『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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グレイと博士Ⅱ

地下道での激戦から市内へと戻り、僕は再びオルキスタワーの研究室で、あの怪しげなノバルティス博士による身体の調整を受けていた。

 

僕の脳内に眠る『未知の技術』の記憶を探ろうと、

博士は相変わらず矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

それに適当に相槌を打ちながらも、僕の意識は完全に別の場所へと飛んでいた。

 

(……全力を賭したけれど、敗れた)

 

特務支援課の連携の前に仮面の一部を砕かれ、あの一瞬、あの娘(キーア)に僕の瞳を見られてしまった。

気づかれてはいないはずだ。

たかだか一瞬、右目を見られた程度で「十歳の時に死んだはずのアルシュだ」なんて結びつくわけがない。

 

けれど、砕けた仮面の奥を覗き込んだ時の、あの娘の呆然とした、泣き出しそうな顔が頭から離れない。

 

『覚悟を決める』と自ら敵対を宣言しておきながら、

彼女の悲しむ顔一つでここまで心が揺らいでしまう。

自分の意志の弱さが、ひどく嫌になった。

 

「――ええいっ! 先ほどから上の空ではないか! まともに話もできんのかね君は!」

 

苛立たしげな博士の怒声に、僕はハッとして意識を現実に引き戻された。

 

「ああ……悪い。ちょっと考え事をしてた」

「クク……それほどショックだったのかね? あの『零の御子』と完全に敵対してしまったことが」

 

ニヤリと口角を歪め、僕の心の奥底を見透かすような嫌らしい笑みを浮かべる老人。

その言葉に、僕は調整台の上で顔をしかめた。

 

「あんた……俺の記憶を覗き見てるのか!」

 

警戒と怒りを込めて睨みつけると、博士は悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

「全てではないが、調整の過程で当然観測させてもらっているとも。……二十歳まで生きた演算の記憶の中に未知の知識がないかと探ったついでに、君が十歳で死んだという本来の記憶の方も把握させてもらった」

 

「……ッ」

 

「だが、残念ながら子供の方の記憶は技術解析の役には全く立たなかったがね。実に無駄な労力だったよ」

 

他人の一番触れられたくないプライバシーを土足で踏み荒らし、あまつさえ「役に立たない」と切り捨てるその言い草。

「ぐ……っ」と、僕はそのあまりの倫理観の欠如に心底ドン引きして言葉を失った。

 

「もっとも」

 

博士は少しだけ興味深そうな顔をして、顎を撫でた。

 

「あの『紅の戦鬼』が、子供時代の君と関わっていたというのは、私にとっても少々意外な事実だったがね」

 

「……紅の戦鬼?」

 

聞き覚えのない物騒な二つ名に、僕は思わず聞き返した。

 

「シャーリィ・オルランドのことだよ。今や彼女は、我ら結社の『執行者(レギオン)』の一人だからね」

 

「――姉さんが……結社の執行者!?」

 

僕は驚きを隠せず、思わず声を荒げた。

頭の中で、エリュシオンが演算した『二十歳の僕の記憶』を急いで引っ張り出す。

朧げな記憶の中では、成長した僕が猟兵としての彼女と何度か戦場でやり合ったような映像は残っている。

だが、彼女が結社(ウロボロス)という裏の世界の巨大組織と結びつくような記憶は、どこにもなかったはずだ。

 

「知らなかったのかね?」

 

「……ああ。俺の記憶だと、あの人はどこまでいっても猟兵以外の何物でもなかったはずだ」

 

僕の答えを聞いて、博士は「ほう」と深く考え込むようにシワを寄せた。

 

「なるほど。エリュシオンによって完璧に演算された歴史とはいえ……何らかの要因で、今のこの世界が辿った歴史と、君の記憶の歴史には明確な『ズレ』が生じているようだな」

 

ブツブツと考察を始める博士をよそに、僕は小さく安堵の息を吐き出した。

思ってもみなかった形とはいえ、あの『お姉ちゃん』が、

この世界でも自分の生きる道を見つけて、どこかで確かに生きているという現在を知ることができたからだ。

僕のその安堵の表情を見逃さず、博士は面白そうに提案してきた。

 

「どうだ、会いたくはないかね? 『執行者』とは言うが、今の彼女は随分と真面目に任務をこなしている。私が呼び出せば、おそらくこのクロスベルにも足を運ぶだろう」

 

一瞬、あの無邪気で獰猛な笑顔が脳裏をよぎる。

けれど。

 

「……いい。必要ないよ」

 

僕は冷たく言い捨てて、天井の無機質な照明へと視線を外した。

会いたくないと言えば、嘘になる。

けれど、この現実の世界において、僕(アルシュ)と彼女の間には何の関係性もない。

会ったところで、何の意味もないのだ。

 

(僕に生きる術を教えてくれた『姉さん』は……もう、この世界にはいないんだから)

 

心の奥底でそう呟いた。

 

「……けど、意外だな」

 

僕は調整台の上で軽く息を吐き、白衣の老人を見遣った。

 

「あんたが、俺の気持ちを慮るようなことを言うなんて」

 

他人の心を徹底的に見下しているこのマッドサイエンティストが、

わざわざ気を遣って姉さんの情報を教えてくれた。それがどうにも不気味だったのだ。

僕の言葉に、博士は少し驚いたように目を丸くしたあと、「クックック」と喉の奥で気味の悪い笑い声を漏らした。

 

