彼女が降り立ったのは、魔力炉周りを取り囲むように建てられた壁の一角だった。
壁の内側から離れたこの場所では、あれ程賑やかであった淫魔達の声は既に遠く、炉の稼働音だけが、外殻越しに低く響いていた。
――ここは一体どういう場所なのだろうか――
(大雑把に言えば内側の魔力が暴走しないように調整する装置っス、人間ちゃんには見えないけど、何十層もの薄い膜で一枚の壁になってて、そこに気が遠くなるほど細かく魔法陣が仕込まれてるっスよ)
彼女は貴方の疑問に答えると、すぐに外殻へ向き直った。
(まぁ、炉の機嫌が悪いとすぐにガタが来るので毎日毎日修復しながら壊れていくという、浜辺の砂の城みたいなヤツっスね)
貴方の目の前に広がる外殻と言われるそれは、炉の全てを包み込むようなものではなく、何枚もの外殻板が炉心の前で弧を描くように並んでいる。
しかし、炉自体が巨大な建造物であり、貴方が外殻を見越すには首を真上にあげ切らねばならぬほど巨大である。
「……さてと」
どう見ても彼女一人の手に余るだろうそれを見て、彼女は貴方を抱えて飛んだまま、外殻を手でなぞる。
「
彼女の低い声。
彼女の指先から光が走り、そこから外殻に波紋のように光が広がってゆき、そこから何重にも重なる魔法陣が淡く灯って浮かび上がる。
その幻想的な光景に思わず目をやれば、所々に火花を散らすような魔法陣が見えた。
「
貴方には何が起きているのか分からない。
ただ、彼女の指が光の線をなぞるたび、その火花は次第に青く澄んだ色へと変わっていく。
魔法。
彼女の行動がどのような意味を持つのか、貴方には分からない。
それでも、目の前の光景を表す言葉は一つしかなかった。
(……よし、復旧おわり、これで数日は持つっスね)
一仕事終えたと手を叩く彼女を見て、貴方は感嘆の声をあげる。
――これは誰にでも出来ることなのだろうか――
(まぁアイツらには無理っスね、けどまぁやってることは簡単なんでそんな大した作業でもないっすよ)
――では彼女達にやらせれば、どれくらいかかるのだろうか?――
(んー……、ホントに大したことじゃないんスよ? 実際、私の同期でもこれくらいのことは魔力にブーストかけて力押しで出来ちゃうっスから)
――ならば今のは魔力を多く使ったのだろうか?――
(あー……、なんかハズいんでこの話は終わりっ! 時間はないんすからチャキチャキ行くっス!)
何やら誤魔化されているような心地になる貴方ではあるが、彼女は目線を逸らして、外殻の壁に手を触れ――
「フンヌッ!」
――勢いよく手をつき入れ、瞬時に抜き取る
彼女の手には黒ずんだ結晶のような何かがあった。
(うっわぁ~、そろそろヤバいと思ってたっスけど、こんなに消耗したのは久しぶりに見たっス)
それは彼女の手の中で嫌な音を立てて軋んでいた。
――それは一体何なのだろうか――
(外殻に埋め込まれてる制御用の
ひょっとすれば、ここら一帯の装置は魔力炉という名を被った爆発物集積所ではないだろうかとの考えが貴方の頭によぎる。
(何度か炉が臨界点を超えたのを見た時があるっスけど、外殻の核が誘爆していく光景は忘れられないっすね~)
どうやら貴方のその考えは凡そ外れた物ではないらしい。
(まぁともかく、これで、コイツを修理するという口実で工場の方に行けるっスよ)
彼女はその部品を手の中で回し、表面の亀裂を確かめながら、外殻から飛び立つ。
既に貴方も慣れた物で、彼女の動きを邪魔しないようにぶら下がった。
彼女は炉の中心へと戻ると、それに気づいた作業員の淫魔が声をかけてくる。
「管理人、外殻どうでした?」
「ダメっスね、応急処置はしたっスけど、核の部品が死にかけっス。工作室で再構成してくるっスよ」
その言葉を聞いた作業員の淫魔達は口々に騒ぎ立てる。
「道理で戻るのが早いと思ったら……、ヤベェじゃん……、汚ねぇ花火の開催が明日に決まったじゃん……」
「良かったわね、しかも爆心ど真ん中の特等席よ」
「今から行って、製造部の奴ら対応してくれるかね、いやあいつらのことだからどうせ突っぱねるんじゃ……」
そんな中で彼女は手元の核を転がしながら、平然とした態度のまま周りを落ち着かせるように言葉をかける。
