あらかじめ日記を手に入れたいから未来デパートの商品転売してるけど、魔王って呼ばれてるっぽい 作:評価を…評価をクレメンス
記者会見から三日後。早くも「第一回MAO技術利用権入札」の幕が切って落とされた。
早すぎる。未来技術が本物であると政府が公式に認めてから、まだ七十二時間ほどしか経過していないのだ。官公庁ですらまともな制度設計を終えておらず、世間では未だに「タイムふろしきが実在する」というたった一文だけで酒の肴になる時期だった。
それでも、強烈な金の匂いを嗅ぎつけた企業は一秒たりとも遅れなかった。空想のオーバーテクノロジーに慣れ親しんだ日本人でさえ現実へ頭を切り替えるのに時間がかかったというのに、何十年も競争社会を生き抜いてきた経営陣の判断力は常軌を逸していた。「原理が理解できないなら、理解できるまで待つ」のではない。「使える部分だけを、他社より先に毟り取る」のだ。
官邸の小会議室では、高町総理と岸川が巨大なモニターを睨みつけていた。入札会場そのものは経産省が手配した別施設であり、二人は遠隔からの視察だ。高町の手元にはブラックコーヒーと胃薬、岸川の手元には煎餅と、なぜかもう一箱の胃薬が置かれている。
「たった三日ですよ」高町は呆れたように手元の資料をめくった。「通常の入札なら、まだ説明会の日程を調整している頃でしょうに」
「企業に『一日で数百億を節約できるかもしれない』と囁けば、役所の決裁より速く動くさ」岸川はバリッと音を立てて煎餅を割った。「私だって走る」
今回売りに出されるのは、タイムふろしきそのものではない。午前零時から翌午前零時までの「二十四時間限定の独占利用権」だ。政府の立会官と安全管理要員が同席し、対象物は事前申請制。その条件さえ守れば、落札企業は二十四時間、好きなだけ「時間を巻き戻して」いい。
参加条件だけで分厚い資料になったが、企業側が最も狂喜したのは次の一文だった。
『破損、故障、実験失敗によって失われた試験物を、条件を満たす限り利用開始前の状態へ復元できる』
東邦自動車が一番槍で提示した額は、百四十億円だった。金額だけでも異常だったが、添付された試験計画書には、それ以上に異常な密度のスケジュールが詰め込まれている。
「衝突試験車両十二台、駆動系耐久試験、大容量バッテリーパックの限界破壊試験……」高町がページをめくる手を止め、画面を見た。「これ全部、たった一日でやる気ですか?」
「やる気なんだろうな」
別会場にいる東邦の開発担当役員は、至極平然とした顔でモニター越しに語った。
「通常、完成車を一台クラッシュさせるたびに、同仕様の試作車を組み直す必要があります。その間、高額な試験設備も優秀な人員も完全に手が止まる。しかし今回は『待たない』。壊したら戻す。条件を変えてまた壊す。我々にとって、もはや金より時間の方が惜しいんです」
担当者が画面を切り替えると、そこには『開発期間の短縮見込み:四か月半』『試作費削減見込み:約二百十億円』『設備故障リスク回避:算定不能』という強烈な数字が並んでいた。
岸川が、手に持っていた煎餅を静かに皿へ戻す。
「百四十億払って、二百億以上浮かせる算段か」
「しかも、ライバルより四か月も早く市場へ出せる」
「そういう商品だと認識すると、急に百四十億という数字が安く見えてくるから恐ろしいな」
そこへ、すかさず本城技研が殴り込んできた。提示した現金は東邦より少し低い百二十億円。だが、期間短縮によって生じた追加利益の一部を政府へ還元する特別条項に加え、四輪だけでなく二輪、航空機、ロボティクス、蓄電池まで、同社の全リソースを試験枠へ叩き込んでいる。
「うちは、単に車一台を早く作るためだけにこの権利を使う気はありません」
本城の技術担当が、自信に満ちた声で言い切った。「空を飛ぶ物も、地を走る物も、人の代わりに動く物もある。壊して、戻して、また限界まで壊せるなら、二十四時間を五部門で食い尽くしてみせます」
