今後が怪しくなる」
「人的資源の重要性。ヴァトゥシア中将のご見解には、私も同意します。しかし
ジークマイスター中将の論理に、ヴァトゥシア中将は腕を組んで息を吐いた。彼女としても作戦の代替案は持ち合わせていないため、ジークマイスター中将への追及はこのやりとりのみに留まった。
「今回は致し方ないにせよ、今後はもっとマシな防衛ができるようにしなきゃだわね」
「至極同意します。軍事と産業、社会の全部門において、一層の国防建設を進めてまいりましょう」
「ジークマイスター中将。宜しいか」
古風な口調の漢が、ジークマイスター中将の受け答えに割って入る。
「貴殿の論に一点、疑問有り」
その漢の風貌は、剛にして重。
まさに、武を心得た鉄騎士と形容するにふさわしい。
「なんなりと、どうぞ。アイゼンベルグ中将」
「対同盟方面に於ける兵力配置、如何に為すや」
クルト・フォン・アイゼンベルグ中将。帝国軍時代より数えて、四〇年の軍歴を誇る武人。対同盟方面軍の艦隊司令官であり、グエン提督とともに民間軍事請負会社の跳梁に対抗し続けた英傑である。
彼の艦隊は白碧色に塗装され、全艦が低速の防護戦艦で構成されている。その異名、
当人は言及しないものの、彼の経歴の一説には、かの帝国軍ビッテンフェルト提督の直属の部下であったと囁かれている。
「如何に、為すや」
アイゼンベルグ中将の指摘は至極単純であった。
全軍を挙げての防衛戦となれば、対同盟方面が空洞となる。ロイエンタール朝による同盟への挟撃作戦の働きかけが観測されてないとはいえ、背後を突かれないための備えは要る。
その点の対策はあるのか、と。
「アイゼンベルグ中将のご懸念については、ご心配なく。ちょうど、これから説明しようとしたところですから」
ジークマイスター中将は応える。言葉づらでは下手にでていたが、語気はあきらかに強く、反発の感があった。
「フォーク大将。例の件、私から説明する形でよろしいでしょうか?」
「……構いません。続けてください」
フォーク大将の了承を得たジークマイスター中将は、手元の端末をタップする。それは彼が秘策とする隠し球。
モニターに映し出されたのは、とある人物リストであった。
「これは、我々の情報機関が構築した諜報網。その一部です」
ジークマイスター中将の開示した、機密資料。
しかし単なるコードネームの接続と羅列でしかなく、内実を知る者以外が一見したところで機密を理解できない作りになっている。
よって諸将への説明としての信憑性を担保するのは、統軍参謀本部長たるフォーク大将が与えた了承のみに依拠する。とはいえ、曲がりなりにも艦隊司令官が事実無根の嘘を言うはずがないので、諸将はジークマイスター中将の言葉に感嘆をもって期待を寄せるしかない。
「ここ半年間。ウィザーズ統軍総長閣下とグエン中将が交戦された『
「ふふん。その資料の、中心人物の『ウリヤノヴァ』ってコードネーム、私だよ?」
虚を突くように。
不敵な声が、議場に響きわたる。
ジークマイスター中将の声を遮るのは、得意げなハスキーボイス。
席を立っていたのは、ひとりの男装の女傑。イヴ・トリューニヒトであった。
「ジークマイスターくん。そろそろ私もしゃべっていいかな?」
「あ、貴女がた御一行には、側面支援と戦力供出をお願いしようとオブザーバー参加を頂いただけであって。不規則発言は厳に慎まれますように、」
「えー?」
イヴはむすくれた。
「ジークマイスターくんにも私のことを信じてもらえるように、私が知ってること、ちょっとだけおしゃべりしてあげたほうがいいかなって思ったんだけどね」
ふふん、と。
イヴはませた子供みたいに
どうして。
なぜ、知っている。と。
イヴの「おしゃべり」は、フォーク大将とジークマイスター中将のみが知り得る全貌の一端。いや、逆にジークマイスターは『ウリヤノヴァ』の真の正体を知らなかった。イヴ側はすべてを知っているのに、である。
すなわち、イヴの掌で転がされていたも同義。
ジークマイスター中将の顔面は、蒼白になっていた。
「……という具合に、イヴ・トリューニヒト議員一行は、私たちの心強い同盟者です。これで、私が彼女らにこの会議のオブザーバー参加を許可した『本当の理由』が、ご理解いただけたかと思います」
フォーク大将が、議論に生じた波乱を少ない言葉で収拾する。
すべては元より、織り込み済みの計算内。フォーク大将の落ち着きぶりには、そのような余裕が漂っていた。
「えっ、でも
「ポプラン。私語は慎め」
「いや、イヴさんはやりたい放題じゃん? ならおれも」
「お前さんは自分の女性経験と空戦経験しかしゃべることがないだろうが」
ジークマイスター。フォーク。
イヴ。そしてウィザーズ。
対ロイエンタール朝新銀河帝国への作戦構想の裏で、各々が張り巡らせた、虚々実々の駆け引き。
その一端が垣間見えた瞬間であった。
「対同盟方面の防衛対策は、このイヴ・トリューニヒトにすべてお任せいただきたい」