ぴぴぴ、と目覚ましのアラームが鳴った。
僕は眠気を振り払いながら、目を覚ました。
そのまま腕を伸ばして、目覚まし時計をとめる。
ふいに、自分の体に何かが密着していることに気がつく。
僕は、右を見た。
「べい、べい……」
いびきをかいたベイリーフが、僕の隣で気持ちよさそうに眠っている。
いつも就寝前になると、ベイリーフはモンスターボールから勝手に外に出て、僕のベッドにもぐりこんでくるのだ。
チコリータの頃から、そうだった。
これはベイリーフの『むじゃき』な性格ゆえだろう。
上体を起こそうとしたところで、身動きがとれないことに気がつく。
背中から腕が回されていて、それが僕の体をがっちりとホールドしている。
……ひょっとして。
僕は、左を見た。
「カナタ様……ふふ、本当に可愛らしいお方です。さあ、もっとこっちへ……」
欲望ただ漏れな寝言をぶつぶつ呟いているのは、ルギアである。
人間の姿に変身したままの彼女は、僕の背後から抱きしめて、体を密着させている。
「……」
まずい、これは精神衛生的に。
彼女はポケモンだ。
しかし外見は、とんでもない銀髪美人なわけで。
彼女のぬくもりと、柔らかい体の感触が、伝わってくる。
そのたびに、恥ずかしくなって、顔が赤くなった。
「起きて、ルギア」
「ふうむぅ……カナタ様ぁ、ポフィンをくださあぃ」
これで5回目だ。
数日前も注意したのに、また再犯してしまっている。
『わたくしもベイリーフのように、カナタ様とご一緒にお布団で眠りたいです』
唐突に彼女がそう言ってきて、それを断れば、ルギアがむすっとした顔をしたことをよく覚えている。
なんとか、離れようと抵抗する。
しかしルギアの力が強すぎて、人間である僕では振りほどくことができない。
けっきょく、ルギアを何度も呼びかけて目を覚ましてくれるまで、抱きしめられたままだった。
頼むから勘弁してくれ。
★
ルギアを追いかけた日から、ちょうど2週間が経った。
なにが正しい選択だったのか、僕はわからない。
あの時、うずまき島の奥で僕たちはお互いの気持ちを吐き出しあった。その末に、僕とルギアは理解しあい、彼女を連れ戻すことができたのだ。
そうして僕たちはうずまき島を出て、自宅に戻った。
『今日から、末永くよろしくお願いいたします』
人間の姿のまま、ルギアははちきれんばかりの笑みで、一礼する。
その時の、彼女の青色の瞳は、まるでサファイアの宝石のように輝いていた。
めいいっぱいの幸福と希望が、そこには詰め込まれているように思えたのだ。
なぜだか、その時、僕の心はひどく動揺した。
ルギアの顔を正面から見れなくなって、とっさに地面を見下ろしてしまった。
どうしてそんな風になったのか、今でも不思議だ。
目が覚めた僕らは、いつものモーニングルーティンに突入する。
朝食は、肉じゃがとみそ汁を作る予定だ。
今日は、朝からガッツリと食べたい気分なのだ。
朝食を作る準備をしていると、ルギアが突然、こう言った。
「今日は、わたくしがひとりで作ってみたいのです」
いつも料理は、僕とルギアの二人で作る。あるいは僕ひとりで。
彼女ひとりでやらせるのは、少し迷った。
なぜなら彼女の料理スキルは、伸びつつあるが、現時点ではかなり低い。
「うーん」
「お願いします、カナタ様に喜んでいただきたいのです」
「そこまで言うなら……」
結局、ルギアの勢いに押されて、僕は彼女に朝食作りを任せることにする。
「カナタ様、できました」
エプロン(ヘンテコな結び方をしている)を付けたルギアがおずおずとやってくる。
ルギアのサイコキネシスによって、料理が乗ったお皿やお椀が、宙を浮きながら、食卓へ移動する。
「……お食べください」
ルギアは、どこか緊張した面持ちだった。
僕は椅子に座り、食卓に並んだ朝食を確認する。
白ご飯。特に問題なし。
みそ汁。大丈夫。
肉じゃが。なんだかジャガイモやニンジンがヘンテコだったり、肉はミンチみたいに潰れているが、問題は……ない。
「いただきます」
僕は手をあわせて、箸を動かして、肉じゃがを口へ運ぶ。
「……どうでしょうか」
咀嚼して、しっかりと食べる。
舌に広がる味ははたして────。
「美味しいよ」
僕の言葉に、ルギアは目を輝かせる。
「本当ですか!!」
「味付けは……ちょっと濃いけど、こういうのも悪くないよ」
ただ、見栄えが悪いというのが大きな欠点だが。それは些細なことだ。
「すごく頑張って練習したんだね。ありがとう。僕のために作ってくれて」