東邦自動車はすぐには金額を上げなかった。代わりに政府への利益還元率を積み増しし、将来の試験データの一部を国内の研究機関へ無償提供する条件を追加する。本城技研も負けじと、深夜帯を含む六班交代制の常軌を逸した研究者シフト表を提出してきた。
「なんだか、オークションというより何でもありの総力戦になってきましたね」
「そりゃそうだろう。ただ現金で殴り合うより、魅力的な付帯条件を積んだ方が実質的に安く勝てるんだから」
高町は思わず苦笑した。「国家相手の入札で、企業側に『効率のいい節約の仕方』を教えられている気分です」
自動車メーカー二社の競り合いはついに二百億円台へ突入し、それでも両社は一歩も引かなかった。試作車、新型電池、モーター、複合素材、制御モジュール。本来なら一度壊して捨てるはずだった部材がノーコストで蘇るたび、億単位の再製作費が浮く。しかも、次の試験まで数週間待つという最大のタイムロスが消滅するのだ。
会場では、東邦の担当者が本城側へちらりと視線を向けた。
「三百億近く積んでも、まだ御社は『得だ』と思っているんですか?」
「そちらこそ」
「ええ、思っていますとも」
本城の担当役員が不敵に笑う。「だから困っているんでしょう、お互いにね」
その膠着状態を、別室からの新たな入札通知が一瞬で破壊した。
東都半導体装置。先端半導体の製造装置分野で国内トップシェアを誇る巨人が、現金だけで「四百八十億円」という数字を叩きつけてきたのだ。
高町がバッと資料から顔を上げる。「……いきなり?」
岸川も、新しい煎餅に伸ばしかけた手をピタリと止めた。「自動車二社の血みどろの交渉を、一撃で吹き飛ばしたな」
モニターに映し出された東都の研究責任者は、すでに三日三晩徹夜したような死相を浮かべていた。どうやら三日前の会見直後から研究部門をほぼ泊まり込みで稼働させ、タイムふろしきが使える前提で実験工程そのものをゼロから組み直したらしい。
「我々も、決して装置を壊したいわけではありません。ただ、今までは『確実に壊れるから』怖くて試せなかった未知の条件があるんです」
映像に、素人には到底理解できない複雑なグラフが投影された。
「プラズマ密度をここまで引き上げる。温度を安全圏から完全に外す。材料の供給量を限界まで振り切る。通常なら、このテストで装置が焼き切れた時点で、一週間、二週間、下手をすれば一か月まるまる開発がストップします」
「今回は?」
「壊れるまで回します。限界値を測ります。布で戻します。そして、また壊れるまで回します」
その口調は、狂気を孕んでいるのに妙に淡々としていた。高町は手元に届いた分厚い試験予定表を開き、その一ページ目を見ただけで読む気が失せた。二十四時間をきっちり十五分単位に切り刻み、三つの装置を並行稼働させ、故障から復元までのロスタイムまで秒単位で見積もっている。
「四百八十億という破格の根拠は?」
「現在抱えている試験計画だけで、高額な試作部材、装置の修復費、人員の拘束コストを合わせ、約三百二十億円の無駄な支出を回避できます」
研究責任者はそこで、決定的な一枚のスライドを表示した。
「それに加え、『七か月』です」
「七か月?」
「最も順調に進んだ場合でも、現在の工程なら候補条件をここまで絞り込むのに七か月と十二日かかります。二十四時間で全部終わるとは言いません。ただ、成功率の低い極端な条件を今夜中に全部踏み抜けるなら、開発を半年以上前倒しできるんです」
東邦側が完全に沈黙し、本城側もこれ以上の追証を諦めた。車一台、エンジン一基という物理的な単位で見ていた話が、「次世代半導体製造装置の開発速度」という次元の違うレイヤーへ引き上げられた瞬間だった。
東都はさらにダメ押しで、五百五十億円まで額を釣り上げた。その代わり、次世代装置で得られた国内売上の一部を追加で政府へ還元する。海外販売分についても別率でマージンを設定すると提案し、高町の隣に座っていた財務担当の官僚が、急に目を血走らせて前のめりになった。
「顔に出ていますよ、財務省」
