あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい 作:評価を…評価をクレメンス
高町の手元には、黒瀬へ提示するはずだった条件の「第二弾」以降が空しく残されていた。タイムふろしきと四次元収納箱の継続的な供給を確約できるなら、最終的には一兆円規模の特別枠を設ける。その最大のカードを切るまでもなく、黒瀬は「三百五十億円」という最初の提示であっさりと首を縦に振ってしまったのだ。
結果だけを見れば、日本政府は現代科学を根底から覆す二つのテクノロジーを、実質ただ同然で買い叩いたことになる。タイムふろしきも四次元収納箱も、現代の市場価格などという概念の枠外にある代物だ。三百五十億円という数字は単体で見れば巨額だが、そこから派生する天文学的な研究価値と産業的優位を思えば、あの渋い財務側ですら「安すぎて裏があるのではないか」と勘繰るレベルだった。
「……説明を尽くす暇すらありませんでしたね。まさか三百五十億で即決されるとは思いませんでした」
高町は忌々しげに資料を閉じ、黒瀬の連絡先へもう一度コールさせた。だが、無機質な呼び出し音が虚しく響くだけで一向に出る気配はない。自宅にも人の出入りはなく、連絡役からの報告には『現在地不明』の無情な五文字が記されているだけだった。
最悪の想像が脳裏をよぎる。黒瀬のもとには、すでに海外の巨大資本からも接触の魔の手が伸びているはずだ。あの底知れぬほど気まぐれな女のことだ。「面白そうだから」という子供じみた理由だけで、今ごろアメリカや中国、あるいは中東のどこかで、新たなオーパーツの商談を始めていても不思議ではない。
もしそうなれば、MAO案件は日本だけのトップシークレットではいられなくなる。黒瀬本人に隠蔽の意思が皆無であり、相手が国家や多国籍企業となれば、いずれ彼女と未来道具の存在は世界へ露見する。いや、タイムふろしきの検証動画がすでに数千万回も再生され、世界中へ拡散されている現状を鑑みれば、「いつまで隠し通せるか」ではなく「どの順番で世界に知れ渡るか」というフェーズにとうに移行していた。
高町は革張りの椅子に深く背中を預け、重く目を閉じた。胃が痛い。日本初の女性総理として登り詰めた時は、歴史的快挙だの前例打破だと連日騒がれ、その重圧だけでも十分すぎると思っていた。
だが、今にして思えば、あれはまだ「人間の政治」の範疇に収まる普通の悩みだった。少なくとも、物理法則そのものを破壊するアイテムを売りに来る民間人の対応など、考えなくてよかったのだから。
「隠し通すのは、もはや無理でしょうね。こちらが口を噤んでいても、向こうから勝手に世界へ出ていく」
傍らで資料を読んでいた岸川が、ぽつりとこぼした。総理経験者として高町の相談役というポジションに収まった今の彼は、現役時代よりもずっと気楽そうに見える。本人もこの隠居生活を気に入っていたが、MAO案件の資料を読む時だけは、かつての癖のように無意識に胃の辺りをさすっていた。
高町は無言で頷く。黒瀬が海外へ渡れば、その国は必ず動く。企業なら強引な独占契約を狙い、政府機関なら安全保障案件として扱い、研究機関は何としてでも現物を手に入れようと狂奔するだろう。日本だけが「存在しません」と白を切り続けたところで、時間の問題だった。
ならば、先に出す。
追いかけられて後手後手で釈明するくらいなら、日本政府自身が主導権を握って事実を公表してしまった方が、まだコントロールが利く。
存在を公式に認める。性能の「安全な一部」を見せつける。危険な情報はブラックボックスに沈めたまま、民間への産業利用を解禁する。それと同時に、MAOから次の商品を買うための莫大な資金を、可能な限り早く錬成する。
高町の脳内で、散らばっていた思考のピースが一つに繋がった。
