「ズビッ……、ズビー、うっ、人間ちゃんが私をきらってない……、なんとか生きていける……」
ようやく落ち着いた彼女の顔はクシャクシャに丸めたティッシュよりもひどい顔であるが、それも愛嬌と貴方はチリ紙を差し出した。
「ご、ごめんなさいっス、人間ちゃんだってお家に帰りたいだろうに、私がヘラっちゃって……」
――その件は既に過ぎたことだと彼女に伝える――
「人間ちゃんの心は地獄の底よりも深いっスね……!! 不肖この下級淫魔! 何があろうと人間ちゃんをお家に送り届けるっス!!」
貴方は全く人徳があるようには感じられない褒められ方をされながらも一応の感謝を述べる。
「それで、人間ちゃんが元に戻るための方法なんスけど……」
気まずそうな顔をする彼女を見れば希望的な言葉を聞けそうにない事を貴方は察した。
「そ、そんな顔しないでくださいっス人間ちゃん……、い、一応は他次元への移動みたいな研究をやってる場所もあって……」
彼女の言葉に貴方は顔をあげる。
――そこでなら自分が元の世界に帰れる可能性があるのだろうか?――
「淫魔は先端魔法分野で結構進んでるっス! この前のニュースなんかで比較的安定した異界に探査ゴーレムを送ってサンプルリターンに成功したっス!!」
貴方はその言葉の一つ一つを理解できたわけではないが淫魔の国の科学力が進んでいるのだろうと感じた。
――ならば自分がそのゴーレムとやらに乗り元いた場所に帰ることも可能なのだろうか――
「うっ……、それは……、今はまだというか……、いつかの未来のための投資というか……、そもそも生き物を載せて異界に飛ばすなんて国家レベルのプロジェクトというか……」
なにやら貴方はその産業の距離感に身に覚えがあるような感覚に陥る。
「いや! 意味ないとかいうヤツもいるっスけど! 空間転移魔法や位置特定魔法、それに通信魔法とかで私達の生活にフィードバックされてるッス!」
――しかしそれは金がかかりすぎる。今目の前の問題を解決すべきと批判されていたり?――
「ぐ、ぐぇーっ!! なんで分かっちゃうんスか人間ちゃん!! 」
それはまるで、こちらで言う宇宙産業の話のようだと貴方は感じるだろう。
「い、いつか、巨大淫魔型ゴーレムに乗って異世界を旅する時代がくるっスよ!!」
その手のロマンの話は分からなくはない、今身に事実として降りかからなければ大いに未来の展望に花を咲かせたいところであった貴方である。
――つまり現状、自分が帰る方法は現実的に存在しないということだろうか――
「待って下さいッス! 今まで人間ちゃんの世界の次元を特定しようとした研究は山ほどされてるんス!」
初めは励ましているのだろうと思っていたが、羽をバタつかせる彼女を見ると本気で興奮していることが分かる。
「それでも無限に等しい数の次元で意味ある次元を見つけることすら難しいのに、その答えである人間ちゃんが来たんスよ!!」
彼女はついには宙に飛び上がって貴方を見た。
「人間ちゃんから、ひょっとして人間ちゃんの世界の基準座標が見つかるかも……、そんな場所が分かったら魔族みんながそこに行こうとするッス!人間ちゃんの存在が魔界にとって途轍もないブレイクスルーになりうるっス!」
彼女の言葉に貴方は唸る。
自身の世界の理屈で考えていいのかは不明だが、今の人類が有人で宇宙に行かない理由といえば、莫大なコスト、危険性、技術的的な制約もあるが一番の理由がある。
必要性が無いのだ。
たった数人を何もない空間に送って石を拾ってこようが、それに見合う利益がない。
だが、そこにこんな条件を付けたらどうなるだろう?
地球から遠く離れたある惑星、そこには地球のエネルギー問題の全てを解決するだろう物質が存在するとしよう。
必要があるなら、確実に見える利益があるならば。
貴方の世界では過去、国家の威信を示すという名目である大国同士が争い、ついには人を月にあげた歴史を知っていた。
――しかし、それは余りにも壮大過ぎる――
「まぁ、そうなんすよね……、人間ちゃんはお家に帰りたいだけっスもん……」
考え込む貴方をみて、興奮が冷めたのか彼女は少し落ち着きを取り戻し、申し訳なさそうに言葉を続ける。
「……人間ちゃんにこの世界の事を話す時、実は少し隠してたっす……、言っちゃうと人間ちゃんがここから出たがると思うのもあるっスけど……」
罪を告白するように沈痛な面持ちをする彼女。
「外に行ったら、人間ちゃんはきっと色んな事に巻き込まれるっスよ、人間ちゃんが家に帰りたいって言っても、きっと無視されちゃうッス……」
今に思えば、貴方が彼女にこの世界のことを聞いた時、言われたのは日常の生活や娯楽など、当たり障りのない話ばかりであったと思い出す。
きっとそれは自分を守るために彼女がそうしてくれていたのだろうと貴方は考える。
――これからは、そういったことを教えてくれるのだろうか?――
「そうっすね、もちろん協力するっスよ!」
彼女への厚い信頼を貴方は抱くだろう。
しかし、彼女の説明を聞けば、貴方が元の世界に戻るには国レベルの支援を必要とするらしい。
何の変哲もない人間である自分の存在を誇示するようなことなどあるはずもない貴方、しかし貴方の存在はその支援を引き出す価値があるようである。
問題は――
「でもこのまま行けば実験スライムみたいな扱いっス……、どうにかして人間ちゃんが交渉できるような立場にならないと……」
つまるところ、貴方を「貴方」として扱う決まりがない。
この異世界では貴方の存在を保証するいかなる法も存在しないのである。
「というか、ルールとか捻じ曲げても人間ちゃんを確保するっスね」
彼女の無慈悲な言葉は、一番ありそうな未来だと貴方は感じるだろう。
八方ふさがりな現実に貴方は頭を振る。
もしや、今みたいに自由に過ごす環境はとてつもない幸運なのではないだろうかと、貴方が考え始めた時である。
彼女が何か言いたげに貴方を見ていることに貴方は気づいた。
――他に何か心配事などあるのだろうか?――
「あのぉ……、その……、なんというか一番心配なのは……」
彼女は貴方をチラリと見て、口をモゴつかせる。
――何が心配なのか聞く――
彼女は非常に言いづらそうな表情をした後、一言だけ呟いた。
「人間ちゃんがよわよわ過ぎて、どの魔族にでも一瞬で手籠めにされるんスよね……」
――それは……、そう……、いやそうなのだろうか? ひょっとすれば――
貴方の僅かなプライドから出た問いかけに彼女は強く首を振った。
どうやら、貴方はこの異世界で最弱の名を欲しいままにできるようである。
ほんの少しだけ傷ついたが、彼女の心底慰めるような目を見て反論はできなかった