「五百五十億ですよ総理! 次も同じ額が取れる保証なんてどこにもないんです。取れる時に毟り取ります!」
岸川が腹を抱えて笑った。「完全に開き直ったな」
「総理になってから、嫌というほど覚えましたからね」
結局、タイムふろしきの記念すべき最初の二十四時間は、東都半導体装置が五百五十億円で落札した。落札確定の通知が出た瞬間、同社の巨大な研究施設では歓声や拍手よりも先に、白衣を着た人間たちが一斉に全力疾走を始めたという。開始時刻まで残り十八時間。そこから機材の搬入、校正、条件確認、交代要員の仮眠スケジュールまで、すべてが分刻みで逆算されていく。
翌日、タイムふろしきが厳重な警備とともに施設へ運び込まれると、実験は狂ったような密度と速度で進行した。
最初の一台は、開始からわずか四十三分で限界を迎え、沈黙した。研究者たちは悲鳴を上げる代わりに冷静に計測値を保存し、すかさずふろしきを被せる。完全な復元を確認すると、すぐさま条件を三%だけ落としてもう一度フル稼働させた。
二時間後、別の極端な条件で基盤が焼け焦げた。戻した。四時間後、通常なら部品交換に数日かかる箇所が物理的に破断した。戻した。昼を過ぎる頃には、研究室のホワイトボードにびっしりと貼られていた「要検証」の付箋が、目に見えて剥がれ落ちていた。
開始から十九時間目。東都の研究主任が政府の立会官へ報告に訪れた。髪は鳥の巣のように乱れ、目の下にはどす黒い隈が浮かび、紙コップのブラックコーヒーを震える三本指で掴んでいる。
「……半年分、終わりました」
立会官は思わず聞き返した。「半年分?」
「正確には、七か月と十二日分の予定から、残っているのが六週間分です。これがそのまま量産へ持っていけるかは別問題ですけどね」
その日のうちに画期的な新技術が完成したわけではない。それでも、今まで「装置が壊れるのが怖くて」絶対に踏み込めなかった未知の領域から、二つの極めて有力な加工条件と、一つの新しい成膜条件が生き残った。本来なら、研究部門が「来年度中に見えてくれば大成功」と踏んでいたレベルの候補だった。
翌朝の株式市場。東都半導体装置の株価は、買い注文が殺到しすぎて寄り付かなかった。ニュース番組は「七か月分の実験をたった一日で消化」というキャッチーな数字だけを何度も繰り返し報じた。海外の巨大半導体メーカーと競合企業からは、「うちなら同じ二十四時間をいくらで買えるのか」という血気盛んな問い合わせが、官邸へ嵐のように殺到した。
高町はその狂乱の数字を眺めながら、次のモニター画面へ切り替えた。
もう一つの入札、『四次元収納箱』である。
三峰重工は、タイムふろしきの入札からは早々に降りていた。取得の優先順位では四番手であり、資金力でも自動車勢や半導体勢には及ばない。だがその代わり、四次元収納箱の利用権に全ツッパしてきた金額だけが、妙に大きかった。
「三百億。それに、将来の打上げサービスの売上分配?」
「向こうは、最初からこっちの箱が本命だったんだな」
三峰の宇宙部門責任者がオンラインで呼び出された。高町が用途を尋ねると、相手は自信ありげに一枚だけ資料を画面に映し出した。巨大なロケットの図解、そのペイロード(積載部)の横に、小さな銀色の箱がちょこんと描かれている。説明は極めてシンプルだった。
「これを、このまま宇宙へ持っていきます」
岸川が思わず画面へ顔を寄せる。「箱を?」
「中身ごとです」
四次元収納箱に収められた物体は、外から見た重量へほとんど反映されない。百立方メートルの亜空間へ、交換用パーツ、高精度の観測装置、工作機械、予備バッテリー、太いケーブル、バックアップ用コンピュータ、大量の水、金属材料まで、考えうる限りの物資を詰め込める。おまけに、打上げ時の強烈な振動も内部の空間へはほぼ伝わらないことは、事前の政府試験で立証済みだった。
三峰の担当者が次のスライドを出す。従来なら厳しい重量制限のせいで複数回の打上げに分けざるを得なかった物資が、たった一回分の機体に余裕で収まっている。
「一回の打上げで節約できる金額は、具体的にいくらですか?」