「はい」
しかし、そんな評価はあっさりと覆される。
次に手を付けたのが、みそ汁だ。
一口飲んだところで、僕は顔をしかめた。
まるで極限まで薄めたような、ほとんど水のような薄味……。
その次に口直しとして、白ご飯を口へ運ぶ。
僕は眉間にしわを寄せた。
乾燥した大麦のような、ぱさぱさとした触感。
控えめに言うと、かなりひどい出来であった。
どうコメントすればいいのか分からなくて、僕はただこう言うしかなかった。
「今日のお昼は一緒に作ろうね」
「……はい」
しかし、これは仕方がないことなのだ。
彼女はポケモンであり、人間社会の常識や知識が欠落しているどころか、人間の体で複雑な動きをするのに慣れていないのだから。
まぁ、これら課題については、時間をかけて克服していけばいい。
ルギアはしょんぼりと肩を落としたままだったので、僕は励ます。
「けど、肉じゃがはすごく上手くなっているよ」
あの夜のこと。彼女が冷蔵庫に作り置きしていた肉じゃがを思いだす。
とても料理とは思えない不味さで、けど、それでも彼女の気持ちが伝わってくるものだった。
……嬉しかった。たしかに不味い料理は嫌だが、それでもあの出来の悪い肉じゃがは食べてよかった。
「もっといっぱい、君に教えていくからね。料理のことも、人間の社会常識のことも、だから落ちこまないで」
「は、はい!」
そうして、いつものように一日を過ごす。
ルギアとゲームをしてみる。彼女は力加減を間違えて、コントローラーを破壊してしまうのは、いつものことだ。
お昼ごはんは、麻婆豆腐だ。
ルギアは辛いものと熱いものがニガテであるらしい。
ふーふーと、鼻息を荒くしながら、顔を紅潮させながら麻婆豆腐を口に含んでいる。
なんだ、この可愛い生物は。
その日の夕飯はカレーうどんだった。
食べ終わった僕らは、食器洗いをする。
力加減を間違えて粉砕しないように、ルギアはゆっくりした手つきで、洗剤をつけたスポンジでお皿を拭いていく。
そんな危なっかしい彼女を、僕はすぐ隣で見守っていた。
「カナタ様、でーと……という言葉をご存じですか?」
「うん?」
恐る恐る皿を洗っていたルギアが、突然そう言った。
「人間の男と女が逢引するという、意味らしいのです」
もちろんその意味は知っている。
しかし、どうしてルギアはそんな話題を僕に振ってきたのか。
「もう何百年も昔のことです。わたくしはある人間からこんな話を聞きました」
それからルギアは、どこか遠くを見るような目つきで語った。
昔の話。
この海沿いの街には、あたりを見渡すことができる灯台があった。
その灯台は夜になると、最上階にいるデンリュウが体を発光させ、周囲を明るく照らす。
夜の闇が下りたあと、男女が灯台の一番上で、夜の荒海を一望する。
そうすれば、ふたりは一生離れることなく、結ばれる。
そんな根拠のない眉唾な話が、大昔、アサギの町で流行っていたらしい。
「あの灯台はもう今では焼け落ちて、失われてしまっています。
しかし現代では、同じ場所に、代わりとなる別の灯台が再建されているのでしょう。
この町にやってきたとき、驚いたものです」
その灯台とは、<アサギの灯台>のことだろう。
しかし初耳だ。
あんな古臭い灯台が、かつてはデートスポットとして名を馳せていたなんて。
いや、昔はひょっとすると、ゴージャスな見た目の灯台だったのかもしれない。
ルギアは、なにかを期待するようなまなざしでこちらを見てくる。
彼女の態度から、なんとなく察する。
「今晩、行ってみる?」
「はい!」
ルギアはにこやかに頬を緩ませた。
★
僕は思い出す。
あのうずまき島での、彼女が下した決断を。
『ルギアはどっちがいい?』
海の神ルギアとして、人とポケモンの関係であるのか。
あるいは人の姿に変身して、人間としてお互いに関係を築くのか。
ルギアは、真摯な声音で答えた。
『わたくしは、どちらも選びかねます』
ルギアは、二つの選択肢のどちらも選ばなかった。
『わがままかもしれません。わたくしはわたくしのままで、カナタ様のお傍にいたいのです」
穏やかな笑みをたたえて、彼女はつづける。
『なぜなら人間の姿も、本当の姿も、どちらもわたくしです』
彼女が口にしたのは、3つ目の選択肢だった。
『わたくしはポケモンとして、海の神ルギアとなり、あなたをお守りします。そして人間として、あなたと対等な関係を築きたいと思っています」
つまりルギアは、両方を望んだのだ。