黒瀬は、金そのものに執着しているわけではない。「未来デパート」でさらに高価な代物を買うために、現代に安いジャンク品を持ち込み、それを換金して資金を増やそうとしているのだ。
だったら、国家である日本も同じ盤面に乗ればいい。
MAOから買い叩いた未来道具そのものを、次の未来道具を買うための「元手」に変換する。
黒瀬から買った道具をただの標本として寝かせず、産業へ貸し出す。そこで莫大な利益を生み出し、そのカネを次のMAO商品取得へ回す。その商品でさらに巨大な利益を絞り出す。経済の基本、スノーボール・エフェクトだ。最初の僅かなアドバンテージを利益に変え、その利益で次なる優位を買い、他国との差を雪玉のように膨らませていく。
MAOと最初に接触した国家は、日本だった。
この僅かな先行を一日でも長く維持し、他国が一つ手に入れる間に日本が二つ、日本が二つ持つ頃には三つ、四つと差を広げる。高町の政治家としての経験というより、もっと原始的な勘がそう告げていた。
ここが、日本という国家の未来の正念場だ。最初の数ヶ月で作った差が、十年後には取り返しのつかない絶対的な差へ育つかもしれない。
「とにかく金を作ります。悠長に研究だけしている時間はありません。タイムふろしきも四次元収納箱も、使えるところから使って、次の商品を買う資金へと変換する、他国に先んづるにはそれしかありません」
いざ言葉にしてみると、一国の方針としては随分と品がなかった。岸川はしばらく高町をまじまじと見つめていたが、やがて小さく息を吐き出した。
「高町さん。一つだけ言っておくが、総理の仕事は『他国に勝つこと』じゃない。そこを取り違えると、判断を誤る」
熱を帯びた勢いに冷水を浴びせられ、高町が視線を向ける。岸川は冗談めかす様子もなく、机の上に置かれた二つの未来道具の写真を指先で軽く叩いた。
「自国民を幸福にすることだ。他の国より未来道具を十個多く掻き集めたところで、日本人の暮らしが悪くなるなら意味はない」
高町は数秒間沈黙し、それから自分でも気づかぬうちに前のめりになりすぎていたことを静かに認めた。黒瀬を他国に取られるな、先へ行けと強迫観念に駆られるうち、「競争に勝つこと」そのものが目的にすり替わりかけていたらしい。
「ただし」
岸川はそこで一度言葉を切り、高町が顔を上げるのを見計らってから、ふっと口元を緩めた。
「その観点から見ても、今はあなたの案が最適解だと私も思う。エネルギー、物流、医療、研究開発、生産性。あれが本当に黒瀬さんの言う通りの品揃えなら、早く回し始めた国ほど、国民へ返せるものが莫大に増える」
高町は眉間を押さえ、自嘲気味に苦笑した。結局、やることは変わらない。ただ、国家としての目的を見失うなという釘刺しだった。
その日の夕方、MAO案件の運用方針は180度転換された。
秘匿一辺倒の防御策を捨て、公開可能な性能は政府から先制して公表する。民間からの利用を広く募り、利用料と共同研究費を徴収し、その収益を次なる未来道具の取得へと可能な限り還流させる。タイムふろしきの破壊試験枠は高額入札、四次元収納箱は緊急・高付加価値貨物から有償運用する案が、その日のうちに各担当部署へとばら撒かれた。
国家権力を総動員した、前代未聞の「金儲け」が幕を開けた。少なくとも官邸内部では、そのくらい露骨で貪欲な認識で動いた方が早いという結論に達していた。
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翌日。官邸の記者会見室は、普段の退屈な政治報道とは違う異様な熱気に包まれていた。
前夜になって突然、政府が「特殊物品に関する重要発表」を予告。しかも国内外の報道機関へ広く中継を許可するという異例の対応をとったためだ。ネット上では発表の数時間前から、「例のタイムふろしきの件に違いない」という憶測が飛び交っていた。
高町が毅然とした足取りで壇上へ現れると、フラッシュが嵐のように一斉に焚かれた。