「なに、君の特異なデータからは、私も多少なりとも良いインスピレーションをもらっているからね。その報酬代わりといったところだよ」

 

そう言うと、博士は僕の調整台のすぐ隣に鎮座していた、

巨大な培養カプセルへと歩み寄り、ペタりとそのガラス面に手を置いた。

 

「それに……君の身体を徹底的に調べ上げさせてもらったおかげで、シミュラクラの技術は、更なる大きな発展を遂げたのだからね」

 

「……?」

 

僕は上半身を起こし、そのカプセルの中を覗き込んだ。

薄緑色の培養液の中には、無数のケーブルに繋がれた一人の男が眠っていた。ボサボサの髪をした、気怠げな顔つきの青年。僕の記憶のどこを漁っても、全く覚えのない男だった。

 

「彼は……?」

 

「ほう、なるほど。君の二十年の記憶にも、彼との面識はなかったか」

 

博士はひどく楽しそうに、その男の正体を口にした。

 

「彼はね、ウロボロス執行者No.1――《劫炎》のマクバーンだよ」

 

「――なっ!? 結社の、『火炎魔人』!?」

 

僕は思わず叫び、背筋に冷たい戦慄が走った。

面識こそないが、遊撃士協会のデータベースに出回っている程度の情報は知っている。

一個大隊を単機で消し炭にするような、人間というより『歩く戦略級の災害』みたいな存在だ。

 

「落ち着きたまえ。ここにいるのは、あくまで彼を模したシミュラクラだ」

 

「シミュラクラ……。わざわざ、あんな化け物のコピーを作ったのか?」

 

「本人が長らく行方知れずでね。今後のために強力な手駒が必要だったのもあるが……一番の目的は、発展したシミュラクラ技術の『限界値』を測定するテストのためだよ。彼ほどの規格外の存在を、果たしてどこまで再現できるかというね」

 

(……ドン引きだな、本気で)

 

勝手に身体のデータを取られ、知らない間に自分のコピーを作られているマクバーンさんという人に、僕は得体の知れない同情を抱いてしまった。

 

その後、再び身体の調整とデータ収集に戻った。

博士からの質問にポツポツと適当に答えていると、

ふと、博士の表情からニヤついた笑みが消え、声のトーンが一段低く変わった。

 

「……ところで、だ。君は自分の『自己』というものを、どう考えている?」

 

「自己……?」

 

技術的なデータの話から一転した哲学的な問いに、僕は眉をひそめた。

 

「そうだ。……君が十歳で死んだという人生は、今の歴史のどこにも存在していない。そして二十歳まで成長したという記憶も、エリュシオンの演算の中で生まれた単なるシミュレート結果でしかない。どちらも『現実の君』のものではないのだ」

 

博士は、まるで珍しい虫でも観察するような目で僕を見下ろした。

 

「なのに……君という存在は、ひどく強烈な『自己』を確立しているように見える。それは一体、何故かね?」

 

「…………」

 

僕は少しの間、考え込んだ。

そして、正直に答えた。

 

「……考えたこともなかったな」

「は?」

 

博士は呆気にとられ、まるで「こいつは単なる馬鹿なのか?」と言わんばかりの表情を向けてきた。

その顔を見て、僕は思わず苦笑をこぼす。

 

「どうでもいいんですよ、俺にとってそんなことは」

「どうでもいい……だと?」

 

「ええ。十歳の僕も、二十歳の僕も。どちらの記憶も、ただ一つだけ、今の僕の心に強く訴えかけてきているものがあるんです」

 

脳裏に浮かぶのは、あの古戦場で、そしてさっきの地下道で見た、彼女の今にも泣き出しそうな悲しい顔だ。

 

「あの娘(キーア)が、まだ泣いている。悲しんでいる。……『だから、何とかしろ』って。どちらの僕も、そう言っているんです。自分が何者かなんていう小難しいことは、全部その次でいいんですよ」

 

きっぱりと言い切った僕を見て。

博士はぽかんと口を開けたまま数秒硬直し――やがて、肩を震わせて「フハハハッ!」と大声を上げて笑い出した。

「ひとしきり笑うと、博士は眼鏡の位置を直しながら言った。

 

「いやはや……私には到底理解できない感情だな。論理的でもないし、あまりにも非科学的だ」

 

事実、博士の言う通りおかしいのだろう。

でも、仕方がない。

子供の頃の僕も、大人になった僕も、その朧げな記憶の中には、必ず彼女が隣で笑ってくれていた気がするのだ。

遊撃士を目指したのも、猟兵の技術を叩き込んだのも。どちらの僕も、「彼女を守るために強くなった」という根本の部分だけは、絶対に変わらなかったのだから。

 

「ただ」と。

理解不能だと言い捨てたはずの博士が、ふと、真面目な顔で付け加えた。

 

「出自の曖昧な存在でありながら……君がその『朧げながらも強固な意志』一つだけで自己を確立し、ここに存在しているという事実は。……ふむ。個人的には、嫌いではないよ」

 

万事を損得と実験結果でしか測らないこの老人が、珍しく『好悪』という個人の感情で語ったこと。

それに一番驚いたのは僕の方だった。

 

「……なんですか、それは」

「クックック。さあて、何のことかな」

 

はぐらかすように笑う博士に、僕は今日何度目かわからない呆れた苦笑を返すことしかできなかった。

 

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