人による古い伝承では、淫魔は眠る者の夢へ忍び込む悪魔だという。
夢の中で人を惑わせ、精を奪い、時には悪夢そのものとして語られた。
一説では、
そして、貴方は今まさに、淫魔と共に床を同じくしている。
これは偶発的に起きた事故であり、夢見る記憶の残響である。
貴方はこれから夢を見るだろう。
それでは良い悪夢を
私達、淫魔は愛によって生まれる。
お互いの心が通じ合い、互いに流れ出す魔力が形を成し結晶と化す。
それが淫魔
「48番、69番、出ろ、食事の時間だ」
そういう話を聞いたことがある。
「ったく何が食事っスか、パンパンになるまで魔力突っ込まれてこっちは毎回吐きそうっスよ」
「だ、だめだよ、そんなこと言っちゃ、目を付けられたら意地悪されちゃう……」
あの頃の私には親しい
生まれた瞬間、国に売られた私にとっては、生みの親よりも深くつながった親友だった。
「あーはん? 大丈夫っスよ、あいつらこっちの顔なんて区別できてねぇっスもん」
ここは、親の後見が得られずに国に売り渡された淫魔達の育成機関。
もっと分かりやすくいうならば――
「牢獄っスよ牢獄、はぁーっ、こんな場所さっさと出て、ヤリまくりてぇっスねぇ……」
「こ、声が大きいよ……」
「おい、早く来い」
「はっ、はい!」
「へいへーい」
つまるところ、私はそんな顔も知らない親から生まれ、売られた存在だった。
「味がしねぇー……、知ってるっスか? ここに回される魔力の質って糞マズイって、外じゃ色んな種族の精気が食べられるらしいっスよ」
「けぷっ……、そ、そうなんだ……」
「こんな薄い精子みてぇなもん、絶対中抜きしてるっス、中で出させろって話っスよね」
そこでの私達に課されていたことひたすら魔力を貯めこむこと、淫魔の社会についての学習だった。
「おいそこ、吸精を休むな!」
生まれたばかりの小さな器に無理やり魔力を流し込む。
そうすることで淫魔としての素質を高め、より社会に貢献できる働き手を輩出すると聞いていた。
「ゲフゥゥ~、キッツ!! ボテ腹状態っスよもぉ~」
「ゲポッ……、コポポ……」
「おいおい、大丈夫っスかぁ~? 背中ポンポンしてやるっス」
「おい、貴様、貴重な魔力を無駄にするんじゃない」
「ご、ごめんなさい」
「あー? 」
「こっちは腹いっぱいって言ってるっスよね? 無理なもんは無理なんスよ、無理ムリムリムリカタツムリぃ~」
「お前達を養うため、国民から絞り出された魔力だぞ! 一滴たりとも無駄にするな」
「そいつらだって腹いっぱいになったら残すっスよ、馬鹿らしいっス」
「お前……!」
「ご、ごめんなさい、ち、ちゃんと魔力をとって優秀な淫魔になります」
「……大人しくお前らは才能をのばせ、そうすればいくらかマシな場所で働けるぞ」
正直、そこでの生活は牢獄というよりは家畜のようであった。
「遠く昔、自力での魔力を生成できない魔族たちは互いを食い合った。敵を狩り、時には同胞を喰らい……、いずれ来る破滅を早めるだけの日々、だがそんな中で、魔力と精神の扱いに長けた我々淫魔族は画期的な発明をした。それこそが魔力炉であり――――」
「ふぁ~、ねむっ……」
「まじめに聞かないと、お、怒られちゃうよ……」
淫魔の社会を礼賛し続ける授業を受け、日に何度も魔力を吸精し、それが終わったら吐き気を覚えながら部屋に戻る。
本当にそれだけで、他には何も与えられず奪いもされない。
ここにいる幼年以外の淫魔は私達に無関心で、最低限の関りしか持たなかった。
「―――だからこそ、我ら淫魔がこの世界を主導すべき種族として―――」
外との関わりはない、この施設の職員が無機質に語る説明。
それが私達にとっての外の世界の全てだった。
そんなある日である。
「どじゃ~ん、見るっスよ、あいつ等の詰所にあったコレ!!」
「なにこれ……?」
「すげぇっスよこれ、絵が描いてあってなんて物語になってるっス!! マンガっつーやつっス!」
「で、でも、それって、いいけないことなんじゃ……」
「へー、ふーん、じゃあ一人でみるっスかねぇ~」
「うっ……」
私は初めて教科書以外で外について描かれた書物に出会った。
「そんな欲しがりな顔して……、本当は欲しいんでしょ、オラッ! 正直に口と本を開くんだよ!」
「うっ……、み、みたいです……」
「グヘヘヘ、上の口はやっぱり正直っスねぇ……! みたけりゃ見せてやるっスよ……!」
今になって思えば、メジャーどころを外すような、かなりニッチよりの冒険マンガ。