「今から直接交渉して捻じ込むっス」
「でるか! 管理人の伝家の宝刀“媚び売り土下座外交”!」
「聞こえの悪い言い方は止めるっス」
「なんやかんや私達が納期に間に合わせて生き延びれてきたのはアンタの“揉み手式突破交渉術”のおかげよ!」
「おいこら、こちとら上長っスよ」
「最初は魔力の低い管理人とか納期未達成で詰んだと思ってたが、その“芸術的ゴマすり交渉”で俺たちは生き延びてきたんだ……!」
「全く、あれだけ尻尾を振って、まだ管理人に尾が残ってるのが不思議だぜ!!」
「ほんとにアンタらは……、もし私がいなくなって、新しい管理人にその言葉遣いしたら畳まれるっスからね」
怒りの気配を滲ませると、周りの淫魔は笑いながら、彼女へ言葉をかけ、早足でそれぞれの作業へと戻っていく。
最後に彼女は疲れた表情をしながらその場に残される。
――信頼されているのだろう――
(……まぁ、悪いヤツらじゃないんスけど……、はぁ……、とにかく工場に向かうっスよ)
名目上の要件を手に入れた貴方達は現場を離れ、工場へ向かう。
さきほどまで耳にまとわりついていた怒号も、羽音も、工具の音も、炉の唸りに溶けて遠ざかっていく。
代わりに響くのは、壁の奥を這う管から聞こえる共振音と、彼女の短い息だけだった。
(今までは裏道を使ってたっスけど、今日は正規のルートで通るっス)
彼女の声が頭の中に落ちる。
(本来なら申請を出して、部屋に他の淫魔がいる状態で作業しなきゃっス)
――たしか、それは誘導で何とかするのだろう――
貴方は事前の打ち合わせを思い出し、そう彼女に問いかける。
(任せるっス、一人二人なら余裕っスね)
具体的な方法までは聞かないまでも、彼女の確信に満ちた言葉で説明を受けていた貴方は特に疑問にも思わずにいた。
すでにここに至るまでの話し合いは幾度も繰り返した。
今になって話すこともない貴方たち二人は、手短に行動の確認を取ると目的地までの道を進んだ。
そんな中、彼女は貴方に軽口をたたく。
(まったく、人間ちゃんをお家に帰すとはいえ目標までは遠いっスねぇ、RPGで言ったら初めの章のボスで手こずってる段階っスよ)
事実で言えば、むしろ序盤のお使いレベルの段階である。
確かにこれからの先行きは不透明だと貴方は感じるだろう。
――個人的な感性で言えば、一章のボスと戦うまでが一番興奮するものだ――
(あー、それあるっスね、マンガでも一番熱い戦いは序盤の強敵だったりするアレっすね)
そんな互いに緊張をほぐす為だと分かり合っている冗談を言い合っていると、不意に彼女が微笑む。
(大丈夫っスよ、人間ちゃんは絶対お家に帰るっス)
――もちろんそのつもりである――
(その調子っス、ここまで来て帰れませんでしたとか、物語としてクソっスからね)
彼女はいつもの調子で笑う。
(だから、途中で変なサブイベントが起きても止まっちゃダメっスよ。やたら貴方に懐いてくる淫魔に絆されるとか)
――それは貴女のことではないだろうか――
(さぁ~? 心当たりないっスねぇ、まぁともかく、魔道具が出来て魔族と交渉できるようになっても相手は格上っス、一筋縄じゃ行かないっすよ)
貴方は今更なことを聞く彼女に笑い返す。
(覚悟は十分っスね、……ここから先はさらに管理が厳重っス、もしはぐれたら渡した魔法の地図は忘れないで欲しいっス)
忘れることは無いだろうが、それまでに正規ルートでの使用は厳しいのだろうか、そう思った貴方は彼女の警告に対して、神妙に頷いた。
しばらく進むと、通路の空気が変わった。
(ついたっす)
彼女の念話が、少しだけ低くなる。
相も変わらない硬質な床と、壁を這う管と低い共振音は変わらない。
貴方はここに何度か足を運んだことがある。
しかし、今回は受ける印象は違っていた。
部屋の前には現場の作業員とは違う、汚れの少ない淫魔達が道を塞ぐように列をなして立っていた。
すれ違う淫魔達は、現場の者達とは違った。
作業服は汚れておらず、羽音も小さい。
淫魔達は彼女を見ると、挨拶というより確認のように視線を向ける。
その視線に、彼女はいつもの笑みを貼り付けて会釈をしながら通り過ぎた。
(……うわぁ)
彼女は嫌そうな表情で天井に目線を向ける。