「搭載内容によります。ただ、今回のプロジェクトに限って言えば、打上げを『二回分』減らせる構成になっています」
「金額で答えてください」
「機体そのものと地上運用費だけでも数百億。それに加え、衛星側の無駄な耐振動設計、専用の特殊梱包、打上げ待ちで拘束される技術者の人件費まで含めれば……さらに膨れ上がります」
高町はしばらく言葉を失った。
三百億円を国に払って、三百億円以上の圧倒的なコストを浮かせ、その上で「今まで重すぎて宇宙へ持っていけなかった物」までノーリスクで運べる。三峰重工がタイムふろしきの競争からあっさりと降りた理由が、ようやく腑に落ちた。
「我々が本当に欲しいのは、単なる輸送費の節約だけじゃありません」宇宙部門責任者は熱を帯びた声で言った。「宇宙空間で万が一故障した時に必要になるかもしれない予備品を、今までは重量の都合で泣く泣く諦めていました。これなら、全部持っていける。繊細な精密部品も、重たい工作機械もです」
「もし、宇宙でトラブルが起きたら?」
「箱を開けて、予備の部品と交換するだけです」
岸川が低く、楽しそうに笑った。「随分と雑な解決法だ」
「宇宙開発において、物理的な問題を『雑に解決できる』ということが、どれほどありがたいことか」
高町は入札画面を見つめ直した。
タイムふろしきが膨大な研究時間を削り取り、四次元収納箱が絶望的な輸送費と重量制限を削り取る。二つとも、何か新しいものを直接発明しているわけではない。それなのに、既存の技術開発と産業の足枷だけを、魔法のように次々と外して回っているのだ。
その日の午後には、海外市場までが連動して大きく動いた。日本の半導体装置株と宇宙関連株へ莫大な投資マネーが流れ込み、世界中の競合企業の株価は逆に大荒れとなった。「たった一個しかない道具に市場が過剰反応しすぎだ」という冷静な分析も出たが、投資家にとっては「そのたった一個を、日本企業が世界で最初に使い倒している」という事実だけで十分だった。
米国企業からの問い合わせは、前日までとは比較にならない暴力的な量へと膨れ上がった。提示される金額の桁も変わった。面会だけで一億円と言っていた会社が、十億、二十億と数字を釣り上げ始め、ある世界的な巨大IT企業に至っては、白紙の小切手を切るように「希望額を提示してほしい」とだけメールを送ってきた。
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その頃、当の黒瀬薫は、そんな世界の熱狂と市場の騒ぎなどほとんど見ていなかった。
だらしない黒いパーカーに短パン姿。片手にはお決まりのコーラ。自宅のソファで寝転がりながらメールボックスを適当にスクロールし、一番しつこく連絡してきている会社をルーレットでも回すように選んでいた。
「検索エンジンの会社だったかしら。動画サイトもスマホOSもAIもやってる、あの一番でかいところ」
社名はアルファ・ウェブ。アメリカ西海岸に広大な本社キャンパスを構える超巨大IT企業で、普段ニュースを見ない黒瀬でさえ、そのロゴだけは毎日スマホで目にしていた。面会条件を読むと、専用機、最高級ホテル、完全な警備態勢、専属通訳まで、すべて向こうの言い値で好きに用意するとへりくだって書いてある。
「だから、わざわざ飛行機なんていらないって言ってるでしょうに」
黒瀬は飲みかけのコーラをローテーブルへコトリと置き、見えない空間からピンク色の『どこでもドア』を無造作に引っ張り出した。
音声入力で「アルファ・ウェブ本社」と告げ、何となくネットで見たことのある広大な受付ロビーの光景を頭に思い浮かべる。
ドアノブを回して、扉を開く。
数秒後。カリフォルニア州マウンテンビュー、世界最強のIT企業本社。その厳重なセキュリティゲートの先にある受付フロアに、黒いパーカー姿の日本人女性が、コーラを片手にどこからともなく現れた。
「こんにちは。未来の道具を言い値で買いたいって言ってたの、あなたたちよね?」