彼女の横には、透明な保護ケースに収められた一枚の布と、銀色の四次元収納箱が置かれている。すでに映像で見たことのある視聴者たちは、その光景だけで何が始まるのかを完全に察した。
「政府は昨日、既存科学では説明できない性質を持つ二種類の物品を、国内の民間人から取得いたしました。本日は、確認できている範囲の性能と、今後の利用方針を公表します」
会見室がどよめいた。高町は「供給者の個人情報や入手経路の詳細については答えない」と先制で釘を刺し、そのうえで政府内部の呼称として『MAO』という略号を使用していると説明する。タイムふろしきについては、無生物限定、取得時点より前には戻せないという確認済みの制限も包み隠さず公表した。
実演用の長机へ、新品のタブレット端末が置かれる。
白衣の職員がその場でハンマーを振り下ろして画面を割り、筐体を変形させ、電源が入らなくなったことまで報道陣に確認させる。それから鉄屑と化した端末にタイムふろしきを被せ、一定時間ののちに無造作に取り除いた。
傷は、完全に消えていた。
歪んだ筐体もフラットに戻り、端末は何事もなかったように初期画面を起動させている。会見室のあちこちから「嘘だろ」という声が漏れ、記者たちの手が狂ったように一斉に上がる。
続いて四次元収納箱の実演が始まった。事前に重量と個数を公開した金属製の試験用ウェイトが、箱の口からブラックホールのように次々と消えていく。すべて収納した後も箱自体の重量はほとんど変化せず、取り出しを指定すると、入れた物が順番通りにポンポンと空中に吐き出されてきた。
「政府は、これらを倉庫へ封印して独占するつもりはありません。安全性を確認しながら、可能なものから社会へ還元します」
高町はそこで初めて、会見の真の目的へ入った。
安全性を担保しながら、国内企業や研究機関との共同利用を早期に開始する。タイムふろしきを用いたロストゼロの破壊試験、高額設備の復旧実験、四次元収納箱による高付加価値貨物の瞬間輸送など、短期で莫大な利益を生む実用化案件を優先するという。
企業向けの公募窓口も、その場で大々的に発表された。利用希望だけでなく、「この道具ならこうやって利益を生み出せる」という具体的な事業提案まで受け付ける。そして、その利益の一部は将来のMAO物品取得と研究費へ回す方針まで、一国の総理が堂々と明言したのだ。
最前列の記者が、食ってかかるように質問を飛ばした。政府が未知の物品で「利益を上げること」を目的としているのか、と。高町は少し間を置き、逃げることなく研究だけを目的にしていないことは認めた。
「次の技術を取得するには資金が必要です。得られた利益をさらに新しい技術へ投じ、その成果を社会全体へ還元する。その循環サイクルを、可能な限り早く構築します」
会見終了を待たず、日本中のスマートフォンへ号外の速報が飛んだ。ニュースアプリも各テレビ局も、普段の政治速報とは明らかに違う狂乱のような勢いで更新を始めた。
『【速報】政府、タイムふろしきの実在を公式に認める』
『“四次元収納箱”も公開 100立方メートル級の異常空間』
『未知技術を民間利用へ 政府、企業から活用ビジネス案を募集』
『供給者を政府内部で“MAO”と呼称』
昼のワイドショーでは、大物司会者が映像を三回も見返していた。横に座る物理学者は「現時点の映像だけで原理を論じるのは不可能です」と頑なに繰り返しながらも、最後には「ただ、政府自身が目の前であれを実演している以上、少なくとも何らかの現象が存在するという前提で考えざるを得ない」と頭を抱え込んだ。
別の局では、気鋭の経済評論家が四次元収納箱に食らいついていた。百立方メートルという容量そのものより、「収納物の重量が外部に反映されない」という点が本当なら、世界の物流の前提が根底から覆ると熱弁する。その隣で女子アナが「つまり、本物のドラえもんですか?」と無邪気に聞き、評論家が「その例えが一番わかりやすくて困るんですよ」と渋い顔で返していた。
