【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
「ねえ、ボク。よかったらお姉さんが、剣を教えてあげよっか?」
その甘い、あまりにも無邪気な誘いに――アルシュの心臓は、早鐘みたいに打ち鳴らされた。
全身の産毛が、ぶわりと総毛立つ。本能が告げていた。これは、『死』の気配だ。
目の前の赤髪の女性は、絶対に、近づいてはいけない類の人間なのだと。
警備隊の父や、ランディが持つ強さとは、根っこからして違う。まとわりつくような、濃密な血の匂い。
――なのに。
強さを渇望してやまないアルシュの、心のいちばん奥底が。
その圧倒的な存在感に、どうしようもなく惹きつけられてしまっていた。
迷いと躊躇に、足が地面へ縫い止められる。ひゅっ、と微かに喉が震えた――その、時だった。
唐突に、女性の背後に控えていた大柄な男が、低く重い声を発した。
「――お嬢。そろそろ時間だ。これ以上は『団長』に示しがつかん」
「えーっ? せっかく面白いオモチャ……じゃなくて、ランディ兄の可愛い弟子を見つけたのにぃ」
男――ガレスの言葉に、女性はあからさまに不服そうな声を上げて、ぷうっと唇を尖らせた。
それでも、その『団長』という一言にだけは逆らえないらしい。「まあ、仕方ないか」と、彼女はあっさり踵を返す。
だが――暗がりへ歩き出す、その直前。
ひらり、と身を翻して振り返ると、彼女はアルシュの胸元へ、一枚の紙切れをすっと差し出した。
「アタシ、しばらくこの街のホテルに泊まってるからさ。もし『本当に』強くなりたくなったら――いつでも、おいで」
それは、高級ホテルの名前と、部屋番号が記されたカードだった。
アルシュが震える手でそれを受け取った、その瞬間。女性の瞳が、三日月みたいに、すう、と細められた。
「――ああ。それとね」
ゾワッ、と。
路地裏の冷たい風が、その一瞬で、まるごと凍りついた。そう錯覚するほどだった。
アルシュの全身を、圧倒的で、濃密な殺気が包み込む。
巨大な獣に、いままさに喉笛を噛み砕かれる――そんな錯覚。
膝がガクガクと笑い、文字どおり失禁してしまいそうなほどの、根源的な恐怖。
息を吸うことすら、まともにできない。
そんなアルシュに向かって、彼女はクスリと、それはそれは楽しげに笑って、囁いた。
「アタシのこと、ランディ兄には、絶対に内緒だよ? ……約束、破ったら――殺しちゃうから、ね」
パチン、と。茶目っ気たっぷりのウインクを一つ残して。
赤髪の女性と、大柄な男は、夜の闇にとぷりと溶けるようにして、路地裏から姿を消した。
「はぁっ……! はぁっ……!」
二人の気配が完全に消え去って、ようやく――アルシュは、自分がずっと息を止めていたことに気がついた。
その場にへたり込みそうになるのを、必死に堪える。手の中のカードを、ぎゅっと強く握りしめた。
恐怖。圧倒的な、暴力の気配。
近づいてはいけない、と。理性が、あれほど激しく警鐘を鳴らしていたのに。
それでも――あの赤髪の彼女が放っていた、目を奪われるほどに鮮烈な『強さ』の残像は。
アルシュの網膜に、脳裏に、消えないくらい深く、強烈に、焼き付いてしまっていた。