――どうしたのだろうか――
(監視が増えてるっスね。嫌な増築っス)
貴方は彼女の目線を辿る。
すると、そこには目玉のようなものが浮かんでいることに気づき、貴方は声をあげそうになる。
(あんまりアレと目を合わせない方が良いっスよ)
――こちらは見えていないのでは――
(見えないはずのものを見つけるための設備があるんスよ。嫌な話っスね)
目線の先の目玉、その奥で、細い瞳孔のようなものが時折収縮しているのを見て、貴方は慌てて目線を逸らした。
(とりあえず受付に向かうっス)
俯くまま、彼女の背中に目線を向けると、大きな声が聞こえる。
彼女の前には、何やら言い合う先客がいた。
廻りの淫魔達とは違い、作業服の肩に灰色の粉をつけた淫魔が、細やかな文字が刻まれた黒ずんだ板を抱えて管理盤の前に立っている。
羽の端は焦げ、額にはうっすら汗が浮いていた。
「だから、緊急だって言ってるでしょ!? これ直さないと作業が止まんのよ!」
扉の横に立つ受付の悪魔は、顔色ひとつ変えなかった。
作業服ではない。汚れのない薄い外套に、細い記録板を無表情で抱えている。
「物品破損の報告がありません」
「今朝壊れたんだよ。登録してる暇があるなら壊れてねぇ」
「承認印も不足しています」
「だからさっき壊れてるって言ってんの! 同じこと二回言わせないでくれる!?」
「では承認印を取得後、再申請してください」
「だーかーらー!!」
受付の悪魔は、最後まで同じ声だった。
幾つかの問答の後、大声で話す淫魔は刻印板を抱えたまま天を仰いだ。
『申請不備での提出を監査ログに記録します。度重なる不備は人事評価に影響しますのでご注意ください』
「断られたことまで記録されるのかよ……、現場を殺す気でしょ……」
「規定です」
受付の悪魔は、最後まで同じ声だった。
(……うわぁ)
一連のやり取りを見た彼女は痛ましいものを見る目で呟いた。
――やはり厳しくなっているのだろうか――
(受付が代わってるっスね、前はあれくらいなら管理人同士の口約束でねじ込めたっスけど……)
――ならば今のあの受付の彼女はどうなのだろう――
(悪魔っス、前に言ったっスよね悪魔族)
貴方は彼女の言葉が一瞬、ただの悪口かと思った。
だがすぐに、彼女が種族名として言っているのだと気づく。
(お役所仕事でルール第一、正面から行くと、ああなるっス)
――ではどうするのだろうか――
(正面から行くっス。悪魔には、悪魔向けの付き合い方があるんスよ)
彼女は気負いもしない態度で列を逸れ、受付の前で列をなして待っている淫魔達の方へと歩いていく。
(この時間ならいると思うんスけど……、おっ、いたっス)
彼女は誰かを探していた。
そして目当ての人物はすぐに見つかったようで、迷いなく近づいていく。
「どうもっス」
「ん? あー! さっきはゴメン! そ、その……、それで納期間に合いそう?」
「正直厳しい、というかムリっスねぇ……」
「うっ、ごめん……」
「試作品の運用とかクソ面倒なこと、なんでよりによって私の炉に振るんスか……」
「わ、わたしだってあんな仕事振られたくなかったけど皆に無理やり……、うっ……、君ならなんとか出来るかもって思って……」
「まぁ、他の管理人に振ったら、八つ裂きにされてもおかしくないっすね」
「ご、ごめんよぉぉぉ! 君しか頼れる淫魔がいなかったんだよぉぉぉ!!」
貴方はこの淫魔にも見覚えがあった。
確かいつぞやの工作室で彼女に泣きついていた淫魔が彼女であったはずだ。
しかも話を聞くに相手は彼女に急な設計の変更を告げた者だということにも貴方は気づく。
「あー、分かったっス、持ちつ持たれつ、私ら淫魔は入れたり挿されたりの仲ってことで大目に見るっスよ」
「えっ! ほんと!?」
「ちなみに貰った図面、不備があって、現場は怒りでどうにかなりそうだったスけどね、ホラここ」
「えっ!? アッ!? ええぇぇッ!!??」
「安心するっス、面倒なんで報告にはあげてないから、これ修正した設計っス。……今度差し入れ持ってくるっスよ?」
「ほんとゴメン!! マジごめん!! 恩に着ます!」
「突貫でやったのが分かるくらい荒れた設計だったスからね、どうせまだ原本は部内で回してる最中っスよね?今の内に原本をこっそり修正しとくスよ」