SNSのトレンド欄は、数十分で関連ワードに埋め尽くされた。政治ニュースに普段ほとんど反応しない層までが、同じ映像を切り抜いて狂ったように回している。
1位:タイムふろしき
2位:四次元収納箱
3位:MAO
4位:日本政府
5位:ドラえもん
7位:未来デパート
9位:メルカリの人
「ドラえもんかよww」
「政府が真顔でタイムふろしきって言ってる映像、脳が理解を拒否する」
「9800円で買ったYouTuber今どんな気持ち?」
「四次元収納箱、宅配便とかいう次元じゃないだろ。タンカーの概念消えるぞ」
「これTSMCの半導体工場に使ったらどうなるんだ」
「タイムふろしきの制限ちゃんと発表したの偉い。昔の物を何でも新品にはできないらしい」
「いや待て、政府が次の未来道具買うために金稼ぐって言ってなかった?」
「国営転売ヤー爆誕で草」
「日本政府、転売屋の転売屋になる」
巨大匿名掲示板群には、会見開始から数分で専用スレッドが乱立した。最初は「どうせ仕込み」「政府まで釣りに参加するな」という冷ややかな書き込みも多かったが、複数の報道機関が異なる角度から撮影した映像を一斉に公開すると、話題は真偽より「どう悪用するか」へシフトしていった。
『【速報】タイムふろしき、ガチだった件』
『四次元収納箱に何入れる?』
『政府「金稼いで次のひみつ道具買います」←これ』
『メルカリの出品者、マジで何者なんだよ』
「購入時点より前に戻せないなら文化財修復は無理か」
「今から作る物にはクソ強いな。壊れたらノーコストで戻せる前提で設計できる」
「四次元箱をロケットに積んだらどうなる?」
「それ政府も絶対考えてるだろ」
「生物不可って細菌はどう判定されるんだ」
「もう世界中の研究者が楽しそうで羨ましいわ」
企業側の動きはさらに速かった。会見終了から一時間も経たないうちに、公募窓口には自動車、航空宇宙、半導体、素材開発、巨大物流、建設、電力、損害保険まで、業種を問わず提案が殺到した。単に使わせてほしいという生ぬるい申し込みから、利用一回につき数十億円を払うという狂った入札案件まで入り乱れる。
海外メディアも一斉に速報を出した。日本政府が未知の時間復元技術と異常収納技術を「公式に認めた」という事実は、タイムふろしきの動画だけが流れていた時とは意味が次元から違う。各国の大使館から外務省へ鬼気迫る照会が相次ぎ、巨大テック企業は日本法人を通じてトップ面談を強行に要求し、研究機関からは共同検証を求める書簡が飛び込んだ。
官邸の予想より、世界が食いつく速度は遥かに速かった。それでも高町は会見室へ戻る途中で、ほんの少しだけ口元を緩めた。隠蔽工作をしている間は「時間」が敵になる。だが、こちらから堂々と盤面をひっくり返して公開した以上、今日からは「日本が実物を握っている」という事実そのものが最強の交渉カードになるのだ。
同じ頃、SNSの深淵では、官邸の誰も予想していなかった別の遊びが始まっていた。政府が使った『MAO』という味気ない略称を誰かがそのまま日本語読みし、黒瀬のメルカリアカウントと結びつけて投稿したのである。
『未来の道具を売り歩く謎の女=MAO』
『MAOって、マオだよな』
『政府公認コードネーム、魔王で草』
『タイムふろしきと四次元収納箱を従えてるし、もう魔王でいいだろ』
『魔王様、次は何を売りさばいてくれるんです?』
最初はただの語呂合わせだった。それが数時間もしないうちにネットのミームとして完全に定着し、大手ニュースサイトの真面目なコメント欄にまで「魔王」という呼び名が侵食し始めていた。
黒瀬薫はまだ、その事実を知らない。本人の預かり知らぬところで、MAOはすでに、世界を混沌に陥れる『魔王』へと進化し始めていた。