ポケモンである自分と、人間の姿の自分。
どちらも自分であり、だから姿かたちには囚われないでほしいと。
そして僕は、ルギアの選択を尊重することにしたのだ。
「……良い景色だね。意外と誰かと来ると、味わい深く感じる」
満月が昇った夜。人気のない<アサギのとうだい>を僕らは登った。
最上階までたどりついて、そこから二人でゆっくりと景色を眺める。
灯台にいるデンリュウの光がゆっくりと回転し、そのたびに夜の海が銀色に切り取られる。
水平線は果てしないほど黒く、どこまでが海で、どこからが空なのかわからない。
その場には、僕らしかいない。
だから普段ならできないような、踏み込んだ会話ができた。
「ルギア、言いたいことがあるんだ」
「はい」
「僕も君とより良い関係を築いていきたい」
「わたくしも、カナタ様と親密になりたいと思っております」
「……ただ、君と夫婦になることだけは時間をかけて、考えさせてほしいんだ」
「それは承知しております……」
僕たちはまだ出会って日が浅い。
僕自身、彼女を人間の異性として愛せるか分からない。
それに彼女も、僕に対して恋愛感情を抱いているのか、理解していないようなのだ。
「君と友達でいるのか、姉や妹のような家族となるのか、それとも恋人になるのか、ポケモンとしての関係に落ち着くのか。これからゆっくり進めていこう」
とりあえず、今はこれでいいんじゃないか?
彼女も、僕の意見には賛成してくれているようだし、急ぎするのもよくない。
「カナタ様」
ルギアが呼びかけてくる。
夜闇の中だったから、彼女がどんな表情をしているか、はっきりとはわからない。
「もっと高い場所から海を見てみたいですか?」
その瞬間、海風が頬を凪いで、潮の匂いがかすかにした。
灯台の光が、僕らを円を描くように包み込む。
ルギアの横顔が白く浮かび上がる。
どこか蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「わたくしの背中に乗せてもよいのは、あなただけなのです」
心臓が跳ね上がった。
恐いとか、びっくりしたとか、危険を感じたとか……そういうのとはまったく別の理由で。
「うん。乗せてほしい」
「ふふ、カナタ様、少しお目を汚しさせてもらいますね」
そう言って、ルギアの体が鈍色に光る。
光りに包まれた体は、しだいに人間のものから、もっと巨大な生物の面影へ変貌していく。
洗練された、美しい流線型のフォルム。
理知的な鋭い目と、くちばしのようにとがった口。
一対の翼に、背中から生えた青色の骨板。
それは、彼女の仮そめではない、真の姿。
僕が一番はじめに出会ったポケモンで、僕の世界で一番大好きなポケモンだ。
本来の姿に戻ったルギアは、翼をはためかせて、空に浮かび上がる。
『カナタ様、その場でじっとしておいてください』
体が、宙に浮かび上がる。
ルギアは念力を使って、僕の体を持ち上げているのだ。
そのままなされるがまま、僕は空中移動し、ルギアの背中に乗り込む。
「いつ見ても、ルギアはかっこいい……しかもふさふさで毛布みたいだ」
『わ、カナタ様、くすぐったいです』
──僕は、この世界に来る前に、ある願いを口にした。
『一度でもいいから、ルギアと出会いたい』
その願いは果たされ、僕は見事にルギアと邂逅したのだ。
しかし僕の推しポケモンは人間の姿になるし、夫婦になろうとしてくるし。
もしも前世の頃の僕が、このことを知れば、目玉が飛び出るぐらいに仰天することだろう。
だが、それでもいい。
たとえ彼女が人間の姿であっても、元のポケモンであっても、僕にとってルギアは推しなのだ!
「君は、僕の一番だ。この気持ちは未来永劫変わらない」
『えっ!! カナタ様、それはいったいどういう意味でしょうか!?』
「そのままの意味だよ。さあ、飛んでくれ」
ルギアが翼を一振りすれば、上昇気流が発生した。
僕を乗せたルギアは、風に身を任せて空を舞う。
僕は彼女の背中に必死につかまり、風圧で目を閉じる。
高度はどんどん上がっていって、雲を突き抜けた。
僕は目を開いて、息を飲んだ。
眼下には、どこまで広がる暗闇のような、海。
あの深い海の底で、彼女は生まれたのだろう。
将来、僕たちはどうなるか分からない。
けれど、ただ一つ言えることは、これから僕は彼女と長い時間をともに過ごす。
それは僕にとって、なによりも幸福で、かけがえのない時間になるはずだ。
一応続きは考えていますが、区切りがいいのでここで一旦完結します。