しかも途中からだったから、いきなり因縁の敵と戦って、知らない回想も始まって、はっきり言ってマンガの読み方として、下の下であったと今になって思う。
「か、かっけぇ……、この主人公、超COOLじゃん……」
「う、うん……、かっこいい」
「うおー! 続き読みてぇ!! どういう関係なんだよ!? 急に出てくるこのヒロインぶった女は何なんすかよォ!!」
「ひょっとしてこの敵……、実は未来の自分だとか……?」
「なにっ!? その発想があったっスか!! じゃあじゃあ、主人公の設定が――」
たった一冊のマンガを擦り切れるまで読み返して、勝手にそのキャラの過去を想像したり、この先どうなるかの物語を作ったり。
今に思えば、自分の妄想癖はここからきてるんじゃないかと思う。
「お前ら、早く出ろ、授業の時間――、待て何をしてる」
「ヤバッ、隠せ隠せっス!」
「う、うん」
「……お前ら一体何を……、まぁ良い、早く出ろ」
「見つからなかったっス……」
「あ、危なかった……」
繰り返す変わり映えしない日々、あの時の私はそれが全てで、いっそ平穏ですらあったのかもしれない。
「もし外に出たら何したいっスか?」
「え、えぇ……、いろいろあるなぁ……」
「外に出たら~、空をめいっぱい飛ぶっス、そんでたらふく精子を食べて~、あっ、あと自分だけのフカフカのベッドで好きなだけ寝る!!」
「私は……、うーん……、誰かに名前で呼ばれてみたい……、とか?」
私達淫魔は自分の名前を自分でつける。
それによって自身を世界に定義する。
しかしあの時の私達は名前を持たない、何者でもない存在だった。
「確かに、かっちょいい名前を自分で決めたいっスね。でも、真名なんて他者に教えるもんじゃないっスよ?」
「そ、そうだけど、その……」
「その?」
「な、何でもない……!」
「ピャー! なんスかその絶対なんでもない時の言い方ァッ!!」
「ひ、ひみつだもん……!」
私達は、外の世界に夢を見ていた。
いつか一緒に外に出て、一緒に楽しいことを全部やる。
思い返せばだが、この何もかもがないこの時が、私にとって一番満ち足りていたのかもしれない。
「決めたっス! ちょっと外を見てくるっスよ!」
「えっ!? き、急に何?」
「ククク、最近物質の操作魔法を見て覚えたっス、これを使えばちょっと外に出るなんて楽勝っス!!」
「で、でも、もしバレたら……」
「どうせもうすぐここを卒業して出れるっス、予行練習っスよ、予行練習!」
「ど、どうせ出れるなら、危ないことはしない方が……」
「安心するっス! ちょっと見て、帰ってくるだけ! 一緒に行くっすよ!」
「えーっ!?」
振り返って、いつも私は思う。
きっと抜け出した先で真実なんて知らない方が良かったのだ。
「隠れるっス」
「う、うん……」
「48番は?」
「測定だとかなり出てる。じゃじゃ馬だが基準はクリアしてる、正直かなりのアタリだな」
「じゃあ無事に上にあがれるな……、いつもくっ付いてる69番は……?」
「出力が低い」
「……他の適性は?」
「魔力以外でそんなことを考慮した時があったか?」
「なら決まりか……、69番は――」
「…………」
「なにか話してるけど……、よく聞こえない」
「ねぇなんて言ってたの?」
「戻るっス」
「え?」
「こっからは見つからないようにしないとっスから、私一人で行くっスよ!」
「え、えぇぇぇ!?」
(膝を抱え込む48と部屋で待つ69)
「ただいまっス!!」
「お、おかえり……! ど、どうだった!」
「そんな興奮するなっスよ、……壁の上から外が覗けたっス!」
「ど、どんなところだった……!?」
「そりゃもう! すげぇっスよ!」
「まず空が広いっス! 天井がないんスよ! ずっと上まで何もなくて、どこまで飛んでも怒られなさそうで、風がびゅーって吹いてて!」
「て、天井が……ない……!」
「ないっス! あと灯り! 遠くの方にいっぱい灯りがあったっス! たぶん街っスね、あれは街! マンガで見たやつと同じっス! 建物があって、道があって、みんな好き勝手に歩いたり飛んでるっス!」
「好き勝手に……」
「そうっス、食事の時間とか、吸精の時間とか、そういうの関係なく! 行きたいところに行って、食いたいもの食って、寝たい時に寝るんスよ。たぶん!」
「たぶん……?」
「細けぇことはいいんスよ! でも匂いがしたっス。なんか焼いたみたいな、甘いみたいな、よくわかんねぇけど美味そうな匂い! 外の精気って、きっとああいう匂いなんスよ!」