「あ、ありふぁとう……」
魂が抜けかけているように見える相手方、それを見て彼女は肩を回すと顔を近づけて囁く。
「それでなんスけど、一つお願いが……、これから工作魔法陣を使うんすよね、たしか申請で同行者を連れていけるっスよね、実は部品が壊れて急な修理をしないといけなくて」
彼女の言葉に相手はすぐさま首を縦に振った。
「そんなんで良いならOK! あっ、でもなんか今日から管理が厳しくて……」
淫魔は工作室に続く扉を指さす。
その通路の先には黒い柱の間に薄く光る膜が張られており、淫魔達がその膜を通り抜けるたびに、その体の輪郭が一瞬だけ青白く光った。
「魔力波形の確認膜だよ、所属、残魔力、持込素材、申請と違う物は持ち込めないんだ」
「はぁ~、また面倒なもんを用意したもんすねぇ、まぁ、問題ないっス。隠し持つ方法はいくらでもあるっスから」
「ほ、ほんと? 信じていいの? あの魔法、そうとう高度だよ」
「これで貸し借り無し、任せとくっス」
彼女の言葉に、一体どんな方法を取るのだろうと考えていると頭に声が響く。
(ってことで、高度な隠蔽魔法をかけられた人間ちゃんの出番っス、ちょっと部品を持っててほしいっスよ)
――自分はあの検知器のようなものには反応しないのだろうか――
(するっスね)
貴方は閉口するが、彼女は心の中で堪えた笑いを響かせた。
(そんなむずかしく考える必要はないっスよ、あの柱の外側から隙間を通ればいいだけっスよ)
――それは……、その通りである――
(優秀な悪魔の監視を置いても、肝心な監視を雑な淫魔が急ごしらえで作ればこの通りっスよ)
彼女達は悠々と列に並び、受付の悪魔へと書類を手渡した。
「申請を確認しました、承認も問題なし、ただ補助以外の理由で彼女が同行する妥当な理由は?」
「え、あの……、彼女、かなり腕が立って、私的に助かるというか……」
「彼女は他部署の管理者です。規定には補助員は生産、設計の部署についてのみの規則しか記載されていません」
「え、あ……、うぅ……」
言葉を詰まらせる淫魔であるが、彼女はスッと手を挙げる。
それを見た悪魔はあごで話を促した。
「あー、確か管理者は新規部品については資材検収の立会いの印がいるっスよね? 彼女の作ってるテスト用の装置はウチの炉でやるんス」
「原則として監督官と作業者以外の入室は禁止されています。別の場で確認していただくことは?」
「この後すぐに使うっスよ、たしか原則搬入前に確認っスよね? 自分は製造の資格も一応持っているんで作業者ですし、ある意味監督のために来てるっス」
「ふむ……、たしかに、分かりました。今回は入室を許可します」
「はい、どうもっス」
「規則の不備とまでは行きませんが今回のケースは想定外のものでしたので追って規則の変更を検討いたします。……フッフフ」
笑顔を見せて受付を離れる二人。
「……検収の立会いなんて、よく思いついたね、あんなの誰も来ないで後で印を押すだけなのに……」
「実質責任を現場に投げるだけの作業っスからねアレ」
「というか、なんであの悪魔うれしそうなの……」
「私ら淫魔が穴をつかれるとよがる様に、あいつら悪魔は規則や契約の穴を突かれると絶頂するんすよ」
「知ってるけどさ……、傍から見ると怖いよねあれ……」
通路を進む二人は柱の間に張られた膜を通る。
(今っスよ、人間ちゃん)
部品を持った貴方は彼女の背からそっと降りると静かに黒い柱へと近づいた。
それは、確かに通路を塞いでいる。
だが、塞いでいるのは通路だけだった。
柱のさらに外側、壁を這う太い導管と、黒い認証柱のわずかな隙間。
羽や尾のある淫魔ならまず通れないだろうその隙間に、貴方は身を捩らせながら体を押し込む。
壁の冷たい表面が背を擦り、黒い柱の縁が肩に食い込む。
それでも貴方は息を殺し、その隙間を這うように抜け出た。
工作室の重い扉が普段とは違い、ひとりでに開いていく。
(こっからが本番っスよ、人間ちゃん、部品をこっそり欲しいっス)
彼女の声が、貴方の頭の中で小さく響いた。
――ここからが本番が多すぎる――
(本番が長くて多い方が人生お得っスよ)
貴方は彼女の後ろでに部品を手渡し――