この話は、ほとんどが想像だった。
だって、この施設は地下深くにあり、詰め所を超えても薄暗い洞穴しかないのだから。
空の広さも、街の灯りも、風の匂いも、マンガの一頁と、私達が何度も語り合った夢を継ぎ接ぎにしたものであった。
それでも私達はいくらでも外を語れた。
「次はお前達か……、48番、69番、明日からのお前達の行き先が決まった」
そして、その日は突然だった。
「48番、お前はさらなる教育の機会が与えられた。淫魔にはそれぞれの役割が課される。名誉なことだ。励むといい」
「……」
「そして69番、お前は適正によって魔力炉への配属が決定した」
与えられた外への機会、初めての別れ。
喜ぶべきだろう、だというのに私達はどこかギクシャクしていた。
「……別々だったね」
「っス……」
「なんていうか、すごい寂しいよ、うん、でも嬉しいかも、あなたって私よりすごい淫魔だもん」
「…………」
「私はそこに行けないかもだけど、でも……、私は大丈夫だよ」
「そんなの……!」
「なんであなたがスネちゃうの? だいじょうぶ、きっときっと外で会えるもん」
「…………」
施設で最期の夜。
こんな別れはしたくない。
そう互いに思っているはずなのに私達はすれ違っていた。
「外に出たら……」
「うん?」
「外に出たら名前を呼ばれたいって、言ってたっスよね? あれ、なんでっスか?」
「うん……、魔族は名前を自分だけの秘密にするでしょ?」
「……」
「でも、でもね、そんな全部を教えちゃえるぐらいの……、そんな相手が出来て……、名前を呼んでくれたらいいなぁ……って」
「…………」
「なーるほど……、フフフ、めっちゃいいっスねそれ!」
「そ、そうかな?」
「めっちゃロマンっスね!」
「え、えへへ……」
「……その願い、きっと叶うっスよ」
「そ、そうかな?」
「そうっスよ、ほらこっちに来て……」
「うん!」
「ごめんっス」
「え?」
「な、なにを……」
「その願い、私が叶えてあげるっス」
「名前、かっちょいいのにするっスよ。私が聞いて、羨ましくなるくらいの」
「あ、あれ? 私、なんで寝ちゃって……」
「何を寝過ごしてる」
「す、すいません!」
「いいからお前も外に出ろ、説明を行う」
「あ、あれ? あの子は……?」
「……それも合わせて全部説明する」
「まずはおめでとう、お前達は淫魔の社会により高度な奉仕を認められた淫魔だ」
いつものような訓示、そして始まる授業。
それを聞きながら、訳も分からずただ立ち尽くす。
「ここにいない、淫魔は皆、魔力炉に配属された。これは名誉なことである。彼女らは今既にその役目を全うしている」
「それって、どういう……、あ、あの私、違く――」
「……既にここにいない者はその魔力炉の中で触媒になってもらった」
「あ……、え……?」
「魔力炉とは、淫魔社会を支える偉大な循環機構である」
「基準に満たなかった者も、決して無価値ではない。炉の中で国の礎として永く貢献する」
「よって、ここにいない者達は既にその役目を全うしている。これは名誉なことである」
職員の声は、どこまでも平坦だった。
泣く者も、叫ぶ者もいない。
ここに残された者達は皆、選ばれた側なのだと教えられた。
けれど私には、その言葉がうまく入ってこなかった。
ここにいない者達。
その中に、彼女がいる。
だって、彼女は昨日まで隣にいたのだ。
私にマンガを見せてくれたのだ。
外の空を語ってくれたのだ。
名前を呼ばれたいという私の願いを、叶えてみせると言ってくれたのだ。
昨日まで隣で笑っていた彼女が、何度も何度も頭の中で回っていた。
「あ、あぁ……あぁぁぁぁぁぁ……! あああああああああ!!」
「泣くな48番」
「ちがうッ!! ちがうッ……!! 私は……!!」
「黙れ……!」
「グハッ!!」
「よく聞け……、お前は何者だ……?」
「わ、私は……、69ば――――」
「なんだ? 聞こえんな、いつもお前の後ろにひっついた69番が心配か? 言ったはずだ。“既にその役目を全うしている”」
「あ゛、あ゛ぁ……!」
「……もう一度聞く、お前は何者だ……?」
「よんじゅう、はち、……ばん、………………っス」
私達、淫魔は愛によって生まれる。
お互いの心が通じ合い、互いに流れ出す魔力が形を成し結晶と化す。
だけど私は別に愛の結晶ではなかった。
意味は求められず、炉で燃え続け、社会を照らすだけの燃料。
本当ならば、それが世界の求めた私の意味